121 歌と休息
宿屋を後にした私達はスタルト車で東へと渡り、一日でギリスール王国を出て、その隣国であるクラネド国のバイネという町に到着した。
やはりスタルト車を使うと移動速度は各段に上がっており、これなら翌日中には海を渡ってライジック大陸に到着出来るであろうという話だった。
それにしても、今日は色々と大変だったな……。
浴室で魔道具を用いたシャワーを浴びながら、私はそんな風に考えた。
何と言うか、今日はいつにも増して皆のスキンシップが多かったように感じる。
ギリスール王国を出る際のゴタゴタに始まり、移動中も色々と大変だった。
スタルト車を使っているとはいえ、長距離の移動はそれなりに疲労を感じる部分がある。
特に、スタルトの操縦をしているリートは元々の体力の無さに加えて操縦による精神的疲労もあり、頻繫に休憩を取らなければならなかった。
そこで移動中に何度か休憩をしていたのだが、その度に皆がやたらと絡んできて、正直休憩が休憩では無かった。
病み上がりだから心配してくれているのかもしれないけど、風邪自体は完治しているからそこまで心配しなくても大丈夫なのに……病弱とでも思われているのだろうか。
「ふぅ……」
小さく息をついた私はシャワーを止め、濡れた前髪を掻き上げた。
まぁ、熱が酷くて一日は寝込んでいたのは事実だし、それで心配を掛けたのも否めない。
大袈裟、と言いたいところではあるけど、多少は仕方のない部分はあるだろう。
……それで私が疲れてるのは、むしろ逆効果とは思うけど……。
「────────」
そんな風に考えつつ浴室を出て脱衣所に入った時、微かにリートの鼻歌のようなものが聴こえてきた。
……そういえば、初めてリートに出会った時も、彼女は歌を歌っていたっけ。
あの時はほぼ死にかけの状態だったし、そんなことを意識する余裕も無かったけど、確か……綺麗な声だとは、思った。
今は扉越しだし鼻歌だから、くぐもったような声が僅かに聴こえる程度だけど……あの時は、静かなダンジョンの通路に響き渡るような澄んだ声で、死にかけていたあの状況でも綺麗な声だと思う程だった。
しかし、こうして見ると、鼻歌とは言えリートの歌声を聴くのはえらく久しいな。
珍しく鼻歌を歌うなんて、何か良いことでもあったのか? なんて考えつつ、私はタオルで頭を拭きながら脱衣所を出た。
すると、リートの鼻歌が止んだ。
「ん? おぉ、こころ。風呂は上がったのか?」
ベッドに腰かけて何やら本を読んでいたリートは、本から顔を上げそう聞いて来る。
それに、私は頷いて見せた。
すると、彼女は顔に掛かっていた髪を耳に掛けながら、「そうか」と小さく微笑を浮かべた。
「それなら、さっさと髪を乾かしておくのじゃぞ? 湯冷めして、また風邪を引いてしまうからのぅ」
「あはは……うん、気を付けるよ」
どこか皮肉っぽく言うリートに笑いつつ、私は化粧台の前に座り、部屋に備え付けられたドライヤーのような魔道具で髪を乾かす。
熱風を湿った髪に吹きつけつつ、私は鏡越しにリートを見た。
彼女はすでに私の方は見ずに、手に持った本を読んでいた。
鏡越しである上に遠目にだから本の内容はよく見えないが、何やら複雑な幾何学模様のような図形や、小さい文字で長ったらしい文章が書かれている。
リートはそれを、どこか真剣な眼差しで見つめていた。
……リートがあの本を読んでいるのを見るのは、これが初めてというわけでは無い。
私の看病をしていた時も、移動中も……少しでも隙があれば、彼女は今みたいに、あの本を読んでいる。
あの本は、リートがフレア達に頼んで買ってきて貰った物のようで、相当難しい魔法が書かれているらしい。
しかし、それ以上のことは分からないし……何より、これはあくまで、リアスやアランとの会話を横で聞いていたから分かったことだ。
最初に私が何の本を買ったか聞いた時、リートは答えをはぐらかしていた。
それからも何度か本について聞いたのだが、彼女は頑なに私にだけは教えてくれなかった。
……リートが触れて欲しくないのであれば、無闇に踏み込むつもりはない。
彼女の過去のこともそうだが、こういうことは彼女から話してくれるのを待つのが一番だ。
だから、気にしないようにはしたいんだけど……気になるよなぁ……。
こうして視界に入れているとどうしても気にしてしまうと思い、私は極力視界に入れないようにしつつ、さっさと髪を乾かす。
ある程度髪が乾いたのを確認した私は、魔道具を切って化粧台に置き、櫛で髪を整える。
すると、鏡越しにリートが本を道具袋の中に仕舞ったのが見えた。
「こころ、髪乾かし終わったか?」
「ん? うん。終わったよ」
「それなら……ほれ、そこに座れ」
リートはそう言うと、自分が座っているベッドの横にあるもう一つのベッドを指さした。
突然の命令に少し驚いたが、ひとまず私は言われた通りにベッドに腰を下ろす。
すると、ほぼ同タイミングでリートが立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。
「リート? どうし……」
どうしたの? と聞こうとした私の言葉を遮るように、突然彼女は向かい合う形で私の膝に乗ってきた。
唐突なことに、私は驚いてしまう。
すると、リートは私の体を強く抱きしめ、甘えるように首筋に顔を埋めた。
それに、私は一気に顔が熱くなり、心臓がバクバクと激しく高鳴るのを感じる。
こんな密着した状態では、すぐに気付かれてしまう。
頭でそう分かっていても抑えられるものではなく、だからと言ってリートの体を押し返すような真似は何だか憚られ、結果として激しく高鳴る鼓動が彼女に気付かれないように祈ることしか出来なかった。
「り、リートっ……き、急に、何をっ……?」
「今日は疲れた。から……充電じゃ」
言いながら、リートは私の肩に顎を乗せた。
眠たげな声で紡がれたその言葉に、私は小さく溜息をついた。
相変わらずマイペースというか、自由というか……。
そう考えてみると、突然の密着も彼女の自由さの一種のように思えて、少し落ち着いてきた。
気持ちに余裕が出来た私は、彼女の華奢な体に手を回した。
「やっぱり体力無いじゃん。そんなことで明日からの移動大丈夫なの? 明日は船に乗るんでしょ?」
「それは……回復薬でも買って、何とかする」
不貞腐れたような口調で言うリートに、私は「ダメじゃん」と笑った。
すると、彼女は「うるさいのぅ」と不機嫌そうな口調で言った。
「昔から体はそんなに強くないのじゃ。今更体力をつけろと言われても出来んぞ」
「そういう話じゃなくて……一応リアスは普通に操縦出来そうなんだから、交代で操縦すれば良いのに」
「それはそれで面倒ではないか。車から出たり入ったりせねばならんし」
「いや、今リートと私がしてるみたいに、二人で運転席に乗ってれば良いじゃん」
「それは絶対嫌じゃ」
リートはそう言いながら、私の横腹辺りをグッと強く摘まんできた。
それに、私は「分かったから」と言って笑いつつ、彼女の手を離させる。
横腹にジンジンと鈍い痛みが走るのを感じたが、彼女の言葉自体は嬉しくて、私はつい抱きしめる力を少し強くした。
彼女の体力を考慮しての提案だったが、正直に言うと、私はリートが操縦してくれている今の状況が好きだったりする。
だって、彼女が操縦している間は、運転席で二人きりになれるから。
「……そんなことしたら、お主との時間が減ってしまうではないか」
すると、リートはそんな風に呟きながら、私の肩に顎を乗せた。
耳元で囁かれるように言われたその言葉に、私はカァッと自分の顔が熱くなるのが分かった。
……リートが私と同じことを考えてた……?
いや、そんな都合の良いことあるわけ……でも、今の言葉はそうとしか……。
思いもよらぬ言葉に動揺していると、リートは私の体を抱きしめる力を強くして続けた。
「まぁ、急ぐ旅でも無いし……妾はお主と違って体調を崩すことは無いから、あまり気にせんで良いぞ」
「……リート、眠いの?」
どこか重たい声で言うリートに、私はそう聞き返す。
すると、彼女は呻くような言葉にならない声を発し、大きく欠伸をした。
「ふわぁ……今日は本当に疲れた。もう寝る」
欠伸交じりにそう言うと、彼女はそのまましなだれかかるように私の体に再度抱き着いてくる。
私は驚きつつも、それを咄嗟に受け止める。
すると、耳元でスヤスヤと彼女が寝息を立てたのが聴こえた。
「えっ、ちょッ……リート……?」
「んんぅ……」
驚く私を他所に、リートは呻くように声を漏らし、寝るのにちょうどいい場所を探すようにモゾモゾと藻掻く。
背中に回された腕は私の服をキュッと掴み、そのまま眠ってしまう。
そんな彼女の様子に、私は小さく息を吐くように笑った。
急に抱き着いてきたり、眠ったり……本当にマイペースというか、我が道を行くというか……。
彼女の行動は突飛なことも多くて、ビックリすることも多いけど……やっぱり、一緒にいると楽しくて……愛おしい。
「全く……」
小さく呟きながら、私は彼女の背中をポンポンと優しく撫でた。
まぁ、今日は本当に疲れたみたいだったし、ゆっくり休ませてやろう。
そんな風に考えた私は、リートの体を抱きしめたままベッドに横になった。
リートに体を離させ、隣のベッドで眠──「ッ……ッと……?」──ろうとしたのだが、彼女が私の服を掴んだままで叶わない。
えぇ……そんなことある……?
この宿屋のベッドはシングルだからそんなに大きく無いし、オマケに古いのか、少し動くだけでギシギシと軋む。
流石にこのベッドで二人で眠るのは厳しいだろうに……なんて考えていた時、リートの寝息が浅くなっていることに気付いた。
いや……この呼吸音は……──
「──……起きてる……よね?」
「……」
私の言葉にリートは答えず、私の服を掴む力を強くする。
それに、私は彼女の腕を掴んで続けた。
「いや、流石に分かるから。……離そう?」
「ッ~~~! これくらい良いではないかッ!」
誤魔化せないと判断したのか、リートは不満そうにそう言いながら顔を上げた。
その際に勢いよく顔を上げてきたものだから、顎に強烈な頭突きを喰らってしまう。
歯がガチンッ! と強く噛み合うと同時に視界に閃光が走り、顎を中心に顔の下半分に鈍い痛みが走る。
私は顎を押さえて痛みを堪えつつ、何とか口を開いた。
「私は別に構わないけどッ……ベッドが古いんだよ。二人で寝たら壊れる」
「何じゃ? 何か激しいことでもするつもりか?」
どこか不敵な笑みを浮かべながら言うリートに、私は一瞬妙な妄想を膨らませてしまった。
すぐに頭の中でそれを振り払い、「違うから!」と答える。
しかし、リートはそれにどこ吹く風と言った様子で、私の体を強く抱きしめて続けた。
「別に良いであろう? 寝るだけならちょっとやそっとじゃ壊れぬ」
「だからって……」
「それに……こうしてると安心するのじゃ。黙って抱かれておれ」
リートはそう言うと、さらに強く私の体を抱きしめた。
そう言われると逆らう気になれず、私は言われるがままになることしか出来なかった。




