34.守りたいもの
「どんなにひどい、苦しいことが起きても、地に根を張って耐えなさい。自分を愛してくれる人がいること、優しさを伝えることを忘れずにいれば、大切なものを見失わないですむものよ」
そうしていれば、いつかは必ず幸せになれるのだから。
お母様のその言葉を信じて、生きてきました。
私には王族として誇れるようなことは何もない。地味で引っ込み思案で歌を歌うことしか出来ない。それは事実。
お姉様方からそう馬鹿にされ、理不尽な仕打ちを受けて、それでも耐えてこられたのは悪意の刃が自分だけに向いていたからです。
自分の大切なものにそれが向かうことは、想像したことがありませんでした。
(私のせいだわ……!)
視線の先に浮かぶ水球の中。地面に膝をついた蒼嵐様を、凍り付いたように見るしか出来ませんでした。
私はやはり、無力なのでしょうか。
理不尽に耐えることしか出来ない、力ない人間なのでしょうか。
最悪の事態が目の前で起きようとしているのに、それを見ているだけなんて。
(力があれば……私にも、飛那姫様のような誰にも負けない力があれば……!)
何故その瞬間に、それを思い出したのかは分かりません。
追うな、と。紗里真で聞いた飛那姫様の声が耳に蘇ってきたのです。
(私にも……)
あんな力があれば……?
そう願った瞬間に、理解しました。
向かうベクトルの方向を、本能が知覚したような。そんな感覚。
(私にも、出来る……?)
やり方は知っているはずです。
どうすればいいのか、理屈ではなく……
誰よりも私は、それを知っているのですから。
「((――やめて!!!))」
刹那。叫んだ声が、いつもと違う響きをもって空気の中を伝わっていきました。
私を押さえていた黒い腕が、びくりと震えて拘束の力を緩めます。見下ろす金色の瞳が、驚愕に見開かれたのが見えて……
「……月穂? な、なにを、した……?」
うろたえた声が、問いかけました。
「((今すぐ攻撃をやめて!!))」
私の口から出た言葉が、確実に従うしかない力として放たれていくのを感じました。
絶対的な強制力をもった、言霊として。
(私には声しかない。でも、たったそれだけでも、出来ることがある……!)
「((あなたはもうそこから動かないで! ナイトフライト!))」
ナイトフライトは腰を抜かしたようにその場に座り込んで、動かなくなってしまいました。
呆然と私を見上げている視線を振り切って、背後を見返ります。
「((っ蒼嵐様!!))」
走り出そうとして、足を止めました。
蒼嵐様はそこに立っていました。
普通に。
「((……?!))」
「……驚いた。月穂姫、そんなことも出来たんだね。いや、僕の想像力が足りなかった」
のんびりとした声が響いて、私はこれ以上ないくらい目を丸くしました。
「((え? ……あの、蒼嵐様? お怪我は……))」
駆け寄った私に、蒼嵐様は「ああ」と自分の衣服を見回しました。
濡れた様子もなく、いたって普通です。一瞬、水球に飲まれたこと自体が夢だったのかと目を疑いましたが、地面には割れた水球の水が、確かに飛び散っています。
「いや、あのまま攻撃したら月穂姫に怪我させちゃいそうだったから、一旦やられたフリをしつつ、隙を見て反撃しようかと思ったんだ。体の表面に見えないくらいの空気層を作っていたし、別になんともないよ」
「((……なんとも、ない?))」
「うん。さすがにその辺の呪師とかにコロッとやられるほど弱くないからね、僕」
「((……))」
殺されてしまうかもしれないと思ったのに。まさか、演技……だったのですか?
「それより月穂姫、首……傷になってない? 大丈夫?」
差し出された手を、ぼうっと見つめました。
そうです、優秀な魔法士である蒼嵐様が簡単に負けるわけがなかったのです。
何を必死に、私ごときが守らなきゃだなんて……
そう思った瞬間に、全身から力が抜けました。
振り上げた拳を、どこに下ろしていいのか見失ってしまったような――。
「月穂姫?!」
揺らいだ体を受け止めてくれた腕に縋って、なんとか倒れずにすみました。
「だ、大丈夫? 魔力がもれてるよ。抑えて……」
「((ひどいです……))」
「え?」
「((良かったです……蒼嵐様がご無事で良かったけれど……! 心臓がつぶれそうなくらい心配したのに……騙すなんてひどいです!! 私、私もうダメかと思ったのに……!))」
ホッとしすぎたせいで、ぼろぼろと涙がこぼれました。同時に、殺されそうだと思ったのが演技だと分かって、ものすごく理不尽に思えてきます。
もう自分で自分が何を言っているのかよく分かりませんでした。
蒼嵐様は「うっ」と唸って、私を支えるのと反対の手で胸元を押さえました。
「ご、ごめん……月穂姫まで騙して……謝るから泣かないで……! あとその、声に魔力乗せるのやめてくれるとうれしい……!」
「((し、心配しました……!))」
「っいや、だから……ご、ごめんね」
「((怖かったです……!))」
怖かったです。
私のせいで蒼嵐様が死んでしまうと思ったら、どうしようもなく怖かった。
「((私……私……!))」
勢いのまま言葉を吐き出し続けていたら、ふいに私を支えていた腕に引き寄せられました。ふわりと鼻に飛び込んできたのは、インクと薬草の香りでした。
(……え?)
抱きしめられた温かさに、全ての思考が停止しました。
次に続ける言葉も、瞬きすることも忘れてしまって――。
「よく、分かったから落ち着いて……ごめんね。怖い思いさせて……」
ぐったりした呟きが、耳元で聞こえてきます。
私が無言になると、蒼嵐様は肺の奥から安堵の息を吐いたようでした。
……これ……どういう状況でしょう。
「……まるで神話の怪物だな。声で人心を操る能力か」
そんな声とともに、黒い気配が背後から襲いかかってきました。
咄嗟に振り向く前に届いた攻撃が、私のすぐ目の前で弾かれて燃え上がります。復国祭の時と同じです。魔力の盾に守られていることが分かりました。
すぐそこに一枚壁があるかのように、熱を感じません。
「((蒼嵐様……))」
誰に守られたかなんて、考えるまでもありませんでした。
見上げた顔が、あまりにも近くにあってうろたえます。わたし、今絶対、真っ赤な顔をしている自信があります。心なしか、蒼嵐様の顔も赤い気がしましたが……
私と目を合わせないまま、蒼嵐様はナイトフライトに向かって言いました。
「君さ、ちょっと往生際と性格が悪すぎるんじゃない?」
ナイトフライトは地面に座り込んだまま、こちらを睨んでいました。
「何が悪かろうとかまうものか……わたしはどんな手を使っても貴様を殺したい」
「残念だけれどそれは無理だね。僕ね、もうやられたフリとかするつもりないし、それに今ちょっと怒ってるから」
「わたしがここで、持てる最大級の呪いを、この命をもってこの城全体にかけると言ったら?」
「……仮にそれが出来たとしても、行使を許すつもりはないよ。誰を相手にそんな増上慢の計画を披露してくれてるか、分かってる?」
肩に置かれた手から、魔力が練られるのを感じました。
「罪人の手錠」
ぞくりとするような気配がすぐ側から沸き上がり、生き物のようにナイトフライトに向かって飛んでいきます。
土気色の太い触手のようなものが、黒いローブの体にぐるぐると巻き付きました。
ナイトフライトは幾重にも伸びてくる拘束の手を払いのけようとしましたが、あっという間に締め上げられていきます。
絡みついた触手に足を取られ、横に転倒したところで完全に身動きが取れなくなりました。
少しだけ唸って、首を持ち上げると蒼嵐様を睨みます。
「格の違いっていうものを考慮せずに喧嘩を売ると、身を滅ぼすよ」
静かに微笑んだ蒼嵐様が告げます。底を這うような怒気の含まれた、冷ややかすぎる声で。
これ……誰の声でしょうか。
「魔力も封じる罪人用の拘束呪か……」
「うん。それ、暴れれば暴れるほど締め上げるから注意してね」
「もう既に血が止まりそうな勢いだ。すました顔してえげつないじゃないか……国王陛下」
「怒っているからね」
「……抵抗が無駄なことくらい、分かっているさ。わたしがやっているのはただの八つ当たりにすぎない」
吐き捨てるように言うと、ナイトフライトは自分を嘲るように笑いました。
「……月穂」
真っ直ぐにこちらを見て、私を呼びます。
「すまなかったね……月穂」
穏やかな謝罪の声でしたが、私は思わず側にある蒼嵐様のローブを握りしめました。
金色の目に宿った、執着のようなものが怖かったのです。
「最後にひとつ頼みがあるんだ……聞いてくれないか?」
「君、性格悪い上に図々しいんだね。首締めた相手に頼みとか、ないよね普通」
「本気で害そうなどと、思っていなかった」
呆れたような蒼嵐様の声に、ナイトフライトはぽつりと返しました。
「月穂、頼む。お前のその声で、わたしに死ねと、言ってくれないか?」
「((……今、なんて……?))」
「そのまま言葉通りだ、心臓を止めるように言ってくれてもいい。先ほどのように魔力を乗せて、わたしに命令してくれ」
恐ろしい頼みごとでした。
そんなこと、出来るわけがありません。
仮に私がそれを出来たとしても。
「もう疲れた……終わりにしたいんだ」
消えそうな声で、ナイトフライトが呟きます。
偽りのない本心を、吐き出してしまったように。
更新がものすごく中途半端な時間になってしまいました。
決着ついて、さて次話はどうなる。
普段温厚な人ほど、怒らせたときには怖い。ということは、作中で一番怖いのは……?
次話「君は大丈夫」。明日更新予定です。




