38.残っていた問題
「蒼嵐様がいらっしゃる?」
文字のお稽古中、香澄が伝えに来た報せに私は目を輝かせました。
今日の午後3時頃、お見舞いのお礼に紗里真王国国王陛下ご一行が来訪されると。
お父様は「陛下自らがお礼などと、滅相もない」と恐縮したそうですが、蒼嵐様は「清明国は王族自らが見舞ってくれてうれしかったから、直接お礼が言いたいんだ」と返答されたそうです。
(本当にフットワークの軽い方です)
たまに大国の王であることを忘れるくらい、どこにでも行くし、何でもやる方なのです、蒼嵐様は。
そわそわとし始めた私を見て、先生が軽くため息をつきました。
「姫様、宿題になさいますか?」
「あ、いえごめんなさい。大丈夫です、ちゃんと最後までやります」
「あら、そうですか」
先生はふふっと笑って私の顔を眺めました。
「何でしょう? 先生」
「良いお顔ですね、姫様。お母様がご覧になったらさぞかしお喜びになりますよ」
「そうでしょうか……」
うれしそうに言う先生に、私も笑って返します。
お母様が見たら……そうだったら、私もうれしいです。
全てをあきらめてこの国を出て行くと決意したあの日から、まだ4日しか経っていませんが……
見える景色が変わったと思えるくらい、気持ちの上で大きな変化があったのは確かでした。
そこから午後3時までの時間は、とても長く感じました。
何度時計を見たか分かりません。香澄に呆れられ、笑われながら過ごしました。
そしてお父様の侍従が呼びに来たのは、短針が3時に近付いた頃でした。
「え? お客様が?」
「はい、先触れのないご訪問で……貴賓用の応接室は紗里真の国王陛下をお迎えするあつらえとなっておりますので、急ぎ一番広い客室を整えましてお通しした次第です」
あと少しで蒼嵐様がお見えになるというのに、お客様が来られるなんて。
清明国に高貴なゲストが一度に来訪するなんてことはまずない為、貴賓用の応接室は一室しかありません。とても間が悪いです。
「それで、その……国王様は紗里真の国王陛下を歓待されるとのことですので、そちらのお客様につきましては、月穂様にご対応をお願いしたいと思い……」
「そういえばお兄様はご不在でしたね……お父様が私にと、そう仰ったの?」
「いえ、お客様が月穂様にお会いになりたいと仰せでして……」
「私に??」
私にお客様だなんて、全く思い当たらないのですが。
「どなたなの? その突然のお客様というのは」
「はい、泰府国の国王様でらっしゃいます」
「た……」
忘れてました!!
そういえば正式に婚約打診のお返事をしなくてはいけない時期だったような……
え?! 直接いらしている??
私は青くなりました。
お父様にも同席してもらえず、私一人でどう対応しろというのでしょう。
必死に断る方向で話を考えますが、どうにも思いつきません。
「わざわざ出向いたのだから早く月穂様を呼んでくるようにと、そう仰っておられまして……」
最悪です……
香澄を見ると彼女も険しい顔をしていました。
もうこれは、向かうしかないということなのでしょうか。
困り顔の侍従をそのままにはしておけません。仕方なく泰府の王が待つ部屋へと重い足を向けます。
どうしましょう、何と言えば良いのでしょう。
さっきまで楽しい気分だったのが、途端に憂鬱な心持ちです。
(そうだわ……私、結局この結婚からは逃れるすべがないのだったわ)
何故忘れていたのだろうと、自分自身が馬鹿馬鹿しく思えました。
逃げ出したい気持ちを抱えながら、扉の前に立ちます。
「大変お待たせいたしました」
侍従が開けた扉から部屋に入ると、紗里真のガーデンパーティーで会ったあの時の国王が、奥のソファーにふんぞり返っていました。
「おお月穂姫! やっと来たか!」
そう言うなり席を立つと、のっそのっそと大儀そうに近寄ってきます。
私は走って逃げ出したいのをかろうじて堪えました。
「なかなか正式な回答がこないものだから、しびれを切らして来てしまったよ。直接色よい返事をもらって帰ろうかとね」
「お、恐れ入ります……」
「まあ座りなさい。ゆっくり話そうじゃないか」
手を取られて、ソファーに座るよう誘導されます。
二の腕に鳥肌が立ちました。
「失礼、いたします……」
腰掛けた私の反対側に、泰府の王も沈み込みました。重量を思うとソファーが気の毒に思えます。
泰府の王はあごをなでさすりながら私を眺めました。この視線が嫌なのです!
「今日のその薄紅色のドレスは清楚で月穂によく似合っているな。実に可愛らしい」
「お、お褒めにあずかりもったいなくも光栄でございます」
本当は蒼嵐様に見せたくて着たお気に入りの一着でした。
褒めて欲しい人が違うだなんて、思ってはいけないのでしょうけれど……笑顔が引きつるのを止められません。
「さて、早速だが私からの手紙は読んでくれたのだろう? 他からも打診をもらっているから考えさせてほしいだなんて……一体どこの馬の骨が月穂に求婚しようなどと考えているのだ?」
「あ、いえ、それは……」
「ああ、お茶が冷めてしまうな。せっかくの再会なんだ。ほら、楽しく過ごそうじゃないか」
「は、はい」
侍女が私の前にもお茶を出してくれて、まるでお見合いのような雰囲気です。
「月穂の父上は客人が来てまだこちらに来れないと聞いたが、2人で会えてかえって良かったな」
「……あの、泰府の国王陛下」
「伝楊だよ」
「はい?」
「私の名前だ。月穂は近いうち私の妻になるのだから遠慮はいらない。名前で呼びなさい」
「つ……」
妻とか無理ですから!
叫びそうになった言葉を、飲み込みました。
「あの、伝楊さま、は……どうして私に婚約打診を下さったのでしょうか?」
「うん?」
「私はこの通り、第四王女という身分ですし……ほとんどお話もしたことがない私にお声がけくださった理由を、お聞きしたかったのです」
そうなのです。あの復国祭以外、どこにも接点などなかったというのに、どうして私などに……こんな年上の方が。
「可愛かったからに決まっているじゃないか」
「えっ?」
「復国祭で舞台に上がっただろう? 一目見て気に入ったよ。あの後、月穂は銅箔殿の秘蔵っ子なのだと聞いた。悪い虫がつかないよう、隠しておきたかったのだろうね。しかしもうそんな心配はいらない。私が見初めたのだから」
……意味が分かりません。
可愛い? 私が??
……あと、理由はそれだけですか?
「愛を疑われるのは辛いな……そうか、月穂はそれで迷っているのかな?」
きっと私の顔にいっぱい「?」が書いてあったのでしょう。
泰府の王はそう言うと、壁際に立つ侍女と護衛達に向かって手を挙げました。
「お前達、人払いだ。少し2人で話したい。呼ぶまで下がっていなさい」
その言葉にさっと血の気が引きました。
2人きりで話すなんて、もっと何を言っていいか分からなくなってしまいます。
私は香澄に目で助けを求めました。
「陛下、大変恐れながら……我が主は未婚の女性です。外聞もございますので、せめて護衛を1人、同席させていただけないでしょうか」
進み出て頭を垂れる香澄に、泰府の王は面白くなさそうな眼差しを向けました。
「外聞? 私の妻になることが決まっているも同然なのに、そのようなものが必要だとでも? 侍女風情が余計な気を回さないでよろしい。さっさと退出しなさい」
まるで聞く耳持たないと一蹴されます。「申し訳ございません……」と頭を下げると、香澄は不安そうな顔で護衛達と部屋を出て行きました。
泰府の王は「まったく」とブツブツ言いながら、立ち上がります。
「最近の使用人は気遣いというものがなっていないな。落ち着いて過ごせる環境を自分で作らないといけないとは情けない……目眩ましの扉」
呪文のような呟きに、閉まった扉が一瞬、ぼやん、と変な音を立てました。
「な、何をなさったのですか?」
「ん? 知らないのかい? 外で聞き耳を立てられると気分が悪いからね。部屋の中の音が漏れないようにと、外からは扉が開かないように魔法で壁を作ったんだ」
ということは、私が呼んでも香澄には聞こえない……?
さらにもしかすると、今の魔法を解除してもらえないと、外に出れないということでは……?
「さて、月穂……」
泰府の王は私のすぐ隣にどすん、と腰を下ろしました。
3人掛けのソファーが、埋まりそうな勢いです。
「邪魔者がいなくなったところで、腹を割って話そうじゃないか」
にじり寄ってきた大きな体から逃げるように、私もじりじりと反対側に移動します。
「私の側室になれば、一生楽しく暮らせるぞ。ドレスでも宝石でも、何でも好きなものを買ってあげよう。月穂は何が好きかな?」
「あ、あの、私……」
すぐに肘掛けに背中が当たりました。
立ち上がって逃げようかとも考えましたが、横から伸びてきた太い腕が、肘掛けの端を掴んで退路を塞ぎます。
「た、大変申し訳ございませんが、私まだ、伝楊様に嫁ぐと決めておりません……!」
精一杯の勇気を出して、そう伝えました。
「何故だ? 他にも婚約打診をもらっているからか? その中に私以上の身分の者がいるとでも?」
「それは、その……」
残る婚約打診は2通。どちらも第三王子以下の身分です。
断れる理由は、私にはない。そう言っているのがよく分かりました。
「婚約式は来月にでも執り行おう。挙式は秋になってからでも構わないよ。夏は暑くて敵わないからね。月穂の花嫁姿はさぞ可愛らしいだろうなぁ……ドレスはどんなデザインがいいだろう」
勝手に話を進めないでください!
思わず白いドレスに身を包んで、丸々としたこの方の隣に並ぶことを想像してしまいました。
失礼だとは思いましたが、寒気がします。
「私の何が不満なのかな? 年齢かい?」
全部です! 理屈でなく嫌なんです! 生理的に無理です!!
……どう正直に答えても不敬罪になりそうな気がしました。
「気にすることはない。年の差などすぐに気にならなくなるさ」
厚みのある手が伸びて膝の上に置かれたところで、私は完全に言葉を失いました。
忘れそうだった(月穂は忘れていた)ブタさん再登場。
ビジュアルはぽっちゃりキ○オタ系(良い子に見せられない蔑称)でご想像ください。
昨日夜、うっかりPV15000を見ちゃったけど……これ、キリ番かな……完結時のイラストに一枚追加で手を打つかな……
次話「気にくわない」。明日更新予定です。
どこまで続くよこの話?




