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死者に送る三字

作者: はづきてる

 どうやら俺は当たりを引いたらしい。


 俺が一週間前に契約したアパートは、駅から徒歩五分の普通の1DKで、コンビニまで徒歩一分といった好立地。そのくせ家賃が大体二万と来ている。

 事故物件。不動産業者からはそういう説明を受けた。

 「……出るんですわ。コレ。」

 そう言って担当の大石さんは両手を前に出して手首をだらんと下げ、首を傾けながら舌を出した。

 そこまでしなくても分かる。でも別に誰かが死んだわけでもないらしいし、いもしないもののおかげで家賃が下がっているなんていうなら万々歳だ。

 俺は無神教だった。――とはいっても別に確固たる信念があるわけでなく、ただ漠然と「神なんていない、死んだら何もない」そう考えていただけだ。

 だから全然気にしないと大石さんに告げ、俺は契約のはんこを押したのだった。


 あれから考えを変えた。神がいるかは知らないが、ともあれ死んでも何かはあるらしい。


 *****


 コンビニ弁当をかっ下げて階段を上がって二階の三番目の部屋の鍵を開ける。

 「ただいまー。」

 返事はない。眉をひそめながらも電気を付けて奥に進みながら、コンビニ弁当をレンジに入れる。暖まるのを待ちながら冷蔵庫の中でよく冷えた麦茶を飲む。夏はやっぱり麦茶だ。

 お茶を冷蔵庫に戻したところで、弁当が温め終わる。熱くならないように手で遊ばせながら部屋に持って行き、ドアを閉めて弁当を机においてテレビを付け、そして目を閉じて一言。

 「いただきます。」

 一人暮らしももう三年目。こんな作業も手慣れたもので、こんなにもスムーズにできる。

 それなのに、どうしてだろう。目を開ける気にならない。

 「……ねぇ。」

 風が風鈴をさらうような声が響く。

 「ねぇって。聞こえてるんでしょ?食べないの?」

 前言撤回。初詣で鳴らされる神社の鈴よろしく、風鈴をじゃんじゃか鳴らすような声が騒ぐ。

 「あー、そっか。食べさせて欲しいんだ。もー、そういうことなら遠慮しないでいいのに。ほらあーん。」

 「お前箸持てないだろうが。」

 ……しまった。反応してしまった。


 諦めて目を開けると思ったより近くに顔があって思わず身じろいだ。

 「もう、さっきから目を瞑ったまま何考えてたの?」

 「お前を消す方法。」

 目の前で「あーひっどーい。そんなんだからモテないんだよー?」とか言いながら騒いでいるのが、この一室に出てくる幽霊の正体。

 どう見ても普通の女の子に見える。ちょっと顔をすかしてテレビを見れたりよく見ると足が浮いていたりしているだけの、普通の女の子。

 うん、普通じゃない。

 「ねーこのテレビ番組つまんなーい。チャンネル変えてー。」チャンネルを変えてやる。

 とはいえ一週間も経てば新鮮さはもうない。初日にはそれはもう驚いたものだが、その話は割愛しよう。特にこっちを呪い殺そうとしたりしてこないので、特に3日目くらいには恐れもなくなっていた。

 「ええ―!今の見た!?あんな人いるんだ。ね、キミもできる?」無視無視。

 むしろこれまでの女ひでりの人生を考えれば、安い家賃に女の子の同居が付いてくるのだから儲けものではないか。まあ触れはしないけど、それはそれ。キャッキャうふふな会話ができるだけでも楽しいに違いない。とても甘い考えを持っていた俺は、そんな風に考えていた。なんて甘い考えだ。まるで「甘いものが欲しいならガムシロップを飲めばいい」と言っているようなものだ。


 実際には、ただただうるさいだけだった。どれだけうるさいかというと、こうやって弁当を食べている間ずっとぺちゃくちゃしゃべっているのである。尋常でない。もちろんご飯を食べ終わってもこいつの話は続く。とてもじゃないが取り上げきれない。

 その上、たちの悪いことにこいつの声はどうもこの204号室の外では聞こえないらしい。この前延々と口論してたら、隣の人から「独り言がうるさい」と苦情を言われた。納得がいかない。

 テレビを見ていても、本を読んでいても、トイレや風呂に入っているときでさえ外からこちらに話しかけてくる。そして寝るときも。当然、俺は寝不足になっていった。


 *****


 大学のある日は最高だ。何せあいつは大学には来れない。それだけでここまでの開放感があるなんて。引っ越してからまだ一週間だが、出席率は明らかに良くなった。

 だからといって、授業態度もいいわけではない。

 「……おい、大丈夫か?」

 「――あ、すまん、なんだっけ?」

 「いや構わんが、ほんとに大丈夫か?」

 松田と一緒に食堂にいるときでさえ寝そうになる。

 「お前最近……引っ越してからだいぶやつれてないか?」

 「いや、そんなことは――。」

 否定しようとしたが、実際もう限界かもしれない。松田は冗談には付き合うが本気で話したときは茶化さない、人のできたやつだ。相談するならこいつかもしれない。

 「引っ越したアパートが訳ありだったって話はしたっけ?」

 「ああ、自慢げに言ってたよな。ということはやっぱり。」

 俺は頷く。

 「出たんだ。つーか、出続けてる。」

 松田は否定も肯定もせず、話を促してくる。

 「いや、ヤバいやつじゃなさそうなんだけど、そいつが夜中ずっと話してくるせいで練らんねぇんだよ。」

 「その幽霊は、はっきり見えんのか?」

 松田は手を組みながら真剣な目でこっちを見ている。

 「まあ、多少透けてはいるけど。」

 「男か?女か?」

 嫌な予感がする。が、ウソをつく理由もない。

 「女だけど。」

 「可愛い?」

 「……まあ。」

 松田はため息をついた。

 「何?自慢?」

 「いやなんでそうなる。」

 「だって同棲じゃん。寝らんねえんじゃん。最高じゃん。」

 「いや、お前の考えてるようなことは何一つない。そもそも向こうには触れない。」

 「お前触れる触れないとか気にしてたらシチュエーションCDなんて一枚も売れねぇぞ?」

 ……時々松田の話にはついて行けない。

 「でも確かに寝られないのは大変だよな。」

 「そこを分かってくれたのは嬉しいよ。」

 松田は何やら考えているようだが、特に妙案は出なかったようだ。

 「まあ俺の家だったらいつ泊まりに来てもいいから。」

 「サンキュー。でもまあずっと泊まるわけにもいかんからもうちょっと考えてみるよ。」

 「そっか。しっかし、幽霊なんてほんとにいるもんなんだな。除霊とか試した?」

 「いや、確かにまだだけど。」

 「除霊をするにもちゃんと準備をしないといけませんしね。」

 ……突然知った顔で女子が話しかけてきた。松田の知り合いか?

 「詳しいのか?」

 松田も特に気にしていない風だ。やっぱり知り合いなんだろう。

 「まあ、それほどでもありませんが、力にはなれるかもしれません。」

 松田がこっちを見てくる。こっちも頷く。

 「まあダメ元だ。よろしく頼むよ。」

 「分かりました。ではまた夜に。」

 それで彼女は自信満々に去って行った。たぶん、石けんの匂いを残して。

 「良かったな。なんとかなりそうで。」

 「ああ、お前のおかげだよ。しかし、一体どこであんな可愛い子と知り合ったんだ?」

 松田はかなり不思議そうな顔をした。

 「いや、そっちの知り合いじゃないの?」

 「は?お前の知り合いだと思ってたんだけど。」

 「俺もお前の知り合いだと思って……。」

 ……なんというか、かなりヤバいやつだったのかもしれない。

 「ま、まあでも個人情報とか渡してないし。」

 「そ、そうだな。さっきの会話できっと満足したんだろ。」

 ひとしきり乾いた笑いを交わした後、一気に水を飲み干した。

 なんだか初めて幽霊が出たときよりも喉が渇いた。


 *****


 ゼミを終えて夕食を食べたところで帰宅すると、玄関前であいつが待っていた。

 「遅い!」

 「いやそんなに遅くはない。」

 まだ八時といったところだ。飯を食ってこれなんだから、むしろ褒めて欲しいくらいだ。

 「あのねぇ、私のこと考えたことある?キミが外でなんやかんやしている間、私はずぅっと何もない部屋でぼーっとしてるんだよ?フローリングであみだくじしたりとか、天井のシミ数えたりとか。」

 最後のはなんか違うだろ。しかしまあ確かにその状況は少し同情はする。

 「で、どうしろと?」

 「せめてテレビを付けっぱなしにするとか。」

 「いやー、それはちょっと。」

 主に電気代とか。電気代とか。

 「でも考えてみて?私のおかげでここの家賃安くなったんでしょ?仮にテレビを付けっぱなしにしたとして、それで増える電気代っていくら?」

 「分からんけど……。二千五百円くらい?」

 ともあれ、確かにまあ安くなった家賃よりは安いだろう。そこは否定できない。

 「ね?だからーー。」

 あいつの声を遮るように玄関のベルが鳴った。これは僥倖。

 「ちょっと出てくるからこの話は後でな。」

 「あ、ちょ、ちょっと!逃げんな!」

 あいつの声が聞こえないように部屋のドアをちゃんと閉める。


 しかし配達とかも頼んだ覚えがないんだが、一体誰なんだろう。玄関に向かうところでもう一度ベルが鳴った。

 「はいはい、どなた?」

 ドアを開いて、一瞬で後悔の念が押し寄せてきた。俺はどうしてこのとき、昼間の珍事を忘れてしまっていたんだ。

 そこに立っていたのは昼間話しかけてきた女子だった。背中に巨大な十字架を背負い、首にもロザリオを付け、手首には数珠、手にはひもで繋がった二本の木。この木って、確かこう、かち合わせて音を鳴らして、

 「ひのよぉ~じん!」

 そうそう、そういうかけ声を言うやつだ。

 「間に合ってます。」

 そっとドアを閉じた。

 ドアをどんどん叩く音が聞こえるが、ひとまずは無視しよう。

 そういえば、あの木は拍子木というらしい。


 あまりにうるさいので、チェーンをかけてドアを開く。

 「あ、良かった。あの、昼間に話したとおり、除霊をしに来たんですけど。」

 「頼んでない。」

 「頼まれました!」

 確かに頼んでしまっていたか。

 「いや、そもそもどうやってここを。」

 「学校から追いかけてきました。」

 ウソだろ?こんな格好したやつが付いてきていたら流石に気がつく。と思う。

 視線で気付いたのか、自分から弁明しだした。

 「ああ、この除霊セットは別に用意していたんですよ。家が分かったので、持ってきたんです。」

 持ってきた?こいつの家は近いのか。いや問題なのはそこじゃない。

 「ねぇ、ちょっとまだなの?」

 後ろからあの幽霊がやってきた。さすがは幽霊、ドアとか関係ないみたいだ。

 「いいからあっちで待ってろ。」

 「あ、もしかしているんですね?どこですか?どこなんですか!?」

 そうか。部屋の外にいるから声が聞こえないのか。

 「あー、えー。」

 なんかめんどくさくなってきた。どうせ家が割れてるんだから、入れるも入れないも同じなんじゃないだろうか。

 諦めて、チェーンを外して再度ドアを開ける。

 「まあ、とりあえず入れよ。」

 「お邪魔しまーす。」

 遠慮もなく入ってくる。いろんな意味でこの女はすごい。


 *****


 家に入るなり、珍妙な格好をした女と半透明の女が向かい合っている。なぜか鏡あわせに同じポーズをし合っている。

 「すごい!本物の幽霊!?」

 「すごい!本物の女の子!」

 「いや本物の女子は普通だろ。あと声は抑えてくれ。」

 ボケてるのか本気なのかが分からない。あとなんでもいいけど部屋のほうには来ないんだろうか。


 座卓に座り込む二人に……じゃない、珍妙な女子に麦茶を出してやる。どれほど変人でも生きているのならそれなりの礼儀は見せておくべきだろう。

 「あ、ありがとうございます。」

 「お構いなく。できればさっさと帰ってくれ。」

 「ねぇねぇ、あの子っ。どこで知り合ったの?」

 正確には知り合いとも言えない気がする。俺が答えずにいると、あいつは俺から聞き出すのは諦めたようだ。

 「ねぇ、お名前は。」

 「え、えっと、法学二回生の沢木桃妹(ももせ)と言います。」

 「え?沢木さん?モモセさん?」

 「あー、どっちも名字みたいですよね。よく言われます。家族からは桃ちゃんって呼ばれてるんですけど。」

 「そっかー、じゃあよろしくね、桃ちゃん。」

 「は、はい。よろしくお願いします!」

 なんか仲良くなってる。

 「あの、あなたのお名前はなんて言うんですか?」

 「私?私はねー、忘れた?」

 「え?」

 「無駄だぞ。」

 その手の質問は初日にさんざんやり尽くした。その結果分かったのは、この幽霊が持っている記憶はこの部屋で幽霊になっている時からのものだけだった。

 「ついでに言うと部屋の外の景色も、直接は見たことないんだよね。」

 そう言ってあいつは窓の方に近寄る。座っていても、夜の街灯りが見える。

 「きっとこの窓の先にも、テレビの中みたいな世界があるんだよね。でも、私にはまるで靄がかかったみたいにしか見えないの。」

 「そう、なんですか……。」

 なんだか暗い空気になってきた。いやいや待て待て。

 「そもそも、お前は何しに来たんだよ。」

 「え?あ、そうでした!」

 手をぽんと打つ。

 「それじゃあちょっと準備しますね。」

 そうして沢木は手洗い場に行った。


 *****


 手を洗って戻ってきた沢木は、腰に付けていた小瓶を取り出し、蓋を取る。

 「では悲しいですがお覚悟を。始めます。」

 「いやいや待て待て。」

 「な、なんですか?私はお祓いを。」

 「え、お祓い?誰の誰の?もしかして心霊写真!?」

 「何よりもってまずお前だろうが!」

 「あ、そうか。」

 幽霊はえへへと笑っている。全く黙っていれば可愛いんだが。いやいやそういう問題じゃない。

 「もういいですか先輩?」

 そうだ。沢木を忘れていた。そういえば二年目って言ってたから後輩なのか。

 「ダメだ。その瓶の中身はなんだ。」

 「清めの塩ですけど。」

 「どうするつもりだ?」

 「撒きます!」

 いやいやいやいや。撒きますじゃないよ。元気よく言ってもそれはダメだよ。それ誰が掃除するんだよ。

 んで祓われる方もなに拍手してんだよ。

 「それは飛ばしてくれ。で、次は?」

 「念仏です!」

 そう言って例の拍子木を取り出す。

 「待て。なんで念仏にそれがいるんだ?」

 「え?打ち鳴らしながら唱えるもんじゃないんですか?」

 そうじゃないのかと聞かれると弱い。なんせこれまで宗教というものを信じていなかったんだから、正式なものなぞ知るよしもない。

 「とりあえず鳴らさないでやってみて欲しいんだが。」

 「えー、私はどうせなら元気いい感じがいいなぁ。」

 「とりあえずやってみてくれ!鳴らさずに!」

 まさかお祓いの仕方に文句を言われるとは思わなかった。

 「では。」

 沢木は手首に付けていた数珠を取って、何やら唱えながら数珠をゆっくりと回し始めた。おお、それっぽい。

 しかし、

 「なにか感じるか?」

 「うーん、別に?」

 アイツも首をかしげている。


 *****


 ふさの部分が一周したあたりで、沢木は唱えるのをやめた。

 「どう、ですか?」

 アイツは飽きたのかふよふよと空中で寝っ転がっている。

 「見ての通りだ。」

 「んー……おかしいですね。じゃあ。」

 沢木が立ち上がる。ついに壁に立てかけてある巨大十字架を使うときが来たのか。正直、何に使うのか一番気になっていた。なんでもでかいものには少し心引かれるものがある。

 しかし、

 「()ぁーー!」

 沢木は目を閉じて数珠を持った手をアイツに向けて突き出す。いや、流石にそれは……。

 勢いよく出された数珠のふさがアイツに触れ、

 「ん、」

 アイツはなんだかよく分からん声を出した。

 んん?

 「なにか感じたのか?」

 「なんだろう……ちょっと。あ、え、ま、待って!」

 唐突にアイツは消えた。点滅するでもなく、透明度が上がるでもなく。まるで初めからいなかったかのように。瞬きする間に、いや瞬きを待つまでもなく消えてしまった。

 「え?」

 「あれ?」

 目を開いた沢木と目が合った。

 「成功……した?」

 「そう……なんですかね?」

 いや、お前が疑問形でどうするんだ。

 ともあれ、この部屋で初めての静寂が訪れた。


 *****


 時間も時間なのでひとまず沢木を駅まで送る。あの大きな十字架は折りたたみ式だったらしく、諸々の除霊道具と一緒にボストンバッグ一つに入れられていた。

 「わざわざありがとうございます。」

 「まあ、なんだ。いつか食堂でもおごるよ。」

 「いえいえお構いなく。私も楽しかったです。」

 沢木がにっこりと笑いながら手を振って去って行く。あいつもあのボストンバッグの中身がなければ可愛いのに。

 まあ、もう会うこともないだろう。

 そうしてきびすを返し、俺は自分の家に戻っていく。誰もいない、静かな家に。


 *****


 それから、夜はゆっくり眠れるようになった。おかげで授業も寝ずに済む。

 「よう、顔色良くなったな。」

 「お、おう。そうかな。」

 食堂で松田にも言われた。確かに生活習慣改善の影響は出ているらしい。

 「まさか、前の変人に除霊してもらったとか?」

 「実はそうなんだ。」

 騒がしい食堂が静かになった。気がした。

 「マジ?」

 「マジもんのマジだ。」

 「え?じゃああの後連絡を取って?」

 「いや、家に来た。」

 松田が『お前大丈夫か』という目を向けてくる。分かってる。今思えばあからさまに大丈夫じゃなかった。

 「ま、まあ本物だったならけがの功名だな。」

 あの格好をしていて本物の訳はないだろう。

 「まあ本物ですらなかったが、結果オーライだな。」

 松田が『こいつはもうダメだ』という顔をしている。いやまだ行ける。あれ以来沢木にも会っていないし。それに、アイツにも会えていない。

 憧れの普通に戻ってきたのだ。


 *****


 そう、家にいても静かに食事を食べれる。普通にテレビを見れる。当然のように夜には眠れる。

 だがなんだろう。この感じ。口に出してはいけないようなこの感覚。

 「あー、彼女欲しー。」

 代わりの言葉を出して気を紛らわせる。小さなつぶやきは誰にも拾われず、壁に溶けて消えた。


 玄関のベルが鳴る。今日は誰も来る予定がなかったはずだ。無視無視。

 もう一度鳴る。まあ部屋を間違えてるならそういうこともあるだろう。

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。

 急いで玄関の扉を開ける。

 「うるせぇ!誰だ!」

 「ひっ。わ、私です。」

 見ると数珠を持った沢木が縮まり込んでいる。

 「なんだ沢木か。もう用はないと思うが。」

 「あー、いやそうなんですが。じゃなくて。えー、そう!アフターサービスです!」

 「間に合ってる。」

 ドアを閉めようとしたが、ちゃんと閉まらない。

 「っつー。」

 沢木がドアに足を挟んで声にならない声を上げている。お前はセールスマンか。

 「ど、どーです!」

 涙目でドヤ顔を披露してくる。いや何がだよ。

 よく分からんが、全く知らん中ではないし、しょうがないので家には入れてやろう。


 沢木に茶を出してやって、自分も飲みかけのお茶を飲む。

 「で、どうしたんだ?」

 「いやー、なんと言いますか……。」

 「私から説明しましょう!」

 アイツがしゃしゃり出てくる。視界を塞ぐように出てきても、半透明だから沢木のかも見えている。

 「……は?」

 「つまりですね、アイルビーバックっていうわけ!」

 「それは別れ際のセリフだろ。じゃなくて!」

 思わず机を叩いて立ち上がる。

 「なんでいんだよ!除霊されたんじゃないのかよ!そっちを説明しろよ!」

 「えーっと、実はですね……。」


 沢木からの説明によると、どうも実際は除霊されたわけではなく、数珠の中に引き込まれていただけらしく、沢木が家に戻るとまた数珠の中から出てきたそうだ。それで、沢木の家でしばらく過ごしたものの力が失われそうになったからこっちに戻しに来た、と。


 「そのままほっとけば除霊できたんじゃないか?」

 「そんな!せっかくできた友だちにそんなこと!あ。」

 えーと、まあ。なんというか。

 「仲良くなったんだな。」

 「もう友だちも友だち、桃ちゃんとはマブダチよ。」

 「う、うん、ね、ゆーちゃん。」

 ゆーちゃん?

 「それは。」

 「私が付けました。名前がないのも不便だと思いまして。」

 「いーでしょ。」

 いいか悪いかは置いておいて、幽霊のゆーって……単純か。

 「まあなんだ。良かったな。」

 「キミも付けてもらったらいいよ。」

 「いや俺には名前あるし。」

 適当にいなしてまたテレビ視聴に戻る。

 「で、ともあれ用はこれで済んだんだろ?帰らんの?」

 「あ、そうですよね。……あの、また来てもいいですか?」

 「いやそれは」「いいよーもちろん!」

 沢木の顔がぱっと明るくなる。

 「いやまて、なんでお前が答える。」

 「だって私がこの部屋の主だよ?」

 「この部屋を借りてるのは俺だ!」

 「えー?でこの部屋にいるのは私の方が長いはずでしょ?それってもうこの部屋の所有者が私ってことなんじゃないの?で、あなたはそれを借りてるだけ。」

 「そうか……そうじゃない!俺は大家から部屋を借りてるんだ!」

 危なかった。騙されるところだった。

 「じゃ、じゃあ、先輩がいないときに来ますから。」

 「おっけーおっけー。私はいつでもいるからいつでも来てね。鍵はそこの小棚の二段目にあるから。」

 「いやなに鍵の位置教えてるんだよ。」

 「でもキミの邪魔にはならないでしょ?落としどころとしては悪くないんじゃない?」

 そうか……確かにそうかもしれない。

 「じゃあそういうことで。」

 「あ、ああ。でも鍵はちょっと。」

 「でもそうしたらどうやってこの部屋に入ってくるの?私は鍵を開けられないし。」

 そう……そうか。それならしょうがないな。

 「じゃあ俺は風呂に入るから、ともあれ今日は帰ってくれ。」

 「はーい。」

 「じゃあ、ありがとうございました!」

 そうして沢木に鍵を渡し、玄関まで見送る。


 *****


 風呂に入ってるときに気付いたんだが、やっぱり鍵を渡すのはどう考えてもおかしかったな。


 *****


 と、いうわけで戻ってきた日常。いや、悪化した日常かもしれない。

 大学から帰ってくるとドアを開ける前から女子の声が漏れ聞こえる。

 ため息をついて、玄関のドアを開ける。少し遅れて奥の部屋のドアが開いた。

 「お、おかえりー。」

 「あ、先輩。お茶いただいてます。」

 「それはいいが、もうちょっとトーンを落としてくれ。」

 「あ、すみません。つい。」

 コンロの上には鍋が一つ。

 「簡単なものですけど、おかず作っておいたのでどうぞ。」

 「ん。」

 あれから結局鍵は渡しっぱなしになっている。まあ家捜しされるわけでもないし、こうやって晩飯を作ってくれたりするのでわざわざ回収せんでもいいかと思うようになった。

 二人の声は注意してから少しの間音量が小さくなったが、結局まただんだんと大きくなった。

 そのたびに咳払いをしてそれとなく知らせるが、やはりまただんだん大きくなる。俺は諦めてレポートの作成に集中することにした。

 こいつら言っても聞きやしない。


 そういえばふと思い出したが、墓に彫られた三文字は、日本語に訳すと命令形だったな。

 きっと言っても分からんから、掘って伝えようとしたんだろう。そう思ったらなんだか腑に落ちて、嫌がらせがてら壁にでかでかと張ってやった。

 どうか安らかにさしとくれ。

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