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天使たちの落日  作者: 倉田樺樹
第一部 イデアの計算結果(アウトプット)
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          (3)

 神の正体がわかった程度では、聖書の謎は解けない。


 創世記の次は出エジプトだ。

 ひょんなことからエジプトに移住することになったアブラハムの子孫イスラエル民族は、エジプト人から虐げられ、神は預言者モーセに全イスラエル人のカナンへの帰還を命じる。モーセはファラオのもとに交渉にいくが、ファラオは許さない。


 この時不思議なことに、モーセは神からファラオの前で杖を投げて奇跡を起こすよう、厳命されていたのにそうしなかった。しかし、ファラオとの二度目の会見では、杖を蛇に変える奇跡を起こし、ファラオを驚かす。それに対し、ファラオはエジプトの魔術師を呼び、魔術師は同じ奇跡を起こす。


 ファラオが頑固なので、神はエジプトに災いを起こし、ファラオは屈する。モーセに率いられカナンに向かうイスラエル人に、ファラオは軍隊を差し向ける。紅海にさしかかり、モーセが杖をあげると、海はまっぷたつに割れ、イスラエル人とエジプト軍は海の底を通る。再びモーセが杖を上げると、海はエジプト軍だけを飲み込んだ。


 イスラエルはカナンの地にたどり着いたが、モーセはその前に亡くなった。モーセ以降も多くの預言者が活躍する。バビロン捕囚時代のダニエルは、ガブリエルと名乗る天使から、数々の幻を見せられる。ダニエル書は未来の預言だと言われている。

 七章では四匹の獣の幻が示され、新バビロニア、アケメネス朝ペルシャ、マケドニア、ローマ帝国のことだと解釈されている。十一章にはペルシャからマケドニア分裂後の世界情勢が示されているが、細かい点まで史実と一致しているので、ダニエル書は後世の創作とされる。


 モーセがシナイ山で授かった律法からユダヤ教が生まれ、イエス・キリストはユダヤ教を改革していく。ガブリエルがイエスの母マリアに処女懐胎を告げた受胎告知はあまりにも有名だが、その半年前、ガブリエルは子供のいなかった祭司ザカリヤにも、洗礼者ヨハネの誕生を告げていた。受胎告知を告げられたマリアは、ザカリアのもとに三ヶ月滞在して、その後イエスが生まれた。


 西暦はイエスの誕生年を起点としている。イエスが生まれたとき、イスラエルはローマ帝国の属州(公式には同盟国)だった。ローマ帝国と書いたが、実は共和制から帝制になったばかりで、初代皇帝の治世だ。ローマ帝国はダニエル書に記された第四の獣である。イエスの誕生とローマの体制変更。一見関係のなさそうなこの二つの事象にハルミは深いつながりがあると推測した。それは、キリスト教徒が断食しないことと、ローマ貴族が美食家だったことの関係に似ていた。


 イエスは三十歳の頃、洗礼を受けて、宣教を始めるが、それ以前のことはよくわかっていない。イエスが故郷に伝道に訪れたとき、村人は、あの大工の息子がどこで聖書を学んだのかと不思議に思ったそうだ。イエスの家族も、イエスの頭がおかしくなったと聞き、取り押さえに来た。受胎告知があったはずではなかったか。


 イスカリオテのユダの裏切りで、イエスは十字架にかかるが、そのことを前もって知っており、最後の晩餐の席でユダの裏切りを指摘し、イエスの言葉通りユダは師を敵に売った。その後、裏切り者の極悪人のはずのユダは後悔して自殺した。自身の死をかなり前から知っていたイエスは、逮捕直前になって異常に怯えた。処刑の最後の言葉では、神の裏切りを非難した。


 イエス以前にも預言者エリヤと弟子のエリシャ、イエス以降にはペテロとパウロがイエスとよく似た奇跡を起こした。共通の師匠でもいるのだろうか。イエスは予告通り、処刑されて三日後、墓の中で復活したが、復活のシーンを誰かが見ていたわけではない。知人の女性が墓にいくと、墓穴をふさいでいた岩がどけられ、中にはイエスの遺体がなく、外に出るとイエスがいたというのだ。


 復活後のイエスほど謎めいている存在はない。最初のうち、知人の女性や弟子達は、イエス本人だとは気づかずにいた。違った姿だったそうなので、わからなくて当然だ。復活後のイエスは鍵のかかった家に入った。そのくせ、弟子に体を触らせたり、魚を食べるなどして、幽霊でないことを証明している。


 イエスに関する記録はユダヤやローマの歴史書にわずかに見られるが、改竄や別人の可能性が疑われている。イエスはパレスチナから出なかったので、それも無理はない。どうしてイエスは、地の果てまで福音を届けろと言い残したくせに、自身はローマに行かなかったのだろう。少人数の弟子の前で昇天するよりも、皇帝に面会した後に大勢の市民の前で上がっていけば、宣教にとって有利なはずだ。

 昇天自体も単純に空に上がっていっただけのシンプルなものだ。預言者エリヤの場合は、ヨルダン川が真っ二つに割れ、火の戦車を挟んで弟子たちと離れたエリヤが竜巻に乗って上がっていくという壮大なものだった。イエスの昇天がエリヤより地味なのは、何故だろうか。


 ローマ教会で大改革が行われてからまもなく、アラビア半島のメッカの商人ムハンマドの前にガブリエルが現れる。アラビア語に自信がないのか、文字の記された布をムハンマドに見せ、「読め」とだけ告げた。しかし、ムハンマドは文盲だった。ガブリエルはアラー(アラビア語で神)の言葉クルアーンを語り、ムハンマドはそれを暗記し、教えを広めてゆく。


 ムハンマドは迫害を受けるようになり、メディナに逃亡する。するとアラーは礼拝の方角をエルサレムからメッカに変え、改宗を迫っていたユダヤ教徒やキリスト教徒には関わるなと方針を変更する。さらに、一夫多妻制が認められ、女性はスカーフをすることが義務づけられた。メディナで唯一神アラーに何があったのだろうか。


 同じ神を信じるはずなのに、クルアーンと聖書では内容が異なる点が多い。聖書ではモーセの兄アロンがシナイ山の麓で偶像を作ったことになっているが、クルアーンではアロンは民たちの偶像崇拝を止めたが殺されそうになったとされる。クルアーンでは、山に上がったモーセが主の姿を見たいと言うと、山が木っ端微塵になり、十戒の日程もモーセの飲み込みが悪いのか、三十日から四十日に延長したとある。これではヤハウェとアラーは別の神で、アラーが山の上でモーセに十戒を授けている間、ヤハウェは麓で民とすごしたように思えてしまう。


 ハルミは自宅での時間のほとんどを聖書や仏典の研究に費やした。当然、家事がおろそかになる。それでも京はそれほど批判しなかった。彼女は、一度意識不明になっただけでなく、神秘体験もしたのだ。どんな合理主義者だって死という現実は避けられない。それでも、学生時代から彼女のことをよく知る彼は、彼女の行動を一時的な知的好奇心の結果にすぎないと、楽観的にとらえていた。

 だが、彼女自ら、とある古墳に行くと聞いたときは、事故前とは全くの別人になってしまったかのような印象を受けた。


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