月の悪魔
不思議な光に呑みこまれる瞬間、誰かの声が聞こえた気がした。
少しの間だけ一緒に過ごした、お母さんとお父さんに似て、どこか優しさを含んだ声が。
◆
瞼の外が少し暗くなり、光が収まったことがわかった。
目を閉じている間妙な浮遊感があったけど、一体なんだったんだろう……。そう思いながら、ゆっくりと瞼を開いた。
その瞬間、自分が先程とは全く違う場所に立っていることを理解する。
最初に目に入ってきたのは、見慣れた廃墟や瓦礫の山ではなく、誰かの胴体だった。僕の目線を少し上げなければ、顔がわからない程の身長の男のようだ。
目の前に立っている人物の顔を見ようと思った時、ざわめく声が聞こえた。
多分それは、僕の周りにかなりの数存在している気配たちだろう。耳が異様に良い僕は、耳を澄まさなくてもその内容が理解できた。
「なんか召喚されたみたいだぞ」
「どうせ、人型に化けた雑魚だろ……ステイラーの召喚魔だぜ?」
「だよな」
召喚? 一体なんのことやら。
よくわからない単語が幾つか遠くの方で飛び交っていたけれど、自分のことではないらしいので、僕は先程やろうとしていたことの続きを再開させる。
つまり、目の前の人物を見上げる、という行為だ。
「……」
見上げた先には、見たこともない髪色を持った男が立っていた。
灰色……じゃなくて銀色かな。僕の周りには黒髪だらけだったので、こんな色を持つ人は初めて目にした。それはまるで磨き上げられたナイフのように輝いている。
瞳の方は紫色だった。いつしか殺した男が持っていた宝石のような色。宝石の名前は知らないけれど。
「ねえ」
ジッと見つめること数分。沈黙に絶えられなくなったのか、僕にじろじろ見られるのが嫌になったのかわからないけれど、目の前の男は声をかけてきた。
なに、というように首を傾げれば、へらりと何とも言えないような笑みを男は浮かべる。
「君、名前は?」
……あまり年の変わらないような男に、子供に語り掛けるような声で問いかけられた。まあ、男と違ってあまり身長は高くなく、幼顔なのが悪いのだけれど。
「……虚兎」
これは、親からもらった名前ではない。本当の名前は、両親が殺された時のショックで忘れてしまっていた。
両親が殺されてから独りで過ごしているうちに、"虚ろな兎"なんて呼ばれていたから、そこから文字を拝借して名前を作った。
名字も作ったけれど、そっちはあまり名乗る機会はなかった。
「虚兎……? 不思議な響きをしてるね。俺はゼノ=ステイラーって言うんだ」
ゼノ=ステイラー……そっちの方が不思議な響きをしてると思うんだけど。なんて言葉は言っても意味がないので、言わなかった。
互いに名乗ったところで、このゼノって人は僕になんの用があるのだろう。状況的に、僕は多分この人に呼ばれてここにいるってとこだろうね。
だって僕が目の前にいても驚かなかったのだから。
「虚兎、俺と契約しない?」
契約……?
ゼノは誰か殺してもらいたい人がいるのだろうか。優しげな見た目からは考えられないな……でも、人は外見じゃないよね。僕だってこんなだけど、人なんて簡単に殺せるし。殺すことに罪悪感なんてない。もちろん、快楽もない。
「誰?」
人を殺して欲しい、なんて人沢山いた。契約も何度もしたことがある。
断る理由なんてどこにもなくて、取りあえず誰を殺して欲しいのか問いかけてみることに。
でも、何故か訳がわからない、といった表情を浮かべたゼノ。
「誰を殺して欲しいの?」
誰、だけじゃ伝わらなかったらしい。僕の問いかけを略さずに告げると、今度はその顔を驚愕に染めたゼノ。一体さっきからなんなんだろう。
自分から契約してほしいと言ってきたのに、殺したい人の名前を言えないのだろうか……と思ったところで、互いの会話がかみ合っていないんじゃ。という一つの考えが頭に浮かんできた。
「え、人殺すことが使い魔契約の方法なの?」
……どうやらかみ合っていなかったらしい。
使い魔契約、なんて聞いたことがなく、意味がわからなかった。それは一体どんな契約内容なのかと問いかければ、「共に生きる契約」なんてことを言われた。
共に生きる? そんなことが可能なのか。この僕に。
幼い頃から独りで生きてこれた僕に、共に生きる人が果たして必要なんだろうか。
色んな疑問が浮かんできたけど、一応期間を聞いてみることに。
「それって、いつまで?」
「? 俺が死ぬまでだよ」
当たり前でしょ、という顔をされ答えられても、僕には理解できない。
ゼノが死ぬまで共に生きる? それに何のメリットがあるのだろう。自由に生きることが出来なくなるだけじゃないんだろうか。
断ろうかな、と思って考えるために落としていた視線をゼノへと向けた。
バチリと目が合った。
紫なんて冷たそうな色をしたその目は、優しさを含んでいた。こんな目、向けられたのはいつ振りかな。
多分、いや確実に両親が生きていた頃が最後だっただろう。
何度か優しく声をかけられたこともあったけれど、目は正直だった。僕を殺そうとする狂気を隠せないでいる人ばかりだった。本当に優しい人なんて、この世に存在しないんだろうな、なんて最近悟ってきていた。
でも、目の前にいるこの男は、僕の考えを打ち破った。
本当に、本当に優しい目を持つ男……。
気づいた時には、僕はゼノの前に跪きゼノの左手甲に口づけを落としていた。
一瞬唇を触れさせた手の甲が黒い光を放ち、そこに欠けた月を模った黒い紋章が浮かび上がってくる。
ああ、契約が交わされたんだな。なんて思いながら立ち上がり、僅かに口角を上げた。
「これからよろしくね、ゼノ」
文才が欲しい……。
出会いを表現するのが苦手なんです。
なーんか契約パパッと終わりすぎですよねー。