第拾話 結
「貴女の名前は、『ミサカ』。この地に住んでいた人たちは、貴女を『ミサカ様』と呼んでいたの」
『私の名前は、ミサカ……』
俯くミサカ。よく見ると、涙が地面に落ちている。
「私が見た光景だけどね。私たちの時間で、七十年くらい前だと思うの。七十年くらい前はまだ、ここに暮らす人がいたんだね」
『はい。いました。たくさんの人間がいました』
「お祭りの夕方、年の離れた兄妹に会った?」
『それは、吾朗と葉子のことでしょうか?』
「名前は、わからないけれど……」
『吾朗と葉子は、私の友人です。お祭りの日に出会いました。何故、私の姿を見ることが出来たのか、不明なのですが、あの日、吾朗と葉子は、私をお祭りに誘ってくれたのです』
あ! っと、僚君が、大きな声を出す。
驚いた私たちは、思わず僚君を見た。
「いきなり大声を出すな! 僚!」
「ごめん。その吾朗と葉子を知っているから、つい……」
ミサカが聞きたいとでも言いたそうに、僚君の服の裾を引っ張る。
「あのね、僕の祖父の名前は、吾朗なんだよ。その妹が葉子。年は七つ離れていて、昔、片浜で暮らしていたんだ」
『それでは、僚様は、吾朗の孫……』
「そうだよ。花里吾朗の、孫だよ」
『吾朗は、葉子は、元気でしょうか』
「元気すぎるくらい、元気。僕が小さい頃、山神様と友達になったって、話してくれたんだよ」
嬉し涙が、ミサカの両目から流れ落ちていく。
あのお祭りの日、祠付近にいたミサカを、吾朗と葉子は、一緒に行こうと誘って。
『初めてでした。私を見た人間は。吾朗と葉子には、妖を見る力はないはずなのに、私と出会ったあの日から、見えるようになっていました』
「来週、葉子さんの喜寿のお祝いをするから、親戚で集まる予定なんだよ。よかったら、ミサカも一緒に……」
首を、何度も横に振るミサカ。
『もう一度、会いたいです。しかし、私は山神。それにきっと、吾朗も葉子も、妖を見る力を、失っているでしょう』
「そんな……」
『名前を見つけて頂き、ありがとうございました。皆さん。疲れてしまったので、もう休みます』
祠の中へ消えていったミサカは、どこか、悲しそうな顔をしていた。
***
帰りの電車は、乗り換えの駅まで空いていて、とても広々としている。
名前を失った、孤独な山神。ミサカ。
「多分ミサカは、気づかない間に、名前を忘れてしまったんだろう。呼んでくれる者は、誰もいないからな」
「でも。僕のおじいちゃんだって、葉子さんだって、ミサカを忘れるとは思わないよ」
「私たちが、ミサカを覚えていたら、良いんじゃないかな」
人間と妖の時間は、交じりあったとしても、決して同じではない。
交じりあった時間は、奇跡の一片。




