9.金持ちと庶民 ~移動~
初めて、この世界の空を見た。
雲一つない夕空だった。
店内の安定した気温に慣れていたためか、外に出た途端肌寒く感じる。
周囲はまるで大型ショッピングモールの中庭にいるような整った環境が広がっていた。目の前にはおしゃれなカフェがあり、噴水や露店まである。
どうやら季節は秋のようだ。植木並木が紅葉に色づいている所や秋物を纏った通行人を見てそう判断する。時間的に転生する前と同じ時期ぐらいか。
俺とメレさんは真新しいケージごと、運ばれていく。
根っからの庶民である俺は運ばれた先を見て、なんとも言えない微妙な嫉妬心を覚えた。
広い駐車場で待っていたのは黒光りするベンツだった。胴が長い、当然運転手つき。
金持ちで当然だよな、豪邸買える俺と銀貨500のメレさん、なにかと高いペット用品をすべて一括。
この爺さん社長かなんかなのか?
後で柚に聞いてみたら、なんと現役の学園理事長とのこと。あんなに無口なのに冒頭挨拶とかどんな感じなのかな。
終始無言だったりして。
移動中はケージが置かれた位置的に、外の景色など見れなかったのでおとなしくしていた。
車内は爺さんの好みなのかクラシックが流れている。
ベンツに揺られること約10分ぐらい。大きく右折したかと思うと静かに停車した。さすが高級車、移動中の振動も騒音もかなり控えめだ。
車から降ろさた直後、そこにそびえ立つお屋敷に圧倒された。
そのお屋敷は濃い夕陽に染まって、神聖なイメージさえ抱かせる。しかし、その荘厳な構えはヨーロッパでは観光地としてやっていけるだろうが、自宅としてはどうだろう?
ケージ越しの眼下には、濃淡のある茶をベースにした歩道が真っすぐ屋敷へ続いている。その脇にはきれいに切りそろえられた芝生が緑の稜線のように敷き詰められていた。
広大な庭も、素人目でも一目で専門の庭師が手入れしているのがわかるぐらいに整っていた。うさぎやくまの形に整えられた木々は、爺さんのイメージにはあまりにそぐわないので、おそらく柚の趣向だろう。
「ここが私の家よ。今日から君たちの家でもあるんだから、楽にして」
笑顔で気軽に言われても、気後れしてしまう。
「いい家だな」
メレさんは落ち着いてるし。
車とか人物だけみると、本当に異世界なのか疑わしいけど、夕闇に薄く浮かぶ三日月は二つあった。
「わぁ……」
大理石の敷き詰められた玄関ホールに到着した途端、ケージの中から見える光景に思わず声を洩らしてしまった。
屋敷の中は映画の撮影場所と言われても遜色ない艶やかさだった。巨大なシャンデリア、レッドカーペット、高級そうな壺etc……。
物理的にも精神的にも触れそうにない絵画が並ぶ白壁。
ふと開かれた一室を覗くとそこは畳張りの和室だったりと、和の空間も取り入れられているようだ。
出迎える者はなく、たった今開かれたばかりの玄関からそよ風が舞い込む。
「後で皆にも紹介するから」
柚の話によると、両親は海外出張中らしい。兄弟は姉が一人いるが、大学生でいつも七時過ぎにならないと帰ってこないそうだ。今は家族三人暮らしとのこと。
掃除等はとても手が回らないので毎日、庭師も含めお手伝いさんが十人ほど来るらしい。それなら、いつでも賑やかでいいだろう。そのお手伝いさん達も現在は全員帰宅済みだった。
「なぁ柚」
「なに?」
「本当にありがとな。買ってくれて」
メレさんも隣で柚を見上げ頷いている。
本当に心から感謝している。
あのペットショップにはメレさんもいたし、茅さんもいて、その笑顔は短い間だったけど受け入れ難い現実を忘れさせてくれた。あのまま、ペットショップにいたらどうなってたかな。今となっては単なる想像でしかないけど、慣れる前に狂ってたと思う。見世物として置かれるあの環境はあまりにも過酷過ぎた。
たった半日で、安定した精神を保つ自信がなくなるぐらいには疲弊したからな。
「あはは。お礼は爺ちゃんに言ってよ。説得したのは私だけど、実際買ったのは爺ちゃんだから」
「もちろん爺さんにも感謝している。そうそう、そのことなんだが、柚は俺をしゃべる蛇だと思ってるようだけど、それ違うみたいだから」
「何が違うの?」
「俺の声は聞こえる奴とそうでない奴がいるってこと」
「?」
「つまり、俺の声が聞こえるの、今のところ君を含めて二人だけみたいだから」
「そうなの?」
「ああ。だから、人前で堂々と俺と会話すると変な奴に見られかねないから注意してくれ」
「そっかぁ。でも、そこまで心配してくれるなんてまるで人間みたいね」
思わず、ビックと反応してしまった。
「俺は少し前まで……いや、なんでもない。それより、代わりに爺さんに感謝を伝えてくれないか? 直接的じゃなくて感謝してるっぽいってな感じで」
話が長くなるし、今は伝えなくてもいいか。自分の現状も把握できていないし、落ち着いてからでも。
「いいわよ。では、改めてこちらこそよろしくね。ようこそ桜瀬家へ」