39.気にくわない
清明国第四王女、月穂姫様付侍女、剛来香澄でございます。
口惜しいです。情けないです。
私の大切な主を、あのいかにも好色そうな泰府の国王様と2人きりにしてしまうなんて。
部屋の扉に貼り付いてみましたが、声すら聞こえません。何か扉に細工がされたようです。
これはもう体の良い監禁じゃないでしょうか?!
許せません……一刻も早く何とかしなくては。
この瞬間にも月穂様が泣いておられるのではないかと思うと、身を切られるような思いがします。
私はひとまず上の階にいらっしゃるはずの月穂様のお父上、国王様に助力を仰ごうと走りました。
階段を上がろうとホールに出たところで、下から上ってきた護衛や侍従の一行に出会います。
大人数に階段をふさがれ、これでは上れない、とイラッとしかけたところで、その中心人物に目が留まりました。
本来ならば跪いて見送らなければいけない相手のところ、私は無我夢中で呼び止めてしまいました。
「紗里真の国王陛下!」
護衛がピリッとした空気を醸し出しましたが、当の本人は気にせずに私を振り返ります。
侍女ごときが直接声をかけるのは無礼と、切り捨てられてもおかしくない身分の方ですが、この方がそういうことをしないのも私は承知しています。
妹姫にまつわる話を聞いて最初は印象が悪かったのですが、今ではその認識も改まりました。
シスコンだろうとこの方は間違いなく人格者です。私のような些末な侍女の言葉にも、耳を傾けて下さるような。
「ああ、月穂姫のところの……香澄、だよね? どうしたの?」
私の名前まで記憶していてくださるなんて……
でも今はそんなことに感動している場合ではありません。
「ご無礼を承知で申し上げます! 主を……月穂様を助けてはいただけないでしょうか?!」
「えっ、まさかまたいじめられてる?」
「いえ、そうではございません。ですが……どうかお願いいたします!」
ものすごく筋違いなお願いだと、理屈では分かっています。
でも今この方以上に、月穂様を助けられる方が思いつきませんでした。
後でどんなお咎めを受けることになってもかまいません。あの部屋から月穂様をすぐにでも出して差し上げたい、その一心でした。
「いいよ。歩きながら聞くから案内して」
二つ返事で了承してくれた若き王が、まるで神様のように見えました。
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嫌だとか、気持ちが悪いとか、そんな言葉だけでは説明がつきませんでした。
怖い。
きっとそれが、今の感情に一番合っている言葉。
(香澄……)
周りを見回しても頼れる侍女の姿はありません。
護衛の1人すら、この部屋には残されていないのです。誰かを呼んだところで、声は外に届かない。あの扉から入ってくることも出来ないでしょう。
逃げ場を失った私は、次にどうすべきかうまく働かない頭で必死で考えました。
その手をどけてくださいと言えばいいのです。
私から離れてくださいと言えば……
でも、声が出て来ませんでした。
膝に置かれた手が嫌だと思いながら、身を固めるだけで怖くて何も言えませんでした。
「月穂は本当に可愛いねぇ。こんなに可愛い子が側室に入ってくれるとは、私は幸せ者だな」
言ってません。側室に入るなんて一言も。
猫なで声の王に、涙目になりながら拒絶の意味を込めて首を振りました。
心臓の鼓動が、嫌な音を立ててどんどん早くなっていきます。
「何も泣くことはないじゃないか……ほら、ちゃんとこっちを向きなさい」
肉付きのいい手が頬を撫でたところで、全身に鳥肌が立つのを感じました。
逃げたいのに体が動きません。叫びたいのに声になりません。
(もう嫌……香澄! 誰か助けて……!!)
心の中で悲鳴をあげたとき。
どこからか、耳慣れない音が聞こえたような気がしました。
いえ、聞こえたというか、可聴音域をはみ出した音の波形を感じたような――これは……
すぐ近くで何らかの魔法が行使された、と認識するのと同時でした。
部屋の扉が、ぐばん!! と爆発音を立てて、大量の白い煙を吹き出します。
「!?」
「何だ?!」
私も泰府の王も、何事かと扉を振り返りました。
沸き上がるような煙とともに、殺気を帯びた魔力が部屋に侵入してきます。禍々しいものではないものの、圧迫感に息が苦しくなるほどの濃度でした。
奇妙な形にねじまがった扉が壁から剥がれ、床に倒れ込むのが見えました。
薄れていく煙の中、部屋に進み入ってきたのはたった1人。その全身から制御を忘れたような魔力がもれ出して、白銀の陽炎をまとっているように見えました。
「……気にくわない」
現れるなりそう呟いたのが、いつもとあまりにも違った厳しい表情で。
柔らかい雰囲気が消えたことで、整った顔立ちがどことなく飛那姫様に似ているようにも思えました。
「ものすごく、気にくわない……」
誰に向けたものなのか分からないセリフでしたが、その声を聞いて私の体から力が抜けました。
「しゃ、紗里真の蒼嵐陛下……? 何故、清明国に……?」
そこにいるのが誰か理解した泰府の王が、目を剥いたままオロオロと私から離れます。
「蒼嵐様……」
消え入りそうでしたが、安堵したことでやっと声が出ました。
蒼嵐様は私の顔を見るなり何かを理解したような険しい表情になって、泰府の王に向き直りました。
「何したの?」
「え?」
「月穂姫に、何したのって聞いてる」
不快をあらわにした声で、蒼嵐様が尋ねます。
「いえ、まだ何も……」
「まだ??」
ひっ、と小さい悲鳴が隣から聞こえました。
私に向けられたものではありませんでしたが、蒼嵐様からもれ出した魔力が尋常でない威圧感を与えています。直接睨まれている相手は、その姿を直視するのもためらわれるほどでしょう。
泰府の王はよろよろと立ち上がると、その場に平身低頭で話し始めました。
「ご、誤解なきよう申し上げますが、この姫は私の妻になる予定でして……!」
「妻? 婚約打診の返事ももらっていないと聞いたけれど」
「し、しかし私以外に打診をしている有力者もおりませんし、これはもう決定も同じことで……」
「僕がするよ」
「……は?」
「だから、僕が打診でなく正式に申し込むよ、彼女に」
「は???」
泰府の王以上に、私の目が丸くなりました。
今、なんて……? 何かの聞き間違いでしょうか。
「何? それとも僕と争う? その際はまず手始めに、泰府城の地下隠し部屋にある秘蔵のコレクションの数々、君の趣味と共に世に晒すことになるけれど、かまわないね?」
「お、お待ちください! な、な、なんのことか、私にはさっぱり……!!」
「へえ? シラを切るつもり? それならそれでも良いよ。賢い選択とは言えないけれどね……」
「……!」
「どうしたらいいか、三秒だけ待つから考えるといいよ」
そこまで言うと、蒼嵐様は今日初めての笑顔になりました。
すごく冷気の漂った笑顔でしたが……
泰府の王は礼の形を取ると、慌てた早口で言いました。
「私は今日ここに参りませんでした! 月穂姫への婚約打診も取り下げます!」
「そうだね、そうするといいよ。まぁだからと言って、全部を帳消しにしようとは思えないけれどね……」
「申し訳ございませんでした! わ、私はこれで失礼いたします!!」
逃げるように部屋を出て行く泰府の王を、侍従の何人かが追いかけていきます。
本当に、帰られるようです……
ぽかん、としたままソファーに座っていた私は、香澄の声で我に返りました。
「国王陛下! 大変ありがとうございます!」
部屋に飛び込んで来た香澄が、跪いて頭を下げています。
「無理なお願いをいたしまして大変申し訳ございませんでした。おかげさまで主が助かりました!」
「いや、いいんだよ」
そのセリフで、香澄が蒼嵐様に私を助けてくれるように頼んだのだと分かりました。
(そう、ですよね……)
その場しのぎの嘘、だったのでしょう。
私に求婚してくださるだなんて、一瞬でも考えた浅はかさにまた涙が出そうになりました。
ただ哀れに思って助けてくださっただけ。そう分かっているのに。
「月穂様、大丈夫ですか?」
「香澄……大丈夫よ。ありがとう」
涙を拭いてくれた香澄に、なんとか笑ってみせます。
蒼嵐様もこちらに歩いてきました。いつもの穏やかな蒼嵐様に戻っているようです。
無残に壊れた扉の後始末に、部屋の中はにわかに騒がしくなりました。侍従達がバタバタと動く部屋の中を見回すと、蒼嵐様はバルコニーを指して言いました。
「少し、風に当たらない?」
私はその顔を見上げて「はい」と頷きました。
さらばブタさん。いい仕事してくれました。
静かにキレる人って怖いです。無表情で刺されそう。
どのみち物騒な兄妹、ということで。
次話「伝わる想い」。明日更新予定です(午前中更新出来なかったらごめんなさい)。




