13.あの時の
声が出なくなってから、1週間が経ちました。
お父様は、復国祭への参加を断ろうかどうしようかと、ずっと気に病まれている様子です。
私が原因で家族に心労を与えているかと思うと、申し訳なくて泣けてきました。
復国祭は、もういっそ辞退すると言ってしまった方が良いかもしれない。そんな風にも思いました。
私と同じように感じていたのか、お父様はその日のうちに紗里真王国へ「王女の調子が悪いので復国祭は辞退させてもらうことになるかもしれない」という文書を送りました。
正式な回答は、紗里真から迎えの馬車が来る前日までに差し上げると。
明日がその期限の日。
お断りの返事をしなければならないことに、私の気持ちは深く沈んでいました。
蒼嵐様は、どう思われるでしょうか。
せっかく、素晴らしい歌声だと褒めてくださったのに……
私のこの声は、一体いつになったら元通りになるのでしょう。
時折、かさかさと耳の中に聞こえてくる変な音にも慣れてしまいました。
このところ、部屋にこもっていることが多くて気も滅入りがちです。
嫌なことばかりが頭に浮かんできて、余計に気分が塞ぐ思いがします。
声が出ない、話せないということ以上に、歌えないことは私から一番大事な気力を奪い去っていきました。
少しでも気分転換が必要。そう思い、1人になりたかったこともあって、私は庭園へやってきました。
意識しなくとも、お気に入りのいつもの場所に足が向きます。
あの日、蒼嵐様と出会った時にはまだ満開を過ぎたあたりだった桜の木が、すっかり緑の葉桜になっていました。
(歌いたい……)
そっとゴツゴツした幹に触れて、言葉にならない思いを呟きます。
酸素の多い庭園の空気に、声の出ない、歌えないつらさがにじみ出ました。
歌えないこと自体がこんなに苦しいのに、そのことが更に周りに迷惑をかけてしまっている。
そんな現状に、ひどく胸が痛みました。
(もう、一生歌えないのかしら……)
私の思いがどれほど強くても、自然の力には敵いません。
その大きな力は時として神であったり、災害であったり、病であったりするのです。
何が原因かなんて、考えても答えの出ないことを、悩んでも仕方が無いというのに……
「何故、どうしてと、考えているのだろう?」
ふいに頭上から落ちてきた声に、私は跳び上がりそうな程驚きました。
もたれかかっていた幹から慌てて離れ、樹上を見上げます。
「逃げなくてもいい。私はお前の味方だよ」
低くかすれた声が、羽音とともに地面に降り立ちました。
(あ……この間の……?)
黒いコウモリのような羽を広げた、鳥ではない……なにか。
厨房で料理人達に追われていた、あの不思議な生き物でした。
お日様の下でも不気味に光って見える、金色の目でじっと私を見つめています。
薄く開けた嘴から、もれるように声が聞こえてきました。
「月穂。お前、何で声が出なくなったのか、分かるかい?」
名前を呼ばれて、私はびくりと肩を揺らしました。
この生き物、人の言葉が話せたのですね……それだけでも不気味さが際だって見えましたが、問いかけられた内容にはもっと気味が悪くなりました。
(分かるわけないわ。お医師でも、学士でも分からないのだもの……)
お兄様が聞いて回ってくれた学士達も、私の声の出なくなった原因は分からなかったのです。
「わたしは知っているよ。お前はね、呪われたんだ」
……なんですって?
不思議な生き物の言葉に、私の心が動きを止めました。
「声が出ないのは、呪いのせいだよ。たまに耳の中で声がするだろう? お前を呪う声が」
そんな、と言おうとして、耳に手をやります。
確かに声が出なくなってから時折聞こえていました。小さく、呟くようなかさかさと鳴る音が。
呪い? 誰が、何のために私を……
「先日は食糧をありがとう。腹が減っていたからうれしかったよ。わたしはこの姿の時は、あの野菜しか食べられなくてね……ああ、怖がらなくていい。わたしはね、助けてもらった恩を返しに来たんだよ」
黒く長い嘴を歪ませて、不思議な生き物が笑います。
(あなたは誰?)
声にならない私の言うことが理解出来ているように、金色の目が細められました。
「この間、料理人達が言っていたろう? わたしがナイトフライト本人だ。これは昼の姿で、力も無く情けないが、夜はもう少し男前なんだよ」
ナイトフライト。
北から渡ってきたという……呪師の?
ゲッゲッ、と濁った音で笑うと、ナイトフライトはコウモリの羽を広げてみせました。
「呪いは私の専門でね……お前、声を取り戻す方法を知りたいかい?」
心の中をのぞき込むような目でした。
言葉の持つ力を感じました。強く惹かれる、闇の中から聞こえてくるような言葉。
知りたいです。知りたいに決まっています。
声に出さずとも、私の切実な思いは伝わったようでした。
「わたしならお前を助けてやれるよ。もらった呪いを、返してしまえばいいんだ」
助けてやろうか? そう聞かれて即答出来なかったのは、そこに善意を感じられなかったからです。
重苦しい何かが、私を引き留めていました。
「何を迷う? お前は声を取り戻したい。私はお前の助けになりたい。ただそれだけの話だろう?」
猫なで声のようなトーンに変えて、ナイトフライトが言います。
ただそれだけ? 私はとまどいながら、疑問を心に浮かべます。
(呪いを返したら、声は出るようになるの?)
「ああ、なるよ。ちゃんと元通り、話せるようになるし、歌も歌えるようになる」
この生き物は、一体どこまで私の事を知っているのでしょう。
話さずとも意思が伝わることにも、得体の知れない不気味さを感じました。でも、私を助けてくれると言っているのは間違いないようです。
恩を着せたつもりはありませんでしたが、これを厚意と受け取っても良いのでしょうか。
(返った呪いは……どうなるの?)
気になることは聞いておいた方が良さそうです。
私がそう尋ねたところで、ナイトフライトは愉快そうにまた、ゲッゲッ、と笑いました。
「呪いが返れば、呪った相手にはそれなりの報いがあるさ」
(報い……? 同じように、声が出なくなってしまうの?)
「いや、そうとは限らない。まぁ、何かしら困ったことにはなるだろうがね」
(困ったこと……)
「そんなことを心配してどうする? お前を呪った相手だよ? 死んでしまったところで差し支えはないだろう? まぁ、声を奪う程度の呪いで死んでしまうようなことはないだろうがね」
自分が呪いを返すことで、誰かを傷つけることになる。
それは私にとって、恐ろしい内容には違いありませんでした。
「そんなことより、自分にもデメリットがあることを知っておいた方がいい。お前が呪いを返す気なら私はお前を助けてやれるが、その際はお前自身にもそれなりのリスクが課されることになる」
(リスク?)
ナイトフライトはまた、ゲッゲッ、と低く笑いました。
「なに、どのみち悪い話じゃないよ」
変な生き物再登場。
次話「メリットとデメリット」。明後日火曜日に更新します。
本編同様、月曜日は定休日とさせていただきます<(_ _)>