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さよならを云って  作者: 久慈くじら
第四章 夏から秋
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4-3 地下室の幽霊さん

 僕は来た道を戻った。今日のお菓子はなんだろう。たぶんベルが作っていたのだろうけど、と思いながら階段を降りていくと、壁に映るロウソクのゆらめく灯りが見えてきた。やっぱり消し忘れていた。


 しかしなにかがおかしかった。これはほんとうにロウソクだけのゆらめきだろうか? なにかしらの人影がゆらめいてようにも思える。もしロウソクの火ならばもっと規則的のはずだ。こんなにも不規則で、大きく揺れ動いているのはおかしい!


 もしかして幽霊かもしれない。そう思うとふともものあたりがぞわっと疼いて階段を踏み外しそうになった。いけない、音を立ててはだめだ。


 息をひそめてそろそろと降りていく。やはりなにかがいる。すこしだけ音も聞こえる。グラスをテーブルに置く音のように聞こえた。


 古い住人の幽霊かもしれない。そしてもしかして幽霊だとしても、ただお酒を飲んでくつろいでいるだけだろう。ならばそっとしておいたほうがいいのかもしれない。


 けれど、やはりたしかめたかった。今この屋敷で暮らしている住人としての挨拶をする、という口実もある。また、別の幽霊だとしたら、この屋敷から追いだす必要もある


この屋敷に住むのは年頃の少女たちで、感受性が豊かなのだ。もし夜の屋敷で幽霊の姿をすこしでも見かけてしまえば、夜が怖くなってしまう。それは断固阻止しなくてはならない。その思いで地下室に滑りむ。


「誰だ!?」


 テーブルに坐ってお酒を飲んでいた壮年の男性が驚きの声をあげた。


「やっぱり! 私は今ここに住んでいる者です」

「ああ、なるほど、そうなのかい。ひとりで飲むのも寂しいので、そこにおかけなさい」


 白っぽい髭と白髪を持つ恰幅のよいおじいさんの幽霊はそう云った。もしこれに抵抗してらいしたらなにが起こるかわからない。とりあえずこういうときは相手の云うとおりにし、流れに身を任すのがよいだろう。


「ありがとうございます」

「お酒は飲めるのかな」

「ええ、一応」

「それじゃあポルトワインでもどうだろう」

「ああ、それは大好きです」


 おじいさんはシェルフから大きめのワイングラスを取りだしポルトワインを半分くらい注いだ。グラスが濃い赤に染まって、強いお酒の匂いがした。


「乾杯」とおじいさんはグラスをかかげる。

「乾杯」


 僕もそれにあわせて目の前に置かれたグラスを持って掲げ、それからポルトワインをちびちび飲んだ。


「それで、君はどういう暮らしをしているのかな」

「かわいい小さなレディたちと暮らしています」

「ほお」


「僕は小説を書いているのですが、彼女たちのほうがよっぽどすごいものを作ったりやったりしています」

「彼女たちは芸術かなにかを?」

「はい。五人いるのですが、四人はそれぞれ音楽、絵、ダンス、詩をやっています」


「それじゃあ残りのひとりは」

「彼女はベルティーユというのですが、とてもいい子です。けれど、自分がなにをやる人間なのかわかっていません」

「なにをしたいのかではなく?」

「はい。なにをやるのか。それは使命というようなものなのかもしれません。つまり自分に確信ないのです」


「では君も含めたほかの人はわかっているのかい」

「いいえ。わかっていません。けれど、わからないということをわかっているのです。だからとりあえず今できるであろうことを全力でやっています」


「そうか。私はここでたくさん暮らした。そして色々なことを体験してきた。そうしてやっとわかったんだよ、わからないということに」

「僕たちは早すぎるのでしょうか。ベルにこれを求めるのはすこし酷な話だと思ったりするときもありますが」

「いいや、きっと私たちが遅かったのだろう。私たちの世代はそういう世代だった。そしてそのせいで子供世代、つまりは君たちの世代に迷惑をかけたんだ」


 話をしよう、と男性は語りはじめた。


 私には子供がたくさんいた。どれくらいだったか、たぶん七八人だっただろう。全員の名前は思いだせない。ひどい親だろう? 自分の子供のことなのにはっきりと答えられないなんて。


 私には親から継いだ貿易商という家業があった。私はこの仕事について思い入れなどひとつもなかった。親はずっと仕事で各地を飛び回っていたから、親とすごした記憶などほとんどなかった。しかしそのことについて愛情がなかったなんていう陳腐なことは云いたくなかった。別に私は親からの愛情なんて必要としていなかったからだ。だが、それは今になってわかったことだが、親からの愛情は必要だったのだ。だから私は自分の家族にどうやって愛情を示したらよいのかわからなくなってしまった。


 私は孤独だったので誰にも相談ができなかった。そもそもこういった個人的なことを誰かに相談してもよいということすら知らなかった。家族とうまくいかないと感じてはいたがなにが原因なのかわからなかった。家族にもうまくいっていないのかどうか訊くことすらできなかった。家族はどう扱っていいのかわからない存在だったのだ。


 そしてその不安の腫瘍とでもいうべきものは、仕事にも手を伸ばしていった。つまり、私は仕事がとんでもなく嫌になり、放りだしてしまうまでになってしまったのだ。


 しかし家族は優しかった。私のことを支えてくれたのだ。いつの間にか大きくなっていた息子は仕事をなんとか回してくれたし、妻も娘もいつもと変わらない態度でいてくれた。


 しかし! しかし私は、家族にたいして報いることすらせず、むしろひどいことをしてしまっていたのだ! そのことに気づいたのは最近のことだ。すべてが終わってから、気づいても意味のないようなときに気づいてしまったのだ!


 私がどのようなひどいことをしたのかは話したくはない。あまり話せるような簡単なことではないし、かといって複雑なわけではなく、そう、つまりは些細なことが積み重なった結果なのだ。


 子供たちと妻は家を去り、私と屋敷だけが残った。


「つまらない話さ。もっといい曰くのついている家がよかっただろうが、すまないね」

「いいえ。いいえ。きっとそのお話を役立てられる日が来ると思います。これは慰めではありません。小説を書く者としての確信のようなものです」

「そうしてくれるとありがたい。もうそれくらいでしか私は役立てないのだ」


「なにかあったんですかー!?」


 突然スズネの声が階上のほうから聞こえた。


「スズネ! 前の住人が!」と僕は叫ぶ。


 階段のほうを見るとスズネがちょうど階段を降りきって部屋に入ってくるところだった。


「前の住人? って、そんな古いお酒飲んで大丈夫なんですか!?」


 そういえばと思ってテーブルに視線を戻すとそこにはポルトワインの入ったグラスがふたつあるだけだった。


「スズネ、ここにいたんだよ」

「幽霊ですか?」

「そうなのかな」

「怖くなかったんですか」

「いや、いい話を聞けたよ」僕はポルトワインをひとくちで煽った。「ぜんぜん大丈夫。むしろおいしいくらいだ」

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