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『退路の勇者ミア――「逃げろ」と言われた勇者の妹、九万八千人を連れて生き延びる』

作者: KOTOHA
掲載日:2026/09/11

 勇者の妹なのに、私は一度も剣を抜いたことがない。


 魔物を見たら逃げる。


 勝てそうでも逃げる。


 仲間が戦おうとしたら、一緒に逃げる。


 なぜなら十年前、世界で一番勇敢だった兄が、死ぬ直前にこう叫んだからだ。


「ミア、逃げろ!」


 だから私は兄の遺言を、十年間、本気で守った。


 その結果――。


「ミイイイアああああ! いい加減止まれええええ!」


「嫌ああああ! 止まったら死ぬうううう!」


 十八歳になった私は今日も、魔物に背中を向けて全力疾走している。


     ◇


 王都近郊、黒き森。


 湿った腐葉土を蹴り上げ、枝を手甲で弾き、私は森を駆け抜ける。


 背後から、大木をへし折る音が迫る。


 グレートグリズリー。


 三メートルを超える巨熊。


 討伐推奨ランクC。


 対する私はFランク冒険者。


 戦ったら普通に死ぬ。


 以上。


「お前も冒険者だろ! 剣を抜け!」


 横を走るDランク剣士ガイルが怒鳴った。


「嫌!」


「即答すんな!」


「抜いて構えるまでコンマ三秒! その間に首が飛ぶ!」


「戦わなきゃ倒せねえだろ!」


「倒す必要ある!?」


「討伐依頼だぞ!」


「あ」


「忘れてたのか!?」


 巨熊が咆哮した。


「まあいいや! 逃げる!」


「よくねえええ!」


 巨熊は速い。


 直線なら人間など五秒で追いつかれる。


 だから直線では逃げない。


「左!」


「そっちは崖だ!」


「知ってる!」


「じゃあ行くな!」


「崖っぷち最高!」


「お前の価値観どうなってんだ!」


 崖まで二十歩。


 十歩。


 三歩。


「伏せて右!」


 私は崖縁の岩棚へ滑り込んだ。


 ガイルの襟首も掴んで引きずり込む。


 直後。


 巨大な灰色の塊が鼻先を通過した。


 急旋回できなかった巨熊が、そのまま崖下へ消える。


 一秒。


 二秒。


 ――ドォォォン。


 谷底から重低音。


「……ふう」


 私は額の汗を拭った。


「逃げ切り完了」


 ガイルは青ざめたまま私を見た。


「お前……最初からこれ狙ってたのか?」


「もちろん」


「だったら言え!」


「喋ったら呼吸が乱れて速度が落ちる!」


「そんな理由で俺は死にかけたのか!」


 ちなみに。


 腰に差した小振りの剣は、兄の形見だ。


 十年間、一度も抜いていない。


     ◇


「討伐数、ゼロ」


 夕方。


 王都中央冒険者ギルド。


 受付嬢エリスが報告書を見ていた。


「滑落死が一頭」


「あなたは倒してません」


「結果的には死にました」


「薬草採取数、ゼロ」


「逃げる途中で捨てました」


「依頼達成率――」


 エリスが額を押さえた。


「今回も最低評価です」


「でも全員帰ってきた」


 私は胸を張った。


「四人で行って、四人で帰ってきました」


「それだけは異常なんですよね」


「ん?」


 エリスが分厚い台帳を開いた。


「ミアさん。冒険者になって七年ですね」


「長い付き合いになりました」


「あなたが参加した遠征で、死者が何人いるか知っていますか?」


「さあ」


「……ゼロです」


 隣のガイルが固まった。


「……は?」


「重傷による引退者もゼロ。入院を要した者すら三人だけ」


「みんな逃げる判断が遅いんですよ」


 私は肩をすくめた。


「勝てない敵と戦うから死ぬんです」


「冒険者は普通、魔物と戦う仕事です」


「変な職業ですよね」


「あなたが言います?」


 エリスがため息をついた。


「知っていますか。あなたの二つ名」


「《脱兎のミア》」


「もう一つ」


「《ビビリのミア》」


「気にならないんですか?」


「ビビってますからね、実際」


「認めるんですか」


「怖くない人から先に死ぬんですよ? それに」


 私は腰の革鞘を撫でた。


「……兄さんが逃げろって言ったから」


 エリスが黙った。


 ガイルも黙った。


 王都では、その名前を知らない者の方が少ない。


 アルト・アルベルト。


 十年前、魔王軍の先遣隊から村人を逃がすため、一人で殿を務めて死んだ若き勇者。


 私の兄だ。


「兄さんは逃げなかったじゃないですか」


 エリスが静かに言った。


「うん」


「なのに、どうしてあなたは逃げるんです?」


「……さあ」


 私は笑った。


「最後に、そう言われたから……かな」


 その夜。


 夢を見た。


 燃える麦畑。


 焼けた毛皮の臭い。


 八歳の私の手を握って走る兄。


 木柵まで、あと少し。


 背後から魔獣の咆哮。


 兄の手が離れる。


『ミア』


 背中を突き飛ばされた。


『逃げろ!』


『兄さんも!』


『走れ! 振り返るな!』


 銀色の剣が鞘を払う音。


 獣の咆哮。


 肉が裂ける音。


 私は走った。


 振り返らなかった。


 それが、兄を見た最後だった。


     ◇


 三日後。


 私は安宿の屋根裏窓から王都を見ていた。


 毎朝の日課だ。


 東門は野菜の荷車。


 西門は鉱山の重馬車。


 中央大通りは広いが、市場が開けば実際に人が通れる幅は半分。


 雨なら北東区画は泥濘。


 南西の水道橋には保守通路。


 東の染物街の奥には、都市拡張前の古城壁。


 南区画の木材集積場には、資材運搬用の頑丈な仮設橋。


 あそこを仕切っているのは、木材ギルド長のグスタフさんだ。


 昔、兄さんが魔獣から幼い娘さんを命がけで逃がして以来、彼は私を本当の娘のように気にかけて、敷地の合鍵や作業日程を教えてくれる。


『アルトの妹なら、いつでもうちを逃げ道に使え』

って。


 どこが詰まるか。


 どこなら抜けられるか。


 七年間逃げ続けた私には、王都の道が血管のように見える。


 そのとき。


 北の空に黒煙が上がった。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 四つ。


「……北砦陥落?」


 背筋が冷えた。


 北砦から王都まで五十キロ。


 敵が大軍なら、早くても六時間。


 六時間あれば。


 南門を開けられる。


 食料を分散できる。


 怪我人を先に出せる。


 私は紙へ避難経路を書き始めた。


 二時間後。


 北の空に、無数の黒点が現れた。


「……嘘」


 飛行魔獣。


 何十。


 いや、何百。


「早すぎる」


 私の予測が外れた。


 四時間も。


 直後。


 王都の鐘が六度鳴った。


 魔王軍襲来。


     ◇


「Cランク以上は北門へ!」


「Dランク以下は城内警備!」


 中央ギルドは蜂の巣を突いたような騒ぎだった。


「エリスさん!」


「ミアさん!?」


「今、王都に何人いる?」


「八万五千――いえ、収穫祭前なので九万八千ほど!」


 私は地図を見た。


 北。


 戦闘正面。


 東。


 橋一本。


 西。


 敵進軍路の側面。


 南。


「南しかない」


「何がです?」


「逃げ道」


 エリスの顔が変わった。


「籠城命令が出ています」


「え?」


「全市民を南部街区と地下区画へ収容。城門は閉鎖です」


「九万人を城の中に閉じ込めるの?」


「城外で敵に捕捉されたら全滅します!」


 正しい。


 普通なら。


 でも。


「北砦も、普通なら二週間持つはずだった」


 私は走った。


     ◇


 王城正門。


「軍の責任者に会わせて!」


「理由を」


 衛兵隊長は笑わなかった。


 だから私は全部話した。


 北砦。


 敵の速度。


 飛行戦力。


 人口。


 避難経路。


 隊長は最後まで聞いた。


「却下する」


「どうして!」


「城外へ出した九万人を、飛行魔獣から誰が守る?」


 言葉に詰まった。


「王都には三重防壁がある。備蓄も一月分。南方軍が来るまで籠城する。それが最も生存率が高い」


 軍は馬鹿じゃない。


 ちゃんと考えている。


 私の方が間違っている可能性だってある。


 でも。


「北砦も、その計算だった」


「……」


「私も今朝、間違えた。敵は予想より四時間早かった」


 隊長を見る。


「だから怖いの。今回の敵に、いつもの正解を使うのが」


 その瞬間。


 北の空が光った。


 王都を覆う大結界に亀裂が走る。


 隊長が振り返った。


「馬鹿な……」


 もう一撃。


 結界の一角が砕けた。


「……早すぎる」


 隊長の口から、私と同じ言葉が漏れた。


 数秒後。


「南門を開けろ!」


 隊長が叫んだ。


「老人、子供、負傷者から段階避難! 総司令部には俺から報告する!」


 軍が動いた。


 でも。


 遅い。


 九万八千人。


 普通に逃がしたら間に合わない。


 私は中央市場へ走った。


     ◇


「全員聞いて!」


 発火粉を炸裂させる。


 市場の数千人が私を見る。


「南門が開く! でも全員一斉に走ったら、魔物に殺される前に人間同士で潰し合う!」


 ざわめき。


「子供と老人は中央大通り! 健康な人は職人街へ!」


「家財はどうする!」


「置いて!」


「店を捨てろっていうのか!」


「死んだら店どころじゃない!」


 私は叫んだ。


「騎士も勇者も戦ってる! 何のためだと思う!?」


 誰も答えない。


「私たちが逃げる時間を作るためよ!」


 一人の母親が子供の手を握った。


 走る。


 二人。


 十人。


 百人。


 群衆が動いた。


 私はギルドへ戻った。


「Fランク! Eランク! 全員集合!」


「何するんだ!」


「逃げる!」


「またかよ!」


「今日は九万八千人で!」


「規模がおかしいだろ!」


 壁に地図を貼る。


「第一経路、南門! 老人、子供、負傷者!」


 線を引く。


「第二経路、水道橋保守通路!」


 さらに一本。


「第三経路、染物街の古城壁!」


「行き止まりだぞ!」


「壁は四メートル。外は土手! 梯子を掛ければ抜けられる!」


「なんで知ってる!」


「三年前コボルトから逃げて飛び降りた!」


「お前の人生どうなってんだ!」


「逃げて生きてる!」


 冒険者たちが笑った。


 そして。


「よし、やるぞ!」


 低ランク冒険者が散った。


 戦えない者。


 弱い者。


 いつも英雄の後ろにいる者。


 そんな人間ほど、逃げ道を知っていた。


     ◇


 南門。


 貴族の大型馬車が道を塞いでいた。


「侯爵家の馬車であるぞ!」


 私は中の老婦人を見る。


「お願い。馬車を捨てて」


「この荷がいくらすると思っています?」


「分かりません」


「なら――」


「でも」


 後ろを見る。


 子供。


 老人。


 赤ん坊を抱えた母親。


「この馬車のせいで、あの人たちが止まってるのは分かります」


 老婦人も見た。


 長い沈黙。


「……ハンス」


「はい」


「馬を外しなさい」


「奥様?」


「歩きます」


 宝石箱を馬車へ残し、老婦人が降りた。


「命より高い宝石など、持っていても仕方ありませんから」


 馬車が脇へ押し出される。


 人の流れが戻る。


 そのとき。


「北門突破!」


 伝令の声。


 空気が凍った。


 まだ二万人以上残っていた。


     ◇


「南門を閉める!」


「待って!」


「魔物が市街へ入った! 門外の避難民まで殺される!」


「あと三十分!」


「誰が稼ぐ!」


「私たち!」


「ミア!」


 血まみれのガイルが走ってきた。


 後ろに数十人の低ランク冒険者。


「腕自慢の腰抜けども、連れてきたぞ!」


「最高!」


 私は皆を見る。


「戦わなくていい!」


「は?」


「魔物を倒そうとするな!」


「冒険者に何言ってんだ!」


「石を投げろ! 鍋を叩け! 油を撒け! 追ってきたら逃げろ!」


「それって……」


 盗賊風の男が笑う。


「お前がいつもやってる、みっともない逃げ方じゃねえか」


「そうよ!」


 私は笑い返した。


「みっともなくて何が悪い!」


 胸を叩く。


「死ぬくらいなら逃げろ! 生き残った奴が勝ち!」


 一瞬の沈黙。


 ガイルが笑った。


「聞いたか野郎ども!」


 剣の腹を盾へ叩きつける。


「今日だけは英雄になるな!」


「腰抜けになれ!」


「逃げるぞおおお!」


 冒険者たちが散った。


     ◇


 魔物を路地へ引き込む。


 曲がる。


 撒く。


 石を投げる。


 また追わせる。


 低ランクだからできる戦いだった。


 十分後。


「うわっ!」


 一人が転倒した。


 足首が折れている。


「置いてけ!」


 青年が叫ぶ。


「俺を置いて逃げろ!」


 隣の盗賊が戻った。


「馬鹿」


「二人じゃ逃げ切れねえ!」


「そうだな」


 背負う。


「だから近道使うぞ」


「お前……」


「逃げるんだろ?」


 盗賊が笑った。


「全員で」


 私はその背中を見た。


 胸の奥で何かがほどけた。


 逃げるって。


 一番速く走ることじゃないのかもしれない。


     ◇


 炎を見た。


 燃える街。


 十年前と同じ臭い。


 焦げた木。


 血。


 焼けた肉。


 私は八歳に戻った。


『ミア、逃げろ!』


 兄さん。


 どうして。


 あなたは逃げなかったの。


     ◇


 昔。


 村の畑で聞いたことがある。


『兄さん、勇者って怖くないの?』


『怖いよ』


『じゃあなんで戦うの?』


 兄は木剣を肩に担いだ。


『逃げられない奴がいるからかな』


『逃げられない人?』


『小さい子。怪我した人。年寄り』


『その人たちのため?』


『うん』


 兄は笑った。


『みんなが逃げる時間を作る奴が、一人くらいいるだろ』


『それが勇者?』


『別に勇者じゃなくてもいいよ』


『じゃあミアは?』


『逃げろ』


『なんで!』


『弱いから』


『ひどい!』


 兄は笑った。


 私は怒った。


 だから、その先を忘れていた。


『でもな、ミア』


 兄が頭を撫でる。


『逃げるのだって、ちゃんと難しいんだぞ』


     ◇


「ミア!」


 現実へ戻る。


 ガイルが叫んでいる。


「上級魔族だ!」


 中央大通り。


 黒い甲冑の魔族が、南門へ向かっていた。


 あれを通せば。


 終わる。


「私が行く」


「馬鹿! あれは逃げても追いつかれる!」


「だから」


 私は街を見る。


 水道工事。


 仮設橋。


 排水路。


 木材置き場。


 そして笑った。


「逃げ道を作る」


     ◇


「水門を開けられる?」


「全部か!? 河川敷が濁流になるぞ!」


「避難民は?」


「もう抜けた!」


「じゃあ開けて!」


「グスタフさん!」


「おうよ、ミア! 何だ!」


「あの仮設橋、落とせる?」


「戻れなくなるぞ!」


「戻る道はいらない!」


 私は走った。


 油樽を動かす。


 路地を塞ぐ。


 退路を一本だけ残す。


 私のためじゃない。


 魔族のために。


     ◇


「こっちよ!」


 上級魔族へ水瓶を投げた。


「小娘……!」


 追ってくる。


 私は逃げる。


 右。


 左。


 橋。


 路地。


 全部、予定通り。


「逃げるだけか!」


「そうよ! ただし……」


 私は振り返った。


「世界で一番上手にね!」


 工事区画へ飛び込む。


 魔族も来る。


「水門!」


 鐘。


 轟音。


 濁流が排水路から噴き出した。


「何――」


「橋!」


 ロープが切られる。


 仮設橋が崩れた。


 魔族だけが向こう岸へ取り残される。


「卑怯者!」


「知ってる!」


 南から鐘が鳴った。


 ゴォォォン。


 避難完了。


 九万人が逃げ切った合図。


「でもね」


 私は兄の剣を握った。


 抜かない。


「生き残るためなら、卑怯でいいの」


 濁流が魔族を押し流した。


 私は背を向ける。


 戦わない。


 追わない。


 勝ったかどうかも確認しない。


 ただ。


 逃げた。


     ◇


 翌朝。


 王都北部は焼け落ちていた。


 白亜の城壁は崩れ、焦土からまだ熱気が立ち上っている。


 血と鉄錆の臭い。


 仮設天幕。


 私は毛布に包まれて粥をすすっていた。


 騎士団長が報告書を読む。


「現住人口、九万八千二百名」


 息を止める。


「避難成功、九万七千六百余名」


「……死者は?」


「七十三名。行方不明二十一名。重傷四百十二名」


「……七十三人」


 俯く。


「もっと早く動けてたら」


「そうかもしれん」


 騎士団長は慰めなかった。


「次は」


 私は顔を上げた。


「もっと上手く逃がす」


「そうしてくれ」


 隣に、当代の勇者がいた。


「あなたがアルト殿の妹ですね」


「ええ」


「私は彼に憧れて勇者になりました」


 勇者は焼けた王都を見る。


「昨日まで、敵を倒せば人を救えると思っていた」


「違うの?」


「半分は」


 彼は私を見る。


「俺たちは敵を止めた」


 そして頭を下げた。


「あなたは、人を逃がした」


「私は逃げただけ」


「それが必要だった」


 その言葉で。


 兄の声を思い出した。


『逃げるのだって、ちゃんと難しいんだぞ』


 その先。


『一番速く走る奴が、一番上手いわけじゃない』


『じゃあ誰?』


『遅い奴と一緒に帰ってくる奴』


 八歳の私は笑った。


『そんなの遅いじゃん!』


『そうだな』


 兄も笑った。


『だから難しいんだ』


 十年間。


 私は兄の言葉を間違えていたのだと思っていた。


 違った。


 間違えていなかった。


 逃げ続けてよかった。


 生きていてよかった。


 兄さん。


 私、ちゃんと逃げられたよ。


 みんなと一緒に。


     ◇


 一か月後。


「ミア・アルベルト!」


 中央ギルド。


「はい」


「今回、王室と冒険者ギルドは、新たな専門職を設置する!」


「嫌です」


「まだ何も言ってない!」


「ランクアップなら嫌です」


「違う!」


 ギルド長が羊皮紙を広げた。


「《退避誘導士》」


「……何それ」


「討伐数ではなく、危険予測、撤退判断、避難路設計、救助誘導を評価する」


 私は目を瞬いた。


「魔物を倒さなくても?」


「いい!」


「剣を抜かなくても?」


「いい!」


「逃げても?」


「むしろ逃げろ!」


「天職じゃん!」


「お前のために作ったんだよ!」


 ギルドが笑いに包まれた。


「そして第一号、ミア・アルベルト」


 ギルド長が告げる。


「二つ名、《退路の勇者》と共に《退避誘導士》の任を与える」


「勇者は兄さんだけでいいんだけどな」


 そう言いながら。


 少しだけ、嬉しかった。


     ◇


 外へ出る。


 秋空。


 広場で泣き声がした。


 小さな男の子。


 転んで膝を擦りむいている。


 その向こうから、荷馬車を抜け出した小型の牙猪。


 大人たちは武器を探している。


 間に合わない。


 私は走った。


 剣は抜かない。


 男の子の前へ滑り込む。


 小さな手を握った。


「怖い?」


「……うん」


「私も」


「お姉ちゃんも?」


「うん」


 牙猪が地面を蹴る。


 私は笑った。


「じゃあ、一緒に逃げよう!」


 走り出す。


 小さな手が、私の手を握り返す。


 十年前。


 兄は私の手を離した。


 私を、生かすために。


 だから今度は。


 私はこの手を離さない。


 兄さん。


 あなたが私にくれた「逃げろ」は。


 ちゃんと、次の人まで届いたよ。



最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


「面白かった!」「ミアの逃げっぷりにスカッとした!」「兄さんの言葉が良かった」と少しでも感じていただけましたら、


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