12.失われた声
声が出ない。
そのことを香澄に伝えるのだけでも、大変でした。
筆談という手段があると気づいたものの、とてももどかしく不便です。
風邪の症状ではない気がします。声がかすれて出ないとか、そういうレベルではなく、本当に発声が音にならないのです。
体は元気でしたが、ベッドに寝かされたままで、お医師が診察に来ました。
「のどにもどこにも異常はないようですが……念の為、炎症止めの薬を出しておきましょうか」
一通り診察を終えて、お薬を置くと、お医師は「2~3日経って治らなければ、お薬を変えましょう」と言って出ていきました。
香澄は「今日はお部屋でおとなしくしていてくださいませ」と、部屋の外に出ることを許してくれず、丸一日を自室の中で過ごすことになりました。
今まで、どんなに歌っていても、声が枯れて出なくなんてなることはありませんでした。
風邪で調子が悪くなった時でも、ここまで完璧に話すことが出来ないなんてなかったのです。
何かがおかしい。そう思いながら、その日は言われた通りおとなしく過ごしました。
違和感はあったものの、ちゃんと安静にしていればすぐに治ると考えていたからです。
次の日、目覚めた私は愕然としました。
昨日の朝と、状況は何も変わっていなかったのです。
のどは痛くありません。熱もないし、どこも悪くないのです。
耳の奥で何かカサカサと鳴るような音がする以外、いつも通りです。
それなのに、声だけが出ません。
言いようのない不安が胸の中に広がっていくのを感じました。
「月穂様、お医師も2~3日様子を見るように仰っていたではないですか。明日になればきっと少しはよくなりますよ」
励ます香澄に頷いて返します。
時間が解決してくれることを信じていました。
その日も私は香澄とだけ顔を合わせ、一日を部屋で過ごしました。
3日目。
今日こそきっと、少しは良くなるはず。
そんな期待や予想を裏切って、状況は少しも変わりませんでした。
「月穂様……」
さすがの香澄も、不安を隠しきれない様子です。
「国王様に、ご相談を……」
(それは、ダメ!)
首を横に振ったことで、私の言いたいことは伝わりました。
ただでさえお忙しいお父様に、私のことなどで心配をかけたくはありません。
(大丈夫、きっとすぐに治るわ)
紙に書かれた私の字を見て、香澄も小さく頷きました。
誰にも相談出来ず、その日も部屋にこもっていたところ、夕方になってお兄様がお部屋にやって来ました。
「月穂、具合が悪いと聞いたが、大丈夫か?」
入ってくるなりベッドの脇まで足早に歩いてきて、お兄様が尋ねます。黒い瞳が心配そうに私を見下ろしていました。
私、自分で考えているよりずっと心細かったのでしょう。心配してくれる家族の顔に、心の底からホッとしました。
「どこが悪いんだ? 熱なのか?」
ひた、と額に触れた大きな手のひらが冷たく感じましたが、別に熱があるわけではありません。
私に代わって、香澄が説明してくれました。
「声が、出ないだって……?」
「もう3日目なのです。今日またお医師に診察していただいたのですが、いつ治るのか、原因がなんなのか見当もつかず……」
「もっと早く相談してくれれば良かったものを。医師に分からないとなると……学士達の中に、思い当たることがないか、聞いてみるか」
「お願いします」
お兄様は博識な人間をあたって、心当たりがないか聞いてみると部屋を出て行きました。
すぐにお兄様が伝えたらしく、その夜はお父様もお見舞いに来てくれました。
「声が出ないとは……かわいそうに」
大丈夫です、そう言いたいのに言葉になりません。
気遣わしげなお父様の顔に、涙が出そうになります。
話せないことが、声がでないことが、こんなに辛いことだとは知りませんでした。
「復国祭まではまだ時間があるが……場合によっては、早めにお断りした方がご迷惑でないかもしれぬな……」
お父様の呟いた言葉に、もっともだと思いつつも暗い気持ちになります。
紗里真の復国祭までに回復しなければ、当然参加など出来ません。
これがいつ治るものなのか、誰にも分かりませんでした。
ざわざわと不安が押し寄せる中、蒼嵐様の顔が浮かびました。
私の歌をほめてくれたこと。女性が学問を学んでもいいと言ってくれたこと。
復国祭で待っていると言われたこと。
(私……行けるのかしら、紗里真に)
早く治って欲しい……祈るようにそう思いました。
4日目。
変わりません。何も変わりませんでした。
時間の経過とともに、私の中の焦りも大きくなっていました。
さすがにもう、部屋の中でじっとしていられません。私は部屋の外に出ることにしました。
お父様にもお兄様にも分かってしまったので、隠す必要はないでしょう。
庭園に出ようとしたところで、オレンジ色の鮮やかなドレス姿で歩いてくる瑞貴お姉様に会いました。
「寝込んでいたと聞いていたけれど、もう良いのかしら?」
珍しく、そんな風にお姉様が尋ねてこられます。
はい、と答えようとしても声が出ないので、横から香澄が事情を説明します。
お姉様は途端に、綺麗な唇を意地の悪い形に持ち上げました。
「哀れね。声が出ないだなんて。ただでさえ役に立たない貴方から歌を取ったら、一体何が残るのかしら。でもきっと、バチがあたったのだわ。一人抜け駆けして復国祭に行こうなどと考えるから、そんなことになるのよ」
予想出来た台詞でしたが、それでもその言葉は鋭い棘のように私の胸に刺さりました。
私から声を、歌を取ったら……確かに何も残りません。こんなに完璧に発声できない状態では、復国祭にも間に合わないかもしれません。
言われなくとも、分かっています。
夕食の席にはお父様もお兄様も不在でした。正妃と第二側妃も社交の関係で不在です。
お姉様方がいき過ぎたことを口にした時、たしなめてくれる立場の人が誰もいませんでした。
私と、お姉様方だけの夕食。
どれだけ何を言われても、今までは耐えることが出来たのですが……
「歌をなくした月穂は、いよいよ無価値になったってことね。あなた、何のためにそこにいるの?」
声を揃えてそう笑われた私は、その日から全ての食事を部屋でとるようになりました。
月曜日休みに区切りが悪くなる予感がしたので、もう一話アップしました。
主人公の境遇が悪すぎるせいか「これ、もしかしてバッドエンドなの……?」と不安に思われた方がいらっしゃったようで。イエ……ごめんなさい。
ご安心ください。別につけなくてもいいかな、と思っていたハッピーエンドタグ付け足しました。
※内容が薄かったので、実験的にあらすじ変えてます。反応悪かったら戻します(笑)。
次話「あの時の」、明日更新予定です。