8.私の唯一の特技
魔力があっても魔法が使えない私が、唯一人より優れていること。
それが歌です。
魔力を歌に変換して、人には出せない音域や音の広がり、深さまでを発声する。
特に意識せずとも、物心ついた頃からそれが出来ました。
そうは言っても、こんなに突然蒼嵐様の前で歌うことになるだなんて……
せめて心の……心の準備をさせてください!
そう思っているうちに、顔見知りの楽士が2人やって来て、鍵盤楽器と小型の擦弦楽器の準備を始めます。
「月穂様、どの曲にいたしましょうか」
てきぱき支度をすませた楽士に尋ねられ、思わず遠い目になりました。
これはもう、逃げられないと思った方が良さそうです。
「……『この世にうまれて』をお願いします」
真国でも非常にポピュラーな生誕を祝う曲ですが、お誕生日と言えばこれでしょう。
堅苦しい曲でもなく歌い慣れているので、歌詞も問題ありません。曲名を聞いたお父様がうれしそうに拍手を送ってくれます。
これ、一体何の罰ゲームでしょうか……もう勘弁して欲しいです……
顔を覆いたくなるのを我慢して、私は楽士達の横に立ちました。
なるべく、蒼嵐様を視界に入れないようにしなければ。
どくんどくん、と鳴る心臓の前で手を握りしめ、深く深呼吸します。
前奏が流れ出したところで、私は覚悟を決めました。
伴奏にだけ集中すればいいのです……いつも通り、一人だと思って。
意識を楽器の旋律にだけ向けていたら、少し緊張が和らいできました。
『この世にうまれて』は、誕生の喜びを歌う大衆歌です。
川のせせらぎのように緩やかに流れるソプラノの調べは、子供から大人まですんなりと心に入ってくる優しさがあります。お誕生日には定番の曲ですが、高音域の部分が多いので、歌おうと思えばそれなりに難しい曲です。
(そうだわ……これはお父様へのお祝いなのだから、しっかり歌わなくては)
何も贈れないと思っていた私も、歌で祝福することが出来るのです。
すっと意識が切り替わりました。楽器の音に集中して、私はいつも通りに歌い出します。
感謝とお祝いの気持ちをこめて、一生懸命に声を贈りました。演奏と私の歌声が響く空間に、誰しもが薙いだ顔で聞き入ってくれているのが伝わってきます。
この世にうまれてきてくれて、ありがとう。おめでとうと言ってくれた人へ、感謝と愛の気持ちを忘れないでいよう。
そんな意味の歌詞を、心をこめて歌い上げます。
歌い終わって楽器が鳴り止むと、お父様がすごく満足そうに頷いているのが見えました。なんだか涙ぐんでいるようにも見えます。
良かった……喜んでいただけたようです。
おそるおそる蒼嵐様に視線を移すと、笑顔で拍手を送って下さいます。それに合わせて、周囲の侍従や護衛兵達も惜しみなく手を叩いてくれました。
「すごいね。完全無欠って、きっとこういうことを言うんじゃないかな」
お父様と同じようにとても満足したお顔で、蒼嵐様がそう言いました。
「今までに何度も聞いたことがある曲だけれど、こんなに心に響いたことはなかったよ。僕は歌のテクニックとかはよく分からないけれど、特に高音が素晴らしいと感じた。歌が頭上に抜けていくように聞こえたのは初めてだ。小さい音も伴奏に負けずに響いてくるのは、魔力を乗せているからだね。すごい才能だよ」
そんな風に手放しで褒めていただけるなんて……
どうしましょう、舞い上がってしまいそうです。もう死んでもいいくらいうれしいと思っているのが、顔に出ていないでしょうか。
「銅箔殿、ぶしつけなことを言うようだけれど……」
「はい、何でしょうか?」
呼びかけに、ハンカチで目尻を押さえていたお父様が振り返ります。
「良かったら、来月にあるうちの復国祭で、月穂姫に歌ってもらうことは出来ないかな?」
「……なんと! 復国祭でですか?!」
「うん、素晴らしい歌声を、音楽が好きな妹にも聞かせてやりたいんだ」
ふいに飛び出した話題に、私は首をひねりました。
復国祭? 何でしょう、それは。
「大変光栄ですが……月穂、お前はどうだ? お受けしても構わないか?」
「……わ、私でよろしければ」
「本当? ありがとう!」
笑顔でお礼を言われた私はもう意識が飛びそうでした。
復国祭が何かは分かりませんでしたが、蒼嵐様が喜んで下さるのなら、私、もうどこにでも行って歌います! そんな気持ちになります。
「もう一曲、と言いたいところなんだけれど……実はそろそろ帰らなくちゃいけないんだ。銅箔殿、お誕生日だとは知らず、急に訪ねてしまって申し訳なかったね」
蒼嵐様がそう言って、席を立たれます。
もう、お帰りになってしまうのでしょうか。
「滅相もございません。私の様な小国の王に三顧の礼まで尽くして下さって、頭の下がる思いです。本来であればこの後も丁重におもてなししたいのですが……」
「気にしないで。元々僕の都合だったし、傘下の件を快諾してくれただけで十分だから。それに今日は妹と夕食をとる約束をしているから、そろそろ帰らないといけないしね」
「今から夕食までの時間に、紗里真まで戻られるのですか?」
お父様の言葉に、私は我に返りました。
今確かに「紗里真」と聞こえました。間違いありません。
「韋駄天の道は主に空だから、悪路とか関係ないんだ。とても早いよ。魔力は必要だけれど」
「そうですか……蒼嵐様の作られる魔道具にはいつも驚かされます」
いだてん。道が空。魔道具……紗里真。
魔道具は魔力をこめて作る、便利道具のことですよね?
それが分かったところで、お二人の会話の内容は全く理解出来ませんでした。
「月穂」
ぼうっとしていたところを呼ばれて、「はいっ」とお父様に向き直ります。
「お引き留めするのも申し訳ないご事情のようだから、私に代わって蒼嵐様のお見送りを頼めるか?」
お見送り……
それはもしかして、もう少しの間一緒にいられるということでしょうか。
「は、はいっ!」
私は思わず、力一杯答えてしまいました。
あがり症の地味ッ子ですが、歌を歌う時だけはスイッチの入る子です。
次回、「変わった殿方」。明日更新予定です。