3-3 共有のスクラップ・ブック
ベルとフェリシアと一緒に屋敷に帰った。裏口の戸を開けるとちょうど足元にダリアがいて驚いた。でかけようとしていたところだったのかと思ったが、僕たちの姿を確認するとすぐに奥に引っ込んでいった。出迎えてくれたのだった。
ダリアはリビングへと向かったようだった。三人の声もそちらから聞こえてくるので、僕たち以外の住人はみんなそこに集まっているようだ。
ベルとフェリシアもその声を聞きつけてリビングへと走っていった。僕はその後姿にさすがに手は洗いなよ、と声をかけたが聞き入れてくれそうにはなかった。
僕は買ったものをキッチンに置いてからリビングに向かった。五人はまんなかのテーブルにスクラップ・ブックを開いて雑談をしていた。
「これを貼ったのってフェリシアですか?」
「ん? ええ、そうよ。いい写真よね」
「はい」
テーブルに近づいてなにが撮られているのか確かめてみる。スクラップ・ブックのある一ページのまんなかに大胆に貼りつけられていたのは、町の鐘楼から広場と住宅街を俯瞰でおさめたものだった。
広場にはたくさんのひとがおり、フェスタの準備をしている。ということは六月ということになる。とても活気がある構図でこちらもわくわくしてくるような写真だった。
僕はひとり掛けのソファに坐って彼女たちがスクラップ・ブックをネタに会話するのを眺めた。このスクラップ・ブックはただのノートブックだ。そこに僕たち六人が思い思いのものを貼ったり書いたりすることで、共有のスクラップ・ブックとなっている。
僕はよく料理のレシピをスクラップする。すると誰かが、これはおいしそう! とか、うえー、とか、これはオレンジのソースをかけたらおいしいんじゃない? とかを書きこんでいく。僕はたまにこれを読み返してその日のメニューを決める。
フェリシアは雑誌の切り抜きをよく貼りつける。気に入った服や、モデルよりも目立っている背景、ごくまれにある詩的に興味深い一文、もとは散文だったのにある部分だけ切り取ることによってポエジーを獲得したものなんかがスクラップされている。
このスクラップ・ブックは僕たちの生活の縮図みたいだとフェリシアに云ったことがある。すると彼女は、いいえとかぶりを振った。
「このスクラップ・ブックには、あたしたちがいいなって思ったものだけがある。でもあたしたちの生活自体には、いいなってものだけがあるわけじゃない。いいものも悪いものもある。だからこのスクラップ・ブックは幸せなフィクションなのよ。あたしたちの生活にはこんなに幸せなものが含まれてるのよって、このスクラップ・ブックは云ってくれてる。それだからこのスクラップ・ブックは素敵なんじゃない?」
「まったくフェリシアの言葉には魔力でも宿っているかのようだね」
「そうじゃなきゃ困るわ。あたし、詩人だもの」
フェリシアの云うとおり、僕たちの生活の一部にはこのスクラップ・ブックがある。もしこれがなかったら、僕たちは大切ななにかを見落としていただろう。
たとえば、ムニラはスクラップ・ブックに直接落描きをしたり、日記を書いたりする。ムニラは無口な性格なので、彼女がどう思っているのかとか、なにをしてほしいのかというのが知りづらい。しかしこのスクラップ・ブックにあるムニラの落描きや日記を見ることで、彼女のことをすこし知ることができた。
とても印象的なムニラの日記がひとつある。すこし前に書かれたもので、それを読み終えたとき僕はなにか返事を書かなくてはならないと思っていた。でも、そのときの僕にはなにも書けそうになかった。ムニラがそこまでのことを思ってくれているとは考えもしなかったからだ。
今、複数のスクラップ・ブックが閉じられたままテーブルの上に置いてある。ベルたちは現在更新中のスクラップ・ブックを読んでいる最中で、バックナンバーのそれらにはまだ手をつけていなかった。
僕はバックナンバーをすべて手に取ってざっと確認する。僕が読みたい日記が書かれているやつの右下には、いくつものページにわたってコーヒーの染みがついているからすぐにそれだとわかる。返事を書こうとコーヒーを飲みながら考えているときにカップを倒してついてしまった染みだけど、僕にとっては悪いものではなかった。むしろ記念みたいなものだった。
その染みのついたスクラップ・ブックを広げて、ムニラのあの日記を探す。記憶していたとおりノートのまんなかあたりにあった。日記にはこんなことが書いてある。
今日は裏路地に行ってみた。
路地裏には、金物屋、薬屋、骨董品屋、古びたカフェ、画材屋、窓枠屋、家、壁紙屋なんかがある。
もっとたくさんあるけど、わたしが気にするような場所はそこくらい。
ここにある画材屋はいきつけの店で、というか画材屋はここにしかないのでいきつけになるしかない。
いきつけというのはいい響きだ、とベルが云ったことがあったけど、どうもその感覚はなじめそうにない。
わたしはひとの顔と名前をおぼえるのが苦手だし、だからわたしは人物の絵を描かない。
いきつけっていうのは、そこの一員になるということで、家族の変奏のようなものだ。
変奏のようなもの、っていう云い回しはフェリシアがよく使うもので、気に入ってよく借りさせてもらっている。
わたしの家はここだけだし、家族をほかに作る必要もない。というより、家族というのは作るというより、勝手にそこにあって、勝手に縛ってくるものだ。
どうしてそんなものわざわざ作らないといけないんだろう。
云いかたは変かもしれないけど、家族なのだから、仕方なくよさを見つけるしかない、というものなのだと思う。
けっきょくなければないほうがいいのだと、わたしはずっと思っている。
けれど、それでも、やっぱり家族というのはいいと思うときがある。
いや、家族がいいというよりは、フェリシア、スズネ、ベルティーユ、ヘンリーッカ、そしてきみがいいからなんだろう。
こんな涙が出そうになることをムニラは書いている。彼女は日記ではこのように雄弁なのだ。
しかしムニラはこの日記のことを聞かれたりすると、恥ずかしがって拗ねたりするだろうから、僕はムニラに直接なにかを伝えたりすることはできない。
僕は小説を書くから、書くことでなにかを伝えようとするのは得意だ。しかし、こんなに身近なひとに書くことでなにかを真面目に伝えようとするのは気恥ずかしく感じる。それは、書くことでなにかを伝えるのは、書いたひとの顔が見えないから、よく伝えようとするための工夫をこらしてしまうからだ。僕は小説を書くからなおさらそういうことに気を遣って書いてしまうだろう。
反対にムニラは書くことよりも、自分の表情や、言葉の発しかた、身体の動きなんかを見られながら喋るということのほうが気恥ずかしいのだろう。
だから僕はスクラップ・ブックに書かなくてはならなかった。しかしもうひと月ほどなにも書けないでいる。書きたいことはある。でもどのように書こうか、どう書けば精一杯伝えられたと満足できるだろうか。それだけが問題だった。
僕もムニラたちだから毎日が楽しい。
そう書こうと思ったけど、こんな程度ではムニラへの返答になっていない気がする。だから僕はさんざんどのような趣向をこらせばよいか悩んだすえ、世界で一番使われていて、直接的で、恥ずかしく、あまりに安直すぎて陳腐化していない、あの言葉を書くことしか、方法がないのだと気づいた。
ムニラがとても直截に書くのだから、それにはやはり直截に書くしかないのだった。
僕はポケットから鉛筆を取りだして、ムニラの日記のはしっこにその言葉を書きつけた。
「あら、なに書いてるの? 愛――」
向こうで盛りあがっていたはずのベルが近くに来ていて、僕の手にあるスクラップ・ブックを覗き見ようとしたので慌てて閉じた。
「なんでもないよ」
「ふふふ、そうかしら?」