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23.書庫デート

 どうしてこんなことになってしまったのでしょう……


 今回紗里真に来たのはいただいたお役目を果たすためです。蒼嵐様とこんな風に一緒に過ごす時間を望んではいませんでした。


 私はこの気持ちをあきらめなければいけないのに。

 現実とは思えない時間に、心臓の音ばかりがうるさく聞こえます。


「こっちの本は前編後編に分かれていて、物語風に書かれているから読みやすいと思うんだけれど……月穂姫?」


 動揺にまみれた私の顔を見た蒼嵐様が、はたと言葉を切りました。


「どうかした? 顔が赤いけど……もしかして具合悪いの、ぶり返した?」

「え……いえっ、ちょっと熱いだけでっ! どこも悪くは……」

「そう?」


 手が伸びてきたと思ったら、ひた、とおでこに大きな手のひらが触れました。


「……!」

「うん、熱はないみたいだね。ちょっと窓開ける?」

「だ、だ、だい、じょうぶです……!」


 し、心臓が……心臓が持ちません!

 噛みながらお気遣いを断ると、私はぎゅっと膝の上で手を握りしめました。

 その様子を見ていた蒼嵐様は、少し考えたような顔の後、おそるおそるといった感じで言いました。


「ええと……もしかしてだけど、僕が怖いのかな?」


 ちょっと傷ついた雰囲気を感じて、私は息を飲みました。

 そんな誤解をさせてしまうのは、私の態度が良くないからなのです。


「そっ、そんな訳ありません!!」

「いや、でも」


 力いっぱい否定しましたが、蒼嵐様は信用していないお顔です。

 いけません。このままでは、本当に私が蒼嵐様を怖がっていると思われてしまいます。訂正しなければ!


「わ、私のためにこうして本を用意して下さったのかと思ったら、あの、感動して胸がいっぱいになってしまって……!」

「え? そうなの?」

「はい! その、申し訳ございません……」

「あ、また謝った」

「……え?」

「月穂姫、よく謝るよね」


 蒼嵐様は困った様にそう言うと「うーん」と腕組みをして考えた風を作ります。


「僕は何も悪いと思っていないから、どうせなら『ありがとう』って言ってくれた方がうれしいかなぁ」

「あ……」


 蒼嵐様は私の顔をちらと見て、いたずらっぽく笑いました。

 そのお顔が、昼間に見た飛那姫様のウィンクと、重なります。


「本、喜んでもらえた?」


 シナモンがかった優しい茶の瞳が、気遣うように私をのぞき込んでいました。

 その目の中に自分が映っているのを見つけて、泣きたいくらい幸せな気持ちになります。


「はい……ありがとう、ございます」


 微笑んでそう言うと、蒼嵐様は満足そうに頷きました。


「月穂姫は素直だね」

「え……あ」

「本を喜んでもらえて、僕もうれしいよ。飛那姫は本を薦めてもちっとも読んでくれないから」

「そうなのですか?」


 さらりと、飛那姫様の名前が出て来ました。

 香澄は言葉悪く蒼嵐様をシスコンだと言っていましたが……私は飛那姫様とお会いして、納得した部分が大きかったのです。

 あんなに素敵な女性が姉妹だったら、私だって崇めてしまうかもしれません。


「あの……今日、お昼のパーティーで飛那姫様と少しお話出来ました。その……見た目だけでなくとても素敵な方で、驚きました」

「本当? うれしいな。小さい頃から本当に良い子なんだけれど……ちょっと目を離していた間に口が悪くなってしまったところがあって、そこだけちょっと困りものなんだ。変なこと、言ってなかった?」


 ブタ。

 と思わず言いそうになりましたが、私はかぶりを振りました。


「いえっ、何も! ただ、私が困っているところを助けてくださったんです」

「困っているところ? どうしたの?」

「その……小国の国王様に、庭園の奥に連れて行かれそうになりまして」

「え?! そんなことがあったの?? 誰? どこの王?」

「泰府の……国王様です。お会いしたのははじめてだったのですが……」

「泰府の……ああ……」


 あれか、と蒼嵐様がため息をつかれました。


「政治はさほど問題ないんだけれど、ちょっとクセのある人でね……飛那姫がそこにいてくれて良かったな」

「はい、あんなに素敵な女性はお会いしたことがありません。助けていただいて本当に感謝しています」

「そうか……うん、良かった」


 うれしそうにそう言うと、蒼嵐様はまた本の説明を始めました。

 今度は私もちゃんと内容を聞いて、分からないところは質問しながら二人で読み進めていきます。


 幸せでした。

 蒼嵐様がどういう意図で私を誘ってくださったのかは分かりませんでしたが、こうして二人で本を眺めていられる時間が幸せな夢のように感じます。


(この時間(とき)が……永遠に続けば良いのに)


 ふと、そんな気持ちになります。

 楽しくて、うれしくて、時間はあっという間に流れていきました。


 すっかり夢中で話しているところに、書庫の扉がノックされました。

 一人の立派な騎士が入ってきます。


「国王陛下、こちらにいらっしゃいますか?」

「余戸、こっちだよ」


 呼ばれて振り向いた騎士は、私の姿を見て一瞬固まったように見えました。

 話しているうちにどんどん増えていった、積み上げられた本と私達を見比べると、肩を落としながら歩いてきます。


「……陛下、少し休憩したいと仰って、もう1時間近くここにおられるようですが。ゲストはどうなさるおつもりなのですか? いい加減お戻りになってください」

「ごめんごめん、つい楽しくて」

「楽しくて……ですか」


 そう言ってちらりと私を見ます。

 大きな体の、いかにも強そうな騎士でした。

 私まで怒られそうな気分になって、思わずびくりと身を縮めてしまいます。


「余戸、月穂姫を睨まないでよ。怖がっているじゃないか」

「睨んでなどおりません。これが普通の顔です」

「分かってるけれどさ、女性には怖いんだよねその顔……月穂姫、大丈夫。取って食べたりしないから」

「なんと言うことを仰るのですか、蒼嵐様……」


 陛下、から名前呼びに変えると、騎士は苦虫を噛み潰したような顔になりました。

 蒼嵐様とは親しい方なのかもしれません。


「お一人でおられるのかと思えば、可憐な姫君とご一緒とは思いませんでした」

「ああ、彼女考古学が好きでね、機会を見て書庫に呼んであげたいと思ってたんだ。ちょうど良いと思ったから」

「ちょうど良い、ではありません。こちらの姫君の外聞(がいぶん)も配慮差し上げてください」

「外聞?」

「比較的自由に出入りできる書庫とはいえ、伴もろくにつけず、成人女性とお二人で長い時間ご一緒なのは、女性の外聞に関わります」

「え? 僕、侍従にも護衛にも出て行くように言った覚えはないんだけれど……」

「皆、気を利かせたようですよ」


 書庫の前で、ウロウロとしている護衛と侍従を見て、一体何をしているんだと言いながら入ってきたと、騎士は言いました。


「そちらの姫君の侍女も、お二方がなかなか出てこられないので気を揉んでおられるようです」

「あ……」


 香澄に心配をかけてしまったでしょうか。

 楽しい気分でいたところ、急に申し訳なくなってきました。

 蒼嵐様も、少し表情を曇らせて私に向き直りました。


「そうか……月穂姫、成人女性だったね。ごめん、つい妹と同じように考えてしまって……僕の配慮が足りなかった」


 ガン、と頭を殴られたような衝撃を受けます。

 私、女性として見られていませんでした……

 いいえ、良いのです。分かりきっていたことですから……


 蒼嵐様は本を5冊ほど手に取ると、ポンと騎士に投げて渡しました。


「これ、月穂姫に差し上げるものだから、部屋まで運んであげて。僕は自分で戻るよ」

「本は他の者に運ばせます。私は護衛としてお側に控えますゆえ」

「もうどっちでもいいから、よろしく」


 今、本を差し上げると聞こえましたが……


「あの、その本ですけれど……」

「ああ、僕ね、文字も数字も、一度記憶したら忘れない体質なんだ。これの中身はもう丸ごと頭に入っているし、城の学士達はおそらく似たような書籍を持っているから、持って行ってくれて大丈夫だよ」

「えっ……そんな訳には……」

「いいんだよ、配慮が足りなかったお詫びだと思って、受け取って」

「そんな、申しわ……」


 はたと、思い当たって言葉を飲み込みました。


「その、ありがとう、ございます……」

「うん、よく出来ました」


 そう言って笑うと、蒼嵐様は足早に書庫を出て行かれました。

 それを追おうとして、騎士の男性は足を止めると私を振り返ります。


「蒼嵐様にとって『妹と同じように考えた』は、女性に対しての最上の褒め言葉かと思います」

「……え?」

「余計なことを申し上げました。御前、失礼」


 大股で歩いていってしまった騎士を見送って、私は1人ぼうっと立ち尽くしました。

 最上の褒め言葉……?

 

 意味が分かりませんでした。


三連休。それは休みと同義ではないのです。

あちこちに手が回っていない今日この頃。頑張って更新します。


次話「帰国と事件」。明日更新予定です。

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