1ー3 千種 愛
「ただいまー。」
夏海と別れて数分。
愛は自宅の玄関を開けていた。
「あ、お姉おかえり。」
リビングの方から声がした。
愛の妹の美雪だ。
「あーお腹空いた。」
リビングに入るや否や、愛は座布団の上で座り、くつろいでいる美雪を後ろから抱きしめた。
「えー?もう?」
口ではそう言いつつ笑顔の美雪。
愛おしそうに姉である愛の手を撫でる。
「……だって美雪の愛が一番美味しいんだもん。」
目をつむり、美雪の愛を吸収する愛。
「クラスの男子より?」
「クラスの男子よりも。」
「イケメンの先輩より?」
「イケメンの先輩よりも。」
「……なっちゃんより?」
「……どうだろ。」
美雪は吸愛鬼ではない。
そもそも、吸愛鬼は遺伝などで発現するものではなく、突然生れた子に宿る、一種の個性のようなものだとされている。
幼い頃から常に一緒にいた妹の美雪の愛は、食べ慣れている、謂わばお袋の味、もとい妹の味だった。
「……それにしてもさ、お姉。」
「うん?」
「……美雪の愛って良い言葉だよね。なんか私だけの物って感じがする。」
「……うん?ふふ、そうだね。美雪が販売したら買い占めなきゃ。」
「え?……あ、そっか。うん、一杯買ってね。」
少しがっかりした様子の美雪。
家族の愛。
それは吸愛鬼にとって、まさに慣れ親しんだ味だった。
愛や夏海にとってもそれは例外ではなく、夏海にとって彼女の母の愛が、愛にとって彼女の妹の愛がそれぞれ好物になっていた。
しかし、彼女らの一番のご馳走は、それらではなく、普段生活している上でいつの間にか吸収しているものであった。
「よし、吸収終わりっ!ありがとう。」
「うん、どういたしまして。」
いつの間にか膝枕をして愛の頭を撫でていた美雪が言った。
「お姉、動かないの?」
「も、もうちょっとだけお願い……。」
「ふふ、はーい。」
それから何事もなく平和な毎日が続いた。
相変わらず愛は学年問わず告白されては断りを繰り返し、夏海も助っ人として参加した部の部員達から慕われて二人とも、吸愛鬼としての食事には困らなかった。
しかし、そんな日々は、ある日突然変化した。
「ご、ごめんね、江崎さん。部活の助っ人だけじゃなくて片付けも手伝ってもらって……。」
「気にしない、気にしない。一人よりも二人でやった方が早いよ。」
それは、ある土曜日のことだった。
夏海は、ソフトボール部の助っ人選手として、他校との練習試合に駆り出されていた。
なんでもピッチャーの選手が急に風邪を引いてしまったらしく、頼れるのが夏海しかいなかったらしい。
夏海は特に用事もなく、両親に良いところを見せたかった為、快くその選手の代理を引き受けたのだった。
夏海の活躍もあり、チームは快勝。
応援に来ていた両親からも、これでもかと言うくらいに誉められた。
そして、気分の良くなった彼女は、他の一年生に混ざり、片付けを手伝っていたのだ。
他のチームメイトは、彼女に片付けを押し付け、そそくさと帰ってしまった。
そんな中、一人倉庫で片付けをしている女子生徒がいた。
ユニフォームを着ていたが、夏海の泥だらけの物と比べると、新品同様だった。
夏海の記憶が正しければ彼女は今日の試合には出ていない。
恐らく補欠の選手だろう。
「でも意外だったなー。」
女子生徒が口を開く。
「うん?なにが?」
「いや、江崎さんってもっと恐い人かと思ってたから。あ、ごめん!その、そう言う意味じゃ……。」
慌てて撤回しようとする。
「いや、良いよ。そう言う風に見られるの慣れてるし……。」
なるべく目の前の彼女が気を使わないようにと、微笑んで見せる夏海。
「……江崎さんって、優しいんだね。」
ぼそっと呟く。
「え、どうし……っ!?」
突然の吐き気に、夏海は自身の口を両手で押さえて座り込んでしまった。
「ど、どうしたの!?」
女子生徒が夏海に駆け寄る。
目の前の彼女が自分に近づいた時、吐き気が増した。
夏海はそれで分かってしまった。
この気味の悪い劣情は今自分と二人きりになっている彼女から出ている。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
「……っ!」
視界が歪む。
涙が溢れ、ガタガタと身体が震える。
身体を舐める様な吐き気を催すドロリと粘っこい不快な愛。
そんな物に襲われている時、彼女の頭をよぎったのは、両親ではなく、彼女の幼馴染のいつも見せる微笑みだった。
彼女に会いたい。
夏海の頭の中は、その思いで満たされた。
「い、一旦外に出よう?」
心配そうに夏海の肩を触れようとする。
「……ひっ!?」
夏海はその手を払いのけ、倉庫から出ようと駆け出した。
女子生徒が夏海の背後で何か言っていたが、夏海は構わず走って行った。
一秒でも早くその場を去り、彼女から遠ざかりたかった。
何度もつまずきながらも夏海は不快感のない場所まで来ることが出来た。
見慣れた教室だ。
気がつくと、彼女は愛の席に座っていた。
不思議と彼女の席に座ると、優しい安心感に包まれた。
心地良い感覚に、夏海は机に突っ伏して、そのまま目を閉じた。
「……愛っ……。」
「……みっ!……つみっ!」
「……っ!?」
いつの間にか寝ていた夏海。
辺りは暗くなっており、月明りが教室を照らしていた。
「……やっと起きた。」
その声は、夏海の耳を通り、彼女の心を温めた。
「あ、愛ぃ……。」
安心感から涙が溢れる。
「ど、どうしたのっ!?」
そう言い慌てる愛に、夏海は抱きついた。
夏海が泣き止むまでの間、愛は混乱しながらも胸元で抱き寄せた。
そして、彼女の頭を優しく撫でていた。
「ごめんね、ごめんね愛。」
「……あはは、良いよ。泣き止んで良かった。」
優しく頬笑む愛。
「ところで愛はなんで教室にいるの?」
「あはは……いや、携帯忘れちゃって……。」
恥ずかしそうに頬を染めて視線を外す愛。
彼女の手には携帯電話が握られていた。
彼女の顔を見て、確信した。
自分は目の前の彼女を愛している。
そして、目の前の彼女も自分を愛しているということが分かった。
分かってしまったのだった。