140 本当に大丈夫
植物の蔦や罠に苦戦しながらも、何とか私達は中層をクリアした。
どこに仕掛けられているか分からない罠に注意しながらの探索となった為、常に気を張った状態が続き、精神的な疲労が著しかった。
しかも凹凸の多い不安定な足場でのことだったので、文字通り、心身ともに削られた状態だった。
そんな中で、私達は下層に辿り着いた。
「うおッ……! ここの地面、土だぞ……!」
先頭を歩いていたフレアが下層に着いた途端、そう漏らしたのが聴こえた。
それに、すぐに彼女に続いて下層に出ると、そこには土で出来た地面が広がっていた。
「うわ~! フカフカ! 動きやす~い!」
「さっきまでの不安定な地面に慣れてたから、何だか変な感じね……」
続いたアランとリアスも、土の地面を踏みしめながらそう口にする。
確かに、さっきまでの蔦で覆われた凹凸の多い地面に慣れていた為か、何というか足場がフワフワしたような感覚がする。
……変な感じだ。
「これならリートも歩けるんじゃない?」
「ふむ……お主には、妾が罠に掛かった時に自分で対処が出来るように見えるか?」
「……このままが良いならそう言えば良いのに……」
そんな会話をしつつ、辺りを見渡す。
確かに地面は土だが、壁や天井は相変わらず植物の蔦で覆われていた。
これは中層のように、壁の中に罠が仕込まれている可能性は高いか……。
とは言え、怪しんでいても仕方がないので、ひとまず私達は先に進むことにした。
私の予想通り、下層にも罠が仕掛けられていたが、足場が安定している分中層よりも対処しやすかった。
魔物も中層に比べると強くなっていたが、やはり足場が安定していると戦いやすいようで、むしろ中層よりも有利になっているように感じた。
「……妙ね……」
フレアが倒し損ねた魔物を薙刀で切り裂きながら、リアスはそう呟いた。
彼女の呟きが聴こえたのか、前方で魔物を薙ぎ倒していたフレアが振り向いた。
「妙って……何がだ?」
「上層や中層では地面を植物の蔦で覆って私達が戦いづらい戦場を作り出し、中層ではあれだけの罠を仕掛けて徹底的に私達を殺しに来た……割に、下層に来て地面を覆う植物の蔦を無くして、わざわざ私達が戦いやすい戦場にするだなんて……おかしいと思わない?」
リアスはそう言いながら、アランの倒し損ねたモグラみたいな魔物の体を薙刀で切り裂こうとした。
しかし、魔物は切られる寸前で長い爪を使ってリアスの薙刀を弾き、反撃しようとした。
だが、その前にフレアが後ろ手にヌンチャクを振るって魔物の体を拉げさせ、遠くに飛ばす。
「確かに……上層や中層では、妾達が自分の元に辿り着くまでに殺しておこうと言わんばかりの徹底ぶりだったが、下層に入ってからはそうでも無いのぅ」
「うーん……特に意味は無いんじゃない?」
訝しげな口調で言うリートに、アランが顎に指を当てながらそんな風に呟いた。
それに、フレアが呆れたような表情で「それはねぇだろ」と言った。
「なんで心臓の守り人が意味も無く俺等が戦いやすい空間を作り出すんだよ? 逆ならまだしもよ」
「え~……? でも、私も上層から下層に掛けて難しく~……とかはあんまし考えて無かったよ? それに、下層には落とし穴作れなかったから、むしろ簡単だったでしょ?」
「お前の時はそれどころじゃなかったから覚えてねぇよ。……っつか、お前には落とし穴が作れなかったから、っていう理由があるじゃねぇか」
「あっ、そっか!」
フレアに指摘され、アランはポンッと手を打ちながら納得したように言う。
リアスはそれを見て溜息をつきながら軽く首を振ったが、すぐに口を開いた。
「だから言ったでしょう? 妙だ、って」
彼女の言葉に、私は静かに生唾を飲み込んだ。
……林の心臓の守り人は……一体、何を考えているのだろう……?
ただ攻略が難しいだけのダンジョンなら、まだここまで色々と考えなくても良かった。
中層までは困難であるように見せかけて、下層に来た途端、まるで出迎えるかの如く、今まで私達の障害となっていた物を除去した。
本当に……どう言った意図があるのだろうか?
「こころッ! 伏せろッ!」
「ッ……!?」
リートに頭を押さえつけられながら言われ、私は慌ててその場に伏せた。
その際に、受け身を取る為にリートの片足から手を離す形になり、伏せた衝撃で体勢が崩れてしまった。
頭上を何かの魔物のような影が通り過ぎるのを視界の隅に捉えたが、それを確認する暇など無かった。
伏せた際に罠を発動させてしまったようで、壁を覆う蔦の隙間から枝の矢が射出されたのが分かったからだ。
私はすぐさま体を起こし、射出された枝を片手で掴んだ。
「でりゃぁッ!」
直後、少し離れた場所でアランがコウモリのような姿をした魔物に大槌をぶつけていた。
恐らく、あれが私の頭上を通り過ぎていった魔物だろう。
奴は身を翻してそれを躱すが、すぐにフレアが魔物の足を掴んだ。
「おるぁッ!」
声を上げながら、フレアは背負い投げの要領でコウモリを地面に叩きつけた。
すぐにコウモリの頭を踏み潰し、彼女は続けた。
「まぁ、地面がしっかりしていて戦いやすいっつっても、罠があるのと魔物が出ることには変わりねぇだろ。……とにかく、先に進むぞ」
「そ、そうだね……」
私はそう答えながら、手に持った枝を地面に落とした。
まぁ、今考えても答えなんて出ないか。
このダンジョンの心臓の守り人に会えば、自ずとその答えは分かるのかもしれない。
何を考えているのか分からないような不気味な奴だったとしても……何も知らないよりはマシだ。
「リート、立てる?」
地面にへたり込んだ状態のリートに、私はそう声を掛けながら手を差し出した。
すると、彼女は「あぁ……すまん」と答えて私の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
身長差のせいか、私よりも小さく華奢な手。
こうして握っていると、その差がハッキリと感じられた。
……ざわっ……。
「ッ……」
またもや胸騒ぎがして、私は咄嗟に自分の胸に空いている方の手を当てた。
この胸騒ぎは……林の心臓の守り人に対して、感じているものなのだろうか……?
そんな風に考えていると、リートが私の手を離してスタスタと歩き出してしまった。
「リート、おんぶは……?」
「……いや。もう林の心臓に大分近い所まで来ておるし、この地面ならそこまで苦労はせん。流石に自分で歩くわ」
咄嗟に手を伸ばしながら訪ねた私の言葉は、軽く手を振りながら答えたリートの言葉によって遮られた。
その途端、何だか彼女に突き放されたような感覚がした。
「……そっか……」
私はそう呟きながら、行き場の無くなってしまった手を下ろし、軽く握りしめた。
……こうして見ると、リートをおんぶしていたのは、ある意味彼女を確実に守れる方法だったように感じる。
元々戦闘はフレア達任せではあったが、リートをおんぶして移動に専念していれば、不意討ちされた時以外に魔物と交戦する必要は無い。
それに……リートの存在を、最も間近に感じられていた。
彼女の声、呼吸、鼓動を……直接感じることが出来た。
彼女が生きているのだと……傍にいるのだと、強く感じることが出来ていた。
「こころ、どうした? 先を急ぐぞ?」
一人悶々と考えていると、リートがそんな風に声を掛けてきた。
それに、私は「う、うん……!」と答えながら、足を踏み出した。
……踏み出さないと、彼女が離れて行ってしまうような気がしたから。
少しでも近くにいないと、彼女が遠くに行ってしまうような気がしたから。
「……こころ……?」
すると、前を歩いていたリートが突然立ち止まり、不思議そうな表情でこちらを振り向いた。
彼女が立ち止まったのに合わせて、私も足を止める。
……? 一体どうし……──。
「ッ……! ご、ごめん……!」
私は咄嗟にそう謝りながら、無意識の内に掴んでしまっていたリートの服の裾を離した。
すると、リートは顔を背けながら「別に良いが……」と呟くように言った。
「あの……本当に、無意識で……その、変な意味とかは無くて……」
「別に良いと言っておるでは無いか。ただ、急にどうしたのかと思ったのじゃが……」
「おっ、ここだな!」
リートの言葉を遮るように、フレアの声がした。
見ると、三人は私達よりも少し先に行った所にある通路の突き当たりのような場所におり、奥の壁を覆う蔦に手を当てて何やら話している。
どうやら、林の心臓の守り人がいる場所に辿り着いたらしい。
「あっ、えっと……もう着いたみたいだし、早く行こう? 私は本当に大丈夫だから」
私はそう言いながら、リートに手を差し出した。
すると、彼女は少しだけ考えるような間を置いたが、やがて小さく溜息をついた。
「まぁ、そうじゃな……お主の大丈夫は信用出来んが、今はそれで良い」
彼女はどこか呆れたような口調で言いながら、私の手を取った。
何だか見透かされたような感じがして、私はつい「うッ……」と呻くような声を漏らした。
すると、彼女は私の顔を見上げ、いつものように不敵な笑みを浮かべた。
「じゃが、この戦いが終わったら、たっぷり話を聞かせてもらうぞ?」
「……本当に大丈夫だよ」
咄嗟にそう答えたが、リートは私の言葉には答えず、そのまま私の手を引いて歩き出してしまった。
彼女に引っ張られるような形で歩きながら、私は小さく苦笑を零した。
本当に……リートには敵わないな……。
でも……今回は、本当に大丈夫だ。
確かに、未だに漠然とした不安感は胸中に蔓延っているが、この不安感と胸騒ぎの正体はきっと林の心臓の守り人にあると思うから。
何を考えているのか分からなくて、こんな奇妙なダンジョンを作り出した張本人。
不安感はあるが……私はとにかく、リートを守って戦えば良い。
「おッ……るぁッ!」
丁度私とリートが合流したタイミングで、フレアが声を振り絞りながら壁を覆っていた蔦の内の二本を引きちぎった。
すると、その先にはまた別の空間が広がっていた。
「ふむ……パッと見、こんな場所に林の心臓があるなど、分からんのぅ」
感心した様子で呟くリートの言葉を聴きながら、私は拳を強く握りしめた。
まるで隠されていたかのような、心臓の在処。
先程、下層に障害が少ないことについて出迎えるみたいだと言ったが、その割に心臓は隠したかのような場所にあった。
さらに心臓の守り人への疑念は深まるばかりだが……とにかく、行くしかない。
私はそう心に決め、壁の奥に広がる空間に足を踏み入れ……──
「ひゃぁあ!? も、もう来ちゃったの!? ちょ、ちょちょっと待って! せめて、心の準備を……!」
──たところで待ち構えていたのは、緑色の長髪を三つ編みにした、髪と同色の目を持つ少女だった。
いや……待ち構えていた、という言い方は、些か語弊があるかもしれない。
彼女は自身の武器であろう弓を抱き締めながら、青ざめた表情でこちらを見つめ、逃げるように後ずさった。
……は?