089 アラン②
<猪瀬こころ視点>
下層に向かった私達は、すぐにこのダンジョンの心臓の守り人の元へと急いだ。
友子ちゃん達が落とし穴に落ちたという仮説は正しかったのか、中層途中から魔物の数は格段に増えていた。
私達は少しでも早く心臓の守り人の所に行く為にも、極力魔物との戦いは避けながら先へ進んだ。
「ねぇ! あとどれくらいで心臓の守り人の所に辿り着く!?」
「もう少しじゃ! そこの角を曲がればもうすぐ!」
「分かった!」
リートの言葉に従い、私は目前にあった角を曲がった。
直後、目の前から高速で矢のようなものが飛んできた。
私は咄嗟に立ち止まり、背負ったリートごと身を捩る形で何とか躱した。
飛んできた矢は私達の横を通り過ぎ、スパンッと小気味良い音を立てて後ろの壁に突き刺さった。
「うおッ!?」
すると、後ろに続いていたフレアが驚きの声を上げながら立ち止まり、そのすぐ後ろに続いていたリアスの前に手を出すことで立ち止まらせた。
リアスはすぐに足を止め、刺さっている矢を凝視した。
「矢……? 矢を飛ばす罠かしら?」
「もしそうだとしたら、ここに来て罠の趣向が変わり過ぎではないか? ……イノセ、お主の知り合いに弓矢が武器の奴はおらんかったか?」
「そんな急に言われても……」
リートの言葉に、私はすぐに友子ちゃん達の武器を思い出す。
確か、友子ちゃんは矛で……山吹さんは盾を使っていた気がする。
けど、あとの二人……望月さん達の武器がどうにも思い出せない。
そもそも、この世界に来たばかりの時はクラスメイトに対してほとんど興味など無かったし、自分のグループ以外の生徒のことを気にすることなど無かった。
友子ちゃんと山吹さんはそれぞれ色々な意味で目立っていたから印象に残っただけで、望月さん達はわざわざ意識する程気にすることも無かったし、彼女達が使っていた武器を一々把握しておく必要も無かった。
こんなことになるなら、クラスメイトの武器を一通り把握しておくくらいはしておいた方が良かったのだろうか。
「……まぁ良い。とにかく早く行くぞ」
リートはそう言うと、私の肩をポンポンと軽く叩いた。
それに、私は「う、うん!」と頷き、駆け出した。
すると、前方の突き当たりらしき壁に、ぽっかりと縦に長い穴が一つ空いているのが見えた。
あそこに心臓の守り人が……? と一瞬湧き上がった私の疑問に答えるように、乱闘音や聞き覚えのある声が幾つか聴こえてきた。
まさか、もう交戦中なのか……!?
「クソ……!」
小さく声を漏らした私は、必死に地面を蹴って目前に見える穴に向かって急いだ。
何とか穴の前までやってきた私は、すぐにリートを下ろし、穴の中を覗いた。
「でりゃぁぁぁぁッ!」
すると、両手にそれぞれ短刀を持った望月花鈴が、声を張り上げながら心臓の守り人と思しき人物に斬りかかった。
心臓の守り人は、山吹さん程では無いが、少し幼い見た目をしていた。
幼く見える要因の一つである小さな体には不相応な大槌を両手で持ち、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、自分に襲い掛かる望月花鈴を見つめていた。
かと思えば、奴は持つのもやっとではないかと思える大槌を使って器用に攻撃をいなし、その動きからそのまま遠心力を付けて望月花鈴を横薙ぎに殴りつけた。
望月花鈴はその攻撃で吹っ飛び、爆音を立てながら壁にぶち当たる。
「花鈴ッ!」
すぐに望月真凛が声を張り上げ、武器の弓矢を構える。
……先程の矢は、彼女のものだったのか。
頭の中の冷静な部分が、そんな風に考える。
そんなことを考えている間に、望月真凛は矢を放った。
放たれた矢はパシュッと乾いた音を立てながら、真っ直ぐに心臓の守り人の元へと飛んでいく。
先程大振りな攻撃を放った心臓の守り人には、その攻撃を避けることは出来ない。
「おっと」
しかし、軽い口調で言いながら、奴は片手で矢を受け止めた。
まるで虫でも捕まえるかのような軽い動作に、望月真凛の目は大きく見開かれる。
心臓の守り人はそれを意に介さず、ゴミでも捨てるかのようにペイッと矢をその辺に捨てた。
それから退屈そうな目ですぐにその手を望月真凛に向け、岩の弾を放った。
砲弾のように放たれたそれに望月真凛が怯んだ時、二人の間に割り込む影があった。
「ぐッ……!」
飛んできた岩の弾を、山吹さんが盾を構える形で受け止めた。
バァンッ! と大きな破裂音を立てながら、岩の弾は粉砕する。
それに心臓の守り人が口笛を吹いた時、奴の背後に武器を振り上げる影があった。
「アイスパイクッ!」
叫びながら氷を纏った矛を振り下ろすのは……友子ちゃんだった。
それに、心臓の守り人はすでに大槌を構え直していたようで、振り向きざまに大槌を振るって友子ちゃんの矛を弾き飛ばす。
友子ちゃんが驚いている間に、心臓の守り人は彼女に向かって手を伸ばし……岩の弾を放った。
至近距離で放たれた岩の弾をもろに喰らった友子ちゃんは仰け反り、後ろに吹っ飛ぶ。
「友子ちゃんッ!」
居ても立っても居られず、私はすぐに助けに行こうとした。
しかし私の足は、横から差し出された誰かの手によって、止められる。
「……へっ……?」
予想だにしなかった妨害に、私は間抜けな声を漏らして立ち止まる。
それからその手を差し出してきた相手を見て、私は続けて口を開いた。
「……リート……?」
「……」
私の呼びかけに、彼女は答えない。
目の前で繰り広げられている戦闘を見つめながら、ジッと押し黙っている。
その間にも、当然だが戦闘は続く。
友子ちゃん達の不利は明らかで、悪足掻きのように心臓の守り人を攻撃しては軽々と受け止められ、一方的に蹂躙される。
最早、彼女達の勝ち目などあり得ないと言っても過言では無いだろう。
今すぐにでも私達が助けなければ、彼女達は死んでしまうかもしれない。
いや、まさか……それがリートの狙いなのではないか……?
一瞬湧き上がったその仮説に、ゾクッ……と背筋が凍った。
よく考えればリートは、友子ちゃん達を殺さない、ということしか約束していないじゃないか。
裏を返せば……友子ちゃん達の命を保証してくれたわけではない。
あぁ、そうか。そりゃそうか。そうだよな。
私だって、ずっと違和感を持っていたじゃないか。
いつか自分を殺そうとしている友子ちゃん達を、どうして生かしてくれると言ったのか。
ここに来るまでの道中で、友子ちゃん達が心臓の守り人に勝てる程圧倒的な力を身につけているわけではないことは察しているみたいだったし。
つまり、彼女は……自分で手を下すのではなく、このダンジョンの心臓の守り人に友子ちゃん達を殺させようとしているんだ。
「おい、何してんだ? 戦いに行かねぇのか?」
すると、後ろにいるフレアがそんな風に聞いてきた。
それに、リートは一度フレアを見たが、すぐに戦場に視線を戻した。
「いや……まだ行かぬ」
「はぁ? なんでだよ?」
「早く行かないと、イノセの知り合いちゃん達死んじゃうんじゃないの?」
リアスの言葉に、リートは答えない。
その沈黙から何かを悟ったのか、リアスは何かを思いついた様子で、小さく笑みを浮かべながら続けた。
「もしかして……それが狙いだったりして?」
「違うッ!」
リアスの言葉に、リートはすぐに声を上げた。
それにリアスはクスクスと笑いながら、「どうだか?」と言った。
「まぁでも、私はそれに賛成よ。それなら“イノセの知り合いちゃん達は殺さない”って約束を破ったことにはならないし、今後私達の前に立ちはだかる可能性を前以って潰しておくことは出来る」
「違うッ! 妾は……!」
「もぉ~、皆戦い甲斐が無くてつまらないよ」
私達の会話を遮るように、心臓の守り人の声がした。
それに、私はバッと戦場の方に視線を戻した。
いつの間にか戦況は一方的で、ボロボロになった望月さん達や友子ちゃんを背に、山吹さんが盾で何とか守っているような状態だった。
しかし、あの心臓の守り人の攻撃を受け止め続けている山吹さんもかなり疲労困憊で、そこに立って盾を構えるだけで精一杯と言った様子だった。
「……友子ちゃん……」
「でも……ユズちゃんだっけ? 貴方だけはどんな攻撃も防いでてすっごく面白い! どこまで耐えれるかなぁ……」
まるで玩具で遊んでいるかのような口調で言いながら、奴はニコニコと笑って手を構え、岩の弾を作り出す。
それに、私はゾクッとした寒気が背筋を走るのを感じた。
アイツはヤバい。
私の脳裏に、フレアと対峙した時の記憶がリフレインする。
……が、アイツのヤバさはフレアとはベクトルが違う。
フレアに対して狂気を感じていたのは、彼女が心底楽しそうに戦闘を行っていたからだ。
しかし、奴はそもそも、今の状況を戦闘だとすら思っていない。
奴にとってこれは、玩具で遊んでいるのと同じなのだ。
彼女にとっては、目の前にいる友子ちゃん達──今は山吹さんのみだが──は、言ってみれば突然目の前に現れた新しい玩具のようなものだ。
そもそも……人間を相手にしているとすら思って無い。
「リートッ!」
私は咄嗟に、リートの名を呼んだ。
すると、彼女は戦況を見つめたまま、「まだダメじゃ」と言う。
それに、私はグッと拳を強く握り締め、続けた。
「……やっぱり、友子ちゃん達を見殺しにするつもりなんじゃ……」
「そういうわけではない。じゃが、今はその時では……」
「このままじゃ皆が死んじゃうよ! 早く助けに行かないと!」
そう言いながらも、すでに体は勝手に動き出していた。
私は咄嗟にリートの手を押しのけ、四人を助けに行こうとした。
しかし、リートより前に出ようとした瞬間服が掴まれ、後ろに引っ張られる。
見るとそこでは、リートが私の服を掴んでいた。
「リートッ! 何を……」
「まだ、奴等を助けに行くな。これは命令じゃ」
静かな声で言うリートに、私の体は怯む。
何かを言い返そうにも上手く言葉が出てこず、押し黙ることしか出来ない。
すると、彼女はジッと戦況を見つめたまま、冷たい声で続けた。
「奴隷に拒否権は無いぞ、イノセ」
冷たく放たれたその言葉に、私は一瞬で反論の術を失った。




