序話 壱
そこは、霞ヶ森と呼ばれる、深い深い森の中。
私たち人間が住む世界とは違う、人ならざる者たちが住む、奇妙な世界。
薄靄が立ち込め、紅蓮が咲き乱れる池の畔に、『紅蓮荘』は建っている。
ある日の夕方、妖が住むというその森に、私は迷いこんでしまった。
『人間だ。人間がいるぞ。うまそうな、人間の小娘だ』
『うまそうだ。取っ捕まえて、食ってしまおう』
森の木々の間から聞こえる、しわがれた声。
こんな所に、長くいてはいけない。早く出なきゃ!
「こんなところで、何をしている」
急に、背後から声をかけられた。恐る恐る振り向く。
「えっ……。なんで、月島君がここにいるの?」
振り向いた先にいたのは、同じクラスの月島響希君。
「説明は明日してやる。とりあえず、この森から出ろ。ここにいたら、妖たちに喰われるぞ」
「迷っちゃって……。出口はどこ?」
「案内してやるから、ついてきな」
そう言って、踵を返した月島君の後を追う。
「あ、あれ? おかしいな」
足が震えて、歩き出せない。ガクガク震えて、
「大丈夫か? ほら」
先に歩いていた月島君が戻ってくれて、半強制的に私の右手が捕まれた。
出口に向かって歩いていると、木々の間から、妖気を感じる。
怖い……。
『響希じゃないか。なんだい、後ろの小娘は。うまそうだ』
「俺の友人さ。喰ったりしたら、どうなるかわかるよな?」
『おぉ。怖い怖い』
そんな会話が、耳に入る。
月島君、妖と話ができるんだ……。怖くない、のかな。
しばらく歩くと、大通りが見えてきた。車のライトが眩しい。家とは反対方向なんだと気づいた時には、もう遅くて。
「じゃ、俺はここで。気をつけて帰れよ」
「ありがとう、月島君。また明日」
私が大通りに出ると、月島君は森の中へ戻ってしまった。
こんな時にふと疑問が。月島君はこの森で、何をしているんだろう。もう暗いし、森の中にいては危ない。
「ちょっとキミ。ここで何してるの?」
「え? 私ですか?」
「そうだよ。キミ以外に誰がいるの? 高校生?」
「はい。そうです。すみません。帰るところです」
「それなら良いけど。キミ、今、森の方から来なかった?」
「気のせいだと思います。学校は、こっちなので」
信号で止まっていたパトカーに乗った、巡回中のお巡りさんが、私に声をかけてきて、驚きながらも、なんとか対応。
早く立ち去らねば。でも、急ぎたい私を、商店街から漂ってくる揚げ物の香りが、私を誘惑してくる。
「早く帰るんだよ」
「は、はい。さようなら!」
足早にその場から立ち去りながら、家路ではなく、商店街へ。揚げたてホカホカの、コロッケが食べたい!




