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目覚め

 真っ暗な中をひたすら走る。

「はっ……はっ……」

 生ぬるく青臭い自分の息が唇にかかる。全力を出しているはずなのに疾走感がまるでない。自分の脚力の無さが不甲斐なかった。踏みしめれば踏みしめるほど、力が抜けていく。もがき、苛立つ。

 走ることで感じるはずの向かい風は無い。代わりにぬるい、重い空気が体にまとわりつく。まるで粘着性のある水の中にいるような……。息は出来ている。吐き出される荒い息がそれを辛うじて証明していた。

 背中に感じるゾワゾワとした悪寒に後ろを振り返ると、枯れ枝のような腕が何本も伸びてきている。自分を捕まえようとするようにゆらゆらと揺れるそれは、こちらを嘲笑うかのように優雅に見えた。真っ暗な中、無数の巨大な腕だけが目視出来る状況に気が狂いそうになる。それでも走る。走り続けて逃れなければ。

「う、あ……!」

 上着を引っ張られる感覚に心臓が痛いぐらいに跳ね上がる。


 とうとう捕まった!


 毎晩のように見る夢の中、毎朝大量の汗と猛烈な息苦しさで目が覚めるこの悪夢。夢のこととはいえこのままだと精神的に参ってしまうと考え、病院に行こうか真剣に考えだしたのが昨日のことだった。闇の中をただひたすら疾走し、大木の枝のような気味の悪い腕に追いかけられるこの夢は、いつもなら足がもつれて転んだ瞬間に『現実』の体が跳ねて目が覚める展開だった。

 初めて捕まってしまった。恐怖で声も出ない。

 上着を掴まれたことを皮切りに体中を大きな手が這い回る。感触まで木のような乾ききった皮膚が腕、頬に触れるとざらりと痛い。身のすくみで指一つ動かせない。立っている、という足の感覚が妙に研ぎすまされて不思議な気持ちだった。

 ターゲットを確認するように体中をぺたりぺたりと撫で回していた無数の腕は、『本体』に体を引き寄せようとしているのか猛烈な勢いで背後へと引っ張りだす。息が止まる。無重力空間に移動したように体の重さを感じない。自分を掴む痛い程の力とただただ後ろへと移動する空気の流れ。

 本当に恐怖を感じた時、悲鳴など出ないものだ。何故、今そんなありふれた感想を考えたのかは分からないが、その意識の断片を最後に身体は闇の中へと沈んでいった。



◆◇◆◇◆



「かはっ!」

 水を浴びせられて目覚めるような急な意識の返還に大石流央おおいし りゅうおは何度も激しく息を吸い込む。


 生きている。


 無様に荒い息を繰り返す中、心の底からほっとする。あの悪夢の不思議な力によって、または恐怖によるショックで死んでしまうのでないかと思っていた流央は安堵から放心し、その後大きく息を吐いた。良かった、生きている、やっぱりただの目覚めの悪い夢だったのだ。そう言い様の無い幸福感に浸っている時間は一瞬のことだった。

 初めに気付いた異変は視線の先にある地面だった。黄土色の干上がった土の地面がある。固い感触が坐骨に痛みを感じさせる。自室のベッドで寝ていたはずだ。何故表にいるのだろう。Tシャツにスウェットのハーフパンツという寝間着であったはずの衣服も汚れた綿の上下、やけに薄い布で何年もこれのみを着続けたかのようにくたびれたものに変わっている。こんな服は持っていない。流央は嫌な汗が吹き出すのを感じた。

 異臭がする。動物園の獣臭を煮詰めたような酷い臭い。自分か?と思わず脇辺りに鼻を寄せてしまったがどうも違う。それに泥と汗まみれになったサッカーの後でもこんな臭いは経験が無い。

「あ……」

 前を見た流央の動きが止まる。前にいるそれを目で捉えても、暫くはそれが何なのかが分からなかった。

 大きな足だ。汚いオレンジ色のそれは指が五本生え揃い、それぞれに張り付く爪が英和辞書ぐらいあるのではないかと思う程分厚い。脛に生えた毛もはっきりと一本一本を確認出来るほど太く長い。ぼんやりとし続ける頭の中で「作り物だろう」と考えていた。こんな大きな二足歩行の生き物がいるはずがない。そう思っていても頭部に目を移した途端に恐怖で体がびくりと揺れた。顎がつっぱるぐらいに見上げる姿勢にならなければ目に入らない頭部には、瞳孔が開いた巨大な目が一つしかない。醜く歪んだ口元には汚い牙が覗いており、ぬらぬらと光る唾液が喉を伝う様子には吐き気がする。大き過ぎる人間、というのが第一印象だが肌の色といい顔の造形といい怪物としか言いようが無い。だが「そんな風に思ったら失礼かな」と考えていた流央は典型的な日本人といえる。


 これはどっきりである。


 流央は油断すれば停止しそうな頭を必死に働かせて考える。

 単なる田舎の高校生である自分がなぜ、こんな盛大などっきりに嵌められたのかなんて分からない。でも母親の話しでは昔は一般人をどっきりに引っ掛けるという、今なら訴訟沙汰になりそうな番組があったそうだし。もしくは映画の撮影とか。気難しい映画監督が「リアルな映像を」と何も知らない流央を連れ出し、撮影現場に放り込んだとか。それならいつの間にか自分はテレビの世界の人に見初められたことになる。平凡で地味な顔であるはずだけど、そこが親しみが持てるなんて理由で「未来のスター候補」に祭り上げられたなんて、いいじゃないか。

 まとまりつつある思考が裏切られたのは次の瞬間だった。みしりとオレンジ色の巨体が揺れる。下からの角度では見えなかった巨人の肩に担がれた棍棒が、流央の身長ぐらいありそうな手によって振り上げられた。この動きを見れば次に出る行動は嫌でも分かる。しかし最後まで流央は「まさかな」と考えていた。

 ごう!という鼓膜が破れそうな音。衝撃波によって飛ばされる体。えぐられた地面の破片が容赦なく肌を傷つける。転がった先で頭を上げ、地面に振動を起こす巨体を振り返り見る。巨人は大地に叩き付けた棍棒を、不器用な仕草で拾い上げる所だった。流央の横にある、隕石が落ちて来たんじゃないかと思ってしまうようなクレーターを、目の前の生き物がたった今作り上げたのだ。

「……死んじゃうじゃないか……」

 擦れた声を出すことによって初めて喉が乾ききっていると気が付いた。ようやく恐怖を感じ始めたことで体が震えだす。足に力が入らず、再び荒い息を吐き出すだけになった流央だった。夢だ、夢の続きだ。そう自分に言い聞かせる中、巨人のある動きに気が付いた。

 再び肩に棍棒を構える姿勢に戻っているが、動きが酷く鈍い。目もあの巨大な瞳孔を持つわりに弱いようで飛ばされた流央がどこへ行ったのか、未だに分かっていないようだった。目線が合わずに絶えずさまよっている。


 逃げよう、逃げよう、逃げよう!


 もし本当に映画の撮影なら無様な姿を見せ続けることになるが、こんな危ない撮影冗談じゃない。巨人のリアルな作り込みは感嘆するが、先程の攻撃がほんの少しずれてまともに当たっていたら木っ端みじんだ。

 巨人が歩く度に揺れる地面に恐怖を感じながらも、左手に見える灰色の壁に沿って走り続ける。流央はその時になってようやく耳に聞こえてくる雑音に気が付いた。

 刑務所の塀のように高い壁の上、何人もの人の顔が見える。巨大な唸りの塊が流央に向かって投げつけられているではないか。怒声や悲鳴、肌にびりびりと刺さる歓声の渦。周りを見渡した流央はようやく辺りの景色を確認し、息を飲む。巨大なスタジアムのグラウンドにいるのだ。目に痛い程晴れ上がった空に所々崩れた外壁、その中にいる何万もの群衆。そのさらに下、ぐるりと灰色の壁に囲まれた流央のいる中央部は逃げようにも出口が見当たらない。

「イタリアのコロッセオみたいだ……」

 落書きだらけになっている世界史の教科書、その始めの方にあった写真を思い出して流央は呟いていた。その間に巨人の方はようやく流央を目に捉えたらしく、顔を真っ直ぐ向けて歩いて来ている。泣きそうになる気持ちを奮い立たせてもう一度足を動かし始めた。

 外国?ここは外国なのか?しかしあんな化け物がいたとしたら、この時代すぐにニュースになっているはずだ。じゃあやっぱり作り物?この観客達は何なんだ?ロボット対生身の人間を見に来てるっていうのか?


 流央は蠢く虫の集団にも見える観客をちらりと見る。口々に叫ぶ声は何と言っているのか分からない。しかし雰囲気からして気持ちのいいものでは無さそうだ。そして一人一人の顔つきまでは見えないが、こちらに身を乗り出して叫ぶ様は酷く醜悪なものに見えた。

 巨人の動きは遅鈍だとしても足の長さが違う。数歩足を動かしただけでもすぐに流央に追いついてしまう。ただやはり目は悪いようで振り上げた棍棒が振り下ろされる度、巻き起こる衝撃で体を吹き飛ばされつつも流央に当たることは無かった。

 しかし何度も地面を転がることによって受けるダメージは確実に流央を痛めつけていた。かすり傷や打ち身、それだけでなく気力が続きそうに無い。痛む体は体力を削り、呼吸が乱れるごとに逃げる気持ちを奪う。何度目かの転倒の後、朦朧とする頭を何とか振るった。


 もう、どうでもいい。疲れてしまった。もしあいつに殺されたとしても、また別の場所で目覚める展開なのかもしれない。それに死んでしまったとしても、またそれも一つの人生かな。……こんなんだからサッカー部でもベンチ要員なんだよなあ。上手い奴は練習出来る奴。才能よりも……いや、練習し続ける才能がある奴が上手いんだ。


 自分には才能が無いのだから足を止めてもいいのだ、そう流央が霞む視界の中考えていた時だった。一際歓声が大きくなったことに気付く。無意識に振り返った先、巨人がふらふらとよろめいているではないか。一気に意識がはっきりとしたものに戻る。

「まさか、俺が翻弄したことで目回したとか?」

 その展開を期待すると共に、知らず知らずの内に機転の利く動きをしていた自分にわくわくする。しかし想像していた以上の光景を目にすることになる。巨人は気を失うように倒れ始めたのだ。

 巨体が倒れることによって風が襲いかかってきた。構える足にびりびりと伝う振動。もうもうと立ちこめる土埃が視界を阻むが、じっと見ているとぴくりとも動かなくなっているオレンジの怪物が確認出来るようになる。

「うそだろ……」

 流央は思わず呟いていた。巨人は不気味な一つ目を閉じることなく見開いているが、その瞳孔は少しの揺れも見せない。指先が微かに動いた気がして飛び上がりそうになるが、舞い上がる埃が景色を歪める為にそう見えただけのようだった。

 まさか死んだのか?暴れ続けただけだというのに。あの大きさにしては心臓が支えきれる程立派なものでは無いのかもしれない。いや、倒れたことで頭に強い衝撃が走ったから、というのも考えられる。

「うわ!」

 沸き起こる地鳴りのような歓声に流央は身構える。巨人を倒したことによる自分への賞賛かと思ったが、大部分は腹に響くブーイングだ。あまりの綺麗な揃い様に感心からと言っていい鳥肌が立っていた。

 再び足下に振動を感じる。ぎりぎりと耳に不快な音に、発生源だと思われる方向を振り返る。全て灰色の壁だと思っていたが出入り口があったらしい。いや今、音を立てて開いたのだろう。ぽっかりと空いた壁の一部は、また新たに恐ろしいものが待ち構えているのを想像してしまう程、流央には暗く不気味に見えた。

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