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さよならを云って  作者: 久慈くじら
第三章 春から夏
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3-4 鐘楼


 今日はヘンリーッカが僕のかつての遊び場に行くというので、鐘楼守さんが昔と変わっていないのか見に来た。


 鐘楼はこの町のなかで一番大きくて高い建物だ。とはいっても、一番大きな家の高さの倍もなかった。朝日が昇ると鳴って、それから季節によって日中の長さが変わるから、その季節ごとに計算された回数だけ定期的に鳴り、日が沈んだことを知らせる鐘が鳴って終わる。僕たちはその音を聞いて時間を把握している。


 子供のころ、僕はよくここで遊んでいた。大人はこんなところに用事なんてないから、鐘楼守さんくらいとしか顔を合わせることはなかった。鐘楼守さんは子柄で力持ちなおじさんでお喋りだった。決まった時間に鐘を鳴らさないといけないから鐘楼から離れられないはずなのに、いつも新しい噂や小話を仕入れてきて僕に話してくれた。


 もしかしたら僕が小説家を目指そうと思ったのは鐘楼守さんのせいかもしれない。彼は語り聞かせることよりも、語ることそのものを楽しんでいたからだ。僕が曖昧に相槌を打っても彼はなにも気にしなかった。なにかを語るということは、決まった時間に鐘を鳴らすことと同じだ、とかつての鐘楼守さんは云った。


 たしかに小説を書くということも鐘を鳴らすことと同じように感じる。書いて誰かに読んでもらったらそれでおしまい。鐘を鳴らしたらそれでおしまい。そういうことだ。


 だから鐘楼守さんは僕が鐘楼に遊びに来なくなったとしても語り続けただろう。しかし今、鐘楼はヘンリーッカの遊び場になっているから、鐘楼守さんはヘンリーッカに向けて語る。


「ここはね、時間とか時期によって鐘の響きが変わるんだよ」


 ヘンリーッカは音楽家らしく鐘の響きについて僕に語ってくれた。


「ほんとに? たくさん聞いてきたけどぜんぜんわからなかったなあ」


 ヘンリーッカはここに来るのがほんとうに好きみたいだった。家から鐘楼広場まで歩いてきたけど、そのあいだずっとにこにこ笑っていた。ご機嫌そうに歌も歌ったけど、ヘンリーッカはいつでも機嫌よく歌うのでいつものことだった。


 鐘楼はぼろぼろのレンガが積み重なってできていて、隣に鐘楼守さんが住んでいる家がくっついている。


 倉庫として使われている部屋の一階と二階を抜けるため階段を数十段のぼる。ぎいぎいと音の鳴る茶色の扉を開けると、鐘がある場所に出る。これは驚きだ。ただの家を通り抜けただけなのに、巨大な鐘に出くわすのは、いきなり異なる世界に放り出されるみたいでおもしろい。ひとによっては怖いと思ってしまうほど、異質な光景だった。


 鐘が吊りさがっている場所はほどよく広くて、そんなに高い場所じゃないからか窓のようなものはない。高い天井があって、太めの柱が四隅にあり、落ちないように腰あたりの高さの塀がある。まんなかには大人の両腕で抱えきれるぎりぎりの大きさの鐘がひとつぶらさがっている。


 鐘楼はほかの建物の屋根よりも高いところにあるからやっぱり見晴らしがいい。ヘンリーッカと僕は住宅街の見える北側の塀に腰を掛けている。僕は子供のころはよく南側の山を眺めていた。


「ほんとは四方に鐘をさげるところが多いんだって。それぞれ音色が違って用途によって使い分けるの。お昼を告げる音、夏至を告げる音、冬至を告げる音、そしてひとの死を送り出す音」

「なんか聞いたことあるな。あのおじさん今でもよく喋るんだ」

「よく喋るよー! しかも噂好きでね、肉屋さんの息子とパン屋さんの娘さんがわかれたーだとか、川に釣りにいった鞄屋さんが足を滑らせて川に落ちてずぶぬれになって帰ったらかみさんに怒られたーだとか」


 そうやって話すヘンリーッカは迷惑そうな表情をしながら、けれども楽しそうだった。


「あと、ベルとかシアがたまに来るよ。シアはここに来るときはずっとぶつぶつ云ってる。上から眺めてると誰がなにをしているのかよくわかるんだ」

「へえ。ムニラとスズネは?」

「まだ会ったことない。行ったことはあるって云ってた。けどムニラは絵になりすぎるから嫌いなんだって」

「やっぱり変だねムニラは」

「変だよ。ここは気持ちがいいし、風の音もよく聞こえるからとてもいい場所なのに」


「ムニラは予想はついてたけど、スズネはやっぱり高いところ好きじゃないって? 今日、鐘楼に一緒に行かないかって誘ったけど断られたんだけど」

「そうなんだ。スズネは高いところが嫌いというか地べたが好きだからね」

「あー、なるほど。そういう国のひとだもんね」

「地べたが好きな国?」


 なにそれってヘンリーッカが笑っていたら、急に背後で鐘が鳴った。驚いて振り向くと、僕たちを不思議そうな表情で眺める鐘楼守さんがいた。


「もー! いつも鳴らすときは声をかけてって云ってるでしょ!」

「そんなことをしたら時間がずれるだろう」

「そんな職人っぽいこと云って、ほんとは鐘を鳴らすことしか考えてなかっただけでしょ?」


 鐘楼守さんはガハハと笑ってこう云った。


「仕方がないだろう、俺は鐘楼守だからな。鐘を鳴らすことが俺の人生の仕事さ。それをまっとうするだけなのさ」


 それから僕たちは次の鐘を鳴らす時間までお喋りした。


 一緒に暮らしている女の子たちのこと、僕たちの人生の仕事のこと、たくさんの鐘を吊るして音楽をしてみたいということ、そんなにたくさんの鐘を吊るすところはないということ、僕たちの屋敷に出るという幽霊のこと、世界の果てのこと、パン屋のおばさんの息子さんがはじめて作ったパンがおいしかったこと。


 昔の僕は鐘楼守さんの話を黙って聞いているだけの少年だった。でも今の僕はなにかを語るの好きでしょうがない大人だった。そしてそういう大人というのはおうおうにして他人の話を聞かない。だから僕たちはそれぞれの話をぶつけ合うようにして会話をしたのだった。きっと社交ダンスの会場はこんな感じなのだろう。

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