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 流れる雲が月を隠すたびに、大地が暗闇に包まれる中、エルネティーテは愛馬を走らせていた。隆起した大地も翼馬には関係無く、度々翼を広げて風を切る。

 やがて荒野にポツンと見えてきた民家の上を一度旋回すると、愛馬を軒先に降りさせる。体に戻った煩わしい重力に、翼馬は小さく嘶く。

 真っ直ぐ扉に向かおうとした足が止まる。乾いた大地に広がる染みに気がついたのだ。少女の鼓動が早まる。屈み込み、染みに触れる。次の瞬間、エルネティーテは弾かれたように立ち上がると、愛馬が注目する程の勢いで扉に駆け出した。

「バルッケル!」

 扉を開け放ちながら叫ぶ。怒気を含んだ声にも関わらず、中にいた問題の人物は澄ました顔でお茶を啜っていた。

「あなた又やったのね!?」

 バルッケルは怒りで頬を紅潮させるエルネティーテを見る。女性はこういう時が一番美しい、という感想は言わないでおく。火に油を注ぐようなものだ。

「剣も握れないナイトは要らないのだよ」

 相手の器量を試すような、空気を読まないのんびりとした口調。自分の師のそんな態度と、怒りから小さく唇を震わせる少女を見て、ベルンハルトは間に入るべきか迷う。だが険悪な空気を破ったのはバルッケル自身だった。

「貴女がご自身の悪感情を抑えてまでもあの青年に肩入れする気持ちには、このバルッケル、敬服する思いですぞ。……それに僕もあの青年には目をかける気持ちはあるんだ」

 バルッケルの言葉を聞きながら、エルナは彼の筋張った手を見る。この男がどれだけ厳しい目で人を、世を見るかは知っている。だから少しでも褒めるような台詞を吐くのは珍しいことだった。それはベルンハルトも同じ思いだった。食器を片付ける手を止め、バルッケルの言葉を待つ。

「あの男、一度だけ僕の剣を避けようとしたよ」

 エルナ、そしてベルンハルトも小さく息を飲む。有能ゆえに隠居に至った男には、護衛のために剣を教わったエルナ、そして彼と一番長い時を過ごしたベルンハルトという弟子も一度も剣の稽古で勝ったことはない。会話と同じようにひょうひょうとした動きに、翻弄されるだけだった。

「まさか、彼、一度も剣を握ったことなんか無いって」

 エルナの呻きにバルッケルが答える。

「たぶん『体』が反応したね。彼らが全くの異世界からやってきても言葉が通じるのと同じ仕組みだ。あの少年は随分と都合よくシンクロしてるらしい。ディカルドといえばカルケディナ王国一の剣豪なんだ……」

「あの男の話はしないで!」

 ヒステリック気味に叫んだエルナに、バルッケルはピタリと動きを止める。そのまま広がる静寂に、エルナは後悔するようため息をつくと扉に向かう。

「城に戻るわ」

「お気をつけて」

 ベルンハルトの声かけにも答えない。だが、綺麗な艶を見せる髪が震えたのは、反応を迷ったからだった。妖精のように白く、華奢な少女が出て行く後ろ姿に、

「お前も嫌われたもんだね、ディカルド」

 バルッケルはそう呟いていた。




 流央は薄汚れた鏡に向かっていた。部屋の壁に掛けられた姿見には小さすぎる物。部屋に差し込む光を避けるようにパーテーションに隠れていたのだ。それをじっと見ていた。

 綺麗な線を描く眉は意思の強さを感じ、まるで相手の感情を全て読み尽くすような目つきはかくも鋭い。高い鼻、唇は薄めで大きめの口、そして伸び放題の髭。年頃の娘には敬遠されそうな無骨さだが、男前と言っていい。だが流央には見慣れない、本来の顔とは全く違うものだった。

 目の前の男の顔が自分の感情を反映して不安げに歪む。それを見て苦笑すると頭を振った。そして再び前を見る。

「俺は帰る……絶対に地球に帰ってみせる。そのために、強くなる」

 言葉に出すと覚悟になる。そしてそれは何故か鏡に写る男に「ザマアミロ」という気持ちにさせた。

 次に鏡に映る体に視線を移す。気を失うほどの痛みを放った胸部への切り傷は、今はすっかり塞がれて包帯で包まれていた。包帯を引っ張って中を窺っても、多少の引き攣りを残しただけでぱっと見はどこを切られたのかも分からないほどだった。これも魔法の力なんだろうか、と流央は考える。


 やったのはエルナ?いや、彼女はいなかったのだからバルッケルかベルンハルトか。するとこの世界の人間はみんなが魔法を使えるんだろうか。魔法の力があるにしては荒廃して寂しい世界だ。もっとキラキラとしたイメージがあったのに。


 流央が部屋を出ようとしたところで丁度、ドアがノックされる。遠慮のある音でわかる。これはベルンハルトだ。流央は答える代わりにドアを開けた。夕食だろうか。湯気の立つスープ皿を持って立っているベルンハルトがにこりと笑った。

「顔色、良さそうですね」

「うん、向こうに行くよ」

 流央がダイニング方向を指さすとベルンハルトはもう一度笑う。

「では持って行きましょう」

 ベルンハルトはついてくる流央の背中が伸びていることに気づく。あんなにもおどおどとしていたというのに、やはり師匠のやり方は合っていたのだろうか。ベルンハルトとしては手放しに賛成できないやり方だが、反対しにくくなったのは確かである。

 ダイニングに着くとそのままテーブルに着く流央を見てバルッケルは口を開く。

「気分はどうだね? リュオ」

「うん、すっきりしてる」

「それは良かった」

 奇妙な会話だが事実だった。流央は出されたスープの食べたことがない葉野菜を噛み砕くと、目の前に座るバルッケルに顔を向けた。

「俺は強くなれるだろうか?」

「なれる、僕が保証しよう」

 昆虫男がそういうならばそうなんだろう、と流央は頷く。

「じゃあ明日からまた稽古をつけてくれるかな?」

「もちろん、だがそれよりももっといい案があるんだ」

 バルッケルはそう言って懐から一枚の紙を取り出した。分厚くてごわごわとした使い勝手の悪そうな粗悪品……と羊皮紙を知らない流央の目には映る。テーブルに広げられたそれを覗き込んで流央は目を瞬かせた。

「あ、もしかしてこの辺の地図?」

 最初はミミズののたくった線の集合体にしか見えなかったが、地名が読み取れてくる。『カルケディナ』『セストリオ』など、聞き覚えがあった。思えば流央がこの世界に来たばかりの時、言語もそのような経過をたどった。初めは聞き取れもしなかったものが、次第に意味がわかるようになったのだ。

「その通り、この辺りの暗鬱とした一帯だよ」

 バルッケルはそう言い、ヒッヒッと笑った。

「ここの辺りにこの家がある。……君が戦った闘技場はここだな。で、君に行って欲しいところがある。ここだ」

 バルッケルが差した地点に流央は眉を寄せる。

「と、遠くない?」

 この家と闘技場を結ぶ線よりも倍はある距離だ。闘技場からここまで来たのですら、あの翼馬で数十分はかかっている。幾つかの地名を挟んだ先にあった。

「で、ここは何?」

 流央の単純な質問にバルッケルは何度か体を含み笑いで揺らすと口を開いた。

「魔女がいる。体力作りには沼地の魔女に会うのがぴったりだ」

 台所にいたベルンハルトが、立ち飲みしていた麦酒を吹き出した。涙目で何度か咳き込むのをバルッケルが振り返り見る。

「メウェストですか……いえ、私は何も」

 師匠からの視線に、ベルンハルトが手を振るのを見て、流央はまた不安が押し寄せていた。

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