010 必要とされたくて
薄闇にも大分目が慣れてきていたおかげで、カマキリの攻撃を躱すだけなら問題なかった。
と言っても完全に躱し切れるわけではないので、何度か剣でギリギリ鎌をいなしつつ、私はカマキリの懐に潜り込む。
懐にさえ潜り込んでしまえば、こちらのものだ。
「ロックソードッ!」
叫び、岩を纏った剣をぶつけるように振るった。
しかし、やはり剣はカマキリの固い肌に防がれ、ダメージを与えることは出来ない。
クソッ……! やっぱりこちらから攻撃を与えることは出来ないか……!
ロックソードはレベルが30を超えた時に覚えたスキルで、私の持つスキルの中では一番攻撃力が高い。
これが通用しないということは、私には打つ手が無いということになる。
でも、これで終わるわけにはいかない。
私はすぐにバックステップでカマキリから距離を取り、剣を構える。
正攻法でダメなら、やり方を変える。
剣の切っ先をカマキリに向け、私は叫んだ。
「クランプボールッ!」
叫んだ瞬間、剣の刃先に何かボールが出来て、カマキリに向かって飛んで行く。
それが何かの攻撃だと判断したカマキリは、すぐにその鎌でボールを切り裂く。
次の瞬間、ボールは空中で崩壊し、まるで投網のように、植物の蔦で出来た網となってカマキリに絡みつく。
クランプボールは一種の拘束具のようなもので、植物の蔦が相手に纏わりついてその動きを止めるというものだ。
あのカマキリ相手に動きを止めていられる時間など僅かなものだろうが、何も無いよりはマシだ。
私は動けないでいるカマキリに向かって駆け出しながら、剣を構える。
「ロックソードッ!」
叫ぶと、剣に岩が纏わりつく。
私はすぐに地面を蹴って飛び上がり、岩の剣を振り上げる。
「はぁぁぁぁッ!」
叫び、私はその剣をカマキリの巨大な眼球に向かって振り下ろした。
体の表面は固い皮膚で覆われているかもしれないが、眼球は別だろう。
せめて視力だけでも潰すことが出来れば、奴から逃げることが出来る。
そんな考えから、私は眼球に剣を振るった。
剣を振り下ろすと、カマキリの眼球は面白いようにあっさりと切れた。
眼球を切り裂くと緑色の汚い液体を撒き散らし、カマキリは断末魔のような奇怪な声を上げる。
まずは片目……! この調子なら、両目とも行ける!
そう思った矢先、カマキリの鎌がこちらに向かって振るわれる。
「しまッ……!」
避けなければと思うのだが、巨大なカマキリの眼球を攻撃するために空中に飛び上がっていたせいで、ここでは身動きが出来ない。
そんなことを考えている間にも、カマキリの鋭い鎌がこちらに向かってくる。
「ソードシールドッ!」
咄嗟に叫びながら身を捩り、剣を鎌に向かって剣を構える。
数瞬後、カマキリの鎌が剣にぶつかり、甲高い金属音を立てた。
しかし、足場がない私が踏ん張ることなど出来ずに、鎌の勢いのままに地面に叩きつけられた。
「ガハァッ……!」
体に強く身を打ち、口から息が漏れる。
遠くから、カランカランと剣が転がる乾いた音がする。
しかし、私はそれに反応することも出来ず、しばらく地面に叩きつけられた勢いのまま転がっていく。
やがて地面に突っ伏した体勢で停止した私は、「クソッ……」と小さく声を漏らした。
地面に落下した際に打ったのか、左肩の辺りに激しい痛みが走る。
ステータスを確認すると、その攻撃だけで、HPが三分の一も減っている。
……ソードシールドで威力を減らした上での三分の一とか……これ、まともに攻撃を受けたらどうなるんだ……?
そんなことを考えながら、私は右手に力を込める。
とにかく剣を拾って体勢整えて、もう一度同じように攻撃しよう。
もう片方の眼球も破壊できれば、反撃もされないはずだ。
そう思いながら立ち上がろうとした私は、周りに何かの大きな水溜まりが出来ていることに気付く。
色から察するに、これは……血……? 誰の……?
カマキリのもの……ではないだろう。
先程眼球を割った際に出てきた血? は、緑色だった。
暗くて見えにくいが、水溜まりは赤黒い色をしている。
色を見間違えているのか……? などと考えながら、私は未だに激しい痛みが走る左肩に視線を向けた。
そして、息を呑んだ。
「そん……な……」
……左腕が無かった。
左肩から下が、綺麗に無くなっている。
少し遠くに視線を向けてみると、それらしき何かが転がっているのが見える。
嘘だろ……こんな体で、剣を握れと……?
呆然としていた時、カマキリが私の背後に立ったのが分かった。
「ッ……!」
考えるより先に、体が動く。
私は右足で地面を強く蹴り、すぐにその場から離れる。
しかし、左腕が無いことで体勢を崩し、避ける動作の中でバランスを崩して地面に倒れた。
その際に左腕の断面を地面にぶつけてしまい、激しい痛みが走った。
「がぁぁぁぁぁッ……!」
痛みのあまりに呻いてしまう。
私は地面に伏せたまま、右手で左肩を抑え、必死に痛みを堪える。
その時、左肩だけでなく、右足の辺りからも痛みがするのが分かった。
一体何が? と振り向くとそこでは、カマキリの鎌が、私の右足のふくらはぎを突き刺していた。
「やめ……ッ!」
小さく声を上げるも、カマキリはそんなこと気にせず、鎌をグイッと引っ張った。
すると、右足が、ブチッと音を立てて──付け根の辺りから、引き千切れた。
「──────────────────ッ!」
声にならなかった。
言葉にすらならなかった。
私は痛みのまま叫び狂い、泣き叫んだ。
いっそのこと痛みのまま気を失ってしまいたいが、指輪の恩恵かそれすらも叶わない。
視界に表示したままのステータスで、HPがグングンと減っていくのが分かる。
……HPがゼロになったら、どうなるんだっけ……?
確か……死ぬんだっけ……?
こんな場所で……死ぬのか……?
いや……東雲と仲間になった時点で、こうなることは予想していただろ。
どうせ私には帰りを待っている人などいないんだし、ここで死んでも、誰も心配しないだろうと。
……でも……──ッ!
『ま、また明日……こころちゃん』
脳裏に過る光景に、私はカッと目を見開く。
今の私には、帰りを待つ人がいる。
大切な……生まれて初めて出来た、友達がいるんだッ!
私はまだ、死ぬわけにはいかないッ!
右手を必死に動かし、私は這う。遠くに転がっている剣の元へと。
さぁ、剣を握れ。
まだ終わっていない。HPも、まだ1000ポイント程残っている。
とにかくこのカマキリを倒して、それから……それから……ッ!
「……ぁ……」
背後に……ナニカが立った。
ソイツは私の首筋に鎌をあてがい、狙いを定める。
あぁ、もう、ダメだ。
逃げようとするも、その鎌によって気力が切れたのか、体が動かない。
体中が激しく痛み、ステータスではHPが物凄い勢いで減っていく。
鎌で切られて死ぬのか、それとも出血多量によって死ぬのか。
どっちにしろ、死ぬことに変わりはない。
……嫌だ、死にたくない。
折角、友達が出来たのに。
私の帰りを待つ人が出来たのに。
生きる意味が出来たのに。
なんで今、私は死なないといけないんだ?
誰にも望まれずこの世に生まれ、家族には疎外され、いらない子として十七年間生きてきた。
そんな私にも、やっと私が生きることを望んでくれる人が出来たのに……ッ!
明日も会おうと、約束してくれた人がいるのにッ!
なんでッ……今、死なないといけないんだ……ッ!
「いき……たい……ッ!」
私は必死に、剣に手を伸ばす。
生きるんだ。生きて、生きて、生き延びるんだ。
視界の隅で、カマキリが鎌を振り上げたのが見えた。
それでも私は、右手を必死に剣に伸ばし──
「──────────」
──たところで、どこからか、歌声が聴こえた。
透き通るように綺麗なその声は、暗いダンジョンの通路に響き渡り、私の脳髄を揺らす。
この声は一体……? と不思議に思っていた時、カマキリがバッと私の体から離れ、どこかに走り去っていく。
置いて行かれた私は地面に倒れ伏せ、大きく息を吐く。
……助かった……のか……?
いや……もう手遅れ、か……。
HPは500を切り、未だに物凄い勢いで減り続けている。
私には光属性の適性は無いし、そもそも魔法すら使えない。
HPを回復させる術が無いのだ。
先程から聴こえている綺麗な歌声が、少しずつ近付いて来るのを感じる。
まるで、死神の足音のように、ゆっくりと忍び寄って来る。
……はは……ここまで、か……。
自嘲しながら、私は固い地面に身を委ねた。
走馬燈というやつだろうか。生まれてから今までの記憶が、脳裏を駆け巡る。
あぁ、結局私は、何の為に生まれてきたんだろう。
誰にも必要とされず、やっと私を必要としてくれる人が現れたと思えば、このザマだ。
私が死んだと知ったら、彼女は悲しむだろう。
彼女を悲しませて死ぬくらいなら、友達などいらなかった。
誰にも必要とされぬまま、密かに死んだ方が良かった。
死にたいと願ったことはある。
何度も何度も、この世に生まれたことを後悔したことがある。
それでも、いつかは報われると信じて、生きてきた。
やっと報われると思ったのに……やっと、人並みの幸せを手に入れられると思っていたのに……。
ただ……誰かに必要とされたかっただけなのに。
その時、歌声が止んだ。
「お主、生きておるか?」
頭上から、声が降って来た。
何事かと思えば、髪を掴まれて強引に顔を上げさせられる。
垂れ流しになっていた涙で霞む視界に、元々の暗さも相まり、ほとんど何も見えなかった。
しかし、誰かがいることだけは分かる。
視界に掛かる靄の先に、ぼやけた人影が見えるから。
「ほぉ、まだ生きておるか。この状態で」
どこか感心した様子で言う声に、私は答えられない。
ただ、この声が先程聴こえた歌声と同じ声であることは、なんとなく分かった。
でも、なぜその声の主が、私に……?
と思っていた時、顎に手を添えられ、髪から手を離された。
「だが、このままじゃ死ぬのう……お主、死ぬのは嫌か?」
……頷く。
言葉を発することも出来なかったので、何とか首肯することしか出来ない。
そんな私に、目の前にいる誰かが笑ったのが、なんとなく分かった。
「では、どうじゃ。妾の奴隷になれば、生かしてやらんこともないぞ」
その言葉に、私は僅かに目を見開いた。
するとそこでは、暗闇の中で微笑を浮かべる少女がいた。
奴隷になれば……まだ……生きられる……?
私の疑問が届いたのか否か、彼女は続けた。
「妾の奴隷になるか?」
深く考える余裕も、時間も無かった。
私は必死に首を動かし、一度頷く。
その動作で体力が尽きたのか、目の前が一気に真っ暗になっていき、意識が闇に沈んでいく。
もしかしたらこれは、私が最期に見た幻だったのかもしれない。
だって、最期に見た少女の顔は、この世のものとは思えない程に綺麗なものだったから。
まるで人形のような繊細な精巧さの中に、どこか危険な香りを漂わせる毒々しさを秘めた、妖艶な美しさ。
彼女を一言で表すなら、正に、そう……──
──魔女。




