039 勝手に死ぬな
「……ッ!?」
予想外の事態に、一気に私は焦燥する。
どういう状況だ!? なんで、マグマに……!?
いや、先程の火の球だ。恐らくあれのせいで体勢が崩れ、マグマに落下しそうになっている。
火の球を吹いたのは、リートが相手していたオタマジャクシモドキだろう。
恐らく、毒魔法で死にかけている中で、最後の力を振り絞った攻撃だ。
それが奇跡的に私に直撃し、リートを抱えていることで体勢を立て直すこともできず、そのままマグマに落下している。
クソッ……どうすれば良い?
このままマグマに落下してしまえば、ただでは済まないだろう。
私の防御力なら辛うじて生存できるかもしれないが、リートはきっと無事では済まない。
今の状況のままでは、二人共落下して、少なくともリートは……──。
「……はぁッ!」
「イノセッ!?」
声を振り絞りながら、私は強引に体を捻り、抱えていたリートを通路の方向に向かって投げた。
これで、少なくともリートは生き残る。
私は……せめて、死なないことを祈るか。
「石化ッ!」
直後、リートがそう叫ぶ声がした。
不思議に思う間も無く、私の体はマグマに沈む──かと思ったが、私の背中は何か固い物にぶつかった。
少し転がってうつ伏せの体勢で停止した私は、自分に何が起こったのか理解出来ず呆けた。
何とか体を起こすと、私の足元にはなぜかマグマがあった。
「……は……?」
「イノセッ! 早く来いッ!」
声がするので振り向くと、そこではリートがマグマの方に手を掲げて立っていた。
彼女の魔法か? と思考したのは一瞬のことで、すぐに彼女の背後にリザードマンとナマズが迫っていることに気付く。
「ッ……!」
私はすぐにマグマを蹴り、リートのいる通路に向かって駆け出す。
彼女はこちらに集中しているのか、背後に迫っている魔物には気付いていない様子だった。
すぐに私は通路の上に駆けのぼり、一番彼女に近かったリザードマンの頭に回し蹴りを放った。
蹴りを喰らったリザードマンは体勢を崩し、地面に倒れ伏す。
私はすぐに剣を拾い、ナマズ二体に向かって剣を振るった。
ナマズの動きは鈍かったので、斬り倒すことは容易だった。
二体のナマズが事切れたのを確認すると、私はすでに起き上がろうとしていたリザードマンに近付き、奴の体を剣で一突きにした。
「はぁッ……はぁッ……はぁッ……」
リザードマンが死んだことを確認すると、気力が途切れたのか、呼吸が一気に荒くなった。
私は剣をしまうと、すぐにリートの方に体を向けた。
「リート、怪我は……」
「イノセ! 怪我は無いか!?」
私の心配の声は、リートがこちらに駆け寄って来ながら発した声によって、遮られる。
それに驚いている間に、彼女は道具袋から水筒を取り出し、蓋を開けて私に押し付けてきた。
「早く飲め! 回復薬じゃ!」
「いや、大丈夫だから……」
「飲めッ!」
強い口調で言いながら、彼女は私の後頭部を掴み、強引に水筒の飲み口を口に押し付けてくる。
それに驚くのも一瞬のことで、すぐに口の中に液体が流れ込んでくる。
ひとまずその液体を嚥下すると、体の中に力が満ち溢れるような感覚がした。
視界にステータスを表示してみると、HPがみるみるうちに回復していくのが分かった。
あっという間にHPが満タンになるので、私はすぐに彼女の手を軽く叩き、水筒を離させた。
「ぷはぁっ……ホントに大丈夫だから……」
私の言葉を無視して、リートは水筒の蓋を閉めるのもそこそこに、私の体を抱きしめてきた。
突然のことに、私は驚いて固まる。
彼女は私の体を強く抱きしめながら、口を開いた。
「馬鹿ッ……馬鹿イノセッ! お主ッ……死のうとしたじゃろ!」
「いや、私のステータスなら死なな」
「死んでおったわ!」
リートはそう言うと、私の体を抱きしめる力をさらに強くした。
それに、私は困惑する。
どういう、ことだ……? 彼女は……──
「──心配……してるの……?」
「……」
私の言葉に、リートは少し体を離し、私の顔を見上げてくる。
単純な疑問。彼女は、私のことを……心配しているのか?
奴隷であり出会って間も無い私のことを、自己中で自分勝手で利己的な彼女が?
そんなわけ……──。
「……してるぞ」
「ッ……」
掠れたような、絞り出したような微かな声で、彼女は言う。
それに、私は言葉に詰まらせた。
すると、彼女は私の首筋に顔を埋め、続けた。
「一緒に落ちた時も、イノセに投げ出された時も、心配した。……イノセが死んだらどうしようって……」
「……なんで、心配なんて……」
「イノセのことが……」
そこまで言って、彼女は口を噤み、無言で私の体を抱きしめた。
……私のことが、何なんだよ……。
言葉の続きを急かそうにも、今の彼女に掛ける言葉は見つからない。
仕方なく、私は彼女の背中を優しく撫でた。
すると、リートは私の顔を見上げて腕を伸ばし、デコピンをしてきた。
「いだッ」
「大体、妾一人でどうこのダンジョンをクリアしろと言うのじゃ」
「それは……」
「妾が疲れた時に運んでくれる人がおらんではないか」
至極当然のことのように言うリートに、私は自分の頬がヒクッと引きつるのを感じた。
なるほどね……足が無くなると言うわけだ。
そりゃあそうか。私がいなくなったら、彼女一人で冒険しないといけなくなるわけで、町と町の間の移動の時に彼女を運んでくれる都合の良い奴隷がいなくなるわけだ。
体力のない彼女にとって、あの長距離移動は絶望的になるわけで……。
ははっ……心配してくれたことに、少しでも喜んだ私が馬鹿だった。
彼女にそんな人の心、今更宿っていないか。
結局は、お気に入りの車が壊れるくらいの感覚でしか無いわけだ。
「じゃから、勝手に死ぬな」
それでも……お気に入りでは、あるらしい。
彼女の言葉に、込み上げていた諸々の不満が、一気に消えていくのを感じた。
ホント、自分勝手でワガママなご主人様だけど、憎めないんだよなぁ。
「……以後気を付けます」
仕方なく、私はそう答えた。
すると、リートは私の顔を見上げて、安心したように笑った。
そういえば、と、私は視線をマグマの方に向けた。
リートが襲われそうになったり、怒涛の心配が来たりで気にする暇は無かったが、そもそもなんで私は助かったのだろう?
確かリートが魔法を使っていたのは覚えているが、そもそもその魔法が何なのかが分からない。
「……あのさ、リート?」
「何じゃ?」
「さっき私を助けた時の魔法って、何なの? 何か、マグマが固くなっていたような……」
私の言葉に、リートは抱擁を解き、私が落ちかけたマグマに視線を向けた。
あの時はなぜか固く感じたマグマも、今では液状に戻っており、グツグツと湧き立っている。
「あぁ、あれは石化……石化魔法じゃ」
「……石化?」
「まぁ、石化とは言っているが、どちらかと言うと時間停止に等しいのぉ。石化魔法を掛けた物は、生物、無生物を問わず、魔力を流している間その時間を停止させられるというものじゃ」
「つまり、マグマの時間を停止してたってこと?」
「そうじゃ。じゃが、この魔法は消費魔力量が多いから、出来ればあまり使いたくないわ」
リートはそう言って、どこか疲れたような笑みを浮かべた。
それに、私は「お疲れ様」と労いの言葉を掛けた。
なるほど……時間停止か。
それでマグマに沈むこともなく、熱さも感じなかったわけね。
一人納得していると、リートがフラフラと歩き出す。
「ほれ、早く行くぞ。時間を無駄にし過ぎた」
そう言って歩き出す彼女の足は覚束なく、見てるこっちがヒヤヒヤするレベルだった。
「ちょっと……」
私は咄嗟に彼女の手首を掴み、その足を止めさせる。
すると、彼女はこちらに振り向き「何じゃ?」と首を傾げた。
それに、私は「何じゃ、じゃ無いよ……」と嘆息しながら、彼女の体を引き寄せる。
「フラフラじゃん。石化魔法でどんだけ魔力使ったの」
「これくらい何でも無いわ。歩いていれば、勝手に回復するじゃろうし」
「それまでに魔物に襲われたらどうすんの……」
私の言葉に、リートはムッとした表情を浮かべた。
それに私は溜息をつき、彼女の前に出て、両手を後ろにしてしゃがみ込んだ。
「……?」
「ホラ、乗りなよ。……さっき、おんぶしろって言ってたし」
私の言葉に、彼女は少し間を置いてからハッとした表情を浮かべた。
……彼女が疲れている原因は、私を助けようとしたことにあるわけだし、これくらいするのが当然だろう。
「じゃが、魔物に襲われたら……」
「その時は強引に走ってでも逃げるよ。……ホラ、早く」
私がそう急かしてみると、彼女は少し間を置いてから、小さく口を開いた。
「……それなら、おんぶよりも……上層の時にやってくれた、あの抱き方が良い」
「……は?」
「あの、横に抱くやつじゃ。……ダメか?」
リートの言葉を理解するのに、しばらく時間が掛かった。
彼女が言っているのは、恐らくお姫様抱っこのことだろう。
……おんぶの方が安定していると思うんだけど……。
「……分かったよ」
けど、どうせ文句を言っても奴隷に拒否権は無いと言われるだけだし、そもそも断る理由も特に無い。
私はリートの体に腕を回し、腕に力を込めて持ち上げた。
すると、彼女はすぐに私の首に腕を回した。




