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40.伝わる想い

 大気に宿る熱を、山から下りる風がさらっていきます。

 光の落ちるバルコニーの先、庭園を見下ろせる位置に足を進めた蒼嵐様の後を追って、私もその隣に並びました。

 冬の季節が長い清明国にも、もうすぐ短い夏がくるようです。薄手の正装を着こなしている蒼嵐様を見て、そう思いました。


「もう大丈夫?」


 蒼嵐様は心配そうな眼差しで、目尻に残っていた涙を指でそっと拭ってくれました。

 そんな優しさが自分だけに向けられたものではないことを、今は知っています。

 この方はきっと、誰にでもこうして優しいのです。


「ごめんね、今日はハンカチなくて」

「あ……ハンカチならここに」


 私は自分の懐にしまっていた、白いハンカチを取り出しました。

 今日返そうと思っていたので、綺麗にしてあります。


「私、お返しせずにずっと持っていて……」


 声が出なくなると知った時に、どうしても持っていたくて、返さずにいた白いハンカチ。

 最初に出会った時に、貸していただいたものでした。


「あの時は、ありがとうございました」


 そう言って差し出したハンカチをじっと見ていた蒼嵐様は、目元を緩めてそっと手のひらで押し返してきました。


「あげるよ、持っていてくれるとうれしい」

「え……あ、ありがとうございます」

「うん」


 蒼嵐様はバルコニーの柵に肘を乗せて、庭園に視線を移しました。

 何も言わず、ただ景色を眺めている姿に思わず見とれてしまいます。

 思えば、こうしてお側にいられるだけで、私にとっては奇跡のようなものですね……


「ごめんね」


 突然の謝罪の言葉に、意味が分からずその横顔を見つめました。


「部屋の扉、開かなかったから壊してしまった」

「あっ、いえ、全く問題ございません!」

「外から干渉できないように細工がされていると思ったら、ついカッとなって……壊さなくても、少し時間かければ開けられたんだけれど……どうにもそこまでの余裕がなかったみたいだ」

「蒼嵐様が、ですか……?」


 いつもなんでも余裕でこなしそうに見えるのに。


「そこで、あれ? って思って、分かったんだよね……」


 ちょっとよく分からない発言のあと、寄りかかっていた柵から身を起こします。

 私に向き直って不安そうな顔をしました。


「本当に、伝楊殿に何にもされなかった?」

「えっ? はい」

「なら良いけれど……伝楊殿はもう二度とこの国に来させないから、安心してね」


 そんな風に言ってくださるなんて。


「泰府国は早々に国王に隠居してもらう形の政策をとることに決めたから」


 ……それは、ちょっとやり過ぎなのでは。


「自分で言うのもなんだけれど、僕あまり腹が立つ事ってないんだ」

「はい」


 それは分かります。

 どちらかと言わずとも、とても穏やかで温厚な方だと思いますもの。


「それがこのところ、月穂姫の周りで起きていることに慌てたり焦ったり、腹が立ったり……とにかく忙しない感じなんだ」

「そ、それは大変なご心労を……私が与えてしまって……申し訳……」


 少し考えて、言い直します。


「いつも助けてくださって……本当に感謝しています」


 蒼嵐様はうれしそうに私を見て「どういたしまして」と笑いました。


「ねえ、月穂姫。考古学勉強したい?」

「え……?」

「紗里真にはこの前見てもらった書庫があるし、研究塔なんかもあるんだ。学びたい人は女性でも男性と同じように学べる方針をとってる。楽士も一流どころが揃っていて歌を歌うにも不自由はないし、月穂姫がやりたいことの揃った環境だと思うんだよね」

「ええ……それは本当に」


 本当に、大国には私にとって理想的な環境があります。

 学べて、素晴らしい演奏で歌も歌えるのだとしたら最高だろうと思います。

 でも、なんでそんなことを?


「僕さ、周りは色々器用にこなしてるって思ってるみたいだけれど、本当はそんなにメンタル強い訳じゃないんだよね」

「……そうなのですか?」

「うん。でもさ、虚勢でもポーズでも妹にとっては頼れる兄でいたいし、僕のことを理解して支えてくれる人達の期待にも応えたいと思うんだ」

「大変なのですね……」

「就業規則のない国王って職業だから。日々オーバーワークの自覚はあるんだけれどね。だからこそ、疲れた時には僕にも癒やしが必要じゃないかと思って」

「癒やし……ですか」

「うん」


 じっと見つめられて、何を要求されているのかに思い当たりました。


「あの……私の、歌ですか……?」

「うん? うん……そうだね。それもある」


 もしかして蒼嵐様は、私を紗里真の専属楽士の一員にでも加えるおつもりなんでしょうか。


「月穂姫、紗里真に来ない?」


 そんな誘いの文句が蒼嵐様の口から出るのを、夢見心地で聞いていました。

 やはりこれは蒼嵐様が私の能力を認めてくださった上で、学ぶ場も歌う場も与えてくださるということなのでしょう。だとすれば、大変な栄誉です。

 晴れがましい表舞台に出ることのないような身分の、こんな私を。


「君のような人が、僕の国には必要だと思うんだ」


 続いた言葉に、目頭が熱くなってくるのを感じました。


「うれしい……もう死んでもいいです……!」


 嘘みたいなお誘いです。私は泣きたくなるのを堪えて微笑みました。

 こんなお誘いをいただけるなんて……幸せです。

 想いが叶わなくても、この方が私を認めてくれて、必要だと言ってくれた。

 それだけでもう……


「それは困るなぁ。僕が死ぬまでは生きていてもらわないと」

「――え?」

「あれ? ……ちょっと遠回しすぎたかな? ごめんね、こういうことには頭が働かないんだ」


 ……なんのお話でしょうか?


「待ってね、最適なセリフが思いつかない。あまりにも簡潔だと真剣味に欠けるし、くどすぎるのも嫌だよね……」

「……はい?」

「じゃあミディアムに本音を言わせてもらうけれど、聞いてくれる?」

「は、はい……?」

「僕さ、権力はあるけれど腕力はからっきしなんだ。成人前まで魔力が低かったせいでそれなりにコンプレックスも抱えて生きてきたし。大国の王になった今も、男らしさや威厳は持てそうにない」


 すごく唐突な気がしましたが、飾るところのない胸の内を語って下さっているのが分かりました。


「でもね、そんなところも全部ひっくるめて僕は僕だから、変なところで自分を大きく見せようとも思わないし、見栄張るよりこのままがいいやって居直ってるんだ。だから、一生こんな感じで情けないのは変わらないと思うんだけれど」


 そこで一呼吸置くと、蒼嵐様は笑顔の中にも真剣な表情で続けました。


「そんな僕でも良ければ、側にいてもらえないかな?」

「……?」

「月穂姫さえ良ければ、紗里真の……僕の、妃になってもらえませんか?」


 瞬きすることも忘れて、蒼嵐様の顔を見返しました。

 青天の霹靂って……きっとこういうことをいうのです。

 今、私の中に雷が落ちました。比喩と言うには生ぬるいくらいに。


 き、聞き間違いでしょうか……?

 今の話の流れで、なんでそうなったのでしょう??


「……もしかして、処理落ちてる?」


 完全に固まった私を、蒼嵐様がのぞき込みました。


「突然驚かせてごめんね。本当は今日こんなことを言うつもりはなかったんだけれど……月穂姫が他の誰かに嫁いでしまうかもしれない可能性に気付いたら、なんだか焦ってしまって」


 嘘ではなく、夢でもありません。

 本当にプロポーズだったらしいです。

 信じられません。そんなの、信じられるはずもないじゃないですか……!

 私は上気した頬で、おろおろと口を開きました。


「せ、蒼嵐様……私は小国の中でも弱小国の、第三夫人の娘ですよ?!」

「知ってるよ?」

「び、美人でもないし、この通り身長も低くてどちらかと言えば幼児体型ですし……歌うしか取り柄のない、考古学が好きなだけの地味ッ子ですよ?!」

「女性が学ぶことは悪いことじゃないって言わなかった? 僕は君の歌声を唯一無二だと思っているし、魔力量についても周囲に文句を言わせないだけのものを持っているじゃないか。それに、月穂姫は十分可愛いよ」

「か、かわ……?」

「最初はね、月穂姫のことが気になるのはただの庇護欲だと思ってたんだ」


 その一言には納得出来るものがありました。

 庇護欲……子供や小動物と同じ部類、ということですね。


「でも今日分かった。理屈じゃなく気になったり、絶対許せないと思うくらい腹が立ったりする原因を考えたら、やっと結論に思い至ったんだ。僕、月穂姫が大事で、特別に好きらしい」


 そう言って、蒼嵐様は飾り気のない笑顔を浮かべました。

 さらりと言われましたが、今、確かに私を好きだと仰いましたか……?


「ええと、さすがにダメだったかなぁ……? 正式に申し入れる前に、本人の意向を確認しておきたかったんだけれど……」


 自信なさげに肩を落とした蒼嵐様を見れば、私が答えられることなんか、ひとつしかないじゃないですか……!


「……っつ、つ、つ、謹んで、お請けいたします……!!」


 こんなに緊張した承諾の返事は、生まれてはじめてです。

 私、きっと一生、今日という日を忘れません――。


 ホッとしたように笑った蒼嵐様も、緊張していたのでしょうか……


「ありがとう」


 温かい腕が伸びて、すごく自然に抱き寄せられました。私も頬を染めながらその胸に顔を埋めます。

 ああ、こんな幸せなことがあって良いのでしょうか……


 でも、はたと気付いてしまいました。

 ここ、バルコニーです。

 ガラス一枚隔てた部屋の中には香澄やら侍従やら護衛やらがたくさんいるのです。


 香澄が口元を手で覆ってこちらを見ているのと、目が合いました。

 いつもの護衛の方が、そっと視線をそらすのも見えました。


「せ、蒼嵐様っ! 人が……みんなから見えてます!」


 それはもう完全に!!


「え? なんか問題ある?」


 逆に聞きますけど、問題ないんですか?!


 飛那姫様のことといい、もしかしてこの方は、好きなものに手を伸ばすときに自重するという心が欠けているのでは……?

 確信にも似て、そう思ってしまった瞬間でした。


「大丈夫。この先月穂姫に向かう障害は、僕が全力で排除するからね」


 蒼嵐様は笑顔でそう請け負ってくださいましたが……

 うれしい反面、それはそれでなんか怖い、と思いました。


やっとここにたどり着いたけれど、何故かコメディ感が抜けない。

蒼嵐のせいだ。そうに違いない。


次話、ごく短い「エピローグ前閑話(蒼嵐視点)」を挟んで「エピローグ」(完結)です。

明日午前中連続更新予定です。これが最後の次話告知!

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