2-2 ダリア
僕たちの屋敷には高貴な女性が住んでいる。名前はダリア。
フェリシアに触られるのは嫌がり、ベルとスズネとムニラとヘンリーッカに触られるのを好む。そして僕に触られるのは嫌なときと悪くないときがあるようだ。
好きなものはヤギミルクとチーズとトマトソースのスパゲッティ。
麺を切ることなくぺろりと器用に平らげてしまう。お皿についたソースも舐めとってしまうが、そのせいで白い顔がトマト色に染まってしまう。
彼女は食べ終わったあと僕の顔を見あげてじっとしている。顔を綺麗に拭いてあげると、にゃあと鳴いて優雅に去っていく。たまに背中にトマトソースがついていることがある。背中に口がついているわけではないから不思議だ。
嫌いなものはニシン。
ダリアは数匹いるような気がする。屋敷を歩けばいたるところで彼女を見かけるからだ。でも数匹を同時に見かけたことはないから、やっぱりダリアは一匹なのだろう。
「ダリアー、どこですかー!」
その日の午後、スズネの声が屋敷じゅうに響いた。部屋で書き物をしていた僕は、彼女と一緒にダリアを探す旅に出かけようと自室を出た。
スズネの声は一階から聞こえていた。階下に降りると玄関ホールをぐるぐると歩き回っているスズネがいた。
「町に遊びに行ってるんじゃない?」
「今日は屋敷にいるはずなんです」
そう断定するから根拠を訊ねてみるけど、スズネはただ「今日は屋敷にいるはず」とくり返すだけだった。
スズネの勘は完璧に当たるので、根拠があるよりもないほうがむしろ信用できる。だからダリアは屋敷にいるはずなのだ。
スズネと一緒に屋敷じゅうを歩き回った。リビング、ダイニング、キッチン、寝室、サンルーム、はたまたトイレまで。でもダリアはどこにもいなかった。屋敷のなかにいないのであれば、屋敷の周りかもしれない。
芝生にはダリアはいなかった、次に裏手に回ると崖の階段の植木鉢の隣にダリアが坐っているのを発見した。暖かかったので、日陰になっているそこが彼女にとって居心地のいい場所だったのだろう。
「ダリア、ちょっと来てください」
ダリアを見つけたスズネはそう云って踵を返した。ダリアは真っ白なしっぽを綺麗に立てながら鷹揚とスズネのあとをついていった。
彼女たちは屋敷前の芝生の上で立ち止まった。スズネはダリアの白くてふわふわした毛並みをじっと見つめはじめた。二人はそれから十分ほどそうやって見つめあっていた。
いったいなんの遊びなのだろうと思って見ていると、ダリアが見つめあうことに飽きたのか芝生を歩きはじめた。
するとスズネは膝と手を地面につけて四つん這いになり、かわいいお尻をつきだしてダリアを追った。
スズネはパンツルックだったので下着が見えることはなかったが、反対にお尻のラインが丸わかりだった。いつもはそういうことに恥じらいを持つのがスズネだが、夢中になったときは我を忘れるときがある。
スズネはダリアを追いながら、ダリアの真似をしているようだった。
「今度、猫をモチーフにしたダンスでもするの?」
そう訊くと彼女は猫のように顔だけ向けてしばらく見つめ、「にゃあ」と答えた。
そのあとスズネはダリアの動きを観察し猫学をしていた。ダリアは賢いのでどこかに行ったりはせず、小一時間ほど庭や屋敷をうろつき、スズネの教授になってあげた。
ダリアは猫がやるだいたいのことをやった。階段をのぼること、イスにのぼったあと台所に着地すること、冷蔵庫をかりかりやること、柱で爪を研ぐこと、廊下のまんなかで寝そべること、しっぽを立てながら塀をランウェイに見立てて歩くこと、中空をみつめてみゃあと鳴くこと。書ききれないくらいたくさんのことをし、もう十分だろうと思われたときダリアは夕方の町に消えていった。
スズネはダリアが消えるてもしばらく猫の真似をしたままだった。
服も汚れていたし、四つん這いというのは案外体力を使うものなのか、汗もかいていた。僕は湯船にお湯を張るために浴室に向かった。するとなぜか、空っぽの湯船には町に行ったはずのダリアがいた。
「どうしてそんなところにいるんだい」
「にゃ」とダリアはなにか顎をしゃくるような仕草をしながら云った。どうやら僕になにか頼んでいるらしかった。
湯船からどけようと抱っこしようとすると、彼女はとても嫌がった。しかたがないので、そのままお湯を張ることにした。
湯船に溜まってゆくお湯が、ダリアの優美な手が浸かるくらいの量になったとき、ダリアは身体全体を濡らすために、お腹を下にしたり背中を下にしたり、ぐにょぐにょと動いた。なかなか変な光景だった。
ダリアは満足したのか湯船から出て、身体をぶるぶる震わせ水気を払った。彼女を見守っていた僕はびちょびちょになった。
背後からスズネの足音がして、びしょ濡れになった僕を見つけてからからと笑った。