残酷な世界に別れのキスを
それなりに平和だったフィルノートル王国に、黒い影が見え隠れし始めた時代。それでもまだ一般人には遠い世界の話だった頃、私は生まれた。
「わたしはくろいかげをたおすよ」
「ぼくだって!」
「じゃあ、いっしょにやっつけようね」
「うん、やくそく」
「ふふっ、やくそく」
私には幼馴染がいた。家が隣同士の私達は、よく塀の隙間から互いの庭に行きあって遊んだものだ。幼馴染の彼は明るくて優しく、頭もいい。その上とてもとても容姿がよかったから、皆が彼を好きになった。もちろん、私も幼い時分から彼に淡い恋心を抱いていた。
しかし、私は東の国生まれの子供で、こちらの人達のような輝かんばかりの容姿には程遠かった。よく言えば控えめ、そのまま言えば薄っぺらい顔立ちだったのだ。全てを魅了する彼の隣になど、決して立てはしないのだと幼心に理解していた。
大きな転機が訪れたのは、私が10歳の時。私の体に特殊な力が現れた。幼馴染と魔法をかけあって遊んでいた時に、私はそれに気がついた。
ーーー私の体は、受けた魔法と同じ魔法を、そのまま相手にも返すのである。
これは、用途を間違えばとてつもなく危険な能力だった。しかし裏を返せば、用途さえ誤らなければ、使い勝手のよい能力だということだ。
……例えばそう、死の魔法とか。
それからの私は、幼馴染のことを忘れるぐらい死に物狂いで魔法を身につけることになった。誰も、傷つけないために。今考えれば自害することもできたけれど、なぜかその頃は少しの思いも及ばなかった。
ちょうどその頃合い、黒い影と呼ばれる組織が一般市民をも侵食し始め、誰もが恐れと怯え、不安の中で暮らしていた。黒い影は、その頂点あるセディアードの残虐性をそのまま受け継いだ組織だった。気に入らなければ殺すのはもちろん、愉しみで人を殺し、暇つぶしで人を殺し、なんとなく、なんてとんでもない理由で人殺した。そして殺したぶんだけ女に子供を産ませようとしていた。一言で表せば悪魔、それにつきる。
そしてこともあろうか私の両親は、黒い影の一員であった。道を踏み外したのはいつだったのだろうか。私には分からない。ただ遠い島国出身であること、また生国特有の容姿をこの国で差別され続け、いつしか狂気じみた思想に縋るようになってしまったのだろう。それほどまでに、両親は憔悴していた。それにしても、誰も傷つけないがために魔法を身につけた子供の両親が、傷つけることを厭わないとは皮肉なものだ。世界は、いつだって優しくなんてなかった。
親の目をくぐって会いに行ったのは、陽の光の本部。
「黒い影の娘が何の用だ」
そこで見たのは、懐かしい幼馴染の父であり陽の光のトップとして動く男。
昔は仲のよかった隣同士の家族が、数年の時を経て、殺したいほど憎い宿敵になってしまったのだ。
私の二重スパイの申し出に、彼の父は鼻で笑って追い返した。情けをかけらたことが無性に悔しかった。
本部を出る時、訓練をするメンバーの姿が見えた。燃えるような赤い髪に、強い意志を秘めた灰色の優しい目。彼は何も変わらない。誰かを守るために、戦い続けてきたのだ。彼のそばでは、金色の太陽みたいな髪を持つ女性が戦っている。その女性が彼の大切な人であることは一目瞭然だった。確かに私は彼を愛していたのだと、心の何処からか湧き出る嫉妬で悟った。
けれど、もう何もかも遅い。
私は、黒いフードを深く被り直した。
◆
私は、黒い影のメンバーとして度々戦場に立つことになった。
そして今、荒れ果てた街だった場所に立っているのは、私とセディアード、それから幼馴染の彼と、彼の大切な人。四人だけ。他は皆死んでしまった。私の両親も、やんちゃだった弟も。また、彼の両親も同じく。
彼とその恋人は既に全身に怪我を負っており、肩で息をしている。一方のセディアードと私は全くの無傷。セディアードによって世界が真っ暗闇に染まるのもそう遠い話ではない。
彼は髪のように燃える灰色の目で、こちらを睨みつけ、杖を向けた。庇うように前に出たその背には、とろける蜂蜜色の髪。
彼は、眩しい人だ。私とは全く違う道を歩んだ。きっと自分の意志で、愛しい人と共に。苦悩ともに、光あふれる道を。その道を進む彼の後ろには、たくさんの笑顔と優しさ、そして多くの人々の希望があった。幼い私が、彼とともに語り合った未来。黒い影なんて蹴散らす強い人になるんだと、そう誓い合ったはるか遠い過去。それらもまた、彼の道にあった。
だが、私はどうだ。そのまま流され闇に落ち、人を殺めたことはないながら、全てを見殺しにした。私の道には、怨恨と憎悪しかない。暗い、暗い道だった。
ーーー今、できることがあるなら。
口角をあげたセディアードが、私に合図をする。
そして私は取り出した杖を、
セディアードに向けた。
一瞬目を見開いたセディアードだったが、そこはさすがに黒い影の頂点というべきか。憎々しげな光をその青い目に浮かべると、素早く杖を私に向ける。その後は、時間が止まったかのように、酷くゆっくりと過ぎていった。
死の魔法は苦しい。
息が止まり、全身を凄まじい痛みが襲った。
自分で覚悟をしておきながら、みっともなく酸素を、安寧を求める。
もがくうちに、目元を隠していたフードが外れ、霞んだ視界の中セディアードの果てた姿が見えた。
ーーーこれで、よかったんだ。
意識が朦朧としてきた。
さっきまでの痛みも苦しさも、もはや感じない。
頬に、温かい雫が落ちた気がした。彼が、恋い焦がれた彼が泣いてくれたのだろうか。
ああ、もしかして。
本当は世界は優しかったのかもしれない。
乾いた唇で、さよならと形作った。
(残酷な世界に別れのキスを)