2-3 宙に融ける髪
湯船に湯を張ったのをどこからか聞きつけてきたフェリシアは、スズネがお風呂からあがるとすぐに入浴の準備をはじめた。
僕はリビングでパジャマに着替えたスズネを待った。しばらくするとパジャマ姿のスズネがお風呂場からやって来た。
一人掛けのソファに坐らせ、まだ濡れている髪をバスタオルでよく乾かしてあげる。
フェリシアの入浴は長いので、待ちきれなくなったムニラが乱入し、追われるようにしてフェリシアはお風呂からあがってくる。
それからしばらくもしないうちにムニラがあがってきて、ベルとヘンリーッカがじゃんけんでどっちが先に入るかを決めた。
僕は彼女たちの濡れた髪を次々とバスタオルで拭かされた。充分乾かしてしまうと、次は櫛で髪を梳かす番だ。
ベルの明るいブラウンの髪の毛に櫛を通してゆく。すこしだけウェーブしているこの髪は彼女によく似合っている。
たまにスズネはこのベルの髪の毛をうらやましがることがあった。
でもベルだって、スズネの射干玉色の髪の毛のほうがよっぽどうつくしくて珍しいからうらやましい、と云う。
「髪の毛はそのひとの外見の半分くらいを決めるからね。もしベルがスズネみたいな髪の毛だったら、あたしはベルがベルだって思えないな」
そう云ってとりなすフェリシアの髪の毛は赤色で強いウェーブがかかっており、その長い髪を編み込んでいる。
それはまったく彼女にぴったりと合っていて、たしかにそれ以外の髪の毛は考えられなかった。
彼女たちはお風呂からあがって髪を乾かしたあとと、朝起きたときに櫛でお互いの髪を梳かし合う。そして僕は毎回誰かにせがまれて髪をつくろってあげることとなる。
フェリシアはムニラの髪を梳かしてあげていた。
ムニラの髪は、見る角度によっては茶色にも見える黒髪だった。
ムニラはよく寝癖を作る。だから世話焼きなフェリシアはそれを見咎めて、どこからともなくオリエンタルな模様の櫛を取りだしムニラの寝癖を直してあげる。
それがはじまった朝は、ベルかヘンリーッカがうらやましがって僕に髪を梳かしてくれとせがんでくる。
僕は乞われたとおりしてあげると、他の子たちも互いに髪を梳りはじめる。そのあといつもの髪型に結いあげる。
これが夜だと彼女たちは基本的に髪は結わない。いつもは複雑な髪型をしているヘンリーッカであっても、そのうつくしい金色の髪を流しっぱなしにするか、髪の先のほうでちょこっと結ぶくらいだ。
僕はお風呂後のこの光景が好きだ。彼女たちが気を緩めているこの姿は、僕を信頼しているということだ。でもそれだから嬉しくなるというわけではない。
信頼し合った人間たちの夜の穏やかな時間。それがとても好きなのだ。
僕に髪を梳かされているベルは、ソファにぼうっと坐っているヘンリーッカをちょいちょいと手招きをして自分のほうに呼び寄せた。
「ヘンリーッカはお洒落さんよね。よく髪型変えるでしょ?」
ベルはヘンリーッカの金色の髪をさらさらと触った。ヘンリーッカのブロンドは太陽に照らされるとほとんど透けてしまいそうな白色に輝く。
「うん。好きな女優さんとか、雑誌とか、すぐ真似したくなっちゃうから」
「あたしがよくアレンジを手伝ってあげてるのよ」とフェリシアが云った。
ムニラの髪が終わったのか、今度は自分の髪を梳かしている。
「ヘンリーッカの髪の毛はやりがいがありそうね」
ベルの強いけれども繊細な髪の毛が櫛にくっついて抜けた。
その明るいブラウンのを指先でつまんで、僕は自分の抜け毛と比べてみる。どうしてこんなにも違うのだろうと感慨深くなってから、ベルの毛をひらひらと床に落とした。
「いったい落ちた髪の毛ってどこに行くのでしょうね」ベルは僕が髪の毛を捨てる様子を見て云った。
「ああ、髪の毛ってすぐにどこかに行ってしまいますもんね」とスズネが云う。
「どういうこと?」と僕は訊いた。
「だってほら、いまあなたが捨てた私の髪の毛だってもうないじゃない」
「そりゃみえにくいだけだろう? ちゃんと目を凝らしてみれば」僕は絨毯に顔を近づけてさっき捨てたばかりの毛を探す。「あれ、ないな」
「でしょう? きっと空中で融けてなくなるのよ」
「たしかに融けてなくなりそうなうつくしさだけどさ」
僕は釈然としないままベルの髪の毛を梳かし終えた。ベルの繊細な髪の毛はたまに櫛にからまって抜け落ち、そのまま空気に融けていった。
そろそろ夕食の準備をしなくてはならないな、と櫛を仕舞いにいこうとしたとき、ダリアがブラシをくわえてやって来て、僕の膝の上に飛び乗った。
「大人気ね」とベルが云った。
「小説家を廃業して、髪梳かし屋さんでもやろうかな」