10.金持ちと庶民 ~食事~
リリリーン、リリリーン
鈴の音をちょっと強めたような音が響いてくる。
「あ、ちょっとでてくるね。ここで待ってて」
柚は急ぎ音の鳴る方へ駆けて行く。
「すごい屋敷ですね。この世界ではこれが当たり前なんですか?」
「いや、少数派だろう」
そう言って、頭上を見上げるメレさん。つられて見上げると、シャンデリアが淡い光を放っていた。こんなに巨大な物見たのは初めてだが、その見慣れない輝きに目がシパシパする。
「それを聞いてホッとしましたよ」
こんな経費の無駄遣い、俺の感覚からしてみればありえない。どうして、もっとコンパクトに生きられないのだろう? いや、金持ちが自分で稼いだ金を何に使おうと自由だよ? だけど、こんなにでかくする必要などあるのだろうか。
その考えにはメレさんも同意してくれて、柚が戻って来るまで金の使い道と家のあり方について熱く語った。それはもう俺の貧乏性にメレさんが引くほどに。
「柚、あの蛍光灯は当然LEDなんだろうな」
開口一番に尋ねた。今し方戻ってきたばかりの柚はなんのこと?と、疑問符を浮かべている。
「煉……ここはお前のいた世界じゃないんだぞ。何度も言うが」
あ、初めて煉って呼んでくれたんですね。嬉しいです。
「そういえば、そうでしたね」
「メレさんとお話してるの?」
「そうだけど」
「いいな、私も話せたらいいのに」
残念そうに、メレさんを見つめる柚。なんとかしてあげたいが、通訳になることしか思いつかない。柚は俺とメレさん、三人で会話したいのだろう。
「伝えてくれないか? これからよろしくと」
「ええ。柚、メレさんがよろしくだと」
メレさんの気持ちが伝わったのか、柚に笑顔が浮かぶ。
「もちろん。煉もね」
そう言って、優しく抱き抱えられた。
意外とある胸の感触にこんな状況ながらドキドキした。
「お待たせしました。設置の方は終わりましたのでこれで失礼します」
専門のスタッフなのか、引っ越し業者の様な出で立ちの二人組が爺さんに挨拶している。セッティングまで頼んでいたのかこの爺さん。ぬかりないな。
「さてっと、設置も終わったようだし、私の部屋に行きましょう」
私の部屋って、年頃の高校生の部屋に爬虫類用のケージなんてあっていいのだろうか。ものすごく違和感を感じるのだけど。
「そうそう、お姉ちゃんに紹介するって言ってたけど今週末は学生寮に泊まるから、帰ってこれないんだって。さっき連絡あったの」
「そうか、別に急ぎでもないし挨拶はまた今度で」
「お姉ちゃんの料理すんごくおいしいから期待しててね。あ、君たちご飯まだだった?」
「え?」
「そうよ、白太郎、メレさん、ご飯まだだったわよね?」
「俺の名は煉だ」
「はいはい。じゃ、煉、メレさん、ご飯持ってくるから待ってて」
階段を登ろうとしていた足を戻し、一番近い部屋に入っていく。そこは応接間のようで、高級そうな革製のソファーと机、観葉植物しかない。玄関ホールに比べればかなり地味で殺風景な所だった。その机の上に俺らを降ろすと足早に退室していった。
柚の表情は悪だくみなど全く考えてなさそうな晴れやかな笑顔だったのに、なぜだろうすごく嫌な予感がする。
「メレさんのご飯ってやっぱり虫ですか?」
部屋を出ていく柚を見送りながら、気になっていたことを率直に尋ねてみる。
「いや、ペットショップでは毎食イナゴの佃煮だった。たまに蜂の子の佃煮もあったが」
「イナゴの佃煮?」
「ああ、あれは誰が何と言おうとイナゴの佃煮だった。栄養満点だったしな」
ペットショップで佃煮なんか与えられるわけない。もしかして、イナゴっぽい虫を佃煮と思い込んでるとか?
ありえない話ではない。俺がメレさんの立場だったら、絶対自分に暗示かけて同じように思い込もうとするだろう。想像したくないけど……。
実際、本人がそう思い込んでるようだし、とりあえずこの話題には深く立ち入らないでおこう。
「そうですか」
「そうだった」
何この空気、別にシリアスでもなんでもないのに重いんだけど。
「おまたせ」
数分後、柚は何やらラップのかかったお椀を二つ持ってきた。
「はい、好きなだけ食べてね」
俺とメレさん、それぞれの眼前にお椀が置かれた。そのお椀を覗いた瞬間、それが何のために置かれたのか全く理解できなくなった。
「……なぁ、俺が何の動物に見える?」
「蛇でしょ」
なにを今更、という表情で答える柚に対し切実な思いも込めて叫ぶ。
「ならなんでこの物体をチョイスした!?」
そこには雨の日に、紫陽花の葉っぱの上でよく見かける奴が7~8匹いた。蛇の食べ物として、候補にあげられる可能性さえないはずの生き物だ。
「え? 好物じゃないの?」
「なんでだよ、どこから持って来たんだよ?」
「普通に召喚したけど? やっぱり、きちんとお店で買ったのが良かった?」
わぉ、不意打ちで召喚きた。だが、今は召喚についてより現実問題を直視した方がよさそうだ。今後に携わる。
「店でこれ薦められたのか?」
「鶏肉でいいって言われたけど、蛇はグルメだから個体によって好き嫌いがあるよって教えてもらったの。とくに、君は突然変異種だからなにが好物かいろいろ試してみてって言われたし」
よかった。一瞬、茅さんが薦めたのかと疑ってしまったじゃないか。
だが、どうにも腑に落ちない。
「よりにもよって、なぜマイマイなんだよ?」
「イワサキセダカヘビを参考にしたんだけど、あの蛇も幻の蛇と言われてるでしょう。煉の味覚に近いのかと思って」
イワサキセダカヘビ、通称 偏食すぎる蛇。
沖縄の石垣島、西表島に生息している「右巻きのカタツムリ」のみを食べる蛇だ。確かに爬虫類マニアの間では幻とされている蛇だが、幻=突然変異種と定義するのはやめてほしい。全力で否定し、なんとか鶏肉に変更させることに成功した。
いくら飼い主でも気をつかってたら、毎食マイマイ決定だからな。残念そうにお椀を下げる柚を見送って、メレさんに愚痴を聞いてもらおうと隣に視線を向ける。
メレさんはさっきの俺同様、絶句しつつお椀の中を凝視していた。
「どうしたんです?」
「お前から見て、俺は何という動物だ?」
「カメレオンですね」
「なら、どうしてこれが食事としてだされたと思う?」
固まったままのメレさん。その視線を辿ってみる。
「「……」」
なんでだろう? 爬虫類とはこんなにも偏見に満ちた食べ物を与えられるものなのか。
俺の時以上に意味わからん。茫然とお椀を凝視し続けていると、新たなお椀を持った柚がやって来た。
「おまたせ、鶏肉はこま切れでよかった?」
「その前に俺同様、メレさんにもなんちゅう訳わからんもの与えるんだ!?」
お椀の中は半分ほど水で満たさていた。これはまぁ水分補給という点でわかる。しかし、問題なのはその次だ。なぜなら、その水上は蠢く蟻で満ちていたから。個体で見るとそうでもないけど、密集しているせいで、なにか別の生き物のように思える。
「え? 好物じゃないって言ってるの?」
「好物以前になぜこれをチョイスしたんだよ?」
「モロクトカゲを参考にしたの。店で薦められた虫があまりにも気持ち悪くて買うの嫌だったから」
カタツムリや蟻は大丈夫だが、コオロギや芋虫系は苦手らしい。
モロクトカゲ、通称 トゲの悪魔。オーストラリアなど乾燥地帯に生きる鋭いトゲをもつトカゲだ。乾燥地帯ではめったに雨が降らないため、このトカゲは変わった進化を遂げた。体を覆う皮膚には至るところに口へ通じる細い溝ある。この細い溝のおかげで、片足を水たまりに浸けるだけで水分補給できるらしい。主食は蟻。
「参考にする爬虫類がおかしい。俺はカタツムリはありえないとしても、鶏肉じゃなくたって、白米でもチョコレートでもなんでも食べれる気がする」
大体、イワサキセダカヘビもモロクトカゲも俺が生物学専攻の変わった生き物好きでなければ知らないネタだったぞ。変なとこで役に立ったなこの知識。
「だめ。チョコレートは動物が食べると寿命が縮むでしょ」
「それは犬猫の話だろ、メレさんもなんとか言ってやって下さいよ」
「俺の声はこの少女には聞こえないんだ、かわりに抗議してくれ。俺もご飯は白米がいい」
「柚! 昼食残ってるか?」
「え? あると思うけど?」
「俺達の食事は白米でお願いします」
こうして、やっと安心できる食事にありつけたのだった。何がいいかと聞かれたので、卵かけご飯をリクエスト。
生まれ変わって初めて食べる卵かけご飯は、生前の記憶通り美味かった。醤油の銘柄が実家に常備されてた物と同じだったので親近感を覚える。
柚は卵かけご飯を貪る俺達を不思議そうなに眺めていたが、とくに深入りすることなくなんか納得したように頷き、自分も卵かけご飯を食べ始めた。
意識は人間でも体は爬虫類のため、体質的に受け付けないかとも思ったが、メレさん共々何も問題なかった。
ふと、隣を見るとメレさんの皮膚が卵かけご飯と同じ黄色に変色している。
これなんか意味あんのかな? カメレオンの皮膚が変色するのって、敵の目を欺くための擬態じゃなかったっけ?