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29.メンハト(蒼嵐視点)

 ずっと昏睡状態だった飛那姫が目覚めた日。

 体調にも特に問題はなさそうな妹の姿に僕は心底安堵した。


 もちろんその日は片時も離れたくないと思った。でも恋人が来ているせいか、少々面倒臭そうな顔をした妹に「いい加減公務に戻ってください」と僕は部屋を追い出された。

 ……まぁいいか。目覚めてくれただけで今は十分だ。


 自室に戻って、まずやらなくてはいけないことは各方面への通達だった。

 妹が伏せっていたのは長期にわたっていたので、既に公に知られている。

 また城下町でも国民達がその回復を待ち望んでいた。僕はぬかりなく迅速に、各方面へ通達するよう大臣2人に伝えた。


 そしてそれとは別に一通の手紙を書いた。これは国同士の連絡というより、あくまで個人的なものだ。


 その節はお見舞いありがとう。今日飛那姫が目を覚ましたので、取り急ぎ連絡しました。

 心配をかけたけれどこちらはもう大丈夫。そちらは変わりない?

 真国の史跡について希少な本が手に入ったから、落ち着いたらまた遊びに来ない?


 そんな風な内容を友達に送る気楽さで書いた。王女にありがちな高慢なところや計算高さのない、あのおっとりした彼女には気安さを感じるのだ。

 早く報せたいと思ったから、伝書鳩(メンハト)を使うことにした。

 引き出しにしまっていた宛名登録済みの白い球をひとつ取り出して、窓を開ける。


 連絡手段として広く流通している魔道具のメンハトは、宛名登録をした人で(ハト)の形状が変わる。

 はじめて手紙を送る人のハトがどんな色でどんな形をしてるのか、見るのはちょっとした楽しみだ。

 あの姫の性格を思うに、丸くてフワフワした感じの小鳥なんじゃないだろうか。


 その姿を想像してくすりと笑いながら、窓辺に置いた丸い花台の上に封筒を乗せる。メンハトの白い球をその上に置いて、指先で押し潰した。

 沸き立つような淡い薄紅色が広がった。


「えっ……?」


 桜の花びらのような羽色をもった鳥は、僕の予想通り、まん丸のシルエットにピンと長いしっぽのついた可愛らしい姿をしていた。

 くりくりしたこげ茶の瞳に、ちょこんとついたクチバシが短すぎる。ここに飛那姫がいたら間違いなく「可愛い!」と叫んでいるだろう。


 ただ、そんな可愛らしい見た目に反して全体が大きかった。

 体長は尻尾まで入れたら50センチくらいありそうだ。


「ええ……? まさか……大翼(だいよく)の鳩??」


 メンハトは、その人の血が持つ情報で姿が変わる。

 王族の中には魔力的に優れた濃い血を持つ者がいて、そういう人のメンハトは「大翼の鳩」と呼ばれる特殊な形状をとるのだ。

 要するに、小鳥サイズである普通のメンハトと大きさが全く異なる。

 こんな風に、大きいのだ。


 音もなく飛び去って行った桜色の翼を、僕はぽかーんと見送ってしまった。

 僕のメンハトも大翼で大きいし、妹もそうだ。でも、家族以外であんなに大きい鳩を見たことはなかった。


 魔力が豊富で特殊な能力を持つ子だとは思っていたけれど……へぇ……

 ぬいぐるみみたいな見た目にも驚きだったけれど……あんなに普通の女の子っぽい姫が、大翼の鳩を作ることに僕は少なからず驚いた。



 彼女に渡した僕宛のメンハトは2つあるはずだから、返事がくると思っていた。

 けれど、次の日の朝になっても返事は来なかった。

 必ず返事が来ると思っていたわけじゃない。でも尋ねていたことがあるのだから、返事が来ても良いと思う。


(困ったことが起きても……理不尽なことがあっても……頑張れますから)


 お見舞いに来てくれた時の、彼女の言葉がふと思い出された。

 あの一言は気になったんだ。まるで、何かに耐えているから出て来たものみたいに聞こえて。

 だからあの後、悪いとは思いながら僕は少しだけ彼女の身辺を調べてみた。


 父や兄との関係は良好と思えたけれど、3人の姉達とはうまくいっていないらしい。

 日常的に嫌がらせのようなことがあると知ってしまって、胸が悪くなった。

 第3側妃である母親も3年前に亡くなっていて、家族の中で辛い立場にいるのかもしれない。そして復国祭前に、しばらく声の出ない病気にかかっていたことも分かった。声が治るのと同時に、第一王女の気が触れたということも。


 何か、きな臭いものを感じた。

 状況判断だけなら、いくつか仮説も立つ。

 頼ってくれたら力になれるかもしれないと思ったけれど、結局今まで彼女から連絡は来なかった。

 気にはなったものの、人の家庭の事情に首を突っ込んでいくのもどうかと思うし。悩みつつ、僕は自分から行動を起こすことをしなかった。

 だから、その後に何があったかを考えると余計に気になった。


(何か困ったことが起きた、とかではないよね……?)


 心の中で唸りながら、僕はバンケットルームに向かった。

 軽食程度ならとってもいいと医師から許可が出たので、昼食後に妹と久しぶりのお茶をすることになったのだ。



「美味しい」


 向かいに座って笑顔でお茶のカップを持つ妹を見たら、感無量だった。

 32日間も昏睡状態だったことを思えば、こうしてまた一緒にお茶が出来る喜びは計り知れない。

 ゆったりとした時間が流れるこの時に、幸せを噛みしめる。


「兄様、お顔の色が大分良くなりましたね」


 僕を見て妹が言った。寝込んでいたのは自分だというのに。


「飛那姫がそれを言うかなぁ……」

「あら、私はただ寝ていただけですから。兄様の心労から比べればなんてことはありませんわ」

「そうか、寝ている間に飛那姫が痛かったり苦しかったりしなくて良かったよ」

「また私のことばっかり……目覚めた時に兄様が倒れていたら、すごい責任感じてましたよ私」


 責任を感じてもらう必要はないんだけれど、倒れていてもおかしくなかったのは事実だ。


「これで飛那姫がお嫁に行くなんてことになったら、本気で倒れるかもね」

「何故そこで脅すんですか……まだ正式に何も決まってないでしょう?」

「脅してるわけじゃないけれど。でも飛那姫、あの王太子のところに……行くんだよね?」


 アラを探そうにも探しようのないくらい出来た妹の恋人を思い出して、僕は深いため息を吐いた。

 尋ねておいてなんだけど、この話題は心が痛い。


「それは……そのうち、行きますけど」

「行くんだ?! やっぱり行くんだ?!! なんか言われた?!!」

「言われましたけど。兄様、落ち着いてください」

「落ち着いていられるわけがないじゃないか……飛那姫がここからいなくなるだなんて、僕の未来は真っ暗だよ」

「私が寝込んでいた1ヶ月間、周りはさぞ大変だったんでしょうね……」


 しみじみと言う妹に、僕は「当たり前だよ」とこぼした。


「最初の1週間ちょっとで、もうダメだ、僕は死ぬと思った」

「よくそこから2週間以上ももちましたね……」

「そうだね。我ながらよく神経がもったと……」


 ふと、思い当たって僕は言葉を切った。

 僕が1ヶ月も耐えられたのは、自分の力だけじゃなかった気がする。


「励ましてくれた人がいたからかな……?」

「兄様は人望がありますからね」

「いや、そうじゃなくて」


 月穂姫のことを思い出したら、手紙の返信がこないことを芋づる式に思い出して、また気になってきた。


「ねぇ飛那姫、僕から手紙が来て聞かれたり、誘われたりしたことがあったら、どうする?」

「え? それはすぐ返事しますよ。メンハトでも直接でも」

「じゃあ返事をしないとしたら、どんな時?」

「返事をしない時、ですか……?」


 妹は少し考えて「うーん」とうなった。


「手紙を送れない状況にあるとか……例えば、今回みたいに寝込んでいるとか」

「寝込んでいる……?」

「まぁそれはもののたとえですけど。なにか理由がなければ返すんですから、返せない理由があると考えるのが自然じゃないですか?」

「そうか……やっぱりそうだよね」

「なんでそんなこと聞くんです?」

「いや、女の子は気分で手紙を返さないこともあるのかと思って」

「は?」


 僕は月穂姫に飛那姫が目覚めたことをメンハトで報せたけれど、返事が来ないと事情を説明した。

 一通り話を聞くと、飛那姫は呆れた目で僕を眺めた。


「そんなに気になるなら、ちゃんと本人に確認すればいいじゃないですか」

「え? 気になってるのかな?」

「なってますよ、すごく」


 確かに、妹との楽しいお茶の時間にそぐわない話題を持ち出している時点でおかしい。

 そうか、気になっていたのか……


「うーん……そうか。返せない状況か……彼女、家庭の事情が複雑そうなんだよね。何か困ったことになってなければいいんだけれど……」

「家庭の事情? 何か問題があるって言われたんですか?」

「いや、実はちょっと気になったから家庭環境を調べてみたんだけれど」

「え……調べたんですか?」

「うん。まぁ、色々と」

「うわぁ……」


 非難の目で僕を見る妹に、ちょっとだけたじろぐ。

 やっぱり勝手に身辺調査はまずかっただろうか。


「兄様の愛情はたまに方向性がおかしいです」

「ええ……そうかな?」


 その言葉に僕ははたと気付いた。


「これって、愛情なのかな?」

「他に何があるんですか?」

「……庇護欲?」

「……最低の回答です。兄様って、自分自身の感情については恐ろしく頭が悪いのですね」


 妹に最低と言われてしまった。これ、激しく落ち込む案件じゃないだろうか。


「兄様はただでさえ威厳とか男らしさとかが乏しいんですから、肝心な時にしっかりしないとダメですよ」

「え、ちょっと待って飛那姫。さりげなく実の兄貶めてない? 僕立ち直れないよ?」

「兄様はすごい人ですし尊敬してます。でもそれとこれとは話が別でしょう。とにかく今すぐ行動されることをオススメします」

「今すぐ行動って……」


 そこですぅと息を吸うと、妹はバン、とテーブルに両手をついて僕を正面から睨んだ。


「何かあったのかもしれないとウジウジ考えてるくらいなら、こんなところで私とお茶してないでさっさと確認に行けばいいと言ってるんです!」

「えっ、ええ??」

「兄様!」

「はい!」

「いってらっしゃいませ」

「……はい」


 僕はひきつった笑顔で頷いた。


ヒーロー、動かなさすぎて妹に叱られました。

あ、32日間も寝ていた割に元気に歩けるのは裏事情がありますが、本作中では割愛。

そして、空白改行カウントなしでギリギリ4000文字以内を死守……(威張れない)

次話「タイムリミット」、明日更新予定です!

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