ドールの彼
タイトルでネタバレしてる。
唐突にこんなこと言えば自慢に聞こえるかもしれないが、私には今彼氏と呼べる人がいる。しかし、一つ悩みがある。それは彼の好きな物についてだ。
彼はドールが好きだ。それはいい。だが彼は私にドールを好きになることを強制する。強制するなどというと聞こえは悪く、また大袈裟だ。まあ端的に言えば自分の好きを押し付けてくるのだ。
私はドールが嫌いだ。ぬいぐるみよりも人間に近く、尚かつ人間離れした雰囲気を持つあのアンバランスさが、子供のような体に、憂いを帯びた顔をするチグハグさが嫌いであった。彼はそんなところが魅力だと言いはるが、それは到底理解できそうになかった。
彼は私を何度もドールの展覧会に連れて行った。今日もそうであった。美術館に着き、作品を前にすると彼は子供のように作品の前で目を輝かせた。私はその隙にそっと作品の前から退き、彼を遠くから眺めていた。
「作品、見ないの?」
不意に斜め後ろから話しかけられた。その人は美術館にあるベンチに腰を掛けていた。
「私はあまりドールが好きではなくて…」
「そうなんだ。付き添い?」
「ええ」
「大変だねぇ。隣、座りなよ」
その人は自身の座るベンチの空いているところをポンポンと叩き、私に座ることを促した。恐る恐る、ベンチに腰を掛け、ちらりとその人を見た。
その人はベンチから遠くの作品を見ていて、私が見ていることには全く気づかない様子だった。
「僕ね、ここのドールの作者と知り合いなんだ」
「そうなんですか。ご友人で?」
「友人…うーん、どうなんだろう。彼が人形を作るときによく話すよ。アイディアが浮かばないときとか」
「へえ、アシスタントのような感じでしょうか」
「うーん、まあそんな感じなのかな。僕も人形の制作に携わっているしね」
「そうでしたか」
私はそう相槌を打ったあと、ふと「好きじゃない」と言ったことを思い出し、なんとなく気不味くなった。
「…あの、最初のころの、すみませんでした」
落ち着きなく動く自身の手を眺めながら、小さめの声でそう言った。
「うん?…あぁ、大丈夫、気にしてないよ。僕の母もドールの話をすると嫌な顔をするし」
その人はくすりと笑いながら応え、少しだけ寂しそうにそう付け加えた。
「ねえ、君。僕に話しかけられたとき、どう思った?」
急に投げかけられた問に、私は答えに窮した。
「なんで話しかけてくるんだろうって、思ったんじゃない?」
続けられた言葉はまさに図星で、控えめながらも頷いてしまった後で後悔した。
「だよね。誰だって初対面の人とは話しにくいし特別な用事でもなければ話そうともあんまり思わない。僕もそう。君に話しかけるの、少し戸惑った」
「…そうですか」
にこりと細められた目に、笑顔に似つかわしくない感情を感じた。
「でもね、僕寂しかったんだろうなぁ。戸惑いより話しかけたいって気持ちが強くなったんだ。きっと誰かと話していたかったんだよ」
自分の気持ちを話している筈なのに、“きっと”何ていうその人は、何処か他人から見た推測を話しているようにも見えた。
「作者さんとは?友人と即答できなくとも知り合いでしょう」
「あー、え〜〜っと、彼は忙しいんだ。何かとあるみたいでさ。そこらへんは僕はわからなくって手伝いも出来ないから…」
その人の反応にふと聞きたくなった事ができたが、知る必要もないかと言うのを止めた。おそらくははいだと言うことも予想がつくからだ。
「そうですか。それで、寂しいだけで話しかけたのですか」
「うん、そう。でも寂しいって重要だよ。淋しいって、ぽっかり心に穴が空いたみたいでさ、何やっても満足できない感じで疲れる」
「心に穴が、はよく聞きますが、疲れますか」
「うん。でもさ、やっぱり疲れることって嫌なんだよ。だから必死に穴を埋めようとするんだろうな」
その人はまた作品を、いや作品を見る人たちを眺めていたように思う。これは勘だが。
「人間に近くて遠い、人に近くて一線を画すドールをこぞって愛でるのはその一つかも知れない」
「人に近いのが良いのでしょうか」
「うん。少なくとも僕はそう思う。人形に心の穴がうまることを願う人は、人形を通して人を見てるのかもしれない。結局人は生まれたときから誰かしらがそばにいて育つから、人を恋しいと思うのは当然だよ」
「……」
「ねえ、もしドールに心の穴がうまることを望んでいる彼らの心が、完全にドールだけでうまったなら彼らは人だろうか」
「……」
「生物的には間違いなく人だろうね。でも中身はどうかな。ドールな彼らは普通の人に混じって普通に生活できるのかな」
「……」
「それはきっと難しい。彼らは普通の人とは価値観も、考え方も違うから」
「…なら、貴方は人ですか?ドールですか?」
「あ、聞いてたんだ。そうだな…僕はどっちに見える?」
その人は茶化してみせた。大人の体で不自然なほど子供らしく、いたずらっ子のように。なのにその目はこちらの心を透かさんとする、鋭く冷たい眼光を放っていた。その人は人の身でそのアンバランスさを見せてみせた。
「どうでしょう。さて、そろそろ私は彼のもとに戻らなくては。」
「おや、これは予想外だよ」
ドールは苦手だが、ほんの少し、理解する努力ぐらいはしてもいいと思った。