35.君は大丈夫
今までの激しさが嘘のように、ナイトフライトは静かな金の瞳で私を見ていました。
「お前の声で……死ねと、言ってくれ……頼む」
本気の訴えなのだと分かりました。
(ずっと、ひとりでこの姿で生きてきた)
そう話してくれた時に伝わってきた寂しさは、嘘じゃなかった。
この人は本当に苦しんで生きてきて、疲れてしまったのかもしれません。
でも、だからって。
「((嫌です))」
そんな最期を選んでいいわけがない。
「月穂……」
「((ダメです。死んで終わりにするなんて……絶対ダメです))」
ナイトフライトに何があったか全部は分かりません。私を騙した他にも、悪事を働いてきただろうことは容易に想像がつきました。
きっとこの人にはたくさんの罪がある。でも、疲れたから死ぬだなんて。
そんなの許せないし、悲しすぎる。
「((あなたは生きて、ちゃんと罪を償って。あなたがその姿になった時から今日まで、あなたのしてきたことをよく思い出して、心から悔いて……傷つけてきた人達に謝るの))」
「……!」
「((よくよく反省して……もうひどいことはしないと誓って。そうすればきっと、あなたにだって本当に愛してくれる人が現れるわ……))」
私の言葉に、ナイトフライトはくしゃりと顔を歪めました。
横たわったまま地面に額をこすりつけて、嗚咽をもらします。
「……わたしが、愚かだった……」
懺悔の言葉が、彼の口から次々に絞り出されました。
今までの彼の行動にそぐわない、その姿は本当に心から悔いているようで……
金色の目からは、涙がこぼれたように見えました。
突如、ナイトフライトの体から細かい霧のようなものが立ち上りました。
(……何?)
霧は夕闇の空に高く昇っていきながら、キラキラした粒子になって溶けていきます。
蒼嵐様と2人、それを目で追いました。
「……なるほど」
蒼嵐様が呟きました。
「ちょっとシャクだけど、彼の呪い、解けたみたいだね」
その言葉にゆっくりと顔をあげたナイトフライトが、蒼嵐様を凝視します。
驚きに見開かれた目のままで、ゆっくりと私に焦点を合わせました。
「月穂……? お前が……?」
「((え? いえ、私は何も……))」
あわてて首を振ります。
愛されたら呪いが解けるのですよね?? 断じて、ありません!
「無垢な心の持ち主に愛されて、己の罪深さを知れと言うことなのだろうね。結局は、因果応報、自業自得。そういう話だろうから」
蒼嵐様が1人で納得されていますが、意味が分かりません。
そもそも、その無垢な心の……というところが、ひどくくすぐったく聞こえます。
「((……それは、要するにどういうことなのでしょう?))」
「必要だったのは愛されることそのものじゃなくて、その時に自分を振り返って心から反省することだった、ってことかな。神様の考えそうなことだよ。ナイトフライトの場合は、月穂姫に強制的に反省させられて、呪いが解けたってところだね」
「((……ええっ?))」
「転じて月穂姫、最強説……」
「((な、なんですかそれ?!))」
不可解な呟きに、私はそもそもの疑問を思い出しました。
「((あの、そういえば蒼嵐様……は、どうしてここにいらっしゃるのですか?))」
蒼嵐様は私の問いにちょっと首を傾げると「うん」と腕組みをしてから話し出します。
「それは……元はといえばメンハトで送った手紙の返事がこなくて気になっていたのが発端で。飛那姫にちゃんと確認しに行けと城を叩きだされて韋駄天で飛んで来たものの、着いてみたら月穂姫は行方知れずだし、庭園に出たかもしれないと君の侍女から聞いて、ここだろうと予想はついたんだけれど。護衛の余戸達を連れてぞろぞろ押し掛けたらまた月穂姫が怖がりそうだし、何か嫌なことがあって外に出たなら人に見られたくないだろうな、と思ったんだ。だから城の中だから供は要らないと無理を言って僕だけが様子を見に来たんだよ」
「((よく、分かりました……でもそんなに事細かに語ってくださらなくても……))」
「僕も詳細に語ろうと思ったわけじゃないんだけれど……その声で尋ねられたら、そう答えざるをえないみたいだね……」
困った様な笑いを浮かべて、蒼嵐様が言いました。
「聞かれたことにはちゃんと答えるから、そろそろ声に漏れ出してる魔力、収めてもらえるとありがたいかな」
「((え……あ?))」
力の使い方を覚えたばかりでうまく制御出来ていなかったようです。
無意識とは言え、これは脅迫に近いでしょう。
私は青くなって頭を下げました。
「ご、ご無礼をいたしました……!」
最大級の無礼を働いてしまった気がします。
本当に私、どうしていつもこう上手く出来なくて、頭が回らなくて、それから……それから……
「も、申し訳ございません!」
「あ、出た。お得意の」
「あっ」
謝るよりお礼を言った方がいいと、教えていただいたはずなのに……
「あ、あの、私、本当に粗忽で、何一つまともに出来なくて、ご迷惑までかけて……これはですから、心から謝罪したいと思っているから出た言葉で……その……」
しどろもどろに言うと、ポン、と頭の上に手が置かれました。
「君は自分がどれだけのことが出来るのか分からないでいただけだよ。月穂姫の声は、強靱な剣にも盾にもなり得るすごい能力だと僕は思うんだけれど、どうかな?」
「私の声が……?」
確かに、私は新しいことが出来るようになったようです。
声にしか魔力を乗せられないところも、小さな魔法ひとつも使えないところは変わらないけれど……使い方によっては、出来なかったことも出来そうな気がしました。
「だからね、自分を過小評価するのはもうやめなよ。君は十分に強いよ」
なんせ、僕を助けてくれたんだからね。そういたずらっぽく言う蒼嵐様を、赤くなって見返します。
それはもう忘れてください!
「――蒼嵐様ーっ! 蒼嵐様はいらっしゃいますかーっ?!」
向こうの方から、人が近付いてくる気配がありました。
あの声は、いつもの護衛の方でしょう。
「ああ、しびれを切らして来ちゃったみたいだね、余戸達」
間もなく、道の向こうから護衛や侍従がぞろぞろと姿を現しました。
足早に近寄ってきて蒼嵐様と言葉を交わすと、護衛の何人かがナイトフライトを捕らえに行きます。
「紗里真の国王」
拘束されて立ち上がったナイトフライトが、こちらに向かって声を投げました。
発言出来ないよう護衛が押さえ付けようとしたところを、蒼嵐様が手をあげて止めます。
「この世は……ままならぬことが多すぎるな。不公平だと思わないか?」
「不公平?」
「そうだ。お前のような強者と違い、弱者は虐げられる。いつも望んだものは手に入らない」
「僕が強者かどうかはともかくとして……そうだね、世の中は不公平が当たり前で、理不尽なことだらけだ。一部の人の欲が多くの人の夢を一瞬で奪う。そんな話がいくらでもある。筋の通らない事なんて珍しくない」
「……言ってくれるな」
「ここは夢の世界じゃないからね。人はそれを現実というんだよ。そこを生きているという意味じゃ君も僕もなんら変わりは無い。何かな? もしかして気休めの言葉が欲しかった? 僕はそれほど親切じゃないんだけれど。聞く相手を間違ってない?」
「……月穂、お前もそう思うか?」
ふいに問いかけられたことに、私が答えられる事はひとつしかありませんでした。
ずっと信じてきた、ひとつのこと。
「ええ、この世は不公平です。だからこそ、むやみに手に入れたがったり、人を羨んだりしないで、自分の置かれた場所に根を下ろすことが大事なのだと思います……そうすることで、はじめて幸せを見つけることが出来るのじゃないかしら」
答えた私の顔を、蒼嵐様とナイトフライトが無言で見ていました。
な、なんでしょう。おかしなことを言ってしまったでしょうか……
蒼嵐様が、くすりと笑いました。
「君よりこっちのお姫様の方が何倍も強いようだね」
「……見誤っていたか、私は」
「無理もないんじゃないかな、僕もちょっと騙されていたみたいだよ」
「……そうか」
それだけ言うと、ナイトフライトはくっくっと笑いました。
一度だけ私と視線を合わせると、背を向けました。それ以上何も言わずに去って行きます。
その後ろ姿がなんとなく満足そうに見えたのは、気のせいだったのでしょうか。
隣に立つ人にあらためて話しかけようとしたところで、気付きました。
「え? 声が……」
気付けば、声がなくなっていません。
辺りはもうすっかり暗くなっているというのに。
「どうしたの?」
「せ、蒼嵐様……私、声が、普通に出ているんです。今日で、もう歌えなくなるはずだったのに……」
「あれ? さっき説明しなかった? 瑞貴姫のところにあった呪具を僕が回収して解呪したから、もう声が出なくなるようなことはないよって」
「解呪……?」
そういえば、そんなことを聞いたような。
ということは……もう、声が出なくなることにおびえなくて良いのでしょうか。
私、今まで通りにいられるのでしょうか。
「これからもちゃんと歌えるよ。安心して」
蒼嵐様のその言葉に、あらためて安堵の波が押し寄せてきました。
ああ、本当に悪夢が終わったんだ……そう思いました。
「……ありがとう、ございます……!」
胸がいっぱいになって、それだけ言うのがやっとでした。
「困ったときは力になるって言ったでしょ」
蒼嵐様はいつものように、優しく微笑みました。
長い……一話長いです。ええ、分かっておりますとも。
自重は捨てて……おりません。4000文字の壁は守りたい。
次話「新しい私」。明日更新予定です。




