142 ミルノ②
「お花さんを傷付けないでッ!」
林の心臓がある広い空間内に漂う穏やかな空気を切り裂くように、凛とした声が響き渡る。
直後、ミルノはリアスに向かって、数本の矢を放った。
「ッ……!」
「伏せろッ!」
突然矢を放たれ、リアスは咄嗟に薙刀を構えようとした。
しかし、それより先にフレアが叫びながらリアスの体に飛びつき、押し倒すような形で躱させた。
放たれた矢は二人の頭上を高速で通り過ぎ、その背後に立っていたリートの頬を掠めてその後ろの壁に突き刺さった。
「リート!」
それを見て、私はすぐに彼女の元に駆け寄った。
見れば、彼女の頬には矢が掠めたことによる深い切り傷ができており、ツー……と一筋の血液が伝っている。
「リート、大丈夫!? 怪我が……」
「心配いらん、こんなもの掠り傷じゃ。すぐに治る」
心配する私に、リートはそう言いながら頬を伝う血をグイッと手で拭った。
彼女の言う通り、大分深かったはずの切り傷はすでにかなり浅くなっており、流血も収まっている。
彼女の強い自然治癒力に感謝すべきか……と考えていると、壁に突き刺さった矢がブルブルと微かに震動していることに気付いた。
「……? リート、あれ……」
「む……?」
指で指し示しながらリートに声を掛けると、彼女は不思議そうな表情でそれを見た。
突如壁に刺さっていた矢が膨張し、細く鋭い槍となって体勢を整えていたフレアとリアスを襲った。
「フレアッ! リアスッ! 後ろッ!」
「何ッ……!?」
咄嗟に上げた私の声に、すぐさまフレアが反応して後ろに振り向く。
気付けば彼女の体に突き刺さる寸前まで迫っていた木の槍に、フレアはすぐさまヌンチャクを振るい、自分の体に刺さりかけていた槍を粉砕する。
直近の危機を免れたことにフレアは大きく息を吐いたが、すぐに彼女の背後にいるミルノが、二人に向かって弓矢を構えていることに気付いた。
「フレアッ! 後ろッ!」
「ッ……!」
慌てて声を張り上げると、フレアはすぐに何かを察したようで後ろに振り向く。
直後、ミルノが新たな矢を放つ。
しかし、フレアは先ほど木の槍への対処をしたばかりで、まだ体勢が完全に整っていなかった。
それでも強引に対処しようとした時、二人とミルノの間に氷の壁ができ、放たれた矢がそれに突き刺さった。
追撃の木の槍を防ぐ為か、突き刺さった矢がすぐに完全に凍り付く。
「……何とか間に合ったわね」
それを見て、リアスが小さく息をつきながらそう呟いた。
彼女の言葉に、すぐにフレアが体勢を立て直して口を開いた。
「おい、何やってんだよお前ッ! 戦わずに心臓を手に入れるんじゃなかったのかよッ!」
「私だって分からないわよ! 私は私なりに、穏便に済ませられるように話を進めていたつもりよ! でも、彼女が急に……ッ!」
リアスはそう言いながら、ミルノを指し示す。
見れば、彼女はいつの間にか、壁から生えた太い木の枝に乗る形でかなり高い位置にいた。
そこからこちらを見下ろす目はどこか冷たく、その顔には先ほどまで浮かんでいた怯えの感情は一切無かった。
「戦いは嫌い……でも、私の大切な“友達”を傷付ける人は、もっと嫌い……そんな人の仲間も、嫌い……」
すると、彼女は独り言のようにそう言いながら弓を構え、新たに数本の矢を作り出す。
友達……? と一瞬疑問に思う間も無く、ミルノは新たに作り出した矢をこちらに向かって放った。
「任せてッ!」
すると、すぐさまアランが間に入り、大槌を振るって放たれた矢を全て粉砕していく。
彼女が弾き切れなかった矢が地面に突き刺さるのを横目に見つつ、私はギリッと歯ぎしりをした。
友達って何だ……!? まさか、私達の誰かがその友達とやらを傷付けたから怒っていると言うのか……!?
しかし、この場に私達以外にその友達と思しき人物などいないし……一体、何が彼女の怒りのきっかけになって……──。
「……花か……」
すると、背後でリートがそう呟いたのが聴こえた。
彼女の言葉に、私は「え?」と聞き返しながら振り向いた。
見れば、彼女はキョロキョロと辺りを見渡しながら続けた。
「お主だって聞いておったであろう? あやつは攻撃を始める前に、『花を傷付けるな』……というような言葉を発しておった」
「……言われてみれば……」
リートの言葉に、私は思い出す。
確かに、最初に矢を放つ寸前に、そのようなことを口にしていた。
それに、その直前には、リアスが花を踵で踏みつけていた。
「……そういえば、その前にリアスが花を踏んでた気がする……!」
「まさか、この花を踏まれてキレてるってことかよッ!?」
私達のやり取りを聞いていたのか、フレアがギョッとしたような表情でそう聞き返してきた。
確かに、この地面に生えている花は地面を覆いつくす程にたくさん咲いているというわけでは無く、ある程度人が歩き回れる程度に疎らに咲いている。
まぁ、ミルノ自身もある程度この場所で歩き回ったりはするだろうし、足の踏み場も無い程に花で地面を覆いつくす必要は無いのだ。
だから、この場所に来たばかりの時やしばらく会話していた時は、誤って踏みつけるようなことは無かったのだろう。
まぁ……運が良かっただけの話だ。
「じゃあ結局テメェのせいじゃねぇか! 人に偉そうに口が悪いだの穏便に済ませろだの言ってたくせに!」
「そんなこと言われたって、別に踏もうと思って踏んだわけじゃないわよ! 足元に花が咲いていたことも知らなかったし!」
責めるように言うフレアに、リアスがそう反論する。
まぁ確かに、私もこの場所に来てから、この地面に生えている花をわざわざ意識することはほとんど無かった。
壁や天井を覆っている蔦同様、ミルノ曰く林の心臓の魔力によって勝手に生えたものだとばかり思っていたし。
それがミルノにとって大切なものだなんて知らなかったし、リアスだって意図的に踏んだわけでも無いのだから、彼女を責める筋合いは無い。
彼女が踏んだというのも結果論でしかなく、仮に彼女があの時花を踏まなかったとしても、どこかで誰かが踏んでいた可能性が高いのだから。
「別にそんなのどうでもいいよ~。今更色々言っても仕方ないじゃん?」
すると、アランがのんびりした口調でそう言いながら、軽く大槌を振るって肩に掛けた。
それからこちらに振り向いたアランの顔は、どこかワクワクした感情を隠せないような、楽しそうな表情をしていた。
「ねね、そんなことよりさ! 散々向こうから攻撃してきたんだし、そろそろこっちからも反撃しても良いよね!? 戦っても良いよね!?」
「……まぁ、そうじゃな。今更向こうも穏便に済ませる気など無いであろうし」
「わ~い!」
リートが渋々と言った様子で呟いた言葉に、アランは嬉しそうに言いながら大槌を振り上げ、かなり高い位置にいるミルノの方に向かって駆け出した。
それに、フレアは「あっ、抜け駆けはずりぃぞッ!」と言いながらヌンチャクを構え、アランの後を追いかけて駆け出した。
「えッ……!?」
突然好戦的になった二人に驚いたのか、ミルノは僅かに目を見開いた。
しかしすぐに表情を引き締め、先頭のアランに向かって二本の矢を放つ。
「ほッ、てりゃッ」
しかし、アランは軽快な動きで放たれた矢を躱し、そのまま高い位置にいるミルノの方に向かってジャンプした。
すると、先ほどまでアランがいた場所に矢が突き刺さり、すぐにそこから太い蔦が生えてきて触手のように彼女を襲った。
「アラン、危ないッ!」
私はすぐにそう声を掛けながら、剣を抜きつつ駆け出した。
それに、アランは「えっ?」と聞き返しながらこちらに振り向いた。
直後、飛び上がったアランの足に蔦が巻き付き、これまた触手のように自在に動いて彼女の体を地面に叩き付けた。
「ッたぁ……! 何これ!?」
頭を打ったのか、アランは頭部を押さえながら不満そうな表情で自分の足に絡みついた蔦を見た。
しかし、植物の蔦はそんなこと構わずにアランの体を持ち上げ、再度地面に叩き付けるように大きく振り上げた。
「こころッ! あの植物の蔦切れッ!」
すると、フレアがそんな風に声を張り上げたのが聴こえた。
突然の言葉に、私はアランの元に駆け寄ろうとしていた足を止め、「えッ!?」と聞き返しながらフレアの方に顔を向けようとした。
しかし、彼女が「良いから早くッ!」と急かしてくるので、私は咄嗟に足を動かして再度アランの元に駆け寄った。
「ロックソードッ!」
私は声を張り上げて剣の刃に岩を纏わせ、鋭い石の刃を振るってアランの足に巻き付いた蔦の根本を切り裂いた。
すると、丁度アランの体を地面に叩き付けようとしていた蔦は私が切った部分から倒れ、アランの体ごと地面に近づいていく。
しかし、すでにそこにはフレアが先回りしており、手に持っていたヌンチャクを投げ捨てて落下してきたアランを受け止めた。
「ッと……おい、大丈夫か?」
「も~! 折角楽しかったところなのに、なんで邪魔するの~!」
心配するフレアに、アランは頭を押さえた状態で不満そうに言った。
頭を打ったせいでおかしくなったか……と一瞬危惧したが、すぐにこれは彼女の通常運転だったな、と考え直す。
フレアも同じことを考えたようで、呆れたような表情で「はいはい、悪かったな」と言いつつアランの体を離した。
すると、アランは不機嫌そうに頬を膨らませつつ、足に絡みついた蔦を引きちぎるように外した。
結構太い蔦だったのだが、あまり関係無いらしい。
「たの……しい……? え……?」
そしてアランの反応が想定していたものと違ったようで、ミルノは困惑したような表情でそう呟いた。
まぁ、彼女からすれば普通に攻撃したつもりだろうに、それを楽しいなんて言われるなんて思ってもいなかっただろうな。
しかし、彼女はまだ少し納得がいっていない様子ではあったがすぐに表情を引き締め、再度弓矢を構える。
それから、乾いた音を立てながら三度、矢を放った。
「ッと……!?」
フレアはすぐにアランの肩を抱き、放たれた矢をすぐに躱せるように備えた。
しかし、三度に分けて放たれた矢はフレア達には直撃せず、彼女等の前方と左右それぞれ斜め後ろの地面に突き刺さる。
「……?」
それを見て、フレアは不思議そうな表情を浮かべながらアランの体から手を離す。
直後、それぞれ矢が刺さった三点の地面から、二人に向かって細い蔦が勢いよく伸びた。
「チッ……! クソッ!」
「フレアッ!」
すぐにフレアは苛立った様子で舌打ちをしながら、アランの体を突き飛ばした。
それとほぼ同時に、リアスが薙刀に水を纏わせ、鞭のようにしならせてフレアの方に向かって振るう。
彼女の攻撃によってフレアの方に伸びていた蔦の内の一本は弾かれるが、残りの二本の蔦がそれぞれフレアの右足と左腕に絡みついた。
「なッ……! クソッ……!」
すぐにフレアは引きちぎろうとするが、細い蔦は見た目に反してかなり頑強になっているようで、どれだけ彼女が力ずくでちぎろうとしてもギチギチと軋むような音を立てるのみだった。
フレアの力でも切れないなんて、私の剣でも断ち切れるのかどうか……と危惧していた時、ミルノが彼女に向かって弓矢を構えているのが視界に入った。
「水球ッ!」
リートもそれに気付いたようで、すぐにミルノに向かって水の球を放った。
ミルノはそれに気付くと弓矢を構えていた手を緩め、すぐに近くの壁を覆う蔦に触れる。
すると、壁から突然細い蔦が生え、リートの放った水の球を弾いた。
「くッ……!」
それを見て、リートは悔しそうに小さく声を漏らした。
すると、アランはそれを見てハッとしたような表情を浮かべると、すぐに大槌を両手で持って振り回すように体を回転させた。
「アラン……?」
「でりゃぁぁッ!」
驚く私を気にせず、アランは声を張り上げながらミルノに向かって大槌を投げつけた。
文字通りハンマー投げの要領で放たれた大槌に、ミルノは驚いたように目を丸くし、それを躱すように枝の上から飛び降りた。
直後、大槌はミルノが乗っていた木の枝に直撃し、粉砕する。
「ぐッ……!」
ミルノはすぐに歯ぎしりをしながら、手近な壁に触れようとする。
しかしそれより先に、アランが「捕まえたッ!」と言いながら、落下するミルノに飛びついた。
「良いぞアランッ! そのままぶちのめせッ!」
それを見て、植物の蔦に捕らわれたままのフレアがそう声を張り上げた。
見ると、彼女の近くでは、リアスが薙刀で蔦を断ち切ろうと試みている様子だった。
しかし、空中でフレアが言ったことを実現できる程の動きができるはずも無く、そのまま二人は地面に落下する。
だが、アランはすぐに動きを封じるべく、ミルノの両腕を掴んで地面に押し倒した。
「アランッ!」
この状況ではアランは身動きを取れないのではないかと判断し、私は加勢すべく、すぐに二人の元に駆け寄った。
すると、アランの死角になる辺りから、先端が鋭く尖った細い蔦がニョキニョキと生えてきていることに気付いた。
「アランッ! 後ろッ!」
「ほぇ?」
私が咄嗟に声を上げると、アランはキョトンとした表情で顔を上げてこちらを向いた。
しかし、蔦が生えてきているのは、彼女から見て私がいる方とは逆の方向だった。
「違うッ! 私じゃなくて……ッ!」
何とかそのことを伝えようとした時、細い蔦がアランの項の辺りに突き刺さった。
すると、アランは「かッ……!?」と喉から振り絞ったような声を漏らしながら、大きく目を見開いた。
「アランッ!? どうしたんだッ!?」
そんなアランの様子に、植物の蔦に拘束されたままのフレアがそう声を掛ける。
アランの項に刺さった細い蔦はすぐに引き抜かれ、地面の中に消えていく。
すると、大きく見開いていた目から力が抜け、彼女はガクリと項垂れた。
「アランッ! 大丈夫ッ!?」
私はすぐに、そう声を掛けながら駆け寄った。
一体、さっきの攻撃は何なんだ?
ダメージ自体はあまり無いように感じるし、致命傷を狙った攻撃では無いと思うが……まさか、毒を盛ったとか? それとも、別の何かがあるのか?
グルグルと思考が巡る中で何とかアランの元に駆け寄った時、彼女は突然立ち上がり、私に向かって蹴りを放った。
「ッ……!?」
突然の攻撃に驚きつつも、私は咄嗟に仰け反る形で躱し、バックステップで距離を取った。
すると、アランが近くに落ちていた大槌を拾い上げ、こちらに向き合う形で構えた。




