間話 事件の真相
今回は間話ということで、以前諸事情により一時的に上げていた番外編を推敲して色々とリメイクさせたものを上げさせて頂きます。
色々とオマケを加筆させて頂いたり文章を大幅に変更した部分もあるので、以前読んだことがある方でも楽しめるのではないかと思います。
「ごちそうさまでした」
空になった食器を前に、寺島葵は手を合わせてそう言った。
彼女の言葉に、学級委員長である山吹柚子は優しく笑みを浮かべて口を開いた。
「良かった、食事は問題無いみたいで。……体調はどう?」
「うん。えっと、大分良くなったよ。……山吹さんのおかげで」
ベッドの上で体を起こす形で食事をしていた葵は、柚子の顔を見て、どこか疲れたような笑みを浮かべてそう言った。
彼女はダンジョンの上層にて柚子達と合流した後、城に戻り、元々泊まっていた部屋で休息を取ることとなった。
ほぼ一日飲まず食わずだった上にずっと魔物から逃げ続けていた為、彼女の体は心身共に疲弊しており、ベッドの上に横になるとほとんど動けなくなってしまった。
先に食事をとらせるべきだと判断したクラインは、すぐさま使用人に指示を出して食事を作らせた。
それから、食事中に何かがあった時のことを危惧して監視をすることになり、葵の精神状態を考慮して柚子がその役目を担うことを立候補したのだ。
「本当に良かった。……目立った怪我も無さそうだし、これなら明日にはもう元気になりそうだね」
「そう、だね……ごめんなさい。迷惑掛けて……」
「私は平気だよ。それに……明日には、今回のことについて色々と話を聞いたりもしないといけないからね。寺島さんには、辛いことを思い出させることになると思うから……お互い様だよ」
そう言ってはにかむように笑う柚子に、葵は言葉を詰まらせた。
──お互い様なんかじゃない。
そもそも今回の事件が起きたのは、東雲理沙の横暴さと、それに逆らえなかった自分達の弱さのせいだ。
確かに何度も命を落としかけたし、上辺だけの関係とは言え、高校に入学してからずっと仲良くしていた理沙や葛西林檎が亡くなったという事実には辛いものがある。
しかし、これも自業自得だと言われてしまえば返す言葉も無いし、何よりこれが柚子に迷惑を掛けて良い理由にはならない。
柚子の言う今回の件についての話を聞くというのも、学級委員長としての責務のようなもので、仕方のないことである。
お互い様、なんて一言で片づけられて良いものではない。
「それじゃあ、食器は私が片付けておくから、寺島さんはもう寝てなよ。今日はもう疲れたでしょう?」
一人悶々と考え込んでいると、柚子がそう言いながら葵の前に広げられていた食器を片付けてトレイに乗せ、持ち上げる。
食事量は一人前より少し多い程度だったが、料理を運ぶ際に利用されたトレイは柚子の体と比較すると少し大きく、食器が乗ったトレイを持ち上げるその姿には危なっかしさがあった。
「あ、危ないよ……」
「ありがとう。大丈夫だよ~」
心配する葵に、柚子はそう言って笑いつつ、部屋の明かりを消して出て行ってしまった。
暗くなった部屋の中で、葵はしばらくの間柚子が出て行った扉を見ていたが、やがて諦めたように小さく息をついてベッドに横になった。
元々かなり疲れていた上に満腹になったこともあり、横になると、あっという間に睡魔が襲ってきた。
葵は重たくなっていく瞼に逆らうことなく、静かに目を瞑った。
すると、そのまま沈んでいくように、意識が落ちていく。
しばらくすると、暗闇の奥から、徐々に情景が浮かび上がってきた。
……黒のマーカーのようなもので罵倒や悪口が殴り書きされた机と、椅子の上に敷き詰められた大量の画鋲。
そして机の中心には、一輪の花が生けられた花瓶が置かれていた。
「……ッぁ……」
喉の奥から、締め上げられたような声が零れ出た。
体が硬直し、まるで足の裏に根が張ったかのように、その場から動けなくなる。
周りから聴こえる、男女入り混じった嘲笑の声。
葵はそれらから逃げるように、両手で頭を抱えるようにして縮こまる。
──……そうだ。
──私は、逃げたかった。……この、辛い日々から。
──ただ、平穏な学校生活を送りたくて……理沙ちゃん達に媚びを売って、取り入った。
──……そして、最上さんへのイジメに加担した。
イジメを受けることの辛さは、誰よりも知っていたはずなのに。
でも、自分の生活の方が大切で……──自分勝手な理由で、最上さんを苦しめてしまった。
そして、イジメを受ける彼女の姿を見て、今の自分は昔とは違うのだと安心してしまった。
悪いことをしているという自覚も無く、理沙達に裏切られて死にかける寸前まで、そのことに気付くことも無かった。
──……今からでも、間に合うかな……。
許されるはずが無いことは分かっている。
仮に、中学時代に自分を苛めていた人間に謝られたところで、許せるはずが無いから。
しかし、それでも……誠心誠意謝って、これから少しずつでも、許されるように行動していけば……少しは……──。
「ッ……」
ふと、目が覚める。
暗い部屋の中に、何やら妙な気配を感じたのだ。
──……部屋の中に……誰かが、入って来た……?
葵が寝起きの回らない頭でそう考えたのと、パタン、と扉を閉めるような音がしたのは、ほぼ同時の出来事だった。
次いで、ゆっくりと床を踏みしめているかのような僅かな足音と、衣擦れの音がする。
起きたばかりでまだ不明瞭な視界の中、葵は倦怠感の込み上げる体に鞭を打ち、ベッドの上で体を起こした。
もう一人の生存者である猪瀬こころは自分達と別行動を取っており、彼女曰く、理沙と林檎はダンジョンの下層で遺体となって見つかったらしい。
元々四人で泊まっていたこの部屋に、自分以外の人間が無断で入ってくることは、基本的にはあり得ない筈だ。
一体誰が……? と不思議に考えつつ、葵は上体を起こした状態で、気配のする方向を凝視した。
室内は暗闇に支配され、視界は上手く働かない。
しかし、誰かがこちらに向かって歩いてきていることは分かった。
ほとんど無音に近い足音が、一歩、また一歩と、自分に近付いてきているのを感じる。
一瞬、柚子ではないかという仮説が脳裏を過ぎったが、恐らく違う。
もしも室内にいるのが、柚子などのクラスメイトや城の人間であるのなら、こうして気配を消す必要など無い。
眠っている葵を気遣っているという可能性も無くは無いが……電気も点けずに、こうして足音を忍ばせてまでというのは、些か無理がある。
つまり、今部屋の中にいるのは……十中八九、自分を害そうとする、敵。
「ッ……!」
素早く回転した思考がそう結論付けた瞬間、体が動いた。
葵はすぐさまベッドの横に立て掛けていた杖を手に取り、近付いてくる気配に向かって構えた。
「聖なる光よ! 暗闇を照らして我に道を示す為、今我に加護を与えてくれ給え! ルミエールシュマン!」
葵が目を瞑りながらそう叫んだ瞬間、杖の先から強い光が放たれた。
直後、暗かった室内に眩い光が炸裂する。
暗闇に慣れていたであろう侵入者はそれに驚き、目元に手を持っていくようにして顔を隠した。
しばらくして光がある程度止んだのを確認すると、葵はゆっくりと瞼を開く。
先程彼女の使った光魔法が部屋の電灯代わりの魔道具に作用したのか、室内が淡い光で照らされていた。
その為、部屋に侵入してきた人間の姿を視認することが出来た。
「……なん……で……?」
目の前にいた人物の顔を見た瞬間、葵は驚いた様子で声を漏らした。
なぜなら、そこにいたのは……クラスメイトである、最上友子だったからだ。
彼女は自身の武器である矛を片手に持ち、光を食らった目を庇うように、空いている方の手で目元を覆っている。
長い前髪のせいで、彼女が今目を開けているのかどうかも分からない。
ただ……彼女が、自分に危害を与えようとしている敵だと判断した侵入者であることだけは、分かった。
「なんで……最上さんが、ここに……? ……どうして、こんなこと……」
驚いた様子で言う葵は、そこまで言って言葉を詰まらせた。
……友子が自分に危害を与えようとした理由には、心当たりがあったから。
なんでこんなことをしたのか、なんて愚問、投げかける間でも無いと判断したのだ。
「……どうして……こんなこと……?」
目元を片手で覆ったまま、友子は呟くように言う。
彼女の言葉に葵は答えず、両手で杖を握りしめたまま、ジッと友子の様子を観察した。
すると、友子は目を覆っていた手をダランと下げ、俯いた状態で続けた。
「そんなこと……寺島さんが一番、分かってるんじゃないの……?」
冷ややかな声で紡がれたその言葉に、葵はその顔を強張らせた。
すると、友子は矛を握り直し、長い前髪越しに葵を見つめた。
──……逃げられない……。
咄嗟に、そんな思考が脳裏をよぎる。
次いで、彼女は首を横に振り、杖を握る力を強くした。
──……何を考えてるんだ、私は……。
──ずっと……逃げてばかりの人生だったじゃないか。
──逃げて、逃げて、逃げ続けて……その結果が、このザマだって……気付いたじゃないか。
──もう、逃げたらダメだ。……逃げたら、ダメなんだ……。
自分に言い聞かせるように考えた葵は、すぐに杖から手を離してその場で正座になって姿勢を正し、両手をついて頭を下げた。
「……ごめんなさい……!」
誠心誠意、心を込めて……謝罪をする。
謝っても許されることではない。こんな自分の土下座になど、価値など無い。
しかし、それでも……逃げたくなかった。
「私、ずっと理沙ちゃ……東雲さん達に同調して、最上さんを苛めてしまって……本当にごめんなさい」
「……何を……」
「最上さんがここに来たのも、きっとそのせいなんだよね? 謝っても許されないことなのは、分かってる。許さなくても良い。……けど、これから許して貰えるように頑張るから……だから……!」
「うるさい」
葵の言葉を遮るような、冷ややかな声がした。
それに驚く間も無く、肩口に鋭い痛みが走った。
突然のことに、葵は目を見開いて言葉を詰まらせながらも、何とか顔を上げた。
すると、そこには……無表情で葵の肩に矛を突き刺し、長い前髪の奥で冷ややかな目をしてこちらを見下ろす、友子の姿があった。
「もが……み……さん……?」
「……勝手に決めつけて、一人で突っ走らないでよ。……イジメのことなんて、どうでもいい……ッ!」
矛を突き刺された箇所から伝う血液が、床に小さな水溜まりを作っていくのを感じる。
血の気が引くような感覚に、葵は指先一つ動かせないまま、友子を見つめた。
──……目の前にいるのは……誰だ……?
頭の中の、どこか冷静さの残った部分が、そう考えた。
葵の記憶に残る最上友子という少女は、暗くて地味で、大人しくて、人見知りが激しくて……理不尽な理由で苛められても反抗出来ないような、気弱な人間だった。
とてもでは無いが、目の前にいる少女と同一人物とは思えなかった。
「私が聞きたいことは、一つだけ。……どうして、貴方が生きてるの?」
「ッ……」
ぞわり、と……心臓の裏を撫でられたかのような、嫌な感覚がした。
感情が一切籠ってないような、無機質で冷酷な声。
長い前髪の奥でこちらを見下ろす冷ややかな目が、その無機質さを助長する。
恐怖に近い感情を抱いたのも束の間、肩に突き刺された矛が、グリッと捻り上げられた。
「あぁあッ……!?」
「答えてよッ! どうして寺島さんがッ……お前なんかが生き残って、こころちゃんが死なないといけなかったのかッ……!」
先程までの冷酷さからは一転。
友子は押し殺していた怒りが爆発したのか、悲愴な声を張り上げながら矛を両手で握り直し、葵の肩から矛を抜いた。
「がはぁッ……!?」
突然矛を引き抜かれたことにより生じる痛みから、葵は声を漏らしながら前のめりに倒れる。
しかし、痛みに悶えることすら許されず、すぐさま背中に矛が突き刺される。
「こころちゃんをッ……! こころちゃんをッ、返してよ……ッ! こころちゃんをッ……! 返してッ……!」
涙声で訴えながら、友子は何度も葵の体を矛で突き刺し、切り裂く。
元々弱っていた体を何度も突き刺され、切り裂かれ……葵はうつ伏せになった状態で、呆然と虚空を見つめた。
目の前に広がる血溜まりと遠退いていく意識に、葵は心の中で、どこか自嘲するように笑った。
自分の愚かさが可笑しくて、ただただ──嗤う。
──今更人生をやり直せるなんて、都合のいいことを考えていた私が、馬鹿だったんだ。
──自分以外の人間を利用して、昔自分が味わった痛みを別の人に与えて優越感に浸って、それでもまだやり直せるなんて考えた私が……愚かだった。
それでも、つい数刻前まで本気でやり直せると信じていた自分がいたことは事実であり、それが彼女の自嘲をさらに助長した。
意識が遠退いているのか、先程使った光魔法の効果が切れ始めているのか、目の前が真っ暗になっていく。
痛みなどはとっくの昔に限界を超えて何も感じなくなり、ただただ寒いと感じるのみだった。
体が動かない。呼吸が苦しくなっていく。
心臓の鼓動の音が、徐々に弱々しいものへと変わっていく。
このまま死ぬのか……と、どこか他人事のように考えていた時だった。
──そういえば、最上さんは……猪瀬さんが生きていることを知らないんじゃないのか?
「ッ……!」
突如思い出したその事実に、葵の意識は一気に加速し始める。
自分はここで死んでもいい。友子が自分を殺した理由が、こころが死んだと勘違いしていることによるものでも構わない。
でも、これだけは伝えなければならない。
だってこれは、こころに頼まれたことだから。
自分を殺そうとした葵を許し、命を救ってくれたこころに対する、一種の恩返しのようなものだから。
それに、何より……友子が何も知らずに悲しい思いをすることが、嫌だった。
理由は不明だが、こころを大切にしている様子の友子が、このまま真実を知らないままでいるのは酷だと思った。
ただでさえ自分達が苛めて傷付けた彼女の心を、これ以上傷付けてはならないと……死ぬ間際で考えたのだ。
「……も……がみ…………さ……」
しかし、もう……体が言うことを聞かなかった。
友子に向かって伸ばした手は空を切り、重力に従って地面に落下する。
喉から振り絞った声は、それ以上続けられない。
荒く呼吸をする度、胸の辺りから、ヒューヒューと空気が抜けるような音がする。目の前が真っ暗になっていく。
寒さを通り越し、体が冷たくなっていくような、凍り付いていくような感覚を味わいながら……葵は焦点の合わない目で、虚空を見つめた。
──もしも、最上さんに手を差し伸べて救う勇気があったら……──
──もしも、理沙ちゃんや林檎ちゃんを止められる勇気があったら……──
──もしも、もっと早く、自分の過ちに気付けていたら……──
──もしも、私がもっと、強かったら……──
──こんな結末には、なっていなかったかもしれないのに……。
「……」
冷たくなった葵の頬を、一筋の赤い雫が伝った。
その雫は床一面に広がった血溜まりの中に落ち、誰にも気付かれないまま、溶けていった。
「……ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
葵の魔力によって一時的に点灯していた明かりはいつの間にか消えており、暗闇に包まれた部屋の中に、友子の荒い呼吸の音だけが静かに木霊する。
人を殺したことで気が動転しているのか、身体的な疲労感はそこまで無いと言うのに、息が荒い。
何度深呼吸をしようとしても上手く息が吸えず、過呼吸になってしまったかのように、浅い呼吸を繰り返す。
それだけでなく、暑いわけでもないのに、体中から嫌な汗が次から次へと噴き出してきた。
自分のイジメに加担し、唯一の友達であるこころを殺した憎き相手とは言え、人を殺したことには変わりない。
友子は葵を殺したことで自分の気が動転していることに若干の嫌気を感じながらも、溢れ出す汗を拭いながら、必死に思考を巡らせる。
──……これからどうしよう……?
──思っていたよりも返り血を浴びちゃったな。服は処分して着替えれば良いし、体は洗い流せば良いけど……。
考えながら、友子は自分の長い前髪に触れた。
すると、自分の汗とは異なる別の液体が指先に付着したのを感じた。
──髪……洗ったら、落ちるかな……?
黒髪であればある程度は誤魔化せるが、今の自分の空色の髪では目立ってしまう。
──洗って落ちたら良いんだけど……──。
『でも、折角綺麗な顔してるんだから、いっそのこと前髪切ったりして顔出してみるのもアリだと思うけどなぁ』
その時、どうしてかは分からないが……昨日の夜、こころが自分に掛けてくれた言葉を思い出した。
脳裏を過ぎったその言葉に、友子は自分の前髪を軽く指で摘まみ、小さく唇を噛みしめた。
──……いっそのこと……切っちゃおうかな。
──そうしたら、天国にいるこころちゃんは……可愛いって、言ってくれるかな……。
「……?」
これからやらなければならないことを考えながら視線を動かした時、友子は長い前髪越しに、窓から差し込む月光を反射して何かが光っているのを見つけた。
目を凝らしてみると、それは……葵が付けている指輪だった。
左手薬指に付けられている指輪が、月光を反射して光っているのだ。
「……これは……」
小さく呟きながら、友子は葵の左手に手を伸ばす。
指輪に触れた時、部屋の外に誰かの気配を感じ、友子はすぐにハッと顔を上げた。
──誰かが来る……ッ!?
「ッ……!」
彼女は咄嗟に葵の左手薬指から指輪を抜き取りながら、すぐさま武器を持ち直して立ち上がる。
そこで、どれだけ引っ張っても取れないはずの指輪をあっさり引き抜くことが出来たことに驚きそうになったが、今はそんなことを気にしている場合では無かった。
友子はその指輪をズボンのポケットに忍ばせると、すぐに武器を構えつつ部屋の扉に近付き、耳を澄ませて部屋の外に誰かがいないかを確認した。
しかし、しばらく待っても、誰かが部屋に入って来る気配は無い。
気のせいか……と安堵しそうになったが、どちらにせよ、ずっとこの部屋の中にいるのは得策ではない。
彼女は扉を少しだけ開けて近くに誰もいないことを確認すると、逃げるように外に飛び出した。
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柚子と友子は林の心臓が封印されていたダンジョンを脱出した後、濃霧に包まれた林を抜け、林の外に停めてあったギリスール王国のスタルト車に乗り込んだ。
ダンジョン攻略やリート達との戦いの後でかなり疲弊していたが、休む時間も惜しかった為、すぐにヒーレアン国に向かうことにした。
「……」
スタルト車に揺られながら、友子は壁に凭れ掛かり、人差し指と親指で摘まんだ指輪を窓から差し込む日光に照らした。
それは、寺島葵の遺体から頂戴して以来、ずっと持っていたものだ。
こんなものを持っていたら葵を殺した犯人として怪しまれるだろうし、さっさと処分しようとは思っていたのだが……故人の遺物を捨てるのは、なんとなく忍びなかったのだ。
指輪の宝石は葵が死んでからも色を失うことは無く、紺色の宝石が太陽の光を反射してキラキラと光っている。
あの時はこころを失った悲しみから、ほぼ衝動的に葵を殺害した。
しかし、実際にはこころは生きており、葵はそのことを知っていた。
こころの仇として葵を殺す必要は無かった上に、もしもあの場で葵を殺していなければ、もっと早くこころの生存を知ることが出来ていたかもしれなかったのだ。
さらに、葵の殺害を黙ってもらうことを条件に柚子に従っている現状を顧みると、殺さない方が良かったようにも思える。
だがしかし、友子は葵を殺したことを後悔するつもりは毛頭無かった。
確かにこころは生きていたが、それはあくまで結果論。
葵達のせいでこころが危険な目に遭ったことには変わりないし、今でも命を救って貰った代償に、魔女の奴隷としてこき使われている。
彼女等がこころを危険な目に遭わせなければ、今みたいに、こころが魔女の奴隷になる必要は無かった。
それに、日本にいた頃もイジメに加担し、東雲理沙や葛西林檎と一緒になって苛めてきた。
これらのことから考えるに、彼女は殺されて当然のことをしたと、今でも胸を張って言える。
『私、ずっと理沙ちゃ……東雲さん達に同調して、最上さんを苛めてしまって……本当にごめんなさい』
その時、なぜかは知らないが……自分に向かって土下座をしながら必死に謝罪をしてきた葵の姿が、脳裏を過ぎった。
友子は微かに目を見開き、指輪を持つ手が硬直するのを感じる。
『最上さんがここに来たのも、きっとそのせいなんだよね? 謝っても許されないことなのは、分かってる。許さなくても良い。……けど、これから許して貰えるように頑張るから……だから……!』
「……」
脳裏に過ぎる葵の言葉に、友子は指輪を掌の中にしまい込み、静かに握り締める。
──……まぁ、イジメの件については……許しても良いかな。
そんな風に考えながら、友子は微かに目を細めた。
イジメを受けていた件に関しては多少なりとも自分に落ち度があったわけだし、理沙や林檎はともかく、葵はイジメへの加担は消極的だった。
何より、彼女に関しては自分の手で殺したわけだし……イジメの主犯だった連中は皆死んだのだから、今更恨む必要も無い。
葵の指輪を見つめながらそんな風に考えていた時、スタルト車の車輪が大きな石でも乗り越えたのか、ガタンッと一際強く車体が揺れた。
友子は元々壁に凭れ掛かるような体勢になっていた為、少し踏ん張る程度で体勢を崩さずに済む。
しかし、隣の席に座っていた柚子は突然の震動に対応出来なかったのか、大きく体勢を崩して友子の体に凭れ掛かって来た。
「ちょっと……山吹さん、何やって……」
「……すぅ……すぅ……」
すぐに柚子を起こそうとした友子だったが、自分に凭れ掛かっている柚子が寝息を立てていることに気付き、口を噤んだ。
──眠ってる……のか……? でも、いつの間に……?
普段から必要以上に会話を交わさない関係である為に、柚子が眠っていたことに全く気付いておらず、友子はつい驚いてしまった。
しかし、納得はした。
ただでさえ何日も掛けて長距離の移動を行っている上に、ダンジョン攻略やリート達との戦い等の度重なる戦闘もあり、疲れるのも無理は無いだろう。
戦闘では自分だけでなく防御力の低い友子のカバーもしなければならず、リート達との戦いではスキルを用いた遠くからの援護だった為に精密な調節が必要となり、かなりの集中力が必要とされた。
単純に身体的な疲労もあるだろうが、精神的な疲労もかなり酷いことだろう。
友子はなんとなくそれを察していた為、特に何も言うこと無く、窓の外に視線を戻した。
感謝はすれど、そのことで柚子を労ったり、自分のせいで彼女が疲労したことに罪悪感を抱くつもりは無かった。
柚子が疲労している理由の一端が自分にあることを自覚しているのと同時に、彼女がそこまでして自分を守ろうとしている理由が、妹の為にクラスメイト全員を守る“優等生”でいなければならないからだということを知っているからだ。
それに、リート達との戦いを終えた後での出来事を思い出してみれば、戦闘以外ではむしろ彼女に振り回されてることが多いくらいだ。
──それに……私がすることは、これからも変わりないし。
心の中で呟きながら、友子は上着のポケットに葵の指輪をしまった。
何があろうとも、今の自分がするべきことはただ一つ。
大切な、唯一無二の友達であるこころを、魔女から救い出す。
こころに害を及ぼし、自分とこころの邪魔をしようとするのなら、例えどんな相手だろうと排除する。
逆に、こころを救う為に必要ならば、例えどんなに嫌な相手でも協力する。
今までも、これからも……やるべきことは、変わらない。
最近更新を休み気味で申し訳ないです。
理由としましては、主に私生活が色々と忙しく、それによる精神面の不調などが重なり、中々執筆の時間が取れていないというのがあります。
今後しばらくは私生活での忙しさは続き、更新頻度も今以上に下がる可能性が高いです。
ですが、かならず完結させます。失踪はしません。私自身、まだまだ書きたい話がたくさんありますから。
なので、どうか気長に続きを待って頂けると幸いです。
次回から新章に突入します。