1.ふいの出会い
ここは世界の最も東。
真国、と呼ばれる細く長い島国です。
島国といっても「国」とは名ばかり。遙か昔は統治されていた1つの国だったそうですが、今はいくつかの小国が点在するだけ。
私の住んでいる清明国も、そんな小国のひとつです。
島の最北に近い清明国には、取り立てて産業がありません。
珍しい鉱物が採れるのと、どこでも栽培できるコロイモが真国一の収穫量だということで、特産品に指定されているという程度の小さい小さい国です。
国民1700人という少ない人口から見ても、最小クラスの規模だと分かるでしょう。
私のお父様はこの清明国の国王です。
そして私は、側室第三夫人から生まれた、四番目の王女。
いわゆる末っ子です。
一番上のお兄様は正妃から生まれた王子。3人のお姉様方は、側室第二夫人から生まれた王女。
私は同じ王女でありながら、立場も一番下っ端で、うだつのあがらない位置にいます。
パッと目を引くような美人でもなし、スタイルが良いわけでもなし、身長も低く童顔……取り柄と言えば、役に立たないことがひとつだけ。
性格も引っ込み思案で、強く主張できない、いわゆる「地味でおとなしい子」。
それが私です。
この性格や立ち位置を特別にひどいものだと感じたことはありませんが、お姉様方は私の存在自体がご不満のようでした。
ことあるごとに嫌がらせのようなことをされるのも、きっとそのせいです。
この日もそうでした。
「月穂、これは何?」
この声は第一王女である、一番上の瑞貴お姉様です。
ゆるくウェーブを描いた赤い髪を後ろに払いながら、威圧感たっぷりに私の座る椅子の隣に立ちました。
お姉様の白い手が汚いもののようにつまみあげたのは、草色のテーブルランナーです。私は侍女が使う裁縫机に向かったまま、強ばった顔でそれを見上げました。
来月のはじめには、お父様のお誕生日があるのです。
何か贈れないかと考えた時に、思いついたのがこのテーブルランナーでした。
2週間ほど前から、ここで時間をみては少しずつ刺繍を重ねて作っていたのですが……
近頃、私がよく裁縫室に出入りしていると告げ口した侍女がいるようでした。
「テーブルランナーを、作っていました……」
消え入りそうな声で答えると、お姉様は馬鹿にしたようにフッと笑いました。
「テーブルランナー? この古ぼけた汚いストールのようなものが? どこに飾るつもり?」
「これは、その……」
「まさか、お父様に差し上げるつもりではないわよね?」
「あ……はい、そのつもりで作っていました」
「こんなものを? あなた正気?」
頭の悪い子供を見るような目で私を見下ろすと、お姉様は縫いかけのテーブルランナーを侍女の一人に放ってよこしました。
「あっ……」
「こんな品のないものをどこに飾れと言うのかしら。あなたからもらうものなど、お父様はお喜びにならないわよ。雑巾にでもなった方がまだ使い道があるというものね」
「か、返してください……!」
「いいえ、こんな無礼な振る舞いを見て見ぬ振りは出来ないわ。そこのあなた、適当な長さに切って、暖炉を磨く布にでもしておしまいなさい」
お姉様の取り巻きである侍女の一人が、作業台の横にあった大きな裁ちばさみを手に取りました。
ジャキ、ジャキという音とともに小さくなっていく草色のテーブルランナーに、冷や水を浴びせられた気持ちになります。
はらはらと床に落ちていく布を、呆然と眺めることしか出来ませんでした。
「お父様のお誕生日パーティーに、あなたが何か用意する必要はなくてよ。当日はゲストの目に留まらないよう、せいぜい隅の方でおとなしくすることを心がけるのね」
そう楽しそうに笑いながら、裁縫室を出て行くお姉様の背中を見送りました。
「月穂様……」
「お気をしっかり。私達も手伝います。また、一から作り直しましょう」
残された侍女2人が声をかけてくれます。
少ないけれど、私には味方もいるのです。
「ありがとう。でも、今日は、もういいわ……」
力なく微笑んで返すと、私もフラフラと部屋を出ました。
こんなことは珍しいことではありません。私に優しいのは一番上のお兄様だけで、あとのお姉様3人は、ことあるごとに私につらくあたってきます。
優れた魔法士であるお姉様方に、弱くて何も出来ない私が嫌われていることは知っています。お前は清明国の恥だと、目の前で言われたことも一度や二度ではありません。
王族であり、一応の魔力も有していながら、一つの魔法も使えないのは確かに恥かもしれません。でも私だって、なりたくてそうなった訳ではないのです。
そう思いながらも、浴びせられる暴言に耐えるしかありませんでした。お母様は既に他界されていて、私には他に頼る人もいないのですから。
渡り廊下を歩いていたら、暖かいお日様の光に誘われて外へ出たくなりました。
発作的に使用人用の階段を下りて、庭園へと足を向けます。
庭園の隅にあるお気に入りの桜の大木は満開を過ぎたところで、散り始めた薄紅色の花びらが儚げできれいでした。
それを見ているとなおさらに悲しくなってきて、お母様によく似ていると言われた濃茶の瞳から、大粒の涙がこぼれ出すのが分かりました。
「うっ……」
理不尽を、受け入れたいわけではないのです。でも我慢する以外の方法なんて思いつきません。
言い返す勇気は欲しくても、人を傷つけるような言葉は要らないから。
だから耐えて、災難が過ぎるのを待つのです。
木の幹に寄りかかって、しばらくの間そこで泣いていました。
そのうちに小鳥が何羽か飛んで来て、枝先でさえずり始めました。その愛らしさに、少しだけ元気が沸いてきます。
思わず、春の歌を口ずさんでいました。
魔力があっても、魔法を使うことが出来ない私の唯一の取り柄は「歌う」こと。
歌声に魔力を乗せれば、私の声はどこまでも通る音楽になります。
歌を歌っていると、優しい気持ちになれました。お父様が私の歌を「月穂の歌は優しく甘やかで叙情的」だと褒めてくださる時などは、ことさらにうれしく思えました。
鳥たちも次第に枝先に数を増やして、私の歌を聴きに来てくれたようでした。
歌っているうちに悲しさが和らいでいきます。
その時。
緑の茂みの先に、草を踏み分けるような音がして、驚いた鳥たちが一斉に飛び立ちました。
「……あっ……ごめんね!」
聞き慣れない柔らかいバリトンボイスが、飛んでいってしまった鳥たちを見送ります。
「驚かすつもりはなかったんだ」
茂みから姿を現した一人の殿方が、申し訳なさそうに軽く頭を下げました。