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6.つらくても、大丈夫

 結局この日、蒼嵐様のお姿を見ることは叶いませんでした。

 そして蒼嵐様も、お父様に会えずに帰国されました。

 こちらから伺うという申し出はまた断られたそうで、時間を見て近いうちに再訪する、と言い残して帰られたそうです。


 また、来られるのですね……

 たとえこの国に蒼嵐様が再訪されても、もうお顔を拝見することすら出来ないかもしれません。

 それは、はじめての恋心に浮かれていた私にとって、悲しい現実でした。


 就寝前、ソファーで本を読んでいた私はなんとなく集中が途切れて、ページからテーブルの上へと視線を移しました。

 そこにある綺麗に畳まれた白いハンカチを、そっと指で撫でます。


「これも、どうやってお返ししたらいいのかしら……」


 今日返そうと思っていたのに、返せませんでした。ハンカチを返す。たったそれだけのことが、とても困難なことに思えてきます。


「月穂様、キャラメルミルクです。召し上がりませんか?」


 そう言ってハンカチの横に置かれたティーカップからは、甘い香りが漂ってきました。

 香澄が煎れてくれた温かい飲み物を手に取ったら、少しだけ心が癒やされた気がしました。小さな気遣いを、ありがたいと感じます。


「また、考古学の本ですか?」


 私が膝に置いている本の『真国の史跡と文化を探る』のタイトルを見て、香澄が笑いました。


「ええ、もう何度も読んだ本だから……そろそろ新しい本が読みたいと思ってしまうのだけれど」


 私の考古学への興味はあくまで趣味のものです。

 男性のように学問や仕事としては見なされませんから、大切な国の予算を割いて本を買ってもらうわけにはいきません。

 城の書庫にある考古学関連の本はとうに読み尽くしてしまい、学士達が新しい本を増やしてくれないかと期待して待っているのですが。

 なかなか希望通りにはいかないものです。


「月穂様は、どうしてそんなに考古学がお好きなのですか?」


 ふと思いついたように、香澄が尋ねてきました。

 そう言われてみれば、好きな理由は話したことがなかった気がします。


「どうしてって……そうね、遺跡や残された資料から、古代の人の文化や考え方を知るのが楽しいの。ここにあったこれはこんな意味があったのね、とか……これを作った人はこんなことを思っていたのかしら、とか。そういうことを考えていると、ここではないどこかに心が入り込むような気がして、その時ばかりは嫌なことを忘れられるわ」


 私の答えに、香澄は顔を曇らせました。


「月穂様……おつらいですか?」


 蒼嵐様のことを言っているのでしょうか。

 それとも、以前から続く、私を取り巻く環境のことを言っているのでしょうか。

 少しの間、私は返答を考えました。


「つらく、なくはないわ……でもここが、私の置かれた場所だから。仕方の無いことがいっぱいあっても、ここで頑張ろうと思うの」


 偽りのない心の内を返します。

 香澄はぐっと何かを堪えるような表情のあと、静かに微笑みました。


「それは、ご立派ですよ」

「ううん、違うの。お母様がそう言ってらしたのよ。今いる場所がつらくても、逃げずに自分の場所に根を張りなさいって。いつか花咲く日はきっと来るからって」


 亡くなったお母様は、私にたくさんの言葉を遺してくれました。

 大好きだったお母様の言葉と、温かい気持ちはまだ自分の中に鮮明に思い出すことが出来ます。


「それにね、私にはこうして香澄がいるし。お忙しくてあまり一緒にはいられないけれど、お父様もお兄様も私を可愛がってくれるでしょう? つらいことばかりじゃないわ」

「月穂様……」

「世の中にはもっとつらい立場の人もいると思うの。むやみに誰かをうらやんだり、自分を不幸だと思ったりするのは良くないって、お母様も言ってらしたもの」


 今から3年ほど前、側室第三夫人だったお母様が亡くなられました。

 心臓の病で急死したとの見立てでしたが、あまりに突然のことで、私はしばらく立ち直ることが出来ませんでした。

 いつも私をかばってくれて、優しかったお母様がいなくなったことで、お姉様方の嫌がらせがエスカレートしたのは言うまでもありません。

 傷心の中、耐えてこられたのは香澄の存在が大きかったと思います。


 公務で忙しいお父様や、それを助けるお兄様は折に触れて私を気遣ってくれました。けれど、お姉様方にはいつも影で嫌なことをされるので、直接助けてもらえることはありません。

 それでも、お父様やお兄様は私のことを想っていてくれる。そう感じられることで理不尽にも耐えることが出来ました。

 非道だと感じてしまうような扱いにも、感情を爆発せずにいられました。

 ほんの少しだけ、心の奥にある抵抗したい気持ちも、押し殺すことが出来ました。


 こんな生活がいつまで続くのでしょう……そう思ってしまう瞬間には、いつも優しい香澄やお父様、お兄様のことを考えて、歌を歌い、本を開けば良いのです。

 条件の良いものがないと、隣国からの縁談を断り続けているお姉様方がどこかに嫁がれるまで、状況が変わらなかったとしても。


(大丈夫……)


 自分を愛してくれる人がいるということを、いつも心に留め置きなさい。

 つらいことがあると、お母様は何度でもそう言ってくれました。

 誰かを憎んだり、恨んだりするのではなく、愛してくれる人を想いなさいと。

 そうしていればあなたはいつか幸せになれるのだからと。


「私は大丈夫よ、香澄」


 お母様が遺してくれた言葉と、私を大切に想ってくれる人がいる限り。

 私は大丈夫。

 このときはまだ、そう思えたのです。


なんとなく暗い話になってしまいました。

父や兄に可愛がられているから余計にいじめられる、という事実を知らぬは本人ばかりなり。

主人公に不幸臭が漂っているなぁ……

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