ベッドサイド
毎日投稿します。
誰かのために語る物語は、祈りに似ている。
なんらかの思いを物語に託すことはとんでもなく愚かな行為だ。
伝えたい相手がいて、僕は言葉を持っている。僕はきみに語りかける。きみは頷く。
それでなんの問題もないはずだ。物語に託す必要なんてどこにもない。
けれど、こういったただの会話や、身振り手振りだけでは伝えられない思いに直面したとき、人間は物語を選ぶらしい。
この世界にたくさんの物語が溢れているのは、そういうことだろうと僕は思う。
だから、きみのことを思って書いた物語を語ろうと思う。
この物語はまだ書きかけで、完成されてもおらず、職業としての小説家でもない僕が書いたものだ。でもこの小説はきみのためのものだ、ベル。
それだけは忘れないでほしい。
僕たちはとある町に住んでいた。
住人のみんなはこの町の正式な名前を知らなかった。ただ単に町とだけ呼んでいたから、僕たちも町とだけ呼んだ。
この世界にあるいろんなものに名前がついているのは、それがなんなのかを理解するためだ。
けれど僕たちはこの町がどういう町なのか、まるで生まれた直後からずっと寝物語として母親から聞かされてたかのようにしっかりと理解していた。だからこの町に名前は必要ないのだ。
僕はこの町のすばらしさを言葉にできない。けれど、できるかぎり言葉を尽くしたいと思う。
どうして?
そうだな、たとえばこの町の写真が一枚あったとしても、たぶんあのすばらしさをわかることはないだろう。
どういった建物があって、どういった植物が風にその身を躍らせ、どういった人間が暮らしているのかは、もしかしたら写真のほうが簡単にわかるのかもしれない。
しかしそれは完璧ではなく、僕の思っているものとも違う。
そして残念なことに、でも当たり前のことなのだけど、僕はあの町の写真を一枚たりとも持っていない。
だから僕は言葉を使って町のことを、そして僕たちの物語について書くしかない。
それに、なぜだかわからないけど、言葉のほうがあの町のことをよく伝えられる気がするのだ。それはもしかしたら、僕が小説を書く人間だからかもしれない。小説を書く人間はそう多くはないからね。
僕たちが住んでいた町は石で造られていた。主要な道は石畳敷きで、たまに馬車が通る。さすがに犬が荷車を牽くミルク売りはおらず、彼はロバに荷車を任せている。
町にあるたったひとつの広場にはフィナンシェのオブジェとたくさんのお店がある。
パン屋、野菜屋、酒屋、精肉店、デリカテッセン、花屋、布屋、服屋、靴屋、本屋、紙屋、映画館、楽器屋、装飾屋、カフェ、バー、クリーニング屋、文房具店、画材店などなど。
僕たちはそのお店のだいたいのひとたちと顔見知りだ。それらのお店のほとんどを使ったことがあるから。この町のみんなもみんなと顔見知りだろう。それくらい狭い町だ。