112 負担となったもの
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「……これは、完全に風邪ね」
氷魔法で冷やしたタオルをこころの額に乗せながら、リアスはそう呟いた。
それに、こころは答えない。
顔は熱のせいか真っ赤に染まり、体中を汗でぐっしょりと濡らしている。
たまに少しだけ咳をすることはあるが、それ以外はずっと寝込んでいた。
こころが倒れた後、リート達はすぐに彼女をスタルト車に乗せ、直近にあった町へと向かった。
町に着くとすぐに手近な車庫にスタルト車を預け、その近くにあった宿屋にチェックインをして部屋にこころを運び、今に至るというわけだ。
部屋で寝かせるまではずっとうわ言のように「大丈夫」「大丈夫だから」とぼやいていたが、半ば強引に寝かせた今は落ち着いている様子だった。
フレアとアランは、別の部屋で待たせている。
二人共……特にフレアは、こころを心配するあまりに動揺してかなりうるさく、同じ部屋にいるとこころの体に響くと判断したからだ。
「それにしても、まさかこころが風邪を引くなんてね」
「ステータスが上がってるとは言っても、一応こやつは人間じゃからなぁ」
「……私達と違って?」
小さく笑みを浮かべながら言うリアスに、リートは僅かに顔を曇らせた。
それを見たリアスはすぐにこころに視線を戻し、続けた。
「まぁ、疲れが出たんじゃない? ステータスがあるからって、誰かさんがこき使うから」
どこか冗談めかしたような口調で言いながら、リアスはリートの頬をつついた。
すると、リートは不愉快そうにその手を叩き落とし、ジロリとリアスを睨んだ。
「喧嘩を売っておるのか?」
「……まぁ、必ずしも身体的な疲労とは限らないけどね。ここ数日ずっとあの友子ちゃんと過ごしていたなら、少なからず精神的負担はあったでしょうし」
明らかに苛立った様子のリートに、リアスはそう答えながらフイッと顔を背けた。
それに、リートは小さく舌打ちをすると、すぐにこころに視線を戻した。
「……まぁ、原因は何でも良い。とにかく、今はこころの回復を優先せねばな」
リートはそう言いながら、熱にうなされているこころの頭を少し撫でた。
それを見たリアスは小さく息をつき、目を逸らした。
「そうね。……回復薬も効かないから、自然治癒しか無いし」
「病気は一種の状態異常のようなものじゃからな。状態異常を治す薬は持っておらんし、ああいうのは結構高いであろう?」
「まぁ、そうだけど……光魔法があれば、話は別よね」
「……先に光の心臓を取りに行けば良かった、と言いたいのか?」
「……現状を鑑みると、そう思わなくも無いわね」
リアスの言葉に、リートはどこか不貞腐れたような表情で目を伏せた。
それにリアスは小さく息をつき、こころの顔を見ながら続けた。
「まぁ、今まで光魔法の必要性を感じなかったのは事実だし、仕方がない部分もあるからね。責めるつもりは無いわ」
「……十分責めておるではないか」
「被害妄想よ」
不満そうに言うリートに、リアスは小さく笑って言いながらヒラヒラと手を振って言う。
それに、リートは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、こころに視線を戻す。
リアスはそれを見て僅かに笑みを消し、リートに背中を向け、部屋の扉の方に歩を進めた。
「どこに行くのじゃ?」
「やることも無さそうだし、フレアとアランの様子でも見てくるわ」
「おぉ。それならついでに、三人で必要な物資を買ってきてくれんか。こころを迎えに行く中で、色々と消耗してしまったからのう」
リートはそう言いながら立ち上がり、小走りでリアスの元まで駆け寄り、何かを書いた紙と金が入った小さな袋を差し出した。
咄嗟にそれを受け取ったリアスは目を丸くしたが、すぐに小さく笑みを浮かべて口を開いた。
「私に預けるなんて……良いの? 持ち逃げしちゃうかもしれないわよ?」
「今更金を盗むなど、こころに嫌われるような真似をお主が敢えてするとは思わん。それに、金を預けるなど、三人の中ではお主にしか頼めんわ。あの二人に預けたらどう使われるか分からぬからのう」
何でも無いことのように言うリートに、リアスは無言で金が入った袋を懐にしまった。
普段人の心を見透かしたような態度を取る彼女だからこそ、リートに自分の心を見透かされたのが、何だか少し悔しかった。
実際、金を持ち逃げするつもりなど無かった。
リートの言った通り、今更こころの元を離れるつもりも無ければ、彼女からの信頼を失うような真似をするつもりも無かったから。
ただ、あまりにも普通に渡してくるものだから、少し警戒心が無いのではないかと注意しようと思っただけだった。
──警戒心が無いんじゃなくて、ただ圧倒的根拠を持った上で私を信頼しただけの話、ね。
内心でそう呟いたリアスは、自嘲するように小さく笑った。
「下らんことを言ってる暇があるならさっさと行け。妾はこころを見ておかんといけんからのぅ」
リートはそう言うと踵を返し、こころの眠るベッドの方に歩いていく。
素っ気ない態度のリートに、リアスは眉を顰めたが、すぐに小さく息をついた。
彼女は手の中にある購入物資のメモを確認し、一番下に書いてある物を見て目を丸くした。
「ねぇ、一番下のこれって必要なの?」
リアスの言葉に、リートは立ち止まり、パッと振り向いて彼女が指さしているメモの一部を見つめた。
指さされている一番下に書いてあるモノを見たリートは、すぐに頷いた。
「まぁ、今すぐというわけでは無いが……いずれ、必要になる」
「……じゃあ、それを今買っておく必要は?」
「落ち着いて町に滞在できる機会など中々無いし、色々と準備が必要な可能性もあるからのう。どうせ暇じゃろうし、ついでによろしく頼む」
リートはそう言うとリアスに背を向け、こころの元に歩いて行く。
それにリアスは僅かに不服そうな表情を浮かべたが、すぐに溜息をついてメモの紙を畳み、豊満な胸の谷間に挟んだ。
「分かったわよ。それじゃあ、こころのことは任せたわ」
リアスはそう言い残すと、部屋から立ち去った。
扉がパタンと閉まる音を聴きながら、リートは静かにこころを見つめた。
散々同じ部屋の中で会話していたにも関わらず、彼女は全く目覚める気配を見せず、相変わらず小さく咳をしながら眠っていた。
『まぁ、疲れが出たんじゃない? ステータスがあるからって、誰かさんがこき使うから』
すると、先程リアスが冗談めかした口調で言った言葉が脳裏を過ぎる。
それに、リートは静かに目を細めた。
こころが体調を崩したのは、自分がこき使ってきたせいか。それとも……──
『まぁ、必ずしも身体的な疲労とは限らないけどね。ここ数日ずっとあの友子ちゃんと過ごしていたなら、少なからず精神的負担はあったでしょうし』
「──……精神的負担……か……」
こころの顔を見つめたまま、リートは小さく呟いた。
身体的にしろ、精神的にしろ……こころに何かしらの負担があったことには変わりない。
普段から、自分の意見をあまり言わないこころのことだ。
その負担を我慢して、一人で抱え込んで……高いステータスを以てしても持ち堪えきれずに瓦解し、こうしてガタが来た。
リアスの言う通り、友子に付きっきりだったことで精神的負担があったのか、自分がこき使い過ぎたせいで身体的負担があったのか……それとももっと、別の理由か。
しかし、友子がこころの負担になっていたとは思えなかった。
彼女が危険因子であることには変わり無いが、リアス曰く、その危険性はあくまでこころに向けられた異様な執着心によるもの。
それは、ギリスール王国の城にこころを迎えに行った際に、リート自身も何となく感じていた。
こころに危害を及ぼす可能性は限りなく低い上に、鈍感なこころが友子という人間の抱えた異常性に気付けるとも思えない。
城から連れ出した直後に、友子は優しい人だと言っていたのが何よりの証拠だ。
だが、こころが抱えていた負担が友子ではないとすれば、他に考えられるのは……──。
『その女と一緒にいると、貴方はいつか……不幸になりますよ』
そこで、ノワールがこころに対して放った言葉が脳裏を過ぎる。
リートはそこで小さく唇を噛みしめ、拳を強く握り締める。
一度思い出すと、まるで堰を切ったかのように、ノワールと三百年ぶりに接触した時の記憶を蘇る。
そして……初めてノワールに出会った、三百年前のことも……。
「……妾がこころを不幸にする、か……」
リートはそう呟くと、目の前で眠るこころの顔を見つめた。
あの時はノワールが言った戯言だと判断し、奴の言うことなど気にするなと、こころに言った。
しかし、こうして自分のせいでこころが苦しんでいるかもしれない状況を目の当たりにすると……ノワールの言葉に、嫌な信憑性が増す。
『リートッ! 逃げろッ!』
その時、脳内に一つの声が響き渡った。
声を皮切りにするように、“あの時”の記憶が次々に蘇る。
「……はぁッ……はぁッ……」
呼吸が荒くなる。
リートは自分の首に手を当て、何度も荒い呼吸を繰り返した。
嫌な汗が噴き出し、瞳孔が開く。
──“あの時”のように、妾はまた、自分の大切な人を不幸にするのか……?
──……こころを、“あの時”のように……?
「……?」
その時、こころの寝息が止んだのが分かった。
──……目を覚ました……?
こころの起床に、リートはハッと顔を上げた。
そこでは薄く瞼を開き、ぼんやりと虚空を見つめるこころの姿があった。
「こころ……目を、覚ましたのか……?」
リートはそう聞きながら椅子から立ち上がり、こころの顔を覗き込む。
すると、こころはパチパチと何度か瞬きをすると、焦点が合ってないような虚ろな視線をリートに向けた。
まだ頬は紅潮したままで、呼吸も少し荒く、体中汗で濡れている。
しばらくリートを見つめたこころは、小さく一つ息をつき、ゆっくりと口を開いた。
「……かあ……さん……?」