複合型福祉施設 一話
龍太は、明と待ち合わせしたロンドン・ガトウィック空港に到着していた。明の姿を探すが見当たらない キョロキョロと辺りを見渡していると、ベンチに座っていた男が立ち上がり、振り向きざまに龍太の肩をポンと叩く。「よっ」誰かと思って振り向くと、そこには探していた当人の明がいた。
明とは、ヒューマンライジングを離れて10年以上は逢ってないだろうか。電話では、互いの近況を話してはいたが、逢うことはなかった。
明は、自信に満ちた精悍な顔になっていた。
おまえ、変わったなぁ~と、龍太が声を出して笑い、お前もなぁ、と互いの成長を称えあいながら肩を叩きあった。
龍太はヴァイオリンのソリストで、ヨーロッパを中心に活動していたが、明の電話で急いで日本に戻ることになったのだ。なぜかと言えばそのとき明も商談のため、イギリスに赴いており、商談を早々に切り上げ、龍太に連絡して一緒に帰国しようと誘ったからだ。
明は、世界で活躍する建築家となり、今はバンクーバーに住んでいる。彼らは血のつながりは無いが、実の兄弟よりも堅い絆で結ばれヒューマンライジングで兄弟のように育った。互いに忙しく故郷であるヒューマンライジングにも顔を出せずにいた二人だった。
自分たちを育ててくれた、養母の健康状態が思わしくないことを聞いた龍太は、ソリスト仲間に事情を話し、演奏の代役を頼み込んでイギリス発の便に二人で乗り込んだ。12時間のフライト、さらに車に乗り3時間程でヒューマンライジングの家に着く15時間の旅路になる。時差を9時間入れ、朝8時ごろに着く予定だった。
なぁ明、菊ばぁちゃんの具合は?と聞く龍太に「あまり良くないと美玖ちゃんから聞いた」と言う明。
「美玖ちゃんはヒューマンライジングにいるのか、あぁ、あいつは優しすぎるから出て行けないんだろうな、俺たちと違って」
美玖ちゃんらしいな、居てくれているのか、と声には出さず安堵した龍太は、大きく息を吐き肩の力が抜けていくのを感じていた。
久しぶりに帰る故郷ヒューマンライジングの様子が判らずにいたが、少し仮眠しておこう、と、CAにスコッチを頼む明。
二人とも飲み干し、龍太はしばし浅い眠りの中に入っていった。
龍太は、世界を飛び回る生活を5、6年続けているその間、ヒューマンライジングには帰っていない。まだ新人ソリストであった龍太は、意欲的に活動していた。多忙な日々ではあるが生活は充実し、毎日が刺激的で生きることを楽しんでいた。
世界の珍しいものが目に留まれば、ヒューマンライジングの子供たちに贈り物をするなどお世話になった人たちの誕生日には必ずプレゼントを贈り、時にはお小遣いなども送金していた。
日頃、ヒューマンライジングに戻れないことに、後ろめたさを感じてしまう龍太だった。
そんな根心が深すぎるのか、感情が豊かすぎるのか、龍太のヴァイオリンの音色は、感性の導きで誰をも魅了する表情豊かな音色を作っていた。
空は青々と澄みきり、山々は美しく、海が輝いて見える。一本の道を母子が手を繋いで歩いている。
龍太は7歳のとき、母親に連れられ、ヒューマンライジングにやって来た。程なくして、母の姿は見えなくなり、その後、一度も逢うことはなかった。龍太は母恋しさに毎日、毎日泣き明かし、涙が枯れても、体を引きつりながら泣いていた。
明が近づいて、「お前、なんで泣いているんだ」
ヒックヒックと泣く、泣き止まない龍太。
「おまえ、母ちゃんがいなくなったから、淋しくて泣いているんだろ。俺なんか、母ちゃんを見たこともないんだっぞ。ヒューマンライジングは、みんな親なんかいないんだっぞ」
明は、舌がもつれながら真っ赤な顔をして叫んだ。
明を見て思わず笑い出してしまう、龍太。
なにが可笑しいんだと怒りながらも、自分もその可笑しさに笑ってしまっていた明。
それ以来、二人は無二の親友になった、そして兄弟のように育った。しかし龍太は、誰にも見られないところで、時折、母恋しさに泣いていた。
そうして龍太は、ある日 明と菊ばぁちゃんと3人で暮らすことになった。
龍太たちの世話をしてくれる菊ばぁちゃんは、二人の養母となり、3人家族の構成となった。菊ばぁちゃん以外の人たちも、龍太たちの面倒を見てくれる。部屋ごとに、いろんな家族の構成があった、ヒューマンライジングでは、それを縁といっていた。生まれて間もない赤ちゃんが、今日、ヒューマンライジングにやってきた。
女の子だ、まだ名前はなく育てる人が名前を決めることになっている。
菊ばぁちゃんが、もう少し若かったら私が育てるのにねぇ、と呟く。
赤ちゃんは、美玖ちゃんと暮らしている美土里おばちゃんが育てることになり、真美と命名された。命名「真美」と書かれた額が、ロビーに立て掛けてある。
龍太は、美玖ちゃんに赤ちゃんを抱かせてと頼んだが、ダメ、まだ首がすわってないから、また今度ね。と言われ、首が座るの、座布団に?と創造豊かな龍太は、ばあぁちゃん~と部屋に走っていく。
それから2ヶ月が経ち、美玖ちゃんが真美ちゃんを抱いてもいいよ、と言われ、美玖ちゃんの部屋に急ぐ龍太。髪の毛はフサフサ、手はプニュプニュ、肌はツルツルだった。美玖ちゃんの言うように右腕をそぉ~っ、と回してゆっくり抱き上げると、真美は僕の鼻を掴み笑った、とても可愛く愛らしかった。
美玖ちゃんは、赤ちゃんのときヒューマンライジングに来た。「美土里おばちゃんが私のお母さんなの」と美玖ちゃん。
赤ちゃんの真美は美玖ちゃんの妹になるんだ、と龍太は思った。
美土里おばちゃんも美玖ちゃんも赤ちゃんの真美も絆で結ばれている家族だと、少しずつヒューマンライジングを理解し始めていた龍太は、既に絆家族になっていた。
明は、なんでも率先して動き活動的な子供だった。感情豊かな泣き虫の龍太とは、正反対の二人だったが、二人はいつも一緒にいる。畑でジャガイモを掘るときも、家畜に餌をやるときも、菊ばぁちゃんの肩を揉む時も半分半分で揉む。
明は、いつも菊ばぁちゃんにダメだしされる。もっと優しく、柔らかくと言われても、アイっよ、と軽く流してしまう。アキラっ、と怒鳴られて急いで逃げる。
あいつは、と笑う菊ばぁちゃん。
龍太の手は本当に柔らかくて気持ちいいよと褒められ、はい、とヒューマンライジングのお札40ヒューマンをくれる。ヒューマンライジングでは良いことをするとお駄賃が必ずもらえる、貯金が半分であとはお小遣いになる。施設には売店がありヒューマン単位で好きなものが買える。今、明が欲しがっている自転車は3万円もした。日頃のお手伝いでも30000ヒューマンは1年以上かかるし、ヒューマンの半分は貯金することになっている。どんなに頑張ってお手伝いしても2年か、と落胆していた明。龍太から自転車の話を聞いた菊ばぁちゃんは、2割の6000ヒューマン貯めなさいと明に言う、貯まったらヒューマンライジングが買ってくれるよ。高額でも必要なものは、ヒューマンライジングが手助けしてくれると菊ばぁちゃんが言った。
それから明は、お手伝いを沢山するようになって、菊ばぁちゃんの肩も優しく揉むようになっていた。ヒューマンライジングの大人たちも自転車が早く買えるようにと、明に、たくさんお手伝いをさせていた。
明は、たった3ヶ月で6000ヒューマン貯めた、本当は12000ヒューマンを貯めていたが、半分は貯金になった。
そして菊ばぁちゃんに6000ヒューマン渡して自転車を買ってください、とお願いした。
数日後、念願の自転車に明は乗っていた。
「ヒューマンライジングでは、子供たちにお金にも比重があることを教えるために努力の成果を大切にしている。
大人がお金を調達する力と、子供がお金を調達する力に対して2/10単位の比重にしている。
明が6000ヒューマンを作り出すことは、既に3万円以上の価値を生産したものと捉え支援している。
努力をすれば、何かを得られることを幼少期に体験させる仕組みになっていた」
菊ばぁちゃんは以前、書道の先生をしていたから僕たちにも書道を教えて、お駄賃をもらっている。
ここでは、みんな得意なことを仕事にして、お駄賃をもらっている。僕たちも習いごとやお手伝いでもお駄賃がもらえる。お駄賃は20、40、60、80、100と偶数のヒューマン単位で内容ごとに違う。鶏に餌をやるときは40ヒューマン、卵を取ってくるときは60ヒューマン。鶏小屋の掃除は100ヒューマン、野菜を取ってくるときは80ヒューマン勉強も成績が良いと、それぞれにお駄賃がもらえる。また社会貢献の一環として、介助犬の養成などにも参加し子供たちは大いに役立っていた。
菊ばぁちゃんが言う。
「ここでは皆、自分たちが出来る範囲で寄り添いながら、力を合わせて自給自足の生活をしているんだよ。お駄賃はもらえるが、生活に必要なお金は掛からないんだよ。だから、菊ばぁちゃんたちは、毎月の温泉旅行や日帰りバス旅行に行くたびに皆にお土産買ってこられるんだよ」
僕たち、菊ばぁちゃんたちのお土産をいつも楽しみにしているんだ、と龍太。
「ヒューマンライジングでは、菊ばぁちゃんたちのようなお年寄りには、闊達な日々を過してもらうことを基本理念にしていた。
コミクWEBによる、医療と精神などの問診を毎日受けることが、義務付けされている。
健康状態、痴呆やメンタルケアなどを重視し、特に歩幅の屈伸などを進めていた。
先ずは楽しく生きる、そのための健康維持は、ヨガ教室などの運動施設があり、マージャンやトランプなどの娯楽施設を完備していた。(賞品はお菓子や生活必需品である)
時には、マージャン大会やポーカー競技などを行い、脳の活性化による老化防止などを行う。
また犬や猫、鳥などの動物たちと共存することで心を癒す効果を備えていた。
良いと思われることは、すべて行うことになっているヒューマンライジングである」
子供たちは、菊ばぁちゃんたちの遊びを手伝うと、お駄賃がもらえる。箱の上に立ってトランプを配ったり、色々なお手伝いがあった。
龍太はお手伝いしながら、菊ばぁちゃんたちの笑顔を見るのが嬉しくて、好きだった。
今日はみんなで白菜の収穫をする日だ、菊ばぁちゃんたちや元気な人は、みな畑に出てくる。白菜を収穫する子供たち、白菜をきれいにする菊ばぁちゃんたち、白菜を積み込み運ぶお兄ちゃんたち。みんなが、自分たちの仕事を分業して助け合っている。この白菜は、美土里おばちゃんが漬物することになっている、今では、色々な野菜の漬物を作って収入を得ていた。
「ヒューマンライジングを支援してくれている人たちにも、おいしい白菜を漬物にして送るんだよ」と菊ばぁちゃんは言う。
美土里おばちゃんは、ここに来る前、漬物工場で働いていて味付けがとても上手だったそうで、ヒューマンライジングで漬物を製造販売することになった。責任者は美土里おばちゃんになったのと、嬉しそうに美玖ちゃんが話していた。