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さよならを云って  作者: 久慈くじら
第三章 春から夏
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3-8 夜祭(後)

 夜空を見あげたり、ベルとヘンリーッカと合流したり、お店で売っているもの(赤ちゃん以外はすべてある)をひやかしたりしながら夜になった町を楽しんでいると、フィナンシェ広場についた。


「あれ! 私たちのやつじゃない?」


 ベルが指し示す先にはフィナンシェのオブジェがあって、そこに僕たちが作った夜布の端ががつけられ、もう片端はカフェの庇につけられている。


 フィナンシェの広場には、僕たちの夜布を含めて、五枚ほどがかけられていた。こんなにも大きな広場をたった五枚で夜にしてしまっているのだ。


「なるほど、大きいと広場で使われるのか」

「すごいね」スズネがしみじみと云って、ぽうっと夜空をみあげた。


 自分たちで作ったものだから、こんなものはただのスパンコールとかの星と刺繍の月でしかないとわかっているのだけど、しかしこうやって頭上に飾られると夜空にしか見えないのだ。


「ほら、ベルが縫った月もまさに月って感じでいいよ」

「うん。でも……あれ? 端っこのやつ、あれ、あれも月じゃない?」

「あっ」とムニラが声をあげた。「それわたしの」

「夜空に月はひとつって云ったのに!」フェリシアが云う。「それが伝統だからってじゃんけんで勝ったベルに譲ったのよ! せっかく我慢したのに!」


 すると、フェリシアの憤る声を聞いたスズネがごめんなさいと云った。


「あの、あそこ」


 僕たちはスズネが指し示したところを見る。


「あ、あー、いいよね。うさぎさん乗ってるね」とフェリシアは呆れ顔で云った。


 それはほんとうに上手にできた刺繍だった。まったく潰れていなくて、白いうさぎが弧を描いた月に乗っている。そんなに大きな刺繍じゃないのに、こんなところからどういう模様なのかしっかりとわかる、とてもいい刺繍だった。


 そうこう夜布を眺めていると、僕とフェリシア以外の全員が月を刺繍していたことがわかった。ムニラのは朧月、ヘンリーッカのはまんまるですごく黄色い。


「はー、君たちねえ」とフェリシアがため息をついた。

「でも、周りをよく見なさいよ」ベルが自分たち以外の夜布を指す。「たくさん月が浮かんでいるわ」


 それはふつうに生きていれば味わうことのない夜空だった。僕たちの夜布と違ってほかの夜布は一枚につき月はひとつだったが、この夜空には美しい月が数えきれないくらいあった。


 月はだいたいは黄色の糸が使われてある。青白い月もいくつかはあった。刺繍に使っている糸もそれぞれ色が微妙に異なる。古ぼけた色合いの月だってあった。裁縫箱に眠っていた糸を使ったのだろうと思われた。月の形はさまざまで、満月、三日月、半月、十六夜など、名前がついていない月の形だってたくさんある。


 今夜は、みんなが心をこめて縫った月がたくさん浮かんでいる夜なのだ。


「ははは」とフェリシアは笑った。「いいね、とっても。変だ!」


 フェリシアは広場で夜空を見あげているひとたちの間を縫うように早足で闊歩した。たぶん彼女はすべての角度からこの夜空を見ようとしているのだろう。


「たくさんある! 変だ!」


 はははは、というフェリシアの笑い声が広場に響きわたっている。僕たちはおかしくなったフェリシアの姿を見てからからと笑った。


 でもさすがに悪いと思ったスズネが、フェリシアのためにみんなひとつずつなにか見繕ってプレゼントしてあげましょうと提案した。


 僕たちはもちろん賛成し、フェリシアを追いかけつつ露天を見てまわりながらそれぞれプレゼントを選んだ。


 フェリシアはずいぶんと遠くまで行ったらしい。路地裏にぽつんとある椅子に坐って休んでいるのを見つけたときにはもうお昼になっていた。


「お昼を食べてから、もう一度ゆっくり見てまわろう。布屋さんにも挨拶に行かないとだし」

「あたしもう歩けないの、なにか食べるものと飲みものを持ってきてくださる?」

「そう云うと思ってもう買ってあるよ」


 僕はフェリシアの手にサンドイッチを握らせた。このサンドイッチが売っていた露店の小さな看板には、夜味のサンドイッチと書いてあった。


「夜味のサンドイッチなんだって。シアならなにが入ってるのか当てられるんじゃない?」とベル。


 夜味のサンドイッチを買おうと云いだしたのはベルだった。露天のおじさんはなにが入っているのか教えてくれなかったので、ふたつ買ったうち僕がひとつ味見をしたが、おいしくはあったのだけどふつうのサンドイッチっとなにが違うのかまったくわからなかった。


「そう……」フェリシアがサンドイッチに一口かぶりつく。「うーん、ほんとにわからなかったの? 簡単じゃない。夜露に濡れるレタスと、月光に照らされるトマト、星屑の数だけある粉チーズに、そして夜空から降ってきた岩塩で塩漬けにしたベーコン」


「フェリシアにはかなわないな」と僕は微笑みながら云った。

「あなたこそ小説家なんだからもうすこし健闘してもよかったんじゃない?」


 僕はフェリシアの皮肉に唸った。これならプレゼントなんて買わなくてもよかったのかもしれない。でも買ってしまったものはしょうがない。だから僕はベルたちに、どうやってプレゼントを渡すか考えておいてくれと小声で頼んだ。


 一番乗り気だったのはやっぱりいたずら好きのヘンリーッカだった。


 そのあと僕は夜祭を見てまわっているあいだずっとフェリシアにつきっきりだった。やれ、あれの値段を聞いてこいだの、あの飲みものを買ってこいだの、アクセサリーの手作り体験をつき合えだのたくさんのご要望を聞いてあげることになってしまったのだった。


 そうして僕たちは夜祭をめいっぱい楽しんだ。陽が沈んだことを教えてくれたのは鐘の音だった。夜祭の終わりを告げる特別な鐘だ。といってもいつもより多めに鳴るというだけなのだが、ふだん聞くのと同じ音なのに、今夜に聞いたものはなんだかとても寂しげな音に感じられた。


 夜布がかかっているところから抜けだすと、あたりはすっかり夜になっていた。夜祭の会場は夜布がかかっているから風通しが悪くて暑かったが、外は終わりかけの初夏の夜となっていて、すこし涼しくて、生い茂る葉の青臭い香りと、ベルたちの汗の匂いがした。


「楽しかったね! もう夜ご飯なんて入りそうにないよ」


 露店で買ったたくさんのものを両手に持ちながらヘンリーッカは云った。


「あたしもよ。このひとにたくさんおいしいもの買ってもらったから」


 フェリシアがいじわるそうな笑みを浮かべて僕を見た。


「フェリシアだけ贔屓するわけにもいかないからね、みんな平等に出費させていただきましたよ」

「大人なんだからあたりまえのことよ」


 それはたしかにそうだ。フェリシアたちはすぐに大人になってしまう。そのことを知っているきみたちの今は甘えてもいい時期なんだと僕は思う。


 ただそれにも限度はあって、僕だって人間なんだからやり返したいときはある。


 僕たちは夜祭の帰路についた。ヘンリーッカに頼んでいたいたずらがどうなったのか小声で聞くと、先にスズネと帰ってもいい? 準備したいことがあるから、と云うので、僕は了承した。


 するとヘンリーッカとスズネが夜祭の興奮がまだ抜けきらないという芝居をしながら、屋敷までの道を全力で駆けだしていった。


「こけないでよ!」


 とフェリシアが大声で叫ぶと、もう追いつけないくらい遠くにいるふたりも大声で返事をした。


 その心配をしている相手が今からフェリシアにいたずらをしかけるために屋敷に帰っているのだと考えるとおかしかった。思わず笑ってしまうと、いたずらをしかけることを知っているベルに、ちょっと、と肘で小突かれるてしまって、それがまたおかしかった。


 僕のそんな様子を見ているフェリシアはきょとんとした顔で見ていて、屋敷に帰ったあとこの顔がどういうふうに変わるのか楽しみだった。


 夏至をすぎると本格的に夏がはじまる。僕たちの住む地域は夏が短くて、すぐに秋になって冬がやってくる。それを考えると、どうしても夏というものを単純に楽しむことができそうになかった。夏の一瞬一瞬に切なさを感じてしまうことだろう。


 夜空を見あげるとちょうど真上に満月になりかけの月が浮かんでいた。家々の屋根のあいだから見える夜空は、夜祭で見た夜空よりももっと透きとおっていて、月も青白く光っていた。


 夏のはじまりを告げる生ぬるい夜風が身体を撫でた。遠くの森から、そこに住む動物や、湖や、植物の混ざった匂いを運んできている。それらはすこし湿っぽく、生命的な匂いがした。


 こんな日を、あと何日すごすことができるのだろうか。

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