122 非常事態と胸騒ぎ
「うぇぇ……ぎもぢわるいぃ……」
完全にグロッキー状態になったリートは、そう言いながら私の膝を枕にする形で寝転がり、気分悪そうにしている。
それに、私は彼女の頭を撫でつつ苦笑した。
翌日、私達はバイネの町を発ってクラネド国を越え、その隣国にありフォークマン大陸最東端にあるヒストリカという国に辿り着いた。
ヒストリカ国内でさらに最東端にある港町のヒストリカ港から出ている船に乗ってさらに東へと渡り、ライジック大陸のトソーシンという国の港に辿り着いた。
しかし、船旅の際にリートが船酔いにより体調を崩し、船を下りた今でも尚気分が優れない様子だった。
まぁ、船に乗っていた体感時間的にも、以前のフォークマン大陸からタースウォー大陸間の移動よりも距離は長く感じたしな……。
「ホント、リートちゃんは船に弱いよねぇ」
すると、そんなリートの顔を覗き込んでアランが言った。
それに、リートは真っ青になった顔を僅かに上げて「うるさいぞ……」と低い声で言った。
「無理な物は、仕方がないで、あろうが……大体、あんな物、人間が乗る物ではない……」
「そうかな~? 結構楽しいと思うけど」
苦しそうに呻くリートに対し、アランはあっけらかんとした様子で言った。
しかし、こうして見ると、リートの心臓から生まれたと言っても皆が皆船酔いするというわけでは無いんだな。
……いや、仮に皆が船に弱かったら、それはそれで私が苦労するんだけどさ……。
とは言え、逆に皆が船に強いというわけでもない。
フレアが強いことは前に船に乗った時に知ってたけど、アランはアランで結構強い。
リアスが弱かったのは少し意外だった。と言っても、リート程では無く、船に乗っている間少し気分が悪そうだった程度だけど。
ちなみに彼女はとっくの昔に船酔いから回復し、フレアと一緒に、船に預けていたスタルト車の回収に向かっている。
なぜか、特に体調を崩した訳でも無さそうなアランはここに残っていた。
ギリスール王国での野宿の時も思ったが、気のせいじゃなければ、アランはやけにフレアとリアスを二人きりにさせたがっている傾向がある気がする。
私としては、あの二人はすぐに喧嘩するから、極力二人きりにしないで欲しいのだが……まさか、それが狙いだったりするのか……?
アランの性格を考えると、あの二人が喧嘩することを望んでいる節があっても不思議は無い。
そう考えてみると、途端に色々と心配になってくる。
本当に大丈夫か? あの二人……。
「──……あぁ、もう分かったから、少し黙っておれ。お主の声は頭に響くわ」
私がフレアとリアスの心配をしている間も、アランとリートは何やら話していたようで、リートが頭に手を当てながらアランにそう言ってシッシッと軽く手を振った。
すると、アランはあまりに雑な対応に不満に思ったのか、ムゥッと頬を膨らませた。
その時、遠くから私達の使っているスタルト車が近付いてくるのが見えた。
相変わらず操縦しているのはリアスで、操縦させて貰えなかったからか、隣に座っているフレアが何やら文句を言っているのがこの距離からでも分かった。
……やっぱり喧嘩してる……。
「お待たせ……でも無いかしら?」
私達の傍でスタルト車を停止させたリアスは、そう言いながら相変わらずグロッキー状態のリートを見て、呆れたようにそう呟いた。
それに、フレアは運転席から飛び降り、私達の目の前まで駆け寄ってきた。
「ホント船に弱いよな~。いい加減慣れろって。もう三回目だぞ?」
「何回乗っても慣れるものでは無いわ。だいた……うッ」
呆れたように言うフレアにリートはそう答え、すぐに口に手を当てた。
それに、私は船で何枚から貰っておいたエチケット袋を一枚取り出し、すぐに開いてリートの口元に持っていく。
すると、リートは片手で袋の縁を持ち、そこに……──まぁ、これ以上は止めておこう。
「そういえば、さっきフレアと少し話していたんだけど……リートもこんな調子だし、もうじき陽も沈みそうでしょう? だから、今日はもう宿屋に泊まらない?」
えずくリートの背中を撫でていると、運転席からこちらを見下ろしたリアスがそう言った。
言われてみると、確かに太陽は大分西へと傾いており、空も茜色に染まっていた。
今すぐこの港町を出れば隣の町くらいまでは行けるかもしれないが、リートの現状を見ると、それも中々厳しそうだ。
これなら、今日はリートに休息を取らせて、明日改めて出発した方が良いだろう。
そんな風に考えていると、フレアがガリガリと頭を掻きながら続けた。
「まーリートを休ませるってのも勿論だけどよ。なんっつーか、まぁ……ちょっと非常事態なんだよな」
「……非常事態……?」
「何が起きたの~?」
聞き返す私に続けるように、アランがそう尋ねながら首を傾げた。
リートも先程の嘔吐でようやく落ち着いたようで、まだ少し青い顔を上げた。
「何じゃ……? 何が起きた?」
「焦んなって。こんなところで話せる内容でもねぇだろ」
立て続けに聞く私達を宥めるように言いながら、フレアは辺りを見渡した。
それに、リアスも軽く辺りを見渡しながら「そうね」と呟いた。
すると、リートが僅かに眉をピクリと動かした。
「その言い方……もしや、その非常事態とは……心臓関連のことか……?」
最後の方を小声で尋ねるリートに、フレアは驚いたように目を丸くした。
彼女はすぐに小さく笑みを浮かべ、「勘が良いな」と答えた。
すると、リートは僅かに眉を顰めた。
「何じゃ……? リアスやアランの時のように、保護されているとかの話か……?」
「だから、ここでするような話じゃないでしょう? 後で話すから……とりあえず、私達はスタルト車を預けられる場所でも探してくるわ。戻ってくるまで、リートはもう少しここで休んでいた方が良いんじゃない?」
リアスの言葉に、リートはムッとした表情を浮かべた。
しかし、体調が悪いのは事実である為か、それ以上は何も言わない。
彼女の様子に、フレアは「だな」と続けた。
「じゃあ、三人はこのままここで休んで……」
「おぉ、行くならアランも連れて行け。こやつはうるさくて敵わん」
「なんでぇッ!?」
大声で聞き返すアランに、リートは「そういう所だぞ」と吐き捨てるように言った。
まぁ、うん。私もリートの案には賛成だ。
アランの高めの声にリートがあまり気分良く無さそうなのは事実だし、フレアとリアスを極力二人きりにしたくない。
それに……アランが二人に同行すれば、リートと二人きりになれる……なんて思ったのは、秘密だ。
「リートは私が見ておくから、三人でスタルト車を預けに行ってきなよ。……あっ、ついでにこれ捨ててきてくれると有難いけど……」
私がそう言いつつ、使用済みのエチケット袋を差し出した。
すると、フレアがすぐにギョッとしたような表情を浮かべたが、すぐに「わぁったよ」と言いながら袋を受け取った。
それを見て、アランがムゥッと頬を膨らませた。
「こころちゃんがそう言うなら分かったけど……大体、心臓関連の非常事態って何があったの~?」
「おまッ……声でけぇよ!」
「貴方もね」
静かな声で窘めるリアスに、フレアは咄嗟に口を噤んだ。
まぁ、確かに……ちょっと話はそれてしまったけど、それも結構気になる。
そんな私の様子に気付いたのか、リアスは一呼吸置いて続けた。
「まぁ、でも……そうね。形としては、さっきリートが言ってた、保護されてるって言い方が正しいかも。私の時がどんな感じだったのかは知らないけど、アランの時よりは厄介かもしれないわ」
「いや、多分お前の時よりもめんどくせぇぞ」
「えぇ~! 気になる!」
「とりあえず、詳しくは後で聞くから、今はスタルト車を預けに行って来い」
三人の話し声が響くのか、頭を押さえながら言うリートに、アランは「はぁい」と答えた。
それに、フレアはアランを促し、三人でスタルト車を預けに行った。
その様子を見送っていた時、リートがムクッと体を起こしたのが分かった。
「リート。もう起きても大丈夫なの?」
「あぁ、大分落ち着いた。それより、あやつらの言う非常事態とやらが気になるしのぅ」
まだ少し疲れたような表情で言うリートに、私は「確かに」と答える。
あの二人が口を揃えて非常事態って言うなんて、かなりマズい状況なのではないか?
しかも、心臓が丸々保護されていたリアスやアランよりも厄介なんて……。
「……まぁ、何があったとしても、何とかするまでじゃ。……例え、力尽くでも、な」
すると、リートがそんな風に呟いたのが聴こえた。
彼女の言葉に、私は少し驚いたが、すぐに「そうだね」と頷いた。
まぁ、何があったとしても力量的にはこちらが上な訳だし、今までもなんとかなってきた。
今回も、皆で何とかするまでだ。
ただ……さっきから、どこか胸騒ぎがするのは何故だろう?
フレア達の言う、心臓関連の非常事態に不安感でも覚えているのか?
いや……それとはまた、別のことな気がする。
何だろう。上手く言えないけど……何だか、嫌な予感がする。
「……どうした? 何か悩み事か?」
すると、リートが不思議そうな表情でそう聞いてきた。
彼女の言葉に私は僅かに驚いたが、すぐに首を横に振って「何でも無いよ」と答えた。
それに、彼女はムッとした表情で「本当か?」と聞き返す。
「お主の何でも無いと大丈夫は信用できん。この前の風邪を引いた時が良い例じゃ」
「今回は本当に何でも無いよ! ただ、少し不安になっただけ……」
「不安、って……フレアが言ってた心臓のことか?」
首を傾げながら言うリートに、私は「多分……」と答える。
すると、リートは呆れたような表情で「多分とは何じゃ」と言った。
……ごもっとも。
「本当に分からないんだよ。上手く言えないけど……なんか、胸騒ぎがするというか……胸の奥がザワザワするような感覚がして……」
「ふむ……お主に分からんのでは、妾にもどうしようもないではないか」
「だから言わなかったんだよ」
「言っても解決しないのと、言わずにお主一人で抱え込むのは違うであろう?」
リートの言葉に、私は上手く答えられずに口を噤んでしまう。
すると、彼女は不満そうな表情を浮かべながら続けた。
「そもそも、本当に妾に解決出来んかどうかをお主の基準で勝手に決めるでない。解決出来んくても、話せば楽になることもあるであろう?」
「で、でも……」
「でも、では無い。これは命令じゃ。これからは何かあったらとにかく話せ」
ビシッと私の胸の辺りを指さしながら言うリートに、私はグッと口を噤む。
ここでまた何か反論しても、どうせ奴隷に拒否権は無い、とか言われて終わるんだろうな。
本当に彼女には敵わないな……と、私は息を吐くように笑った。
「あははッ……うん。分かったよ、リート」
「……ふはッ、それで良い」
白い歯を見せるようにしてニカッと笑うリートに、私も釣られて笑い返す。
私の悩みが根本的に解決したわけでは無い。
胸騒ぎの正体も、非常事態とやらの内容やその解決策も、何も分からないけど……今なら、本当に何とか出来るような気がする。
そこまで考えて、先程までの胸騒ぎが大分薄れていることに気付いた。
彼女がここまで見越した上で言ったのかは分からない。
けど、確かに気持ちは軽くなったな、と、私は心の中で呟いた。




