第1章 留学前期編 第2話 引っ越し〜ゴキブリ大戦争〜と留学危機
「」内の会話は中国語、『』内の会話は日本語になります。
※この話はフィクションです。
『暮らすって物入りね』
――――剣崎 祐一――――
これから住む部屋のリフォームが完了した。早速引っ越しをしよう!
大きなキャリーケースを引きながら15分、見た目のボロい団地に到着。向かいには大きな煙突のある施設。その横には個人商店の集まった大きな市場があり、その裏口が口を開けている。
ボロい階段を登り4階へ。ブリキで出来たドアが閉じている。鍵も何も無い。把手を掴みドアを引くと、更に内側に装飾のされた立派なドアがあった。長春は冬の寒さが大変厳しいと聞いているので、その対策だろう。現に今は8月末なのだが、昼間の気温は25度位、夜は15度を下回っていて、既に寒い。
部屋につくと大家が部屋の最終確認をしていた。
5日前、内見に来た時、コンクリート剥き出しだった床は、フローリングが敷かれている。フローリングといっても木ではなく、木の絵柄が印刷された如何にも安そうなビニールマットだ。しかも綺麗に敷かれておらず、大きめに切ってそのままなのか部屋の四隅で捲れ上がっている。これはひどい。だからリフォーム期間こんなに短かったのか。
但し、壁は真っ白に塗られていて美しい。まさに白亜だ。
部屋は大きく3LDKだ。ドアを開けるとリビングで、真っ赤な玄関マットが敷かれ「一路平安」の文字。ここで靴を脱ぐ。左手には古いが洋式トイレと、ビニールのカーテンを挟み湯船があるが小さい。木で出来ており、真っ白い塗装で防水している様だ。リビングの左側には厨房があり、簡単な作りだが大きい。流しの隣には古くて大きい冷蔵庫、反対側には洗濯機が置かれている。しかも昔懐かしの2槽式だ。厨房の奥はガラスのスライドアがあり、奥には物が置けるスペース。
リビングにはドアが3つあり、それぞれの部屋に繋がっている。一番大きな部屋は10畳位ありそう。テレビとちゃぶ台、質素なキャビネットがある。
次に8畳位の部屋には大きなベッドがあり、アンティークな木製の大机が鎮座している。窓の外には木材と太い針金で出来た粗悪なハンガー掛けが付いている。
最後の部屋は四畳半程の部屋でシングルベッドと小さな学習机がある。それがこの家の全てだ。部屋の窓にカーテンが取り付けられている位で、その他の家具や寝具は一切ない。
大家から鍵を受け取り、電気代とガス代、水道代を渡した。この国はガス会社、水道局、電力会社へ先払いするシステムだ。大家が代わりに手続きしてくれるらしい。
『困ったことがあったら何でも言ってね』
そう言い去っていった。
生まれて始めての一人暮らしだ!嬉しい、興奮してる。取り敢えず布団一式を揃えなきゃ寝られない。一人で住むので取り敢えずシングルベッドで寝よう。バスに乗り沃尔玛へ向かった。
買うもの沢山ありすぎ。敷布団、掛け布団、電気ケトル、鍋も買わなきゃいけない。普通の鍋と、中華鍋も買おう。デカイけど中華鍋のある生活に憧れてたんだ。
選んでいたら、買い物カートがパンパンだ。このカートの大きさ、普通のスーパーの物の3倍位あるのに……。
あと炊飯器も買わなきゃ。炊飯器ピンキリだ。安いのは50元だから800円位か。いいやつはべらぼうに高い。2,000元位する。取り敢えず自分で食べるだけだから80元位のでいいか。
剣崎には夢があった。それは初めて一人暮らしを始める際、「魔女の宅◯便」のキ◯の『暮らすって物入りね』というセリフを言う事。ついにその時は来た!
『暮らすって物入りね』
言えた……ついに言えた……。俺は今、モーレツに感動している。くだらない事かもしれないが、なんだか目頭が熱くなった。
お玉を手に取り『暮らすって物入りね』、テレビのある部屋に敷く茣蓙を売り場から抜きながら『暮らすって物入りね』
人生今しか言えない呪文を連発し堪能した。
こうして大荷物を押しながらレジに向かうと呼びかけられる。
『剣崎くん?』
あぁ……、会いたくて仕方なかった直美さんがいる。なぜか聴講生の時に携帯の番号を聞かなかったので連絡がつかず、ひょっとしたらもう会えないかもしれない、とも思ってた直美さんがいる……。でもなんで番号聞かなかったんだろう?初でシャイなのかな?
一緒にいるのが朝鮮族の彼氏か。眼鏡を掛けていて大人しい温厚そうな人だ。
『会いたかったよ〜』
直子さんは近づくと剣崎を抱きしめた。温かくて柔らかい。これは……外国人がよくやるハグという挨拶なんだな。しかし剣崎は大和男子だから勘違いしてしまうぞ。男にこういう事すると本気になるよ。
『直子さん、僕は南湖会館で初級二班の授業受けようと思います。今日近くに引っ越しました。その買い物です』
『私も中国語まだまだだから、中級に飛び級しないで初級二班にするのよ。授業は友邦会館で受けるけどね。ゆっくり確実に勉強するわ』
残念!同じ授業なのに場所が違う。でも仕方がないか、南湖館と友邦会館だとちょっと場所が離れてるからね。
『今度一緒に食事でも行こうよ。携帯の番号教えてよ!』
直美さんからの有り難い申し入れを、剣崎は即受け入れたのだった。
直美さんと別れレジで会計をする。計1200元ほどだった。荷物があまりにも多いのでタクシーで帰る。もう日が落ちていて外は暗くなっていた。えっちらおっちらしてドアを開ける。電灯を点けると敵がいた。
ゴキブリだ。小さいゴキブリ、チャバネゴキブリだ。壁全体にいる。数は恐らく100匹程度、壁が真っ白いので大変目立つ。一体どこに潜んでたんだ?
部屋が明るくなるとゴキブリ達は一斉に動き、隠れる。家具の裏とか、ドアの後ろとかへ……。台所の上に棚があり、凄く嫌な予感がしたけど開けてみる。やっぱりゴキブリの巣窟になっていた。こんな所へ今買った鍋なんて収納できないよ、マジ勘弁して欲しい。でも昼間ここを開けた時は1匹もいなかったけど。
剣崎には特殊な能力があった。その能力とは『ゴキブリや大きな蜘蛛等、一切の虫を素手で掴み解体する事が出来る』というものである。体液など気にしない。
中学の時、好きな子のロッカーにアシダカグモという大きな蜘蛛がいてキャーキャー叫ぶので、カッコいいところを見せようと勇気を振り絞って手に入れた能力だ。しかし実際はその子のヒーローにはなれず、ドン引きされて終わった。その後半年くらいあだ名が「スパイダー」になったという哀しき能力である。
しかし今、剣崎はこの部屋で触角をサワサワしているゴキブリに触れるのを躊躇している。理由は「中国のゴキブリ汚そう」だから。なんか謎の病原菌とか持ってそうだし、触ったら移されそう。
こうして何も出来ずゴキブリを眺めていると、奴らは部屋に彼方此方ある隙間に潜ってゆく。よく見るとこの家隙間だらけだ。台所、浴室、物置場どこにでも隙間ができていて、しかも風が通っている。これは外に繋がっているかもしれない。
ひたすら手でシッシッしてたらみんな逃げ隠れた。今日はもう遅いし、明日殺虫スプレーを買って駆除しよう。
カッチカチの硬いシングルベッドにマットをセットし、寝そべる。やつら部屋が明るいと隠れるが暗くしてると這い出てくる。今日は寝るときも全ての灯りを点けておこう。ちょっとでも邪魔してやるんだ。
そうすると新たな敵が現れた。蚊だ。
最初壁に沢山の羽虫が止まっているのに気付いた時、ユスリカだと思っていて気にしなかった。まさか血を吸う蚊がこんなに沢山部屋にいるとは思わなんだ。20匹位いる。
就寝する時、この部屋だけは灯りを消したけど、しばらくは問題なし。そのうち身体中が痒くなり始めた。
灯りを点けるが、机の裏とかカーテンの端等に隠れられる。茶色っぽい蚊なので、壁以外に止まられると見つけられない。結局10匹は殺したが後は放置、灯りを点けっぱなしで寝た。当然寝不足になる。完全敗北だ。
〜翌日〜
家の下にある市場で殺虫スプレーを買う。後、電撃ラケットも買う。スイッチ入れて虫に当てるとバチバチいって殺せる便利グッズだ。
それとまた新たな敵が出た。
蟻だ。昨日買った食べかけのビスケットを台所に置いていたら、ヒメアリが列を作っている。行列の先はもちろん家の隙間だ。これで剣崎は完全にキレた。
まず家の隙間はティッシュを詰めて塞ぐ。こしてこの白亜、白い壁はなんと水に濡れると溶け出す事に気付いた。すっげー、安普請じゃん。
なので隙間周りの塗り壁に水をかけ、しばらくして粘土状になったらそれで隙間を塞ぐ。家中の穴・隙間を塞ぐ。誇張なしで30箇所位あった。これで中に潜んでいるゴキブリと蟻は出てこれない。夜を待とう、残っているゴキブリ共を撃滅してやる。
こうしていると国際電話が掛かってきた。日本の社長からだ。
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電話の内容を要約するとこうだ。
・今年に入り中国からの冷凍食品に、違法添加物が多々入っていた。
・日本の通関での抜き打ち検査が増えた。
・杭州の筑前煮から、違法添加物、メラニンが検出された。
・これから会社大変なので、剣崎を解雇する。なので先に渡した学費以外はもう援助出来ない。
・もう二度と会えないかもしれないが、これからの人生を応援する。頑張ってくれ。
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話を聞いて目眩がした。これはドッキリ?なんか後ろから殴られた気分、異次元パンチだ。梯子を外されるとはこの事だ。社長のところは大丈夫なのか?捕まらないのか?あの杭州の鄭さんもマズイんじゃないか?だから工場見学した時、いろんな添加物が使われてるの気になったのか……。
こっちに来る前会社が少し大変になってるって言ってたけど、これの事だったか…………。何も知らなかった。こっちでノホホンと留学してる場合じゃないだろう。でも社長はもう会う気無いみたいだったし……。
いろんな事が頭の中を巡りグルングルンしている。結局同じことばかり考えている。頭の中がボーっとする。もともと、この留学も中国語を覚えて仕事に活かす為だった。もう勉強する意味ないんじゃないか?
幸い学費は明日支払う予定だったので、帰国するならまだ間に合う。ここで留学を終えた方がいいと思う。まだ始まってもいないけど……。
よし!そうしよう!
「ざんねん!!わたしの ぼうけんは これでおわってしまった!!」
――――――――――――――――――――――――――――おわり――――――――――――――――
でもなぁ……。せっかく色々準備してきて、引っ越しまでして、これで留学取り止めるのも何か癪だな。それに日本に帰ったって仕事見つからないと思うし。学費払っても、当分の生活費はあるし、少し貯金あるから送金してもらえれば何とかなるかもしれない。
計算すると、手持ちの金と貯金を全部合わせると80万円ある。学費が1年で30万円しないくらい、ここの家賃は水道光熱費合わせて1万円くらい。いける!切り詰めれば1年間なら何とかなる!
決めた!折角だからここで中国語を勉強してから日本に戻ろう!やるかやらないかではなく、やるのだ!
「わたしこそ しんの ゆうしゃだ!!」
ここからゴキブリ退治が始まった。やはり部屋を暗くしていると這い出て来るので、これを殺虫スプレーで退治する。しかしこの殺虫スプレー、効き目が弱い。日本のゴキ〇ェットなら吹きかけて5秒もしないでひっくり返るが、こいつは何か遅効性みたいで、徐々に弱っていく感じだ。なので家具の裏へ逃げる猶予を与えてしまっている。こいつら死ぬ前に身体から卵のカプセルを分離する。筋が入っていて気持ち悪い。これを放置すればまた増殖するんだろう。
『ゴキブリ子ちゃん♪』
とか訳の分からない事を言いながら箒で集め処分する。
後は蚊だが、電撃ラケットを当てるとバチッと鳴って即死。これは楽しい。あっという間に撃滅した。ちなみにこのラケットをゴキブリに対しても使ったが、身体が爆散したりと悲惨な事になったので即刻やめた。
5日程でゴキブリは見かけなくなった。
〜翌日〜
剣崎は友邦会館に授業料を収めに来た。すると懐かしい顔を見かける。ホームステイしていた時に、交換留学で来てた子の一人がいたのだ。
『あれ?久し振り。これから本格的に留学始めるの?』
『いえいえ、帰国した後8月の間、短期留学に来てたんですよ。もう授業は終わって、9月下旬には日本の大学始まるからその前に帰ります』
再開と同時にお別れが決まり哀しい。彼はこれからベテラン留学生の飲み会に出るので、彼らに携帯番号を伝えておくように頼む。
行く前に彼の住んでいる一人部屋を見せてもらう。驚くほど小さかった。浴室トイレを除けば3畳も無く、ベッドと机があるのみ。これは窮屈そうだ。
彼は週四でベテラン留学生達と飲み歩いているらしく、大変な情報通だった。結局、友邦会館の一人部屋に住んでいるのはほとんど日本人で、交換留学生や大学からの推薦状がある学生、そして何年も住み着いているベテラン留学生が住んでいる。恵美さんの様な個人で来た人や、他の外国人は相部屋になるそうだ。
コネも何もなく単独で来た人間は、基本南湖館送りが多いみたい。もちろん剣崎もその一人だ。さらに、今回は韓国人が大量にやって来たので、女子大の交換留学生も南湖館へ送られた。今年は南湖館にも結構な数の日本人がいるみたいだ。
剣崎は感心した。すごいぞベテラン留学生、何でも知ってるぜ。南湖館に住んでいた自分よりも詳しい。
でも他の日本人?川原君以外に見てないぞ。寮の階数が違う人とは本当に会わないからなぁ。後で川原君に聞いてみようか。
南湖館へ戻りチンゲに会う。
「明日、南湖館で勉強スル学生のミーティングがアル。午後一時に4階会議室だよ」
あっぶね。知らなかった。チンゲは真剣にN◯KWorldを観ている。珍しく日本語の番組で、韓国の島で起きた事件を取り扱っている。
「この話は韓国ではtabooなンダ」
全然知らない事件だが、後で調べたら「済州島四・三事件」についての番組だったらしい。なんでも昔、済州島で共産主義者が大勢殺された事件らしい。チンゲは心を痛めていたので剣崎が慰める。
「キョウ産主ギ者は敵。日本でも昔、キョウ産主ギ者を殺シタ。それは正義ダ。共産主義者も力を持テバ私達を殺す。だから大丈夫」
慰めになって無かったかな?チンゲはあまり納得しなかった。
川原にその話をするとキレた。ちなみにジェイクは部屋にいない。
『だからそんな共産主義の事を悪く言って!ここは中国ですよ!盗聴器仕掛けられてたらどうするんですか!?いいですか。私はすごい肝の小さな人間なんです。身体がデカイだけですごい小心者なんですよ。本当に注意してください』
人のこと言えないけど、川原君ってやっぱり変わってるなぁ、と剣崎は笑う。
『〈孤僻〉って中国語があって。捻くれているとか人付き合いしない偏屈な人って意味なんだけど、まんま川原君のことみたいだね』
川原は辞書で調べると高笑いする。
『まんま僕じゃないですか。剣崎さんよくこんな言葉知ってますね』
『川原君をからかうために調べたんだよ』
『ありがとうございます。これから自己紹介の時に使わせてもらいます』
小バカにするつもりだったけど、喜んでもらえてなにより……。
『…………それでね、ここにも結構日本人いるみたいなんだけど知らない?』
剣崎は先程の話を川原に話す。
『ああ、1階のレストランで日本人の女性達を見かけましたよ。後は日本人ぽい男性も見かけたけど……、ほら僕って〈孤僻〉じゃないですかぁ?自分から話しかけませんよ、はははっ』
川原はおどけて腰をクネクネッとする。
ちっ、うぜぇ。もう孤僻を取り込みやがった。
『それにね、剣崎さん。前にも言ったと思いますけど、僕は他の日本人とつるむ気ないんで』
ウソだね。剣崎は信じない。
そうだった。川原に昨日起きた事を話す。
『それは大変で残念なことですけど、こっちに来られたことは大チャンスですね。頑張るしかないでしょう』
真面目に答えてくれてホッとした。実は優しい男なのか?
『ところで剣崎さん。今大陸浪人 甘粕正彦について調べているんですが、映画制作会社が――――』
あっという間に話題が変わってしまい、剣崎は閉口した。
尚、ジェイクは最後まで帰ってこなかった。
剣崎は帰りがけ、廊下の先の非常階段に出てみる。ドアの先が階段の踊り場になっていて、長春市街が一望出来る絶景ポイントだ。
中東の男性がおり、紫煙を燻らし挨拶をしてくる。話を聞くと彼はシリア人で、アサドという名らしい。
話をしてると、携帯の機種が同じだった。
「これ同じ、同じ」
アサドはそう言いながら、階段の手摺から腕を出し、自分の携帯をクルクルと玩び始めた。
見ていて危なっかしい。ここは7階、もし手が滑ったら間違いなく携帯はオシャカだ。ほぅら、案の定手が滑った。
「ナーーー!!」
アサドの叫びと共に、彼の携帯は落下していき、併設してあるレストランの屋上部でバラバラになった。
やる前から危ないの分かりきってるのに、後先考えずこんな愚かな事をする。ちょっとアラブ人には気をつけないといけないな、と剣崎は考えを飛躍しまくった。
〜翌日〜
午後一時からミーティングがあるということで、剣崎は早めに家を出る。ここから南湖館までは歩いて20分ほどと意外と遠いが、階下の市場の裏口からショートカット出来ることが分かった。
裏口から入り、市場を抜け表口を出るとこれだけで300メートルはショートカットできる。更に表口の横には新しめなマンション群があり、その通路は直接、南湖館近くまで繋がっているので、このルートを駆使すれば10分少々で到着可だ。但し、市場は18時には閉まってしまうのと、マンション群の通路は幾つか柵があるため、徒歩でしか進めない点に注意が必要になる。
このルートを開拓したおかげで、結構早めに会議室へ到着。
人はまだ疎らだ。川原がいて、隣に座って欲しそうな眼差しでこちらを見ている。それとなぜか…………杉山 直美さん?もいる。モンゴルのヌォーナと、ロシアのターニャもいるぞ。あと昨日のアサドもいた。
剣崎は当然、直美さんの隣に座る。
『なんか留学生の数が多いから、新学期は初級の授業は全部ここになったの。意味わからないんだけど』
直美さん結構不機嫌になってる。そりゃそうだ。遠いもん。しかも友邦会館に住んでないから送迎バスにも乗れないし、通学大変だ……。
ミーティング開始時間が近づくと、ぞろぞろと人が入ってくる。チンゲもジェイクはいない。日本人っぽい人も数人いる。
若い女性が説明を始める。
「皆さんこんにちは、私は李 丽莉。新学期、4日後から授業が始まります。最初に選択した授業レベルが合わなかったら、途中で他のクラスに移ることもできます」
多分そんな事を言っていると思う。李 丽莉先生は白板に、長林大学の中国語授業について書き始める。でも名前が全部リーってユニークだな。
まず基本となる中国語の授業はこうだ。
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高級二班
高級一班
〈場所〉友邦会館
中級三班
中級二班
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中級一班 〈場所〉友邦会館・南湖館
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初級二班 〈場所〉南湖館
初級一班
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他にも南湖館では听力、阅读、写作の授業もあるそうだ。
南湖館ではこれらのクラス以外に、北朝鮮人専用の基礎クラス、アフリカ人専用の基礎クラス。
友邦会館では日本人の交換留学生の為のクラス、そして今学期は無いがアメリカ人の為の授業もあるらしい。
このミーティングが終わったら1階ホールで教科書を買うように等の説明を受け、李 丽莉先生が最後に言う。
「それでは皆さん、中国語で簡単に自己紹介をしましょう!」
学生が順番に自己紹介してるのだが、なぜか三分の一は英語で自己紹介してた。李 丽莉は英語が堪能のようで「アッハーン、イェアー」とか言ってニコニコしている。剣崎の順番になる。
「大家你好!我叫剑崎 祐一,日本人。请多关照」
――皆さんこんにちは!私は剣崎 祐一、日本人です。よろしくお願いします―― のつもりで話したが、何人かがくすくす笑っている。日本人っぽい人も笑っている。何かしくったかな?
直美さんがニヤつきながら教えてくれる。
『〈大家〉は皆さんていう意味で、〈你〉はあなただから、『皆さんあなたこんにちは』になっちゃってたね〜。勉強頑張らないとね。仕事で使うんでしょ』
そっか、直美さんにはまだ無職になったこと話してなかった。
『実はですね……ちょっと話すと長くなるんですが――――』
剣崎は事の顛末を説明する。
『まぁ人生長いから色々あるわよ。私だって流れて流れてこんなところに来ちゃったんだし。今度ターニャ達とゆっくり食事でもしようか』
直美さんは破顔しながら慰めてくれた。もし長春に来ることなく、日本に留まっていたら、ステータスは「無職」になってた。一応今は「学生」なので一安心かな。
ミーティングが終わり、直美さんはターニャと帰っていった。
剣崎と川原の側に3人の日本人男性が集まる。
『何度か見かけましたけど初めましてですね。俺、中田です』
中田君、賢そうなイケメンだ。
『俺は村尾っす。よろしくお願いします』
村尾くん、背が低く声が高い。
『森です。あまり絡むこと無いかもしれませんが、まあよろしくです』
森くん、背が高く知的な感じを受ける。
川原、中田、村尾、森。これが南湖館に住む大和男子の全てだ。+αで剣崎もよろしく!
後は名古屋から交換留学生の女子大生2名がいるそうだ。背の高い子とふくよかな子らしい。そのうち会う機会もあると思う。と思ってたら、その2人が来た。
『よろしくお願いします』
そう言って彼女らは、いそいそと行ってしまった。このミーティングに居たってことは南湖館で授業受けるだろうし、ひょっとしたらクラスメートになるのかな。
1階で教科書を買い、ついでにカセットテープも購入。これには教科書の文章と単語が録音されていて、勉強に役立ちそうだ。
前回剣崎がホームステイしていた時に、阿姨にテープレコーダーを買ってもらった。面白い作りで、再生・録音ができるのは勿論、最大30秒程音声を保存でき、ボタンを押すと保存した音声を反復再生できる。
甲子達もこれを使って発音などを勉強してるって聞いた。
正直、社長の奥さんの姉である阿姨には会いづらくなってしまったが、勉強頑張らなきゃな!
剣崎は決意を新たにした。
その後、川原の部屋で繕いでいたら、電話が掛かってきたので出る。
『剣崎君?オレオレ、奥山だよ』
奥山さんだ。前回友邦会館で卓球してた時にやって来た、サッカーやってた連中の一人だ。
『明後日の朝のフライトで、長林大学に一番長くいた日本人の人が帰国するんで、明日の夜から送別会するけど来られる?』
前回の飲み会で話に出てきたボスが帰るみたい。これはぜひ行ってみたいのでOKした。
『後さ、南湖館にいる日本人も顔合わせしたいから誘ってよ』
『分かりました。聞いてみます』
電話を切った後、一応川原に聞く。
『何遍も言いますが、私は日本人とつるむ気ありませんから。でも僕がそんなこと言ってたとは言わないでくださいよ』
うん、知ってるよ。孤僻だもんね君。
他の3名にも聞く。
中田君は明日ガチで用事があるみたいで申し訳なさそうにしてた。
村尾君は行くと言っている。
森君は至極面倒くさそうだ。
『僕は友邦会館の日本人と一切関わる気ありません。関わりが嫌だから南湖館を選んだくらいです』
とはっきり言われた。あれれ?川原と同じ臭いがするぞ……。
2人の女子大生については、部屋が分からないからスルーした。