序章 ホームスティ後半編
「」内の会話は日本語、『』内の会話は中国語になります。
※この話はフィクションです。
6月のある日曜日、薛 甲子に連れられ、長林大学のキャンパスにやって来た。ここはとにかく広大だ。端から端まで歩いて20分は掛かりそうだ。過去に複数の他大学を吸収してマンモス化した為、ここだけではなく長春市内に幾つもキャンパスがあるらしい。数学、化学、物理、地学、医学と本当に様々な学部がある総合大学で、それぞれ学科棟という専門の学舎がある。
どの建物も立派で5階建てとか、かなりの高さを誇っている。その中の1つ、甲子が在籍している外国語学部の建物に入る。うん、この学舎はショボい。3階建ての日本の普通の中学校の校舎の様な佇まいだ。ここの学生はロシア語、朝鮮語、日本語、フランス語等の所謂第二外国語を1つ選び、4年掛けて勉強するらしい。
「英語は、学コウの生徒、みんな出来て当ゼンだから、違うトコロで授業がある」
甲子はまだ大学2回生にも関わらず、日本語が非常に上手だ。なんでも担任の教師が非常に厳しく、単語を1つ間違える度に、罰としてその間違えた単語をノートに1,000回書き出し提出しなければならないそうだ。本当に厳しいと甲子は熱く語った。
日本語学科の教室に入ると学生が2人いた。その2人に甲子は、これは剣崎で日本人、そして私の友人であると自慢している。なるほど、日本語学科の学生にとって日本人の知り合いが出来るのは大きなステータスのようだ。勉強の助けにもなるだろうし。それにしても日曜で授業がないにも関わらず教室で勉強しているとは、なんて真面目なんだろう。
2人のうち1人が私に挨拶をしてきた。
「え〜、私の名前は張です。あ〜このクラスの学級委員長です。今日はとても天気が良く、う〜剣崎さんと知り合えた事に幸せを感じていマス。え〜これからよろしくお願いしまス。」
常に手の動かしながら話す彼は、丸眼鏡を掛けていて見るからに学級委員長だった。
クイクイ眼鏡を動かして話す人初めてみたよ。まるでちびま◯子ちゃんの丸◯君そのまんま、流石に〜でしょうとは言わなかったけど、え〜あ〜と話す度に眼鏡が妖しく光る。
張君と色々と話をしたが、ついさっき甲子が言ってた事を聞いてみた。
「でも単語テストの問題1つ間違える度に、1000回も書き直さなきゃいけないなんて大変ですね」
「聞いたことがない」
張君が答えると、すかさず甲子が文句を言った。最初は軽い言い合いから始まった討論は、お互い興奮してどんどんエスカレート、ガチの怒鳴り合いにまで発展した。
嘘でしょ!?大変だなぁと思って単純な動機で話しただけなのにこんな事になって、何だか申し訳ない。
「コノ人は嘘つきデス!!」
互いに私にこう伝えてきたが、正直どっちでもいい。別に私がノートに1000回書く訳でもないし…………。
ちなみに教室にいたもう一人はすごい素朴な感じがする女の子だった。人見知りなのかモジモジとこちらを見ているが話しかけて来なかった。色白で唇の上の産毛が濃く目立つが、可愛い。
その後甲子と張君と一緒に学生寮も見学させてもらった。2人はもう仲直りしたみたいだ。13階建ての見た目は立派なマンションに見える。最上階で人が窓から身を乗り出し携帯を弄っていて大変危なっかしい。
「寮は男と女の人で分かれてるカラ、男は女の人ノ寮には入れナイ。でも私は男の寮に行っても大丈夫。」
甲子がちょっと支離滅裂な事を言うが、女人禁制の逆の意味だろう。今言ったこの意味もよく解らない。
とりあえずエレベーターで上がり張君の部屋をみる。すごく狭い。六畳程の部屋で4人部屋、粗末な2段ベッドがありその下に机がある。ルームメイトが一人いたが、彼の専門は歴史だった。学部とルームメイトはランダムらしい。勉強量がすごいのか机は参考書等で埋まっている。これはすごい、こんな環境で勉強に勤しむなんてバイタリティがすごい。これは中国の未来は明るいな、素直にそう思った。
次に共用トイレをみるが、汚い。こちらの便器は所謂和式なのだが、日本のとは違い金隠しがない。足を置く場所に溝が掘っているだけだ。掃除は楽そうだが風流がない。
近くには服の洗い場がある。洗い場といっても蛇口とタライがあるだけで洗濯機などなく、赤パンツ一丁の男が一人洗濯板でゴシゴシと服を洗っている。
学生寮は夜23時に強制消灯されてしまう為、夜中に勉強が出来ない。この洗い場だけは夜中でも小さな電球が灯るので、どうしても勉強が必要な時にはこっそりここに集るそうだ。なんて不便なんだろう……気の毒だと思うと同時に、光に集まる蛾みたいだとも思った。
3人で昼食を食べる為、学生食堂に行くこととなった。学区内にいくつか食堂はあるが、今日は日曜日なので1つしか開いてない。地下にある食堂は500平米程と広く、壁一面に料理店が並んでいる。日曜日でもかなりの学生がいるから平日は芋洗い状態になるだろう。ここは予め食堂カードにお金をチャージして、各料理屋で会計するシステムだった。カードなど持っていないから、当然奢られておこう。
「これが一番普通の食べ物」
とお勧めの西红柿鸡蛋盖饭という、トマトと卵を炒めて米にのせた物を食べるとこれが美味。値段は120円くらいか。お勧めの飲み物の花生露も飲むとこれも美味しかった。
張君は午後も勉強をしなければならないとの事で別れる。ご馳走様でした。
2人で校門を出る。目と鼻の先にある『友邦会館』と上にでっかく書かれた建物まで来た。12階建ての門構えが立派な、ぱっと見ホテルのようだ。
甲子によるとここで外国人が留学していて、中には教室と寮、そしてレストランから売店まで全部入っているらしい。紹介したい日本人の友達もここに住んでいるからと一緒に入る。入り口には阿姨が待ってくれていた。先程甲子が連絡をし、近くに居たからついでに来たと言っていた。本当に親切だ。
『ここで中国語を学べるなら、残りのホームスティ期間ここに通えばいい。授業に参加したほうが上達も早いはず。授業に出てもいいか訊いてみましょうよ』
阿姨も勧めてくるし、自分でも中国語の授業に興味が出てきたので、先ず職員室を訪ねて色々と訊くことにした。
〜学生課職員室〜
目力の強い男が座っている。某中華の達人のカメラ目線並の目力だ。しかもよく漫画にあるような白眼視で見つめられる為、ものすごいプレッシャーを感じる。身体も黒くて、日サロに通っている怪しいオッサンの様な風体をしている。
「ハジメまして、周です。周老師と呼ンデくださイ。日本人留学生の管理ヲしていまスネ」
日本語は話せるようだ。日本人留学生担当だから当たり前か。今気付いたけど今日は日曜日なのに出勤してる。周老師も大変だな。
「留学ハ毎年9月と3月から授業ハジまりマス。授業ハ初級、中級、高級と分かれテいる。ソノ他には短期交換留学生の為の授業ありマスよ。途中参加デよければ授業参加してクダサイ。そして好きになっタラ9月からココに来て留学する。イイね」
と周老師から沢山のパンフレットを受け取る。
なんと聴講生として授業に参加できることとなった。しかも授業料は無料。太っ腹じゃないか長林大学!
『君の今の中国語のレベルを知りたい。今から中国語で話しなさい』
周老師のテストが始まる。
『ハジメマシテ、私は剣崎 祐一デス。今年ニジュウサン歳です。今チュウゴク語ヲ勉強シテいまスガ、チュウゴク語は難かしいデス。ただシ、引キ続キ努力シタイ。ドウゾヨロシクお願いしマス』
おお!すごく喋れているではないか!意外と上手く話せてるそんな自分に驚いたんだよね。
そんな私のクラスは……。
『初级一班!』
初級にもクラスが分かれていて、本当にゼロから始める場合は一班、母国の学校で中国語を専攻している様な学生は二班になるそうだ。そして私は一班。いきなり現実が突き刺さる、グエー。
でも3月から授業が始まり既に3ヶ月経つので、一斑の学生達も結構話せるとの事だ。
「今日は日曜日なノで授業ナイ。明日から来てくだサイ。筆記用具持ッテ来なければならナイ。2階と3階が教室で、上が寮ですネ」
承知した!こうして職員室を後にした。
阿姨が家へ帰るので入口まで見送った。甲子が日本人の友達に電話を掛けると、彼女はすぐに下りてきた。恵美さん、ここに来て4年目の学生だ。最初の1年半で中国語を勉強し、その後本科生として歴史の勉強をしている。真面目そうな雰囲気の本の虫だ。甲子とは共通の必修科目の授業で知り合い友達になったそうだ。
2階にあるテラスへ座り、恵美さんは色々な留学の心得を教えてくれた。
「新学期が始まり最初はみな真面目に勉強をしますが、そのうちサボる人が出てきて、学期が終わる頃には三分の一の生徒が来なくなるので注意してください。日本人もそうです」
この言葉が印象に残る。
「この寮の家賃は安いけど、シャワーの温水の出る時間が決まっていて、インターネットの速度も遅いし日本人同士でつるんじゃうから、外でアパート借りている人も多いですよ。何人かでルームシェアすれば安いですし」
なるほど、大変勉強になる。他にも色々教えてくれたが、いきなりの留学生活を聞いてもピンとこないのであまり頭に残らなかった。
「トイレがすぐ詰まるので気をつけてくださいね」
しかしこれは分かる!每日トイレに籠もっている為、既に2度詰まらせている。
恵美さんはもうすぐ試験があるので勉強の為、図書館へ行ってしまった。甲子も週末は実家に帰るので別れることとなった。
1階ロビーで周老師に呼び止められる。
「私は今カラ帰らなければナラナイ。あそこにイルのは日本人です。あいさつするとイイネ」
職員室奥の廊下の先に小スペースがあるが、そこに卓球台が置いてあり5、6人ほどが卓球に興じている。周老師から紹介して貰い挨拶を交わす。彼らの大部分は日本の某大学の交換留学生で、半年だけの短期留学をしているそうだ。その中の一人、生意気そうな青年がいる。彼はまだ19歳で、長春に卓球留学をしにきたとの事だ。他の学生を卓球で圧倒してドヤ顔してる。
「ちょっと打ってみない?」
いきなりのタメ口、この時点であまり印象は良くない。もう君は心の中でピンポン君と呼ぶことにしよう。よろしくピンポン君。
卓球のラケットを握るのは久し振りだ。
私は中学の時に卓球部だったが、横浜市ベスト64と微妙なレベルだ。一般的な表面がツルツルのラバー(ラケットに貼ってある赤黒のゴム)ではなく、粒高ラバーという毛が生えた様な特殊なラバーを使用している。この粒高ラバーでボールを打つと、無回転になるのでボールが揺れてトリッキーなプレイができるのだ。
高校時代たまに遊びで卓球をすることはあったが、ここ数年はご無沙汰で、ここにあるラケットはボロボロの安っすいラケット、ラバーも摩耗しきってツルツルだ。相手は遠路はるばる中国まで卓球を修めに来た人間、相手になるはずもなかろう。
パコン、ガコン、バキッ、コンコンコン…………。
辛うじて打ち合えてしまっている。ピンポン君正直、思ったより大した事ない。勿論自分よりは当然上手いが、このレベルで……卓球の為に留学とは……気まずくなる。
「自分のラケットじゃないから感覚違いすぎて全然まともに打てねーや」
うん、気持ちは分かるよ。でもねぇ……。
周りも微妙な雰囲気になったところへ、ガヤガヤと騒がしい一団が友邦会館に入ってきた。全員サッカー日本代表のユニホームを着ている。交換留学生、自費留学生も一緒くたになりサッカーをしてきたそうだ。
皆すごく明るい。今にも〈のまのまイェイ♪〉とか歌い出しそうだ。先ずシャワーを浴びて、これから日本人で飲み会を開くとの事で私も参加が決まった。
タクシー何台かに分かれて乗車し、韓国料理店に行く。友邦会館の入口には常にタクシーが待機しており、待つ必要がなくて便利だ。
飲み会は楽しかった。何人か既に5年以上留学している者もおり、リーダーシップを発揮している。今日は参加していないが、日本人留学生のボスがおり、その人は9年目だそうだ。
「金士白」というメーカーのビールが美味しい。恵美さんも参加していて、静かに飲んでいる。試験が近いから息抜きしにきたのかな?そういえば皆も試験近いと思うが大丈夫なのだろうか?楽しかったが酒の量が進むと数人が荒れだした。掴み合いになり人生を熱く語り抱き合って泣いている。
私はもう社会人なのでそれを憂い顔を眺めていた。俺にもあったなぁ……あんな頃がと。
散会して帰るのだが阿姨家の住所が分からない。近くの銀行の名前や市場の名前は憶えていたので、恵美さんがタクシードライバーに伝えてくれた。優しい、可愛い、中国語うますぎ。
タクシーを降りたら全然違う場所だった。恵美ちゃん?
ヤケクソで勘を頼りに30分位歩いたら辿り着けた。最後の方は半泣きになってたけど……。
奇跡だ!大変軽い表現で恐縮だが長春の奇跡と呼ぼう。
〜翌日〜
9時から始まる授業を受けに、友邦会館に向かう。阿姨の家から大通りまで歩いて5分。この道は未舗装で下が土なので、雨が降るとグチャグチャになるので注意が必要だ。そういう時は歩道の縁のコンクリート縁石の上を歩く。
小学生の時の、この線から外れたら死亡!はいお前死んだ~!
的な遊びを老若男女みな真剣に頑張らざるを得ない。ただ縁石も適当に置かれて段差が酷いので、歩く時は注意が必要だ。固定されてなく踏むとズレて足を捻る可能性もある。実際捻った。
大通りへ出たらバスに乗る、前方から乗車し1元を箱に投げ入れる。やはり運転は絶望的に荒い。あとクラクションもすごい、鳴らしまくりだ。途中踏切を超え、沃尔玛という大きなスーパーの辺りのバス停で降車し、そこから8分ほど歩く。インターネットカフェや韓国料理屋、小さなスーパーの通りを過ぎると友邦会館に到着。3階の指定された教室に入る。
教室は日本の大学と大差なく綺麗だった。授業開始40分前に到着したのでまだ誰も来ていない。少し予習しようかとも考えたが教科書を持っていない。ちゃんと筆記道具は持ってきた。
「教科書はコピーの準備アルから問題ナイ」
昨日の周老師の言葉を信じよう。
20分ほど過ぎた時、一人の女性が入って来た。綺麗なお姉さん、それがその女性に対する第一印象だった。ナチュラルメイクの儚げで、それでいて凛とした佇まいの彼女だが、果たしてどこの国の人だろう?
「你好」
思わず挨拶する。
「你好。あれ?ひょっとして日本人の方ですか?私も日本人ですよ」
同じ日本人だ。超ラッキー♪
三人掛けの机で一席分、離れて座る。
名前は杉山 直美さん。歳は私の8つ上で、昨年末長春に来たそうだ。外交に携わる父親の関係で幼い頃より多国を廻り、英語はネイティブという本物の帰国子女だった。大学の教員資格を持っており、子供が言葉を覚えるメカニズムを研究する為、色々な国の言語を勉強中。ここに来る前の4年間は韓国に留学し、その後現地の専門学校で教鞭を執っていた才女であった。
今まで大学やバイト先で数人の帰国子女と関わったことがあるが、正直苦手だ。みなプライドばっかり高くて役に立たない印象が残っている。なんか話すときのジェスチャーがオーバーだし、目力も強くてプレッシャーを感じるし、バイト先のトイレ掃除を絶対にしなかったし、日本人は嬉しくも無いのにニタニタ笑って気持ち悪いとか言われたし……これって私の感想ですけどね。
しかし彼女は、非常に優し気な眼差しをして、動作一つ一つに気品を感じる。大和撫子のイメージこのままだ。
直美さんは10分程先述した身の上話をしてくれたのだが、この短時間で私の心はすっかり奪われてしまった。
だけど残念、今は彼氏の家で暮らしているそうだ。彼氏は朝鮮族の中国人で、韓国へ留学に行き、そこで直美さんと知り合い交際スタート。直美さんは中国語を学びたい、ということで同棲を始めたが、自宅で勉強しても全然進歩が無い為、3月よりこの長林大学で勉強を始めた次第だ。
何だか一人で勝手に恋に落ち、勝手に現実に戻された様な気分だ。感情の揺れ幅がすごい。まさに独り相撲。
しばらくして授業が始まる時間になると、ザワザワと声が聞こえ、廊下を見ると沢山の外国人が歩いている。一斉に上の学生寮から下りてきたようだ。ロシア人、モンゴル人、韓国人、他にも色々な国の人がいるのだろう。何人かがこの教室に入ってくる。その中の一人、とても美しい女性が直美さんの所にやってきて英語で話を始めた。全く聞き取れん。
彼女はターニャというロシア人の女性で、直美さんと同じく寮住まいではなく、近くのマンションに暮らしている。たまたま直美さんとご近所で、家族ぐるみの付き合いをしているそうだ。
中年の男性が入室し私に話しかけてくる。彼が先生の様だ。
『先程、周老師から君が授業に参加するのを聞いた。時間が無くて教科書をコピーしていない。杉山に見せてもらいなさい』
直美さん微笑みながら手招きをしてくれている。うっひょ?福音だ!超嬉しんですけど♪
直美さんの隣に座ったら淡いストロベリーの香りがして、鼻と心が擽られた……クンカクンカ……。
授業は何とか付いていける。今自習で使っている本屋で買った教科書よりやや難しい程度で、頑張れば今からでも十分挽回できそう。
私も日本という漢字の国から来た為、文章を一見すれば、凡その意味は理解できる。しかしロシア人達は大変そうだ。記号暗号にか見えないと思う。私もアラビア文字だったら永遠に覚えられなさそうだし。但し彼女らのスピーキング能力は目を見張るものがあった。少ない語彙でも上手く伝わるように話せるのだ。直美さんと私が話す中国語は、表現が硬くなりたどたどしい。
中国語の授業は午前中のみで終わり。クラスメートに挨拶をする。モンゴル人の「ヌォーナ」という子がいる。色黒で目がクリクリした、丸いほっぺの女の子で愛くるしい。虎側の服を着ていて印象に残る。
他にも、ロシア・ベラルーシ・ウクライナ・韓国の留学生がいるが、全員女性しかいない。授業中このハーレム状態に気付き、てっきり女性専用教室かとも思っていたら違うらしい。元々男子生徒も半数いたが、今では殆ど授業に出なくなってしまったそうだ。昨日の恵美さんの言葉を思い出していた。
「新学期が始まり最初はみな真面目に勉強をしますが、そのうちサボる人が出てきて、学期が終わる頃には三分の一の生徒が来なくなるので注意してください」
その後職員室で教科書のコピーを受け取りその帰り道、直美さんとターニャが沃尔玛に買い物するというので付いて行く。着くと、ロッカーがいくつもある。万引き対策の為、大き目の荷物はここに預け、バッグなどは入り口で強制的に不織布の袋に入れられ封をされる仕組みだ。入口にテレビが売られているが、3人の若者が地べたに座って番組を観ていた。ここには洗濯機といった家電全般から運動用品、野菜や生きている鯉等なんでも揃っている。イオ〇の様な店か……。
買い物を終え2人と別れてバスで帰る。こうして初めての授業は楽しく過ごせた。
それから帰国するまでの平日、午前中は授業に参加、午後は復習に費やした。男子生徒、クラスに確かにいた。毎日は来ないので、気が向いたらランダムに出席しているのかな。社長出席で羨ましい。
毎日中国語が上達している手応えがあり、非常に充実している。
ある日、甲子に呼び出されて夕食を食べる。羊肉の串焼きの店で、日本でいう居酒屋みたいなものか。2人ともかなり飲んで酔っ払った。甲子の家は阿姨の家と近い為、帰りがてら家まで送る。甲子の家はそれはそれは立派な高層マンションの最上階にある。ご両親にも挨拶したが一目瞭然、2人ともエリートだと分かる。聞けば父親は長春市の職業学校をいくつか経営している本物だった。
甲子は飲み足りないという事で、ビール瓶の入った箱を持たされて屋上へ上がる。最初は楽しく飲んでいた。
『両親は私を愛してくれていない。昔死にたくなり4階から飛び降りた。手首を切った』
と語りだす。私も酔っ払いだから安い同情で相槌を打つ。しかし少し嫌な予感がする……。
ホームスティ生活も終わりが近づく。日本から来た交換留学生の子達ともお別れだ。彼らはまとまって一つの教室で授業を受けていたそうだ。授業が終わると上階の寮へ戻るので、あまり会う機会はなかった。でも最後はしっかりとお別れの挨拶ができた。
そういえば飲み会の時にお世話になった、ベテラン留学生の人達の多くは昼頃起床し、午後はDVDで映画鑑賞、夜は飲み会という生活を過ごしていた。なので殆ど見掛ける事はなかった。
ひと月と少し、遂に帰国の日が来る。正直長かった。けど皆親切で楽しく過ごすことができた。私の心はすっかり留学に心が傾いている。帰国したら社長に直訴しよう。
帰りも大連から飛行機に乗るため、夜行列車に乗る。帰りは一人で乗るので阿姨達とは駅でお別れだ。もし留学することになったらすぐまた会えるから、涙は全く出なかった。行きの列車は夜中に何度か停車したが、帰りは大連駅直通という訳で、あのガコッというショックが無く助かる。トイレも使いたい放題だ。おかげで熟睡できた。
翌朝大連駅の出口には、あの従姪孫と友人が迎えに来てくれていた。2人は私の中国語が上達している事に驚いてくれた。当日午後の飛行機に乗るため、近くの市場で大連名物魚の干物を買い空港まで送ってくれる。
今回、日本の航空会社を利用したので機内食に味噌汁が出た。それを啜った時、初めて涙が流れてきた。今回のホームスティは周りの人達の手厚い力添えがあり実現できたものであり、正直生活自体は大変ぬるかったと感じる。それでもひと月も海外に滞在する事は初めてだったし、全てが新鮮で色々なものを吸収できたと思う。
こうして2006年6月29日、私は日本に帰って来た。
最初のうちは細かい描写になってしまいます。申し訳ないです。