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さよならを云って  作者: 久慈くじら
第三章 春から夏
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3-1 マーブル虹

 ムニラが玄関先の芝生で絵を描きはじめて二時間ほどが経った。ベルが紅茶でも持っていきなさいよと云うので、僕はトレイに紅茶とクッキーを乗せ、階段下でチェンバロを演奏するヘンリーッカに挨拶をしてからムニラのところへ向かった。


 ムニラは屋敷に背を向け、イーゼルの前に折りたたみの木製の椅子を置いて坐っていた。足下にバケツが三つと絵の具のチューブが散らばっていた。僕はムニラの手が届かないところにまで散らばっているチューブを避けながら声をかけた。


「どうだい」

「うん」とムニラは云った。


 途中で拾った茶色の絵の具を差しだして、これはもう使わないの、と訊くけど返事はなかった。しかたがないのでカップにティーポットから紅茶を注ぎながら声をかけ続ける。


「紅茶を持ってきたよ」

「うん……うん…………紅茶……」


 ムニラはパレットに琥珀色を作って紙に描きつけた。僕はそこでようやく紙になにが描かれているのかを見た。


「紅茶」


 ムニラはイーゼルを見ながら云った。


「ん? ああ、どうぞ」


 ムニラに紅茶を渡している間も僕は絵を見つめていた。絵に描かれているものはこの辺りにあるものではなかった。


「これなに?」

「絵」

「ほんとに外でも抽象画を描くんだね」

「きれいだね」


 ムニラは紅茶を飲み、ぼうっとしながら云った。


 僕はムニラがなにを見て綺麗だと云っているのかわからなかった。でも、それが絵だとしても、この世界のことだとしても、こうやって絵を描くという行為のことだとしても、たしかに綺麗だった。


「たしかに」

「ふふっ」


 ムニラは紅茶をふーふー冷ましながらゆっくり三分の一ほどを飲んでトレイに置いた。カップから筆に持ち替えたので絵を描くのかと思うと、筆をバケツにつっこみ「うん、紅茶」と云った。


 たしかにバケツは紅茶と同じ色に染まっていった。バケツのそばにはまだ紅茶の入ったカップが置いてあったので、それと比べてみても遜色はなかった。バケツにたくさんの紅茶が入っているように見えた。


「紙に描くのも、水に描くのも一緒。でも、水のほうが動くからそのぶん楽しい」


 ムニラはパレットから違う色を筆先につけて、紙に描きつけ、そのままの勢いでバケツの水にも描きつけた。


「わたし、このマーブル模様が一番好きなの」


 バケツの水の上では琥珀色と淡いクリーム色と濃い青色が渦を巻きながら、それでも交わらずにうつくしいマーブル模様を作っていた。


「うん、わかるよムニラ。僕も絵を描くときは」と僕が云うか云わないかぐらいで、ムニラは椅子から立ちあがり、バケツを手に持ち高く掲げた。

 それからバケツをかたむけて、勢いよくマーブル模様の水を庭に捨てた。


 ムニラはバケツから流線型に滑り落ちるマーブル水を見てこう云った。


「見て、マーブル虹がかかるの、一番好きなの」




 ムニラが大雑把に水を捨ててしまったから彼女の着ている服に水が跳ねてしまった。ムニラはそういうのを気にしない性格だけど僕は気にしてしまうので、屋敷まで手を引いて戻った。


 僕たちを一番に見つけたのは、リビングから僕たちが帰ってくる音を聞きつけたベルだった。たぶんムニラがどのような絵を描いたのか気になって確かめにきたのだろうけど、僕がムニラの服を指さして示すとベルはムニラの手をひったくって階段をあがっていった。


 それからベルの部屋の扉が開いて閉まる音がしたあと、クローゼットが引っ掻き回される音がした。ムニラは着せ替え人形にされてしまっているのだろう。


 そうして降りてきたムニラは、ノースリーブの白いブラウスに七分丈の紺色のスキニージーンズを着せられていた。でもその白いブラウスは、ムニラの褐色の肌とコントラストを生みだしていてとてもいい感じだった。


「よく似合ってる。かわいいよ」

「そう」


 ムニラは興味なさげに僕の言葉を受け流した。さっさとリビングに向かうムニラの後ろ姿に苦笑していると、二階から降りてきたベルに笑われてしまった。


「きっとかけた言葉が下手すぎたのね」

「絵で表現したほうがよかったかな」

「たしかにそれならもうすこし優しい反応はあったかもしれないわね。でもそれは、五歳児の絵を褒めるような優しさでしょうね」


 僕はベルの皮肉に苦笑いを強めた。

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