130 違和感と既視感
ガシャンッと無機質な音を立てて、檻が閉まる。
振り向くとそこでは、私達を牢屋に閉じ込めたティノスが、冷たい目でこちらを見ていた。
「フンッ」
一つ息を吐くと、彼はすぐに踵を返し、私達のいる牢屋から離れていった。
遠ざかっていく背中をぼんやりと横目で眺めつつ、私は視線を牢屋の隅で縮こまっているティナに向けた。
「……さて、色々と説明してもらおうか?」
リートはそう聞きながら、ティナの前でしゃがみ込む。
すると、彼女はビクリと肩を震わせて「ニャッ……」と小さく声を漏らしながら、僅かに体を縮こまらせた。
それに、リートは僅かに眉を顰めて続けた。
「とりあえず、お主のその見た目のことじゃ。妾達と会った時は、まだ人間に近い見た目をしておったはずじゃが……何かの魔法か何かか?」
「……獣人族は、元々こういう見た目ニャン。ただ、この見た目だと人族に見つかりやすいからって、人間に化ける能力が身についたニャ。……ウチはまだ子供だから、耳とか尻尾とか出るけど……」
ティナはそう答えると、目を瞑った。
すると、彼女の体を包んでいた体毛が消え、鼻や目も人間と同じものに変わっていく。
あっという間に、彼女は出会った時に見た、猫耳と尻尾を生やした少女の姿に早変わりした。
……なるほど。一種の変装のようなものか。
確かに、獣人族には人族の奴隷として扱われた時代があるのだし、人族に見つからないように環境に合わせてそういった進化をしていてもおかしくない。
原理はよく分からないが、魔法や獣人が当たり前のように存在するこの異世界では今更か。
「でも、今は皆、この力を良くは思って無いニャ。……過去に獣人族を苦しめた人族に化ける力なんて~って、毛嫌いしてるニャン」
ティナはそう言うと、元の半獣人姿に戻る。
それに、フレアは驚いたように目を丸くして軽く口笛を吹き、口を開いた。
「……でも、お前は割と普通に使ってるんだな?」
「この姿のままだと目立つのは事実だし、ウチは歴史にはそんなに興味は無いニャン」
フレアの問いに、ティナはあっけらかんとした口調で答えた。
それに、フレアは小さく笑って、「何だそれ」と答えた。
「だから家族とあんなに仲が悪いの~?」
すると、アランがコテンと首を傾げながらそんな風に聞いた。
いや、容赦なく聞くな……!?
内心ではそんな風に驚きつつも、先程の獣人族長のやり取りから、ティナの家庭事情については少し気になっていた部分もあったので口を噤んだ。
ティナはアランの言葉に驚いた反応を示したが、すぐに目を逸らして「まぁ……そんな感じニャン」と、どこか吐き捨てるような感じで答えた。
「ウチは皆と違って、普通にこの力を使うし……森を出て人族の町に行ったりするから……あまり、良くは思われてないニャン……」
「……うーん……?」
尻すぼみな口調で言うティナに、アランはどこか不満そうな様子で首を傾げた。
二人のやり取りを無言で観察していたリアスは、その様子に一瞬だけアランとティナの顔を交互に見るように視線を動かしたが、すぐにソッと目を逸らして口を開いた。
「まぁ、何はともあれ町には侵入出来たことだし、もう少ししたらこの牢屋を脱出して林の心臓の回収に行きましょうか」
「……そうじゃな。しかし、ティナの補助が入らないのは誤算じゃったが……まぁ、仕方あるまい。少々強引な方法にはなってしまうがな」
リートとリアスのやり取りを聞きつつ、私は静かにティナに視線を向けた。
彼女は申し訳なく思っているのか、暗い表情で俯き、その場で縮こまっていた。
そんな彼女の様子を見た時、またもや妙な違和感がした。
ホント、さっきから何なんだ? この違和感は……。
一体、何がこんなに気になって……──。
『貴様如きの命でそんなこと許されるはずないニャンッ!』
突然、先程の獣人族長がティナにぶつけた言葉が脳裏をよぎった。
次いで、その時のティナの表情が今のティナの顔に重なり……その二つが、記憶の中のとある顔と重なる。
「……あぁ、そうか……」
呟くように、声が漏れる。
そうか……そういうことだったんだ……。
頭の中で、点と点が線で繋がったような感覚がした。
私は手をグッと軽く握りしめ、目の前にいるティナを見つめた。
ずっと込み上げてきていた違和感の正体は既視感。
私は、今の彼女と同じ表情をしていた人物を一人、過去に見たことがある。
家族にすらまともに愛されず、この世界に自分の味方など誰一人いないのだと孤独に苛まれ、これからの人生に絶望した顔。
何度も自分の生まれた理由を問うては導き出される虚無の結論に、徐々に希望を失っていった暗い瞳。
毎日鏡を覗く度に映し出される、その姿。
そう。
ティナは似ているんだ。
……私に。
「ッ……」
それに気付いた瞬間、ドクンッ……と、心臓が強く脈を打つ。
早くなっていく鼓動に重なるように、思考が加速していく。
意識がどんどん、過去へ遡っていく。
異世界に来たばかりの頃……日本にいた頃……高校生の頃……中学生の頃……。
物凄い勢いで遡っていった記憶は、とある場所でピタリと止まった。
それは……小学生の頃。
何年生の頃だったかは、定かでは無い。
母に見限られ、振り向いてもらう為に友達も作らず勉強を必死に頑張っていた頃。
その頃から、担任の教師は私を腫れ物のように扱った。
片親で複雑な家庭環境に加えて、クラス内でも孤立していた私は、教師からすればかなり扱いにくい生徒だっただろう。
成績は良かったし素行も悪くなかったので、教師の大半は必要以上に私と関わろうとしなかった。
しかし、一人だけ……特殊な先生がいた。
その人は二十代くらいの、まだ若い女教師だった。
顔は思い出せないが、明るく優しくて、生徒からは絶大な人気を誇っていた。
だが、彼女も他の教師と同じように私とは距離を置いており、一年間の中でまともに会話したことはほとんど無かった。
他の教師も基本的に似たようなものだったし、私にとっても別に珍しいことでも無かった為、特に気にしていなかった。
私も母の為に勉強を頑張らなければならなかったし、深入りもされたくなかったから。
ただ、一度だけ……彼女が少しだけ、深く踏み込んできたことがあった。
確か……その年の、修了式の日のことだった気がする。
式を終えて帰り支度をしていた私に、先生は声を掛けた。
『ねぇ、猪瀬さん?』……と。
その時、私以外の生徒はすでに、さっさと荷物を纏めて教室から出て行っていた。
今まで連絡事項などの必要以上の会話をしたことは無かったのに、二人きりの教室で突然声を掛けられ、私は驚いて固まった。
帰り支度が遅いと怒られるのかと、少し怖かった。
咄嗟に反応出来ずにいた私に、彼女は私の顔をジッと見つめて、ゆっくりと口を開いた。
『猪瀬さんは……──』
「ッ……」
その言葉を思い出した瞬間、私は僅かに息を呑んだ。
……どうして、ずっと忘れていたんだろう……?
いや、あの時以外に会話したことなどほとんど無かったし……あの時先生に言われた言葉の意味が当時の私にはよく分からなくて、すぐに記憶から消してしまったのだろう。
しかし、今思えば、彼女は私の気持ちに踏み込もうとしてくれたのだと思う。
もう、名前も顔もほとんど思い出せないけど……そんな教師、あの人以外にはいなかった。
そんな先生が、私の担任を務めた年の最後の日に、二人きりの教室で投げかけた言葉。
……メンシュの町の裏路地で、私がティナに投げかけようとした言葉。
あの日、私は先生の言葉の意味が分からず、答えをはぐらかした。
結局意味が分からないまま、年月は過ぎて……今の今まで忘れていた。
しかし、私に似ているティナを見て、思い出した。
「ねぇ、ティナちゃん……」
気付けばカラカラに乾いていた喉から、そんな声を振り絞る。
私の言葉に、彼女はハッと顔を上げた。
目が合うと、私は一度唾を飲み込み、乾いた喉をなんとか潤す。
今なら分かる。
どうしてあの時、先生が私にあんな言葉を投げかけたのか。
確か、彼女は私の担任を務めた年を最後に、別の学校へと転任したのだ。
虐待を受けている様子では無いが、家庭に何らかの問題を抱えている様子の生徒が一人。
確証が無い以上、教師として生徒の事情に深く踏み込めない中、別の学校への転任を前にしたあの日。
彼女は意を決し、私の心に踏み込もうとしたのだ。
……自分と、似たような境遇かもしれないから……。
「ティナちゃんは……──自分の家、好き……?」
私がそう聞いた瞬間、目の前にいるティナの表情が強張った。
……何年も前の、私のように。