148 東の港町にて
---
ライジック大陸最東端に当たるアセス国の中でも、さらに最東端の海岸沿いにある港町、エスト。
この町は今日も観光客や商人、冒険者等、多くの人々で賑わっていた。
そんな中、また一つの旅客船が港に着き、乗客達が船から下りてくる。
「……」
人ごみにまみれ、一人の人物が船を下りた。
その人物は焦げ茶色の外套を身に纏い、フードを目深に被っていた。
「チッ……あ゛ぁ゛~……クソッ、飲み過ぎた……」
その人が船から下りて港町を歩いていた時、細い路地から出てきた中年の男性が、しゃがれた声でそう呟いた。
男は頭を手で押さえており、フラフラと覚束ない足取りで歩いている。
──こんな昼間から酔っ払いか……。
外套を着た人物がそんな風に考えていた時、男はバランスを崩してよろめいた。
男はかなり酔っているようで、その場で踏みとどまることも出来ず、そのまま近くに積み上げられていた木箱を巻き込んで転倒する。
木箱がガラガラと大きな音を立てて崩れるのを横目に、外套の人物は大きく溜息をついた。
「いってぇ……あ゛? アンタ、何見てんだ。見世物じゃねぇぞッ!」
すると、男はそんな風に怒鳴ってきた。
男の言葉に、外套の人物は顔を隠すようにフードを左手で押さえ、先を急ぐように歩き出そうとした。
すると、酔っ払いの男はとあることに気付き、「お゛い」と呼び止める。
まさか呼び止められるとは思っておらず、外套の人物は驚きながらも、男に体を向ける。
ここで無視するのは流石に癇に障るだろうし、ここまで酔っ払った人間の機嫌を損ねたらいらぬ面倒事を招きかねないと判断したのだ。
万が一に備えて、外套の人物は懐に隠し持っている武器に左手を添えつつ、口を開いた。
「……わたシに、何か、用がありまスか……?」
目の前にいる酔っ払いを激昂させないよう、言葉を選びながら、外套の人物はそう声を発した。
その言葉遣いは明らかに不自然だったし、舌足らずで、独特な訛りが混じっていた。
外套の人物による返答に、男はかなり驚いた。
話し方の不自然さは勿論だが、何より……返って来たその声が、女のものだったからだ。
外套で体格も分からず、一目見ただけではその人物の性別を判断するのはかなり困難だった。
そんな中で、この酔っ払いの男は、目の前にいる人物の性別は男だと根拠の無い確信を持っていたのだ。
「いや、用っつーか……その腕、魔物にでもやられたのか?」
男の言葉に、外套を着た女はハッとした表情で自分の右腕を見た。
否。そこに、右腕は無かった。
大きな外套を着ている為にパッと見では分かりにくいが、本来右腕があるべき箇所に腕が無く、左腕がある部分に比べて不自然に外套の裾が余っている。
「まモの……まァ、そんナ感じ、でス……」
相変わらずのぎこちない口調で言いながら、彼女は右腕があるべき部分の布を握りしめた。
彼女の言葉に、男は眉を顰めた。
元々、彼が外套の人物を男だと思った理由も、右腕が無いことが理由だったからだ。
というよりは、男であって欲しいと無意識下で思っていた、というのが正鵠を得ているだろう。
冒険者ならば男女関係なく、四肢のどれかを損失した者を見る機会は少なくない。
それでも、女が四肢を損失した姿というのは、男に比べて辛く感じる部分がある。
しかも目の前にいる外套の人物は、声色や背格好、目に見える肌から察するに年齢はかなり若い。
未来ある少女の痛々しい姿に、男は少し目を逸らしながらも口を開いた。
「そうかい。……嬢ちゃんも若いのに、色々と大変だったんだなぁ」
「……」
男の言葉に、外套の少女は静かに顔を伏せた。
右腕を失っているのもそうだが、フードで顔を隠しているのにも理由があるのではないかと、男は密かに考えていた。
しかも、彼女の言語の不器用さも気に掛かる。
これらから考えるに、この少女は……──辺境に隠れ住んでいた、珍しい種族なのではないだろうか。
それが、男が出した結論だった。
この大陸内でも獣人族が密林の中で慎ましく暮らしているように、彼女もどこかの大陸で密やかに暮らしていた種族の一人だったのではないか。
しかし、冒険者の集団にでも襲われて故郷を追われ、船を使って逃げてきたのではないか。
外套で姿を隠しているのは、自分の種族を知られないようにする為なのではないか。
不格好な話し方は、慣れない人族語を使っているせいなのではないか。
右腕を失っているのは……──人族に襲われた際の、怪我なのではないか。
あくまで全て推測だが、まだ酔いが完全に覚めているわけではない男は、それが事実だと確信した。
そして、目の前にいる少女が抱えているであろう心の傷を想像し、胸を痛めた。
「大変だったなぁ、本当に……若いのになぁ……グスッ……」
「……」
涙ぐみながら同情の言葉を投げ掛けてくる男に、外套の少女はげんなりした。
──本当に……面倒な奴に絡まれたな。
彼女は自分の運の無さを嘆きつつも、そろそろこの酔っ払い男を適当にあしらって先を急ぐべきだと考え、口を開こうとした。
「ところで、嬢ちゃんはどこに行くか……目的としている場所はあんのかい?」
しかし、少女がいざ声を発そうとした時、男が涙声でそう尋ねてきた。
間が悪い、と内心で憤りつつも、彼女はフードを被り直して口を開いた。
「いいエ……特に決まっテませン……」
「だったら、ここからずっと西の方に行った所にある、ヒーレアンっていう国に行くと良い」
「……ヒーレアン……?」
初めて聞いた国名に、少女は咄嗟に聞き返す。
すると、男は「あぁ」と言って大きく頷いた。
「小さい国なんだが、そこにはどんな怪我や病気も治してくれる女神様がいるって話だ。……嬢ちゃんの腕も、もしかしたら治してもらえるかもしれねぇ」
「……えっト……私は……」
この腕を治すつもりは無い、と言いかけて、少女はすぐにハッとした表情を浮かべた。
彼女は続けようとした言葉を噤み、少し考えて続けた。
「……それは、ホんとうノ話、ですか……?」
「まぁ、そうだな。俺も風の噂で聞いただけだから、確かなことは分からねぇが……行き先が決まって無いなら、言ってみる価値はあるんじゃねぇか?」
男の言葉を吟味し、少女は考える。
こんなもの、酔っ払いの戯言だと切り捨てても良い程に、信憑性の無い眉唾物な話だ。
しかし、男は自分に対して一種の哀れみの感情を抱いており、少なくとも騙して害を与えようという意思は感じられなかった。
彼の言う通り、行きたい場所が特に決まっているというわけでも無い。
それに……場合によっては、自分の目的が遂行できる可能性もある。
──少なくとも、行かない理由は無いな……。
内心でそう呟き、彼女は口を開いた。
「あリがとうござイます。……今かラその場所ニ、行ってみマす」
逸る気持ちを抑えてそう答え、少女はエストの町を出る為に歩き出す。
彼女には、失った右腕を治したいという気持ちは無かった。
しかも、どんな怪我も病気も治してくれる女神が名前も聞いたことないような小国にいるなど、普通に考えれば誰かが夢見た御伽噺だと笑い飛ばしても良いような話だ。
だが、もしかしたら……──。
胸中に沸き上がる微かな希望が、彼女の歩を速めさせた。
「ッ……」
その時、失った右手の先が痛んだ。
少女は右肩を押さえて立ち止まり、しばし痛みに耐える。
「〈ぐッ……クソッ……!〉」
苛立ちを露わにするように言いながら、彼女は左手で近くの壁をガンッと強く殴った。
すると、近くを歩いていた人々の内何人かは、驚いた様子で外套の少女に視線を向けた。
「〈見てんじゃねぇよ……〉」
周りの反応に、彼女は吐き捨てるように小さく呟いた。
──……まぁ、こんな所でグズグズしている場合では無いか。
──とにかく、ヒーレアン国に向かってみよう。
──もしかしたら、そこに……──魔女の心臓があるかもしれないから。
そんな風に考えた少女はフードを深く被り直し、人ごみに紛れるように歩き出した。
---