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「少し休んだ方がいい」

 流央の顔を見てベルンハルトは顔をしかめる。何処かに掛かった振り子時計の規則正しい音が、今は鼓動を急かしているように感じた。

「どうすれば……?」

 流央の問いはたった今の事でもあり、これから先についてでもあった。ベルンハルトが立ち上がり、着いてくるように、というように手招きする。流央はそれに続いて暗い廊下に入る前に、エルナの方へ振り返った。

 ひどく不機嫌そうな顔でテーブルに肘をついている。目線が合うことは無かった。自分を救ってくれた少女にすがりたかったが、少女はそんな事実は忘れたとでも言いたげな態度で向こうを見たままだった。

 ぎしぎしとうるさい床板を歩く。が、こんなに音が鳴る程の重量感を体は感じてくれない。全てが夢のように曖昧で、ひたすらにどうでも良かった。流央の心は止まりかけていた。

「古い家ですが部屋数だけはありますから、貴方の部屋も用意しましょう」

 ベルンハルトの声は気遣う雰囲気を出している。とりあえずはこの家に置いて貰えるようだ。この三人で住んでいるのだろうか。関係性がよく分からない、と考えていた流央の視界に廊下の脇にあるものが目に入った。木枠の鏡だ。ベルンハルトの言葉からして自分の顔は今、酷い状態に違いない。流央は通り過ぎる際にちらり、と覗き見る。

 ぎくりと肩が震えた。見知らぬ男がこちらを見ている。鏡とばかり思っていたが違ったらしい。まだ他に人がいたのか、と会釈しようか迷う。だが、目線を逸らさずこちらを見る男に、嫌な予感が振り返す。

 恐怖に似た感情が止まりかけていた心を揺さぶる。見てはいけない。しかし固定されたように体が動かない。自分の荒い息だけが聞こえる。


 誰だ、誰だ、誰だ、誰だ。


「どうしました?」

 ベルンハルトが怪訝な顔で戻ってくる。その彼の姿が目の前の硝子に入り込んだ瞬間、流央は叫んだ。

「うわ!」

 壁に張り付いて驚愕の表情でこちらを見る男は、ベルンハルトの隣りにいる。黒髪に落ち窪んだ目。射るような瞳と意思の強そうな高い鼻。全てが慣れ親しんだ自分の物では無い。柱に掛かった振り子時計が数字を逆さに写していた。

「誰だ、お前は!」

 自分の叫びと同じように男の口元が動いたのを見ると、流央は意識を失ってしまった。


◆◇◆◇◆


 夢の中、流央は自宅の台所にいた。古い家で台所も流央が八歳の時まで土間作りだったが、母親の希望でここだけ新しくリフォームしたのだ。料理の好きな母の希望通りにした銀のシステムキッチンは『キッチン』というより『厨房』のようだった。

「流央、電球を変えてくれない?」

 母がビーズの暖簾から顔を出す。小柄な母はいつも電球の交換を父か流央に頼む。その母がしっかりと手に持つ電球は、舞台照明用かと思われるやたらでかいものだ。

「それを……?」

 そんなでかい電球を付ける箇所はこの家には無いはずだ。しかし母はしれっと答える。

「ちょっとの手間じゃない、文句言わないの」

 いつも頼まれ事をされた際に流央が嫌な顔をすると、母はそう言って必要以上に怒るのだ。

「玄関の電球よ、お願いね」

 母に言われた通り、玄関へと向かう。途中、階段下にある姿見の前で足を止めた。『誰かに似てる人に似てる』と先輩にからかわれた平凡な顔があった。しかし親戚のおばさんに「鼻がすうっとしていて綺麗ね」と褒められたことがある自分の顔は割と好きではあった。

「電球、買いに行かないとね」

 ふいにした声に隣りを見ると、クラスメイトの西田あさみが立っていた。少しふっくらした頬に、生まれつきだという茶の髪。媚びることを知らない無邪気な笑顔を作る同級生だった。

「先輩に頼まれたんでしょう?」

 頼んだのは母親だ。そして電球なら渡された物がある。そう言い返したいがぐにゃりと景色が歪んだ。


◆◇◆◇◆


 流央が意識を取り戻すと、目の前には見知らぬ天井の形がある。窓の外に見える茜色に染まった荒野と、大きな翼を持つシルエットが美しい馬の姿に「やっぱりこちらが現実か」と重い息を吐き出した。

「目が覚めたかね」

 急に目前に現れた昆虫男の顔に、流央は悲鳴を上げる。バルッケルは「失礼なやつだね」と言いながらもひどく楽しそうだ。

 流央は体を起こすと、固いベッドに寝かされていたことに気付く。運んでくれたのだろう。ベッドの脇で座るバルッケルに礼を言うと、気にするなというように手を振った。

 自分の手を見る。やはり見慣れない、元の自分のものよりも大きく筋張った手がある。あまり良い暮らしをしていなかったのか指先が黒ずんでいた。部屋の隅に小さな鏡が掛かっているのを見つけるが、喉を鳴らすだけで見る気にはなれなかった。

「俺は誰だ?」

 流央はバルッケルの顔を見る。変化を見せない硬質な顔に苛立ってくるが、もう一度尋ねる。

「この体は誰のなんだ?」

「君のものでは無い誰かのだろうね」

 バルッケルは知らないのでは無く、答える気がないのだ。そして知っているということを流央に隠すつもりもない。だからこんな匂わせる台詞を吐く。

「あんた達はこの体の持ち主を知っているんだ。あの人……ベルンハルトが言ってた。『雰囲気が変わってる』って。それは元の持ち主と比べてって事を言っていたんだな」

 流央が目の前の無機質な顔を睨みながら言った台詞に、バルッケルは肩をすくめた。

「あいつは修業が足りないね」

 おどけるような言い方に流央はベッドから立ち上がった。

「隠すなよ!俺は何でこんな目にあったのか、どうすりゃいいのか知りたいんだよ!こいつは誰なんだ!?」

「教えたところでどうなる? そいつの名前、出身地、生い立ちを話したところで君に理解出来るのかね?」

 自分とは対極の静かな態度を崩すことなく話すバルッケルに、流央は気圧される。確かに名前や地名など聞いたところで頭に入らなそうだ。

「……まずは、まずはこの世界について知りたい。後は君らについて」

 流央の言葉にバルッケルは目を細める。

「教えようとも。その後はじっくり今後について話し合おう。それに少年、君の事についても僕達は何も知らないよ」

「名前は教えたじゃないか……」

「そうだったな、リュオ。夕餉を楽しみながら相談といこうか」

「リュウオだ」

 流央はそう訂正すると、部屋を出ていくバルッケルの後に続いた。目線が高い。そうか、この体の持ち主は長身だったのだ。流央は無意識に腹部を撫でていた。

 てっきり体ごと違う世界に迷い込んでいたと思っていた流央は、知らない男を寄り代に精神だけがぽつんと佇むような感覚に、ひどく孤独な気分になった。でも、精神だけが飛ばされた……夢の中に入り込んだようなものなら、元に戻れるかもしれない。体は元いた世界に残っているはずなのだから。

 先程、三人と自己紹介し合ったテーブルにはベルンハルトがパンの乗った皿を置いているだけで、エルナの姿は無かった。流央の視線を見たのかベルンハルトが静かに答える。

「彼女は出掛けていますよ」

 残念ながら男だけの夕飯になるらしい。三つ並んだスープ皿がそれを告げていた。

 目の前に置かれた赤い色のスープをじっと見る。匂いからしてトマトベースの煮込みのようだ。食べ物の匂いを嗅いだことで空腹を覚えるが、元の世界にはいないような奇妙な生き物を続けて見てしまった流央には、がっつく勇気は無い。が、嫌な顔をして皿を脇に寄せる、といった気の大きさも持ち合わせていなかった。ベルンハルトとバルッケルが口を付けるのを見て、恐る恐る口に運ぶ。

 味が薄い。不味いとも言い難い。塩漬け肉の破片や野菜が多く煮込まれたスープは、現実世界の固形ブイヨンでも入れれば格別な味だったに違いない。

 部屋の様子などを見るに文明があまり進んでいない世界なのだろうか。調味料といったものは高級品、もしくはそこまで普及していないのかもしれない。

「醤油と味噌汁が恋しくなるのも時間の問題だな」

 流央はぽつりと呟いていた。

「食べながらでいいか、まず何を知りたい?」

 バルッケルが不思議な口の動きを見せながら流央に問いかける。昆虫の口に似た部分を器用に閉じてもごもごと口を動かしているが、中はどうなっているのか、どういう仕組みなのかが気になってしまう。

「……えっと、この世界はどういう所なんだ?」

「その質問では困る。なぜなら僕はこの世界以外は知らないのだから。君の世界と比べて何が違うのか、何が不思議と思う部分なのかも分からない」

 なるほど、確かに「地球はどういう所?」と聞かれても何から答えていいのか迷う。流央は暫し唸ると問い直す。

「あの、俺が現れた闘技場は何だ? ああいうのがあちこちにあるのか?」

「あれはセストリオ帝国が所有するものだ。庶民の娯楽施設、欲求不満のはけ口だね」

 バルッケルはそう言うとくっくと笑う。

「あちこちにあるわけでは無いですよ。あの規模の建物を作るにも、人を集めるにもそうそう出来ることでは無いですから」

 ベルンハルトの補足を聞いても、流央が納得する答えでは無かった。あんな化け物が沢山いるのか、とか奴隷を戦わせるような制度が未だにあるのか、そういうことを聞きたかったのだが、二人の答えを聞くに当たり前の事だと考えた方が良いのかもしれない。

「俺は何故、喚ばれたんだ?」

「その体に入れる精神を手当たり次第、余所からもらって来てるんだろうね」

 バルッケルが流央の体を指差す。流央は暫し呆気に取られた後、声を荒げた。

「手当たり次第!? 俺が初めてじゃないってことだな!?」

「そう、君も醜悪なモンスターと戦ったはずだ。そして見事、打ち取ったのだろう? おめでとう、君が初の合格者ってわけだ」

 戦ってないし打ち取ってない、と言いたいが説明するのも面倒だと思い、流央は質問を続ける。

「その、今まで喚ばれた奴らはどうなったんだ?」

「戦いに負けたものにあるのは死のみ、そうだろう?」

「……元の世界に帰ったとか、そういうこと?」

「いや、死の先にあるのは無のみ。君の世界では違うのかな?」

 バルッケルの笑みにぞくりと背中が震えた。

「な、なんで……こんな事を」

 流央の絞り出す声に、二人は答えなかった。




 その日の夜、流央は「夜風に当たってくる」と元の世界でなら絶対に口にしない台詞を吐き、家を出る。

 昼間とは打って変わり冷たい風が頬を撫でた。怖いくらい大量に輝く星に、大きな月が浮かぶ空。地球からみた月よりも大分大きい。この世界の天体はどのようなものなのだろう。

 ベルンハルトから「危ないのであまり遠くに行かないで下さい」と心配されたがこの見知らぬ世界、何がいるか分からない状態では言われなくとも動き回る気にはなれなかった。なるべく家から漏れる明かりが届く範囲で足を止めると、大きく息を吐く。

 暗闇に目が慣れてくると大きな月に照らされる景色は予想より明るい。丘の上から月に照らされる青白い世界を見渡し、地面に腰を下ろした。昼間よりも広く見える大地に模型のような木々。流れる雲の形も日本とは違ったものに見える。無意識に口から不安がこぼれた。

「どうなっちゃうんだろう、俺」

 瞬間、涙が溢れる。防衛本能が押さえていた心の結界が壊れたように、負の感情が押し寄せる。溜め込んでいた泥まみれの罵倒が脳になだれ込んできた。


 俺は不幸だ。まだ高校生だというのに見知らぬ土地に投げだされてしまった。いきなり不気味な巨人に殺されそうになるし、何者なのかも分からない男の姿になっているとは。周りからもこんな馬鹿げた話し聞いたことが無い。それを今、自分だけが経験している。世界一ツイてない男だ。来週には他校との練習試合があったのに。レギュラーでは無いけど、その為に練習してきたんだぞ。


 そんな愚痴を喚き散らしたくなった。

先程の夕飯の席で質問しそびれた事があった。いや、怖くて聞けなかったのだ。

 精神だけが飛ばされたのだとしたら、元の世界で流央の体はどうなっているのか、という問いが気になってはいたが聞けなかった。

母の顔が頭から離れない。きっと心配しているだろう。流央には懸念があった。もし元の世界に置いてきた『体』が精神を失ったことにより最悪の状態になっていた場合――大石流央は死んだのと同じだった場合、心配しているどころの騒ぎではない。世界一ツイてない上に世界一の親不孝者だ。流央は泣き笑いに顔を歪めた。

 はっきりした反抗期は無かった流央だったが、近頃は生活の中で親の存在は薄いものになっていた。両親よりも友達、初めて好きになったクラスメイトの方がはるかに大事だった。

 それでも、いざという時は母の顔と父に対する懺悔しか浮かばない自分が無性に可笑しかった。

 流央はひたすら不幸な自分に酔い、気の済むまで泣くことにした。

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