157 ネーヴェの町にて
<猪瀬こころ視点>
翌日になり、私達はヒーレアン国への移動を再開した。
しかし、一晩休んでもリート達の怪我が良くなる兆しが見えるはずも無く、昨日と変わらず移動速度はかなりゆっくりとしたものだった。
とは言え、朝早くから移動を開始したおかげかかなり距離を稼ぐことができ、夕方頃にはデンティ国とヒーレアン国の国境線沿いにある町、ネーヴェまで辿り着いた。
……辿り着いた、のだが……。
「アンタら、ヒーレアン国のルリジオに向かってんのか? ってこたぁもしかして、表に停まってるスタルト車で行くつもりかい?」
ネーヴェのとある店にて、会計をしていた店主と思しき中年の男性が、そんな風に尋ねてきた。
林の心臓が封印されていたダンジョンにて回復薬が切れていたし、他にも色々と不足していた物資があったので、買い足しに来ていたのだ。
スタルト車の番はアランとミルノに任せ、買い物には私とリアスでやってきていた。
無事に買い物を終えて会計をしていた際に、おじさんにこれからどこに向かうのかと聞かれたので、光の心臓がある町の名前をリアスが答えたのだが……。
「はい。そのつもりですが……何か、問題でも?」
リアスはそう聞き返しながら、首を傾げて見せる。
すると、おじさんは私達が購入した品物を袋に詰めながら「いや、ね」と続けた。
「ルリジオっつーと、アレだろう。ヒーレアン国の中でも、かなり北の方にある町じゃぁないか」
「そう、ですけど……」
「そんじゃあ、あのスタルト車じゃ無理だ。今、ヒーレアン国の北部の方では雪が積もっているらしくてね。南部の方なら大丈夫だと思うが……ルリジオに行くって言うんなら、ノスタルト車じゃなきゃ」
「……ノスタルト車って?」
ブツブツと独り言のように話しながら品物の袋詰めをするおじさんの言葉に、私は小声でリアスに聞き返す。
すると、リアスは「あぁ」と小さく呟くように答えた。
「ノスタルト車っていうのは、雪の中を移動できるスタルト車のことよ。……砂漠を移動できる、ラスタルト車は見たことあるわよね?」
「まぁ、それは、あるけど……」
「ノスタルト車は、その雪上版……って言えば、分かる?」
「……まぁ、なんとなくは」
「ルリジオに行くなら、この町でノスタルト車を借りていくと良い。国境線沿いってことで、ここで乗り換える輩が結構多いから、嬢ちゃん達の分もあるはずだ。……ほい、毎度あり」
おじさんはそう説明を終えると同時に、袋詰めを終えた商品をこちらに差し出した。
それに私は「ありがとうございます」と答えながら袋を受け取りつつ、チラッとおじさんの顔に視線を向けた。
彼にとっては世間話程度なのかもしれないが、色々と情報を丁寧に教えてくれて、感じが良くて凄く親切な人だな。
……熱い視線がリアスの胸元に向いていることを除けば、だが……。
横で見ている私ですら気付くような邪な視線にリアスが気付いていないはずは無いと思うが、彼女はにこやかな笑みを浮かべながら「ご親切に、ありがとうございます」と私に続けるような形でお礼を言った。
「……リアス、大丈夫? さっきのおじさんの目……嫌じゃなかった?」
店を出てすぐに、私はリアスにそんな疑問を投げ掛けた。
すると、彼女は微かに目を丸くしたが、特に表情を変えることなく口を開いた。
「別に気にならなかった、と言えば嘘になるけど……あれくらいならよくあることだし、こちらに危害を与えてこないなら、問題無いわ。色々と情報を教えてくれたのも、私に恩を売りたかっただけでしょうし」
平然とした様子で答えるリアスに、私は「……流石……」と無意識のうちに零した。
あんないやらしい目で見られて嫌悪感が無いはずがないだろうに……リアスはスタイル良いし、露出のある服を着ていることが多いから、ああいうことが結構よくあるんだろうか。
「そんなことより、困ったことになったわね。雪が積もっているなんて……」
リアスはそう言いながら、軽く腕を擦った。
確かに、積雪については考えてもいなかった。
ヒーレアン国に近付くにつれてやけに冷え込むとは思ったが、てっきりヒーレアン国がある場所が北の方だからかと思っていたのに……。
「そうだね。スタルト車を預けて、ノスタルト車を借りないといけないし……防寒具とかも買ったりしないと、だよね?」
「そうね。それに、雪の中の移動はリートの体に障るかもしれないし……考えないといけないことが山積みだわ」
リアスはそう呟きながら頭に手を当て、軽く首を横に振る。
確かに……リートやフレアの体の心配もあるし、色々と用意しないといけないものもある。
経済面との兼ね合いもあるし、雪の中の移動では今までとは勝手が違うし……だからと言って、二人の体調面を考えると、のんびりと考えている余裕も無い。
「あっ、二人共おかえり~」
ひとまずスタルト車の中に戻ると、アランが明るい声で言いながらブンブンと軽く手を振る。
彼女の声に、その隣に座っていたミルノもこちらに気付き、軽く会釈をしてきた。
どうやら、二人はちゃんと留守番をしてくれていたみたいだ。
「はっ……ハックション!」
留守番組二人の様子を確認していた時、フレアが突然豪快にくしゃみをした。
彼女はすぐに「うぐッ……」と小さく呻き声を上げながら、腹の傷を押さえた。
「クッソ、いってぇ……っつーか、さみぃ……この寒さ、何とかなんねぇのかよ」
「無理ね。どうやら、ヒーレアン国の北部の方は雪が積もっているみたいよ」
顔を顰めながら文句を言うフレアに、リアスは冷静にそう返しながら私の持っている袋からブラケットを取り出し、投げつけるようにフレアに渡した。
すると、フレアはそれを片手で受け取り、簡単に体に掛けた。
「……雪……?」
「うん。私達が向かっているルリジオがある北部の方は雪が積もっていて、このスタルト車じゃ行けないんだって」
掠れた声で聞き返すリートに、私はひとまずそう答えながら椅子の上に袋を置き、そこから取り出したブランケットを広げて彼女の体に掛けてやる。
すると、彼女はブランケットの端の方をキュッと軽く握り締め、「すまんのぅ」と小さな声で答えた。
「ってことは……ノスタルト車に、乗り換える、ってこと……?」
すると、ミルノが恐る恐ると言った様子でそう聞いてくる。
彼女の問いに、リアスが「そうね」と答えながらユラリと視線を向けた。
「ただ、スタルト車を預けてノスタルト車を借りてきたり……それ以外にも、色々と準備が必要になってくるから、今日はこの町に泊まるべきだと思うんだけど……リートとフレアは、それで大丈夫?」
彼女はそう聞き返しながら、ブランケットで暖をとっている二人に視線を向けた。
すると、フレアはブランケットにくるまって体を前後に軽く揺らしながら、口を開いた。
「俺はそれでも構わねぇよ。……リートは平気か?」
「……問題無い……それで、構わん……」
フレアの言葉に、リートは胸の傷を押さえながらそう答える。
彼女にどれくらいの猶予が残っているのかは分からないが、だからと言って彼女の体調を案じて先を急いだところで、雪に苦戦して必要以上に時間を掛けることになる可能性が高い。
ここは、今日この町で十分に準備を整え、今後の移動を早めた方が良いだろう。
そんな風に考えていた時、視界の隅で、ミルノが両手を擦っている様子が見えた。
「ミルノ。これ使って」
私はそう言いながら、余分に買っておいたブランケットを袋から取り出して彼女に差し出す。
すると、彼女はビクッと肩を震わせて顔を上げ、驚いたような表情でブランケットと私の顔を交互に何度も見る。
「ぅぁ……あ、ありが、とう……」
か細い声でそう答えながら、彼女はおずおずとブランケットを受け取った。
そんな反応に私は笑い返しつつ、すぐにリアスに顔を向けた。
「リアス、準備に必要なものがあれば、私に出来ることがあれば何でもするよ。……だから、今日中に早く準備を整えて、明日の早朝にはここを発とう」
私の言葉に、リアスは少し驚いたような表情でこちらを見た。
それからしばし間を置いた後、彼女は小さく笑みを浮かべて頷いた。
「そうね、ありがとう。……それじゃあ、これからの段取りについて確認しましょう」
リアスの言葉に、私達は今後の予定についての話し合いを開始した。