第1章 留学前期編 第1話 ルームメイトと東から来た男
今回から本格的に中国が舞台になりますので、「」内の会話は中国語、『』内の会話は日本語になります。
※この話はフィクションです。
『しーっ、この部屋には盗聴器が仕掛けられているかもしれない』
――――川原 吉春――――
吉林省長春市。およそ900万人程の人口を抱える吉林省の省都だ。面積は25000平方キロメートル程で、岩手県と青森県を合わせた面積に近い。旧満州国の首都で、当時は新京という名だった。
2006年8月20日、私剣崎 祐一は2ヶ月振りに長春の土を踏む。今から1年間の留学生活が始まる。期待と不安でテンション爆上がりだ。
今回は直接、飛行機で来た。成田から乗ったがガラガラで、乗客に剣崎以外の日本人はいなかったと思う。「長春龍嘉国際空港」、これが長春空港の正式名称。この空港の周りには何もなく、完全に郊外に位置してる。迎えの者はいない。
5日前に周老師からメールを貰った。
『交換留学生が多い為、当日迎えの車が行けない。自分でタクシーを拾って来てくれ。長林大学の友邦会館と伝えれば100%伝わる』
なるほどね。大丈夫よ、何とかなるでしょ。でも自分でタクシーを拾うってことは、これ自腹だよね?迎えが来るなら普通タダだよね?なんか損した気分になる。
タクシー乗り場に行くまでもなく、出口ロビーで複数の客引きに絡まれる。
「長林大学ノ友邦会館にイキタイ」
そう伝えると分かったみたいだ。オーケーオーケー言いながら、先に100元払えと言ってきたので支払う。
タクシーはバイパスの様な道を走る。周りはトウモロコシ畑が続いているが、暫く走ると止まってしまった。
「ドウしましタか?」
不安になり尋ねる。遵化での夜の事件が思い出された。もう心臓バクバクよ。運転手も何か言っているが聞き取れないし……剣崎、いきなりピンチに陥る。
しばし待つと、他のタクシーが来た。こちらに乗り換えろ、という事らしい。意味も分からなかったが乗り替えるしかなかった。
トータルで40分位だろうか。友邦会館に着き、2番目の運転手に100元渡す。計200元支払ったことになる。3200円位か、いきなり痛い出費だ。手持ちの人民元もあまり多くないよ。
職員室にいる周老師へ挨拶をする。
『ゴメン、私忙しイ』
いきなり冷たい。これから来る交換留学生の資料だろうか、すごい分厚い書類が机の上に乗っている。でも隣にいる韓国人留学生の担当者はもっとすごい。書類が段ボール箱の中までぎっしりだ。
『タクシー代いくら支払いマシたカ?普通60元位デス』
『200元払いました』
『残念です。貴方は騙されタ。最初はミンナ騙される。コレからは注意してクダサイ』
ほら、いきなり騙された。ってか周老師も運転手共が騙してくるって知ってるならメールで教えろよ……。
『人民元はありますか?ありませんね。今から銀行で両替しなけレればならない。行ってらッシャイ』
わーお、いきなり一人で両替に行かされる。銀行の場所は沃尔玛の近くにある。近くと言っても500メートルは離れているが、こちらの感覚では近くに感じる。しかし大金を持ち歩いているとすごい緊張する。さっき騙されたのもあり疑心暗鬼だ。なんかここ追い剥ぎとか現れそうじゃん。
銀行に着いたら閉まっていた。そういえば今日日曜日じゃないか?やっぱりこっちでも日曜日は銀行閉まってるのね……。
周老師に対しての信頼度がガクッと下がった……。
「今日は日曜日だったね。申し訳ない、ちょっと忙しくて間違った情報を教えてしまった」
周老師は流暢な中国語で怪しく笑って誤魔化した……許す。
寮に住みたい事を伝えると、奇妙な事を言った。
「今年の交換留学生は大変多く、こちらの寮は交換留学生を優先して住まわすので空きがない。その為、自費の個人留学生の多くは南湖館に住む事になった。でも問題ない。初級の授業は南湖館でも行われるから、心配しないて住めばいい」
いきなりこんな事言われて吃驚。南湖館ってどこよ?
「まだこれから新学生が来るから、ここで少し待ちなさい。集まったら南湖館まで送るから」
という訳で2時間ほど待機。韓国1人と西洋人1人が来たので、マイクロバスに乗って南湖館まで向かう。
南湖館も友朋会館と同じ様な感じだった。長林大学の数学部とIT学部のキャンパス内にあり、レストラン、売店、教室と学生寮が揃う建物だ。南湖館のメリットはお湯が24時間出るので何時でもシャワーを浴びられる。あと寮部屋の鍵が磁気カードでかっこいい。友邦会館は何か金属の板をドアのノブに差し込んで回して開けるという、今まで見たことのないタイプだった。
不便な事といえば周りにお店が少なそうな事か。キャンパス内にあるので敷地外に出るには300メートル位歩いて門を出なきゃならない。出ても目の前には南湖公園という広大すぎる自然公園みたいのがあるだけ。こりゃ生活に慣れるまであまり外に出る機会もなさそうだ。
ここもパッと見ホテルみたいだった。1階にはフロントがあり、横にはレストランもある。手持ちの人民元が少ないので、受付でとりあえず1週間分の宿泊費を支払う。
「両替は必要?」
と聞かれた。電卓でレートを計算してもらったがきっと銀行よりは悪いだろう。明日銀行に行く旨を伝えて、ここでの両替を我慢。ありがとう周老師。
寮部屋は8階の一室を手配された。現在ルームメイトはまだ決まっておらず、数日したら来るらしい。日本人の留学生は文化の近い韓国人と一緒になる事が多いらしい。
部屋はシングルベッド2つあり、机も2つ。その真中にはテレビが置かれている。やはりビジネスホテルの様だ。トイレは洋式で、シャワーと一緒の部屋。湯船はない。エアコンは無く、暖气片と呼ばれる金属管の通った蛇腹状の湯たんぽのお化けみたいのが置かれている。これは阿姨の家にもある物で、暖房のシステムらしい。
「暖气とは、金属管を建物中に巡らせ、その中を石炭を燃やして沸かした熱湯が通り、全体を暖める暖房システム」
そう阿姨から教わったが、当時は初夏で今も8月。暖气が運用される季節では無い為、金属管の中には水も通っておらず沈黙している。
見たことのないシステムなので冬が楽しみだ。
そういえば、直美さんの家は少し進んで床暖房だと言ってたっけ。直美さん元気かなぁ……。
とりあえずやることも無いのでテレビでも見よう。国内のチャンネルと海外の衛星放送が見られるが、やたらと韓国の番組が多い。4チャンネルは朝鮮語だ。おっと!N◯Kもあるじゃん。これはありがたい…………。
N◯KであってN◯Kではなかった。N◯K World?何から何まで英語だったよ……母国に裏切られた気分。でも受信料払ってないから仕方ないよね。
夜になって腹が空く。下にレストランがあったな。様子を見にエレベータで1階に降りてみた。結構な学生?がレストランにいる。西洋人と韓国人だ。ここはちゃんとしたレストランだった。中国でお馴染みの回転する丸テーブルに、しっかりとナフキンまで置かれている。
ちょっと敷居が高いかもしれない……料理高かったらどうしよう。不安が頭を擡げるが、杞憂だった。服務員と呼ばれる従業員、こちらが一人で来た貧乏学生と解ってくれたのか、ペラッペラのメニューをくれた。うん、前回学生食堂で食べた物が載っていて、剣崎も一安心。例の西红柿鸡蛋盖饭を注文。でも学生食堂では5元だったけど、ここでは10元する。割高だから注意しないとね。
夜が更けていくがやることが無い。とりあえずシャワーを浴び、日本から持ってきたパジャマに着替えPSPで遊びながら初日は終了した。
〜翌日〜
剣崎は早起きした。今日の自分に対するノルマは〈午前中に両替〉。そう決めたのでバスに乗り込む。朝食は売店で売られているパン(不味い)で済ませた。
バスに乗って気付いた。住んでる場所、阿姨の家から割と近い。手土産も買ってあるし、近々訪問しよう。
両替はすごく簡単だった。
「日本エン、人民ゲン。両ガイ」
こう伝えれば手続きを全部してくれた。諭吉が毛沢東に変わったけど、やはり大金なので緊張しっぱなし。変な汗が出てくる。でも折角ここまで来たし、ちょっと友邦会館に寄ってみよう。
〜友邦会館〜
20人以上の団体がホールに集まっている。韓国人の交換留学生の様だ。今ここに着いたばかりみたい。
観光人留学生の担当者が朝鮮語で色々話をしている。彼女らは複数人いるけど、日本人の担当者は周老師ただ一人……
その周老師もここにいて手伝いをしている様だ。剣崎を見つけて手招きする。
『学習ビザを申請するタメ、健康診断を受ける必要アル。健康診断の日ハ、南湖館にもカミ貼るノデ、待っていてクダサイ、いいネ』
そう言うと手伝いに戻った。
〜南湖館〜
午後はとりあえず部屋に戻りテレビを見ている。今見ているのは反日ドラマだ。
ちょび髭の生えた日本軍が村を見つける。
『バンザーイ!バンザーイ! ミシミシ!!』
と言って村を襲い、食べ物を奪う。そして村娘に乱暴し、最後は村人を蔵に閉じ込めて、火をつけて焼き殺すといった内容だ。
ミシミシって飯飯の意味だったのか!納得。でもなんかムカつく!何だこの内容……。
その時!
コンコン
ドアをノックする音。服務員かな?
鍵が開けられ、男性が入ってくる。
キターーー!ルームメイトが来たのだ。
眼鏡を掛けていて知的な韓国の男性だ。一重で切れ長の目をしていて、大変真面目そう。そして大人しそうな感じを受ける。剣崎の身長はキム◯ク程はサバ読んでないが自称170センチ、彼はそれより少し高いので175センチ位といったところかな。大学3回生だが、途中休学して2年間徴兵に行った為、剣崎と同い年だ。これから1年間、ここで語学留学すると教えてもらった。
そして彼の名は。
「李 珍源」
という。
ん?珍源?……チンゲン?チンゲン……チンゲンサイ……チンゲ!?
これが珍源氏に対する剣崎の第一印象であった。
珍源氏は大学で中国語を専攻しており、初中級レベルだ。それに対する剣崎の中国は初級。最初の頃は簡単な会話で頑張るしか無い。因みにこれから住む場所だが、以前先輩の恵美さんもお勧めしていたので近日中にアパートを借りるつもりだ。そちらの方が寮より広いし、安くなるみたいだし。
珍源氏と一緒に南湖館のあるキャンパス内を歩いてみよう。飯屋があればいいけど……流石に每日1階のレストランだとお財布に優しくないし。
ちょっと裏に回ってみたら新しい世界が広がっていた。数学部の学生が沢山おり、店もいくつかある。お菓子専門店まであるよ。そして勿論、食堂も見つけた。
「第四食堂」と看板に書かれているけど、第一〜第三食堂も何処かにあるのかな?
中に入ると熱気がすごい。そんなに大きい店でもなかったが、メニューがすんごい豊富だ。おっきなホワイトボードにぎっしり書かれている。若い少年厨師がでっかい中華鍋を振るっている。
メニューを見ると……あっ、いつも食べている西红柿鸡蛋盖饭もある。5元だからやはりこちらの方が安い。
1日だけだけど剣崎の方が留学の先輩だ。得意になって説明する。
「アノ西红柿鸡蛋盖饭ハ一般的な食べ物デス」
「知ってマス。以前天津で食べたコトありマス」
チンゲン氏、実は以前天津に2週間の短期留学をしてたそうだ。うわ、剣崎は恥をかいた……
チンゲン氏はその西红柿鸡蛋盖饭を注文したが、剣崎は悩む。茄子とか鶏肉とか書いてあるので何となくどんな料理かは想像できるが、肝心の味が想像できない。
選びかねていると1つの料理名が目に留まる。
「|羊肉香菜盖饭《羊肉とパクチーのかけご飯》」
日本ではあまり食べる機会のない羊肉と、カメムシみたいな臭いのするパクチー。これは面白そうな組み合わせだ。
「羊肉香菜盖饭をください」
試しに注文してみる。少年厨師はでっかい中華鍋を振るい料理を作り続ける。更に盛り付けたら次の料理を作り、また更に盛り次の料理を……当然、鍋は洗わない。男の戦場がここにあった。
「羊肉香菜盖饭できたぞー」
見た目はドロドロしていて残飯の様だ。ぶつ切りのパクチーが乗っかっている。とりあえずたべてみよう、ミシミシ。
お味の方は抜群に美味!臭みの強い羊肉が、これまた香りのパクチーで中和されて素晴らしいハーモニーを奏でている。これはもうリピート確定だね!ただ米の量が多い。多分、丼大盛りで2杯分位あるな。次からは米少なめと伝えてみよう。
夜、剣崎はシャワーを浴びたが、チンゲ氏は朝シャン派らしい。チンゲ氏に尋ねる。
「朝、洗うなら、夜、寝るトキ、ここ痒くナラない?」
そう言い下腹部を指差すと、チンゲ氏は大丈夫だと少し笑った……。
〜翌日〜
携帯電話を買いに行こう!という訳で、昼前に2人で阿姨の家の近くにある電話会社へ行く。
南湖館から阿姨の家までは徒歩20分強かな?すっごい近かった。チンゲ氏は電話を買ったら韓国人留学生の集会に出る為、友邦会館に行くそうだ。剣崎も阿姨の家に行けるようにお土産を手にしている。
電話会社に着いた。とりあえず安めの電話でいいかな……ここは値札が貼ってあるから安心だ。大体の店では値段表示がないから自分で交渉しなきゃならない。絶対外国人を騙してくるでしょ、これ……。
電話番号も自分で選ぶ。表一覧から選べるのだが、普通の番号は20元と安く、珍しい番号は200元したりする。とりあえず一番安い番号を選択……番号は11桁だけど、選んだ番号の下4桁は1984。剣崎は1983年生だけど、その番号が無かったので仕方ない。1歳サバ読もっと♪。
電話機はノキアの一番安いのを買った。電話とショートメールしか機能が無く、液晶も白黒だ。チンゲはそれよりちょびっと高いカラー液晶の電話を購入。店先で別れる……。
早速阿姨に電話を掛け、「電話買ったよー、今から行っていい?」と訊くとOKの返事。ここから阿姨の家まで徒歩1分。ホントにすぐ行ったらなんか焦ってた。ちょうどモップ掃除を始めるところで、少し怒られた。サプライズはお嫌いみたいだ。
無事お土産も渡して、上の階の少女の為に、ヨ◯様マスクを預ける。
「私の元同僚が家を数軒持っているんだけど、ちょうど南湖館近くの部屋を貸しに出してる。借りてみないか?興味があるなら下見してみたら?」
阿姨からのすごくありがたい提案。超グッドタイミングだ。もちろん下見のお願いをすると電話をしてくれ、明日の夜、内見に行けることとなった。
甲子にも連絡を入れた。
『寮の部屋の番号オシエテ!午後行くカモしれない。後でこっちから電話スル』
電話を切るとショートメッセージが届く。内容要約すると「お金が不足しているから支払って欲しい」こんな感じだ。
早くない?これはひょっとするとまた騙されたのか?すぐに先程の電話会社へ出戻りだ。
「すみません。電話のお金ナクなりまシタ」
すると受付の女が、一所懸命説明してくれる。
「この番号は、プリペイド式だ。街中あちこち、それこそ小さな売店でもSIMカードが売られていて、それぞれ番号が割り振られている。通話すると残金が減り、無くなると電話できなくなる。そうしたら、やはりどこにでも売られているスクラッチ式の電話カードを買うか、電話会社へ赴きチャージしなければならない」
5分の1も聞き取れなかったが、きっとこんな事言ってたんだろうな。50元分の通話料をチャージ。早くちゃんと会話が出来るようになりたい。3ヶ月後の自分に期待する。
甲子は夕刻にやってきた。留学生と自分達の寮部屋の格差に驚愕していた。
「部屋は綺麗にしないとダメ」
そう言いながらチンゲのベッド、ほんのちょっと掛け布団がズレていただけなのを甲斐甲斐しく直す。お土産の浴衣を渡すと大変喜んでいた。しばらくしてチンゲ帰宅。
「カッコいい!日本人より韓国人が好き」
トゲのある言葉を吐きながらチンゲとおしゃべりをする。
「私が貴方のベッドを直してあげた」
甲子さん、ポイント稼ぐねぇ。でもチンゲさんあまり嬉しくなさそうだよ。そりゃ男の聖域に踏み入れられたら嫌だよね……。一通り会話して甲子は嬉しそうに帰っていった。でもなんだろう?一抹の不安を覚える。
チンゲに明日一緒へ部屋を見に行こうと誘い、勿論オーケー。どんな感じなのか楽しみだ。
チンゲが退屈だというのでPSPをやらせてみた。日本語分からないがモンスター◯ンターに凄くハマっていた。しばらくPSPを貸してあげよう。
〜翌日〜
チンゲと一緒にキャンパスの正門で待ち合わせ。阿姨とおばちゃん――今から見に行く部屋の大家さんがやって来た。大家さん、昔日本の港で働いていたそうで、少し日本語が出来た。
ここのキャンパスの正面には南湖公園という大きな公園があり、公園に沿って長い直線道路が続いている。歩きながら阿姨はチンゲの中国語を褒めている。
「貴方は中国語上手だねぇ。それに比べて剣崎!もっと勉強を頑張らなければいけない」
とばっちりだ……。
大体歩いて15分程で巨大な団地群が目に入り、割と道路から近い棟に到着。
阿姨の家より更にボロい見た目。でも中国だしこんなものか……。
崩れそうな階段を登る。エレベータ?そんなもんある訳ない。
部屋は4階にあった。地面はコンクリートむき出して、家具も何もない。オッサン2人が壁を塗っている。
洋式トイレあり、湯船付きの3LDKの部屋だ。あまりにもボロい為、目下リフォーム中で、壁を塗り直しフローリングを敷くそうだ。後2日も経てば家具も戻して住めるようになるらしい。2日?ちょっと早くない?
でも広さ的には問題なさそうだ。「チンゲさん、一緒に住もうか?」と聞くと少し考えさせて欲しいと言われた。剣崎はどうしようか……家賃はいくらだろう?大家さんに聞いてみる。
『一ヶ月500元デス。後は電気代とガス代が掛かりマス』
500元?安っ!今住んでいる寮は一ヶ月で900元以上する。ガス代と電気代足しても全然こっちの方がいい。阿姨の友達だし騙してこないだろう。
剣崎は賃貸契約書にサインし、5日後に引っ越す事を決めた。
数日もするとだいぶ南湖館での生活にも慣れてきた。南湖館は12階建ての建物で、1階がロビー、レストラン、外に売店。あとトイレがある。2階と3階に教室とトイレがあり、4階と5階は会議室と来賓の為の客室となっている。その上が学生寮になっていて、廊下が長い。左右に部屋があり1フロア28部屋位ある。友邦会館には一人部屋もあるが、ここは全て相部屋だ。廊下の端には扉があり、開けると外付けの非常階段がある。エレベータホール横には階段があり、一応エレベータに乗らなくても上がり下りは可能だ。
授業は9月からなのでまだ一週間くらいある。每日午後になると新しくやって来た留学生がロビーで手続きをしている。
そこの掲示版上に紙が貼られている事に気付く。到着2日目に周老師が言っていた健康診断の通知だ。每日午後一に健康診断とビザの申請に行く車が出るから、新学期が始まる前に終わらせるように、といった内容だ。早めに終わらせたほうがいいし、今日行こう!
チンゲは既に韓国人の集団で終わらせたみたいなので、一人でマイクロバスに乗り込む。バスの中はロシア人の女性ばかりだった。
「ハーイ」
みな笑顔で手をひらひらしてくれる。全員美人、しかも着ている服が薄くて、スケスケ。きっと全員が香水をつけているんだろう。キツイ香り、甘ったるい香り。全てが混ざり合い地獄の様なスメルが充満していて、正直ウップ……だ。でも気にしない。みんな美人だから。ってかやばくない?ロシアンビューティがこんなにわんさかだなんて。丸太を持って吸血鬼と戦う漫画みたいに「はぁ……はぁ……」しちゃうって!
綺麗めな病院で健康診断を受けた。肝炎とエイズに罹っていたらビザが取れないと説明される。次は公安局でパスポートを提出。翌日には南湖館に送り返してくれる。とりあえずの滞在許可で、この後の留学期間に基づいた在留許可日数のビザが貰えるそうだ。要は半年分の学費を払えば6ヶ月、一年なら12ヶ月という事。
寮に戻るとチンゲが嬉しいニュースを持ってきた。
「南湖館にも沢山の韓国人がイルけど、その中の一人のルームメイトが日本人ダッタ。最近来タみたい」
これは嬉しい。挨拶に行かなくちゃ!1つ下の階の部屋だ。直ぐに向かい部屋のドアをノックした。反応がない。少し強めにドアを叩く。ガチャ――――。ドアが開かれそこに男が一人立っている。
大きな男であった。見たところ身長は185センチ、体重95キロ位はあるか。身体は分厚く、大変筋肉質だ。朝に髭を剃ったのが見て取れるが恐らく濃いのだろう。既に薄っすらと口の周りが青くなっている。髪型は角刈りで、まさに漢といった風貌だ。威圧感があるが、何より気になったのがその目だ。綺麗な二重なのだが、冷たい眼差しをしている。しかし眠そうにも見え、そこに違和感を覚えてしまう。因って見た目は熱血漢なのだが、恐怖心を抱かざるを得ない。もしこの男が「昔、人を殺めた事がある」と言い出してもおそらく信じてしまうだろう。
服装も気になった。何故か下は柔道着を穿いている。剣崎自身、高校の時は柔道部だったので分かる。この柔道着は本格的な、大変値段の張るものだ。つまりこれを身に付けているという事は、彼自身青春を柔道に捧げたと言っても差し支えないだろう。要は、この男は強い!
――――剣崎から見た川原――――
オイオイなんで柔道のズボン穿いてるの?ポケット無いから不便じゃん。というか顔濃いな〜……横綱武◯丸に似てる。すっげえ胸毛、もじゃもじゃだ。髭も濃いし全身毛むくじゃらだろうな。
目怖いよ。目が笑ってないよ。なんかトロンとしていて熊みたい。ちょっとゲイっぽいかな。
『はじめまして、剣崎 祐一です。横浜からきました』
『はじめまして、川原です。川原 吉春です。神奈川から来ました』
こうして、生涯の友になるであろう剣崎と川原は出会ったのである。
川原は大学4回生だ。3回生の時点で卒業に必要な単位は全て取り終わり、本来なら就活を始めていなければならないのだが、何か人と違うことをしたくなった。とりあえず半年間留学をし、第二新卒として就職すればいいか。何とかなる!そんな気持ちだ。また、趣味というかライフワークと呼べるのかは分からないが、幼き頃より中国拳法の研究を続けている。自分でも拳法の型の練習にも取り組んでいるから、こちらの方面も現地で勉強したい。
『剣崎さん。これが交差法と呼ばれるカウンターの技です。両手だけでは無く片足さえも突き出すのでこれで相手は吹っ飛びますよ』
川原は両手と右脚を前に突き出した。四肢の内、三肢を使うこの技は、はっきり言って格好悪い。
先程からずーーっと中国拳法について熱く語ってくれている。やれ南派と北派の特徴とか、内家拳と外家拳の違いについてとか、拳法を心から愛してるみたいだ。
『でも実際、中国拳法なんてみんなインチキでしょ?合気道と一緒で、本当は弱いんでしょ?』
剣崎は心に思ったことをそのまま言う。
『しーっ、この部屋には盗聴器が仕掛けられているかもしれない』
川原は人差し指を口に近づけ、部屋の四隅を見渡す。動きが一気に挙動不審になった。
『中国のことを悪く言ったら公安が来るかもしれません』
なんだこいつ?変な人……そんな事も思ったが、川原は2時間ほど喋り続けた後、こんな事を言う。
『私は中国語を勉強するために来ました。留学先に北京や上海を選ばず長春を選んだ理由は、日本人が少ないからです。私は他の日本人留学生とつるむ気は一切ありませんね。今回こうやって剣崎さんと話をするのも、ひょっとしたら最初で最後になるかもしれません。中国語での会話はオーケーですけどね』
剣崎も妙に納得していた。ナルホド……道理はある。俺も遊ぶために来た訳じゃないし、本当に勉強頑張らなきゃな!川原君ともうあまり合うことも無いだろう。
『ところで剣崎さん。僕も携帯買いたいんですけど、明日一緒に買いに行ってもいいですか?』
おおっと……これは長い付き合いになりそうだ。そんな気がした。
余談だが川原も数日後、健康診断やビザの手続きの為、マイクロバスに乗った。周りは全員アフリカ人の奴衆であったそうな。ウホッ。
〜翌日〜
剣崎と川原は路線バスに乗り繁華街へ向かっている。甲子から桂林路という場所が繁華街になっており、楽しめると聞いていたので見に行くのだ。バスに座りながら上を見上げると、女性はみな腋毛を生やしている。これは腋毛フェチが見たら垂涎ものだな。剣崎は女性の腋毛で興奮するが、川原はそうでも無かった。キチンと身なりは整えてほしいそうだ。でも生えたてのチクチクした毛は好きかもだって。
周りの乗客が日本語を聞き取れないことをいい事に、酷い会話は止まらない。
桂林路は確かに栄えていた。軽食の店も沢山並び、沢山の服屋や鞄屋、CDショップもある。〈珍珠奶茶〉と呼ばれるタピオカミルティーを飲んだら美味い。デフォルトはホットで提供される。
『これは甘すぎですね。每日飲んでたら糖尿一直線ですよ』
川原が怖いことを言う。その後、携帯電話を購入。結構値段の張る電話機を買った。
ちなみに2人とも電子辞書を持ち歩き、ポケ◯ン図鑑で調べるサト氏並に、知らない単語を調べている。このカシ◯製の電子辞書、百科事典も入っているがこれが便利なのだ。色々な事が細かく説明されているので、暇つぶしにもってこいだ。1年後には雑学王になってるんじゃないか?
川原の部屋に戻ると彼のルームメイトがいた。前日は帰って来ず、会えなかったのだ。
「はじめまして、剣崎デス。李 珍源のルームメイトです。ヨロシク」
「聞いているよ。俺は郑 昌貴。一応英語の名前もアルからJAKEと呼んでもイイヨ」
「英語の名前がアル?スゴイネ!」
「高校の時に英語の先生ガつけてくレタ。気に入り今も使っているンダ」
それなら本当にこれからジェイクと呼ぼっと♪
ジェイクも背が高く、カッコいい。イケメンのカッコ良さではなく、何と言うか男気に溢れた格好良さかな。
こうやってたとたどしくも会話をしているのだが、その間川原は全く言葉を発しない。関わり持たないように只管携帯をいじったり電子辞書で調べ物をしている。
馬が合わないんだな……きっと原因はジェイクが原因ではなく川原の方だな……。
チンゲが剣崎とは一緒に住めないと言う。彼は中級の授業を受ける予定で、その授業は友邦会館で行われるそうだ。毎朝、送迎のバスが出るには出るが、不便なので友邦会館の近くのマンションに他の韓国人とルームシェアする事に決めたらしい。
「但し、今すぐじゃない。1ヶ月後に引っ越すから何時でも会えるよ」
残念だけど仕方がない。一週間程の共同生活だったがありがとう!ずっと友達でいよう!
そして引っ越しの日になった。チンゲからPSPを返してもらったが、剣崎が積み上げたモンスター◯ンターのセーブデータが消えていた。日本語分からなかったんだから仕方ない…………。